ゆざえのDiery'sぶろぐ

想像の森。 表現の駅。 幻想の家。

2020年10月

死体が、わたしを呼んでいる。







敬愛なる死の同志であられる釣崎清隆氏へ

わたしはずっと、樹海という場所を異様に恐れてきました。
『樹海 死体』等という検索ワードで、絶対にGoogle画像検索できなかったわたしが、釣崎清隆氏のお陰で、あなたとの縁で、やっと、日本の樹海で亡くなられた方たちの死体を、見つめることができるようになりました。

来月に入って、お金が入れば、すぐに村田らむ氏の、『樹海の写真集』も是非購入しようと考えています。
もう怖いものは、死体の内には、ありません。
わたしが無感覚になることの方が、よっぽど恐ろしいのです。

釣崎清隆氏が、本当に撮りたいのは日本の死体なのだと言った言葉に、わたしは深い喜びを感じると同時に、それがほとんど叶わないことを本当に残念に感じています。
わたしもなのだと、気づいたのです。
わたしも、最も見つめたい死体は、最も見つめる必要があると感じる死体は、わたしと同じこの虚しい、きっと世界一虚無に支配されているこの日本という国で生きてきた最も近い同胞である日本人の死体であるのです。

最近、村田らむ氏の『樹海考』を読みながら、涙が流れました。
樹海まで来て、人は、最後の晩餐を独りで食べるために、樹海へ入る前にあったセブンイレブンへ立ち寄り、そこで自分が自殺をする前に、最後の最期に食べたいものを選び、飲み物も買って、そして樹海の奥へ入って行き、小鳥たちが木洩れ日のなかに囀ずり、木の葉が風に揺れて擦れる音を聴きながら、静かに湿った朽ち木や枯れ葉の上に座って独りで、黙々と、もうあと何分後には、死体となり、死体現象をひたすら辿り、腐乱してゆく自分の身体のなかに、本来、生きるための食べ物と飲み物を摂り込んでは、身体は、その内部は、一生懸命に、生命維持の為に、けなげに消化してゆくのです。

食べて、飲んだあとは、おならやげっぷが出たり、排泄したくなる欲求を覚えたかも知れません。
生まれて間もない赤ちゃんや、幼児と変わらないのです。
人間は何年生きようが、あと数分後には、動かぬ人形のような死体と化す前までは。
でも、もう、御別れなのです。
自分を、必死に、生きてゆくこと、ただそれだけの為に生かしてきたこの、肉なる自分とは。

ふと、空を、見上げたかも知れません。
いいえ、ちょうど良い、吊り下がれそうな枝を見つけるために空を仰いだはずが、木々の間から、綺麗な、縹色をした空が、まるでマグリットの「大家族」の絵の、荒れる暗い海とゆくあてを喪ったような空にぽっかりと浮かぶ大きな鳥のフォルムのなかにある優しい色の青空が、その目に映ったかも知れません。
懐かしさを、感じて、切なくて胸が苦しくなったかも知れません。
でも、もう、後戻りはできない。
もう、決めたことなのだから...もう、生きてゆくことはできないから、生きてゆくことに堪えられないから、此処へ来たのだから。
帰り道は、闇に覆われていて、帰る術も、帰る場所も、なくしてしまった。
もう死ぬしか、もう死ぬことしか、できない...

わたしは、死体を見つめる人が、死体に寄り添うことができないならば、何の意味もないと感じました。
死体を見つめて、その人が生きているときを、自分のなかで鮮やかに再生できないならば、虚しいばかりなのです。
わたしは、わたし自身が虚しいと感じました。
あなたが撮り溜めた何枚もの死体の写真を見つめながら、何も、想像できなくなった自分が、死体より遥かに、虚しい存在であると感じました。

わたしは確かに、今からおよそ24年前、あなたの撮った痛々しい右手の写真が自分のなかに鮮明に存在し、その右手はずっとずっとわたしのなかで生き続けて来たはずでした。
わたしは、そのままにしておくべきだったのかと、複雑な苦しみに襲われ続けています。
あなたは、わたしがまだ15,6歳のときに確かにわたしに素晴らしい贈り物を命懸けで贈り届けて下さって、わたしはそのトラウマを克服する術を持ちませんでした。
24年あまりが経ち、そのパンドラの箱でもあり、玉手箱でもあるあなたからのgiftの箱を、再びわたしは開けてしまった。
其処に、女性の右手は、その死体の一部は、転がっていました。
でも違う...それはまるで別の右手であって、わたしの記憶のなかで地面に転がっていた、あの、わたしの深層の区域に常に其処に転がっていた右手ではないのです。
わたしは、狐につままれた想いで、わたしのなかの右手を、捜しあて、見付け出す為に、樹海へ行き、わたしはホッとしたいのか、此処にあったのかと。
でもそこにあるわたしの見つめる目の前に存在する死体は、紛れもなく、わたし自身の死体であるはずなのです。

わたしは、死に場所を求めるかのように、青木ヶ原樹海へ共に行ってくれる人を募りました。
誰かは、わたしの衝動的で不可解で危険極まりない行為を、冷笑するように、こう言うかも知れません。
死体が、貴女を呼んでいるのだと。




こず恵(Twitter:yuzae1981)
























我が死の同志である釣崎清隆へ

自分は、わたしの表現をいくつも読んで戴けたら理解して戴けるかと願いますが、グロテスクなものが、苦手で堪らないのに、グロテスク表現、過激表現によって、人間が、自分の目覚めの力によってみずからを救いだせることを、信じて自分の表現を遣り続けています。
それはわたし自身が、2012年に見たあまりに現実的な悪夢を切っ掛けに、現実の地獄とその悪夢がリンクし、ようやく自分が此の世に真剣に救いを求めたことによって、ヴィーガンになることができて、例え自分を犠牲にしてでも此の世(全存在)の真の救いを求めて生きられるようになったからです。
そして其処に行き着くまでの自分のこれまでの人生が、如何に虚しいものであり、利己的なものであり、此の世の最大の悪(生命に対する強制的な拷問の地獄の苦痛)に加担し続けてきたかに、気づくことができたからです。
でも、誤解して貰いたくないのは、わたしが本当に遣りたいこととは、飽く迄、フィクションであるということです。
その点に於いても、現実の死体を見つめ続け、その死体を芸術作品として昇華させるべく命懸けで表現し続けながらも、本当に遣りたいことは劇映画を撮ることなのだと言った釣崎清隆氏に、わたしは深く共感を覚えています。
自分は、啓蒙的表現には、真の喜びを感じられてはいないように感じています。
これは、使命であり、抗うこともできなければ、抗う必要もないわたしの死ぬまでの、身命を賭してでも遣り遂げねばならない責務なのです。
いつでも、自分の啓蒙的表現には、不満を感じています。
そんな容易く、この問題を昇華できるはずもありません。
わたしのバイブルである我が生涯の師、町田康の「告白」のように、最も愛する存在を、みずからの手によって殺す。それを、表現し切ること。その苦しみがなくては、とてもカタルシスを生み出すことはでき得ません。
わたしの根源的訴えとは、「何故、自分自身(他者)に拷問の地獄を与え、そして殺すのか。」という問いなのです。
今日の午前3時過ぎに、わたしは初めて、自殺映像なるものを観ました。
人間が、みずからカメラに向かって自殺する、その瞬間の映像をです。
彼は、自分の顔面をショットガンで見事に吹っ飛ばし、虚しく死にました。
自分を、悲惨な方法で殺害することで、彼はすべての人間に、訴えたかったのだと感じました。
何故、自分自身(他者)を、人は殺すのか。と。
胸を撃って自殺するだけで、十分に悲惨であるはずなのに、彼はそれだけでは、きっと許せなかった。
彼は、自分の最も遣るべき、自分に相応しい方法で、自分を殺したかった。
彼がグロテスクなものが好きだったか苦手だったか、知り得ませんが、どちらにしろ、彼は最もグロテスクな死に様の一つである顔面を吹っ飛ばして死ぬという方法を選んで、自分を殺して死にました。
こんなことを、わたしが他の誰よりもあなたに向かって話すのは、あなたは既にわたしの表現のなかで、わたしが、わたしの実名で殺した、実名の、たった一人の存在だからなのかもしれません。
わたしはあなたを殺してしまった。
でも殺したのはあなたの姿を取ったわたし自身であり、わたしが殺したいのは、わたし以外には存在しません。
わたしは、自分を殺す瞬間を、確かに観ました。
今日の午前3時過ぎに。
それは、酷く既視感の在るものでした。
わたしは既に、それを知っていた為、わたしが、そのヴィジョンに、ずっとずっと、執着してきたはずだと、気付いたのです。
わたしはこれまでずっとずっと、”顔”と、”顔”がない、その状態に執着し続け、最早、わたしは自分や家族を含めるどの人の顔も、現実ではその造形を覚えることが困難になりました。
人の”顔”は、肉(肉体)によって、できているのではないのです。
眼には観えない心や、魂や、霊といったものが、眼では観えないその部分に、現れているはずのもの、それが、”顔”というものなのです。
その”顔”という、最も大切な部分が、一瞬で、吹っ飛んで、真っ赤な鮮血を滴らせ続けるばかりのただの醜い肉となったのです。
それが、わたしの顔であり、すべての人の顔であるのです。
わたしは、グロテスク表現と、過激表現を、どれほど孤立し、人を傷つけ、自分も傷つき、絶望的な孤独のなかに生き続けるとしても、死ぬまで遣り続けたいと願っています。
実際、本当に誰一人、何一つ届かないのかも知れませんが、わたしには、他に方法がありません。
わたしと、すべての顔を取り戻す、方法がないのです。

























生まれて初めて、自殺映像を、わたしは観た。

今日の午前3時過ぎ、わたしは人生で初めて、人の自殺映像を観た。
何度と、iPhoneで再生させ、speedを一番遅くさせても、何度も再生し、わたしが6歳の頃に、この地上に生まれ、わたしと同じこの世界を生きてきて、同じ時間に、色んなことを考え、悩み、喜んでは悲しみ、苦しみ続けてきた彼のとても優しい顔が、吹き飛んで、砕け、真っ赤な、血の肉の顔、死となるその現実の瞬間を、わたしは繰り返し観た。





米ミシシッピ州ニュー・アルバニーで先月(8月)31日、イラク戦争の退役軍人であるロニー・マクナットさん(33)が自宅でショットガン自殺した。
ロニーさんは自殺の様子をFacebookで生配信し、このときの映像は現在、海外の過激ニュースサイト「BestGore」で見ることができる。

 自宅の机の前に座ったロニーさんが、スマートフォンを机の上に置いた直後、自らの顔に銃口を向けた。
次の瞬間、銃声が鳴り響き、ロニーさんの頭は木っ端微塵に吹き飛んだ。
崩壊した顔面からは皮膚や肉が垂れ下がり、大量の血が滴っている。
音を聞きつけて、部屋の奥から小さな犬がやって来た。
この犬はきっと、ひじ掛けにもたれかかっている飼い主が既に息絶えていることを知らないのだろう。
自殺の瞬間はわずか数秒だが、一度見たら決して忘れられない衝撃的な映像である。

 ロニーさんは、イラク戦争から帰国した後、うつ病と心的外傷後ストレス障害(PTSD)に苦しんでいたという。
最近職を失った上にガールフレンドとも別れたことが自殺の原因だという報道もあるが、真偽は定かではない。

 友人のジョシュア・スティーンさんは、自殺直前のロニーさんは「信じられないほど酔っていました」と語り、そもそも配信を始めたときは自殺するつもりがなかったのではないかと考える。
スティーンさんは、配信が始まってから、ロニーさんにメッセージを送信したり、電話をかけたりした後、警察にも連絡したという。
しかし、自殺を阻止しようとする懸命の試みは奏功しなかった。







53031001-178E-42C1-8145-D572FC81947672D79950-74DD-49D5-ACAE-92585C16FB5A
CE1D4C7B-D568-4DDE-856C-6C092AD77BBA
0A4B2B90-5299-4BAF-9DB7-9279293C6F14
8D6C8081-B7EA-41DF-840D-AFC05424314C
74BE98C1-ED15-46C9-9690-98BAAA962AA8







実際に、人の自殺映像を観たのは、人生で初めての経験だったが、わたしのなかにとても強い既視感があった。
わたしは、わたしの過去生をもしかしたら観たのかも知れない。
奇しくも、「至近距離から、ショットガンなどの破壊力の強い銃で顔面を、とにかく何発も撃ちまくったら、きっとこうなるだろうと想像できる顔面の原形を全く留めてはいない、ほんの少し、頭部を仰け反らせるようにして椅子に座って死んでいる女性の死体の鮮やかなカラー写真」を97,8年に観たわたしの一番の死体写真としてのトラウマを創作のなかで表現し、それを切っ掛けにわたしがみずからのトラウマである死体写真や、スナッフフィルムなどを見つめて行こうとすることを決意したのが、彼の自殺した4日後の、9月4日だった。






Ronnie McNutt3






彼の、生前のあまりにも優しげな顔の写真を保存し、少し見つめたのち、椅子から立ち上がった。
昨日からいつもより精神が不安定で抑肝散ばかり飲んでいたが、またも飲んで、わたしは切実に救いを求めるなか毛布のなかに動悸の続く身体を横たえて潜り込み、眠りに就いた。
4,5時間、わたしは眠り続けた。
悪夢を見た記憶はなく、寧ろ、彼の魂やわたしの守護霊たちなどから心配されているかのような、深い愛の安らぎの感覚のなかにわたしは目覚めたのだった。

それで、わたしはずっと目が覚めてから彼が、ショットガン自殺をライヴ配信した理由について、考えていた。
ロニー・マクナット(Ronnie McNutt)氏が、敢えて破壊力の凄まじいショットガンによって、みずからの顔を粉砕させて自殺し、その映像をライヴ配信した理由について、人々は、何も深刻に考えようとせずに、とにかくトラウマとなるから人に見るなと注意を拡散したり、早く削除するようにと要請したり、観たくないものを観てしまったと後悔したりしている。
人々は、気付いている筈なのに、気付いていない振りをしている。
残酷なことから、目を背け続けていても、残酷なことはこの世界から一向に、なくなっては行かないのだということに。
ロニー・マクナット氏が、戦場で一体、何を見て、どんな経験をして帰ってきて、彼が独りでずっと苦しみ続けてきたのか、わたしたちはわからない。
でも彼のその経験と、彼の自殺の方法が、深く関係しているかもしれない。
そして彼の苦しみと、わたし自身の苦しみは、離れているものではないのかもしれない。
わたしは2012年から、ずっとずっとこの世の本物の、終わらない地獄に対して、人々に訴え続けてきた。
それは、人間が、利己的な理由によって動物たちを大量に殺戮せしめ、自分の利己的欲望(家畜は皆、美味しい肉にするだけの為に、生きたまま解体されてから惨殺される)を満足させる為だけに、動物たちを地獄に突き落とし続けても、それが人間は元来、野蛮な生き物なのだから仕方ないと、或る意味、"正しい"ことなのだと嘯き続けているこの現実に対して、わたしはずっとずっと、訴え続けてきた。
その行為は、必ずや"自分自身"に、すべての人類に、返って来るのだと。
彼は、戦場で人を殺してしまったのかも知れない。
自分の罪の重さに、もはや堪えられなかったのかもしれない。
彼は、自分が撃った兵器によって、顔が砕け散って、醜い肉塊と化して死んでいる人の死体を、見てしまったのかもしれない。
彼は、自分が安らかに死ぬべきではないのだと、願っていたかも知れない。
自分の顔を、無惨に撃ち砕いてグロテスクな死体と、その、無念さを、人々に見せしめることによって、彼は自分の絶望と、自分の堪え難い苦痛と、この世界にある、暴力と殺戮の残酷さを、そこにある虚しさを、支配している虚無を、訴えたかったのかも知れない。
こんなにも悲惨で、虚しい”悪”はあるかと。
職が、人を殺す以外の、僕の仕事が、僕の遣るべき仕事が、他にあったならば、僕は殺さなくてもよかったはずだと。
屠殺人も、同じことを想うかも知れない。
他の仕事を、本当は与えて貰いたかったのだと。
殺す以外の、自分の仕事を。
どうか彼の、割れて砕けて、見るに堪えない肉の塊となったその顔から垂れる真っ赤な肉から床に滴り落ちつづける音を静かに聴きながら、想像してみてほしい。
これが、"誇り"だと信じられた仕事をしてきた人間の、最期に相応しい姿なのか。
動物を殺す仕事も人間を殺す仕事も、"何か"から、それを"誇る"べきだと、信じ込まされ続けている。
これは、一番に、人間をマインドコントロールすることのできる簡単な常套手段であり、この世界のほとんどの人が、それを、賞賛しながら、同時に、差別し続けている。
"殺す"という仕事に就いてきた人間を。
人々は、潜在意識に罪悪を感じながらも、彼らに感謝する。
あなたが殺してくれたから、わたしの”悦び”があるのだと。
肉を食べながら、人は屠殺した人間に感謝し、いざ、屠殺した人間がその苦しみの末に自殺したとき、人はその現実から、目を背け、顔を歪めて想う。
嗚呼、なんて醜い肉(死体)だろう...。
これがわたしと同じように、つい最近まで生きていた人間の姿だなんて...。
観たくないものを観てしまった...。
彼は、自分の仕事に誇りを持ってるのだと言っていたはずだが...。
そうだ、彼は、こう話していた。
自分が、人々の遣りたくはない、できない仕事をしているから、人々は、美味しい肉を食べられて、幸せを感じられるのだと。
この仕事に、誇りを持って、ずっと遣ってきたと。
でも彼は、その後、屠殺業を辞め、鬱病と心的外傷後ストレス障害(PTSD)に悩まされていたなんて、知らなかった。
わたしは、それを、知らなかった。
彼は、もう二度と、動物を殺す職業には就きたくないと、
生きてゆきたいのだと、自分に目で必死に訴えて来て、請い願う生命を、もう自分の手で殺したくはないのだと話していたことも。
わたしは、知らなかった。
わたしは、想像もできなかった。
わたしは、彼の苦しみに、無関心だった。
わたしは、わたしは、知らなかった。
殺し続ける行為が、どれほど人を、破壊するかということを。
その殺された死体の肉の塊が、どれほど彼に対して、その地獄をずっとずっとずっと、訴え続けて来たかということを。
























Mince

死体をミンチ状にしたことって、経験ある?
どうしたの。突然…。
マグロとかさ、たたきにしたことある?俎板の上で。
あるかな…。記憶に無いけど…。
そういう感じにさ、人間の顔面をミンチ状にしたいなって想ったことある?
…ないよ。
そう…。可笑しいね。僕もないけど、見たんだ。
何を?
今朝、見たんだ。女性の顔を、ミンチ状にする夢を。
またえらい悪夢見たね…。
貴方の撮った死体写真の影響だよ。
そうか…。
最初は、大きなシャベルで切断して、細かく切り刻んでゆくんだ。
仰向けになっている女性の顔を。
夢のなかだから、なんでもありで、上手く切断できるんだよね。
でもそのあと、ミンチ状にするっていう工程なんだ。
彼女の頭部はさ、最初からミンチ状になるっていう決まりがあって、人類の大半が、それを認めてるんだ。
彼女の顔はさ、最初からミンチ状になる為に、存在していたものだし、彼女の顔面はミンチ状になる為に、ずっとその顔が、そこに存在していたって事なんだよ。
ツリが撮った死体写真もさ、ミンチ状まで行かないとしても、それに近い状態のものがあったじゃん。
そうだね。
その人たちもさ、そうなる未来が、決まっていたんだよ。
肉の塊、ブロックやたたき、その違いがあるだけでさ、人間が調理して食べる肉と同じようなものにさ、最期はなるために、その顔が、その身体が、その肉があったんだよ。
でも誰も食べないでしょ…。
いや、食べるんだよ。
誰が?
遺された人間たち。遺された者たちがさ、食べるんだ。食べやすいためにさ、ほら、よく死体写真にもモザイクがかけられてるんじゃん。屠殺場の映像と同じにさ、見せたくないんでしょ。グロすぎるって言ってさ。同じだよ。神聖で穢されるべきものじゃないからモザイクかけるんじゃないんだ。ひたすらグロくて、不快で、人間が精神病まないで生きてくためにさ、見せるべきじゃないって魂が死んでる人たちがさあ、想うからだよね。
人間の顔だってさ、マグロのたたきや牛や豚や鶏のミンチ(挽肉)と変わりないでしょ。
何の為に存在してるの?マグロのたたきや牛や豚や鶏のミンチ(挽肉)を美味いっつって何とも想わずに食べてきた人間の顔がさ、何の為に存在してるの?
同じものでできてるのにね。死体喰い続けて来た人間がさ、生きてるなんてほざいてさ、生きてるわけないのにね。
生きてないからさ。最初から生きてなんていないのわかってたからさ、ミンチにしてやったんだ。僕が彼女の顔を。
まだ生きてる間にしただろってさ、非難受ける筋合いなんてないよ。
ミンチの顔の人間たちにさ。
手前ら、死ねじゃなくって、生きろよって(笑)生きてから非難しろよ。
で、僕の顔、今日ビデオに撮ってさ、Instagramに投稿したんだけどさ、ミンチ状になってんの(笑)僕の顔がさあ。
それで想いだしたんだ。嗚呼、そうだった。僕、散々ハンバーグとか、餃子とか、つみれとか、メンチカツとか、麻婆豆腐とかさ(笑)喰って来たじゃんって。それ全部、僕が僕の顔をミンチ状にしたやつだった!って想いだして、僕の顔が存在してるわけないってやっとわかったんだ。
そうだよ、時間が無いんだから、この世界は本当は。すべて、僕の食べてきた肉は僕の死体だったし、僕は一生懸命に、自分の食べる死体の為に、僕の顔を切断し、細かく切り刻んで、砕いてたんだ!
毎日、毎日、毎日…!
おぞましい、腐乱死体の姿で。
自分自身の顔をミンチ状にするその行為を延々と、繰り返し続けるんだ。
すべての、死体を食べ続ける人類のように。


























わたしの死胎を撮らないでくれ。






























































































BURST GENERATION ―絶滅へ向かうこの世界を救う唯一の、絶滅しゆくものとは、絶望の死と悲しみである。








自分は1981年生まれで80年代と90年代に、最も重要な経験をして来たと言える人間である。

97年に酒鬼薔薇事件が起きて深く影響され(5年間、彼と自分を重ね合わせ、恋をし続け)、97,8年に兄の持っていたBURSTで釣崎清隆の撮った死体写真を観て衝撃を受け、深くトラウマとなり続けながらも、丸尾末広の「笑う吸血鬼」や糞尿まみれの童貞厠之助や「少女椿」の徳利児鞭棄などに本物のエロスを感じ、月刊ガロを読み耽り、猟奇的なものに官能的なものを覚え、フィッシュマンズの佐藤伸治の死に泣きながら暮らしていた90年代(十代)を生きて来て、最も愛する漫画家は華倫変で、生涯の師匠は町田康であるわたしが、サブカルチャーにあまり詳しくなくて、”カウンターカルチャー”という言葉すらつい最近知った。

Tattoo、ドラッグ、人体改造、エロ、ハードコア類…どれも興味がないのである。
はっきり言って、何一つそこに惹かれるものはない。
寧ろ、不快さを感じるし、面白くない。
そんなわたしが一番愛する映画とはアレックス・コックス監督、ゲイリー・オールドマン主演の「シド・アンド・ナンシー」である。

わたしが、約24年振りに、昔の「BURST」を買い占め、この「BURST GENERATION」を買ったのは主にたった一つの理由、死体と、釣崎清隆という人間を見つめるためである。

読んでいて、ほとんどはつまらぬ記事だと感じたのだが、非常に切ない気持ちにさせられるものも幾つかあった。
だが全体的に切なく、嗚呼、この雑誌きっと続かないんじゃないのか。という儚さを感じさせられる感覚であり、直観的にこの雑誌は、今この世界に求められているように感じなかったのである。
今求められているものとは、本当に反吐の出るくだらないものばかりであって、本物(本物の死体や、本物の人間の悲しみ)を切実に知りたいと願っている人間など、絶滅危惧種なのである。

例えば『父のロリータ』という記事は自分の境遇と凄く重なるものがあり、不快な苦しみと同時に人間の底知れぬ悲しみを感じて、とても良い記事だと感動したのだが、こういった記事を毎回読みたいのだと願う読者はどれくらいいるだろうか。
現代の大きな社会問題として”孤独死”の問題があって、孤独に暮らす人間にとって、明日は我が身の問題でもある。
浴室のドア下のコンクリートの床に頭を打ち付け、べっとりと黒い血痕と頭髪がそのまま付着しているその写真を掲載し、読者に、彼女の父親の最期を、想像させてくれる記事が、この時代にどれほど有り難いことか、どれほど貴重であることか、ほとんどの人は、知ることもない。
死体写真と同じく、人間の最期を嘘偽りなく観せてくれることを安心できる、決して消費されはしない、一生残り続けるであろう記事を載せてくれるこの雑誌自体もまた絶滅危惧種であり、そんな雑誌を、ほとんどの人は一度も手には取らず、死んでゆくことだろう。

p.s.釣崎清隆が撮ったからなのか、わからないが、青木ヶ原樹海の髑髏が、またも、どの死体より、どの生きた人間よりも優しい幸せそうな顔で安らかに眠っているのだった。
わたしは本当にこれまでずっと髑髏恐怖症だったのに、彼の撮った髑髏があんまりに愛おしくて、最近、髑髏を連れて帰りたくてしょうがない。

最後に、この雑誌にわたしからの御願いがある。
本当の地獄の苦しみの末に亡くなったであろう自殺者の死体(仏様)の次のページに、エロが来るのだけは、やめて戴きたいと願う。


























右手

人が、雑誌を読んでいて、ページをめくる。
おや?なんだろう...この写真は。
道端に落ちて踏み潰された生の手羽先かな...?
すると次のページには、その写真をズームアウトした本来の姿が映し出され、人は、あっ、と声に出して驚く。
人間の右手ではないか...。

人はその時、不快な感覚を覚えないでいることはできない。
そして、ふと思い出す。
そういや昨夜、手羽先食べたんだ。
この交通事故で亡くなった女性から千切れた、黄色みがかった脂肪や腱と白い骨の見える切断面の右手にそっくりな手羽先を...。

人は、思うのだった。
嗚呼、夜の道に、生の手羽先開いたものを置いてたら、人は、ドキッとするだろう。
これは人間の肉片ではないよな...と。
恐ろしいが、人は、それがなんであるかを確かめたいので、近づいてよく観ることだろう。
しかしどんなに近付いても、それが人間の死体の一部なのか、動物の死体の一部なのか、わからないだろう。
何故なら、その二つは、切り取られた場合、見分けが全くつかないものだからだ。
人は、気になるため、警察に電話し、こう言うだろう。
あのぉ...実はわたしの目の前に、道端に、人間の肉片らしきものが転がっているのですが...。
警察が遣ってきて、肉片を拾って、人にこう言う。
「"何の"肉か、検視の結果が出ましたら、改めて御連絡致します。」
翌日、電話が掛かってくる。
「検視の結果が出ました。あの肉片は、鶏の"死体"でした。どうやらあの近くで飼われていたクックたんという名の、雌鶏の死体の右の前肢(翼)の部分であるようです。誰かのいたずらでしょう。御協力、ありがとうございました。」
人は、受話器を置いたあと、あてどない悲しみを感じないではいられない。
クックたん...殺されたのか...。なんて酷いことをする人間だろう...。
嗚呼、お腹が空いた…。なんか食べよう。そうだ、チルドに入れたままの手羽先...忘れてた。あれ早く、食べないと...。
人はそれをフライパンで焼き始めたが、胃液が込み上げてくるのだった。
嗚呼、よりによって何故、わたしは手羽先を今から食べなくてはならないのか...。
一体、何の罪で、わたしは今から手羽先を食べなくてはならないのか。
クックたんが虐待され、生きたまま解体されたあと惨殺され、その死体が、スーパーに並べられ、わたしがその死体を買って、わたしが今、クックたんの死体を焼いて食べようとしているのだ。
人間の死体とそっくりで、見分けることさえできなかったクックたんの死体を、わたしは今から何故、食べなくてはならないのか...?
クックたんは、実際、どのように殺害されたかを、わたしは知らないが、クックたんは殺される直前まで、きっと鳴いていたのだろう。
クック、クック、クック、クック、クック、クック、クック、クック、クック、クック、クック、クック、クック、クック、クック、クック、クック、クック、クック、クック、クック、クック、クック、クック、クック、クック、クック、クック、クック、クック、クック、クック、クック、クック、クック、クック、クック、クック、クック、クック、クック、クック、クック、クック、クック、クック、クック、クック、クック、クック、クック、クック、クック、クック、クック、クック、クック、クック、クック、クック、クック、クック、クック、クック、クック、クック、クック、クック、クック、クック、クック、クック、クック、クック、クック、クック、クック、クック、クック、クック、クック、クック、クック、クック、クック、クック、クック、クック、クック、クック、クック、クック、クック、クック、クック、クック、クック、クック、クック、クック、クック、クック、クック、クック、クック、クック、クック、クック、クック、クック、クック、クック、クック、クック、クック、クック、クック、クック、クック、クック、クック、クック、クック、クック、クック、クック、クック、クック、クック、クック、クック、クック、クック、クック、クック、クック、クック、クック、クック、クック、クック、クック、クック、クック、クック、クック、クック、クック、クック、クック、クック、クック、クック、クック、クック、クック、クック、クック、クック、クック、クック、クック、クック、クック、クック...
嗚呼、そして...そして...何が起きたのだ...その次の瞬間...
人は気づけば、外に飛び出していた。
真夜中の道路、涙で、視界がぼやけていた。
人は何を想ったのか、咄嗟に、道路を渡ろうとした。
人は、スピード狂の車に激しく跳ねられ、轢き潰され、千切れた右の手首が30m先に飛んで、道端に落ちた。
その場所は、クックたんの殺害現場であった。
人が、そこを通り掛かった。
その落ちている肉片を観て、人は思った。
これは、鶏か...。
何故なら、それが、ずっと、ずっと、クック、クック、クック...と悲しげに鳴き続けていたからだった。


























ツリの煩悶地獄 六

今日も、遺品整理のバイトを終えて帰宅し、家に就いて、ツリは一服していた。
ビール缶を片手に、豆おかきを食べながら、疲弊を感じながらも、今日一日を無事に過ごせたことを感謝する気持ちで、幸福を噛み締めている時だった。
玄関のチャイムが、突然鳴った。
ツリは、吃驚した。一体、こんな時間に、誰だろうか?ツリは大変に訝った。
すると、ドアの前で、男の声がした。
「ヤマト宅急便です。」
ツリはホッとした。なあんだ、宅配便か。はて、何が届いたのだろう。
ドアの前まで行って、覗き窓から外を覗くと、確かにヤマト運輸の緑色の制服を来た男が、緑色の帽子を被って立っておった。
安心し、ツリはドアを開けた。
その瞬間、物凄い速さで、男に腹と、頭部を鈍器で殴られ、気絶した。
次の瞬間、ツリは、ヌルヌルとした、熱い血の味で目が醒めた。
鈍痛を、頭部の左上部分に感じて、ツリは想った。
俺の頭から血が流れており、その流れてきた俺の血を、俺が舐めている、そういうことか。
そして、あっ、とツリは想いだしたのだった。
そうだ俺、訳がわからないが、ヤマト運輸の男に突然、殴られたんだ…。
ツリは、此処は、はて、何処だろう…?と想った。
薄暗くて、良く観えなかった。
何か、物があるようにも観えるし、何もないようにも観えた。
とにかく狭いようで、広いようにも感じられたが、室内であることはわかった。
何故ならば、室内にいるときの、雨の音が、外から聴こえて来るからだった。
気温も暑くもなく、寒くもなかった。
一つ、明確にわかることは、自分は椅子に座らされており、両手首を、椅子の背凭れの部分に強く縛り付けられており、両足頸は、椅子の足に、それぞれ拘束され、自分は身動きがまったく取れない状態であるということであった。
一体、何が起こっているにだろうか…。
「いるにだろう」って何…?ツリは自分で突っ込んだ。
嗚呼、俺は…。俺は…。とうとう、捕まっちゃったのか。ツリは絶望した。
誰かわからないけれども、俺は、本当に捕まえられちゃったんだ。
色々と、ヤバいこと俺は遣ってきたものなあ…。遣りたいことを。
いつか、こうなっても可笑しくないことを、俺は遣ってきた。
いやさ、ずっと想ってたんだよ俺は。なんで俺以外の人間たちがさ、続々と殺されたり、死んだりしてゆくこの世界で、俺っていう何でも好きなこと遣ってきた人間が、まだ本当にヤバいことにはなってないのかなって。
いつか、こうなるって、何処かで恐れてたのかなぁ。
それが、叶っちゃったんだ。叶えられちゃったんだ。俺の潜在的恐怖が。
…。しかし此処は何処なのだろう?
ツリは、独り言をずっと喋って気を紛らわそうと必死だったが、いよいよ、堪え切れなくなり、不安が暗黒のコクーン(cocoon)のように、ツリを覆ったのだった。
目の前が、薄暗い感じだったのが、真っ暗になった。
嗚呼、俺とうとう、死ぬのか…。
誰かに、殺されるか、このまま、死ぬのかな。
助けてくれる奴、誰もいないのか。
俺みたいな人間、命懸けて助けてくれる奴、いないよなぁ…。
嗚呼、そういやあの娘、俺に”死の同志”だなんつった、はは、こず恵は…どうしているのだろう。
彼女、俺のストーカーになって、本当に俺の家にいつか遣って来るんじゃないかって想ってたんだがなぁ。
一向に、来ないんだよな。つまらんことに…。
死の同志とか、大層なこと言っておきながら、そんなもんなのか。
まったく、根性のない女だよ。俺を殺す勢いでさ、俺を殺すほどにさ、俺を愛してみろっつうんだよね。
死の同志だなんて言うならね…。
俺を、助けてくれないのか…。こず恵も。
ツリは、魂の底で、こず恵を、死の同志であるその彼女を、呼んだ。
その時である。
眩しい光の漏れる、ドアの隙間が開き、ドアが、閉められた。
何処かの角に、蝋燭の火でも灯ったかのように、部屋が、少し明るくなったような気がした。
ふと、気づくと、ツリの目の前、ニメートルほど先に、こず恵が、白いレース生地の花柄のミニワンピースを着て、神妙な顔で、彼を見つめて立っていた。
ツリが、驚いて、黙っていると、彼女は哀れむ顔をして言った。
「ごめんなさい…。」
ツリは、彼女に深く、息を吐いたあと応えた。
「やはり…貴女だったか…。」
彼女は、黙っていた。
その憐れむ顔は、何処か微笑んでいるようにも観えた。
ツリは、優しく、「おいで…。」と彼女に言った。
彼女が、涙を、絶え間なく流し始めたからだった。
ツリは、人相は、悪いが、本当に情に弱い、人情深い男なのだった。
彼女が、哀れで可哀想でならなくなったので、優しくしてあげたいと素直に想ったのだった。
でも彼女は、まるで一度、幼いときに父親に棄てられた娘のように、緊張してツリに近づくのを拒んでいた。
だから、ツリは、もう一度、ツリのなかに存在し得る、慈悲を最大限にした声で、彼女に言った。
「こず恵…。おいで…。」
すると、彼女は、不安げな顔のまま、つたたたたたたん。と、幼女のようにツリのもとへ駆け寄り、ツリの膝の上に、ちょこなんと痩せ細った身体を横にさせて載ったのだった。
ツリは、笑うのを我慢した。
堪えながら、優しく彼女に微笑みかけて、黒く、丸い目をして見つめる彼女を見つめ返した。
すると、初めて、彼女はツリに、恥ずかしげに微笑み返した。
ツリは、彼女が最愛の亡き父と、自分を重ねていることに気付いていた。
彼女の父親が、まるで自分のせいで死んで、父親がすべてであった彼女も一緒に死んだのだと、責められ続けて来たことも気付いていた。
ツリは、彼女に対し、潜在意識で深く罪悪心を懐いていた。
Twitterで、彼女が自分に対し厭味を言い始めた時、いよいよ始まったかと想った。
積年の、愛憎による呪詛の始まりが、とうとう始まったことを知り、ツリは居た堪れなくなり、ツリは、彼女を仕方なくBlockした。
彼女は、自分に対して、理想の父親であって欲しいのである。
何故ならば、彼女は理想の父親と、理想の母親をしか、この世に求めてはいないからだ。
でもそんなことは、到底、無理な話である。
一体、どうやって、他人である男が、彼女を無償の愛で愛し続けることができるというのか。
ツリは彼女の本当の欲求に、何も応える気はなかったし、応えられることは何もないことを知っていた。
此処に存在している虚しさを、彼女も、ツリも感じていた。
彼女は、自分に対して、殺意以上の、恐ろしい感情と念があるのも、ツリはわかっていた。
でも、どうだろう。今、実際にこうして彼女に拘束され、頭蓋骨も多分、陥没させられ、血が、だらだらだらだらと流れ続けて来るなかに、彼女を(心のなかで)抱っこして、ツリは観念しているのか、変な安心を感じているのだった。
嗚呼、きっと俺はもうすぐ死ぬのだろう…。
彼女は、俺の頭蓋骨陥没に、当然、気付いているはずなのだが、一向に、応急処置をしようともしないじゃないか…。
そんな自分の悲しみに彼女はエンパスなので、すぐさま気づき、ツリを睨みつけた。
嗚呼、俺は睨まれている…。蛇に睨まれたる蛙の如きツリは彼女を深い眼差しで見つめて言った。
「だいぶ…朦朧としてきたよ。こず恵…。俺の命も、もうすぐ事切れるのかもしれない。」
彼女は、ツリの陥没した頭の肉の割れ目を観て、ツリに向き直るとホッとした顔で微笑んで言った。
「大丈夫。ツリ。生きてるよ。」
「…。」
話が通じてるのかな…この娘(こ)…。
ツリが、絶望の闇のなかで煩悶していると、彼女が、急にツリの膝の上でもじもじとし始め、何かを自分に要求していることに気付いた。
ツリは流れ落ちて来る血に、目を瞬かせて血の涙を流して訊ねた。
「何かして欲しいことがあるの?言って御覧。後生だからね…。」
すると彼女は、恥ずかしげに身をくねらせながら、頬を赤らめて、幼女のようにツリに向かって囁いた。
「パパ…。キスして…。」
ツリは、生唾をごくりと飲んだ。とうとう、来たか…。これはただのごっこではない…。
もう本当に、死ぬな…。俺、死ぬわ…。ツリは、自分の意識が薄れて行きそうな気がした。
嗚呼、もう本当に俺は死ぬよ。死ぬなら…最期に、彼女の望みを聴いて死んでやろうじゃないか…。
ツリは、彼女にそっと、父親のようにキスしてあげた。
すると、嗚呼、どうしたことだろうか、こんな死の間際に。
ずっとEDだったのに…。ツリは自分の陰茎が激しく勃起して、彼女の太腿に突き立てていることに気づき、興奮した。
ツリは、彼女と激しくキスし始めると、舌を彼女の喉の奥に突っ込み、自分の熱い血を彼女に飲ませた。
そして、もう堪らなくなったので、彼女に懇願した。
「こず恵…。縄をほどいてくれ。」
彼女は、不安で仕方ないという顔をして、ツリを見つめると、首を横に振った。
ツリは、倒れそうな感覚のなか、彼女に言った。
「こず恵を、この手で強く抱き締めたいんだよ…。」
彼女は、目を伏せ、涙を流した。
ツリは彼女の涙を舐め回し、勃起した男性器をぐりぐり彼女の女性器に激しく擦り付けた。
彼女も、激しく欲情し、小さく喘ぎ始めた。
あまりに激しく、ツリの身体に寄り掛かってくる為、椅子が後ろに倒れ、後頭部をしたたか打ち付け、ツリは衝撃で少しの間、気絶した。
そして、気絶から目が醒めると、縄はほどかれており、ベッドの上に、横たわっていた。
彼女が、幸せそうな顔で自分の身体に抱き着いて、寝息を静かに立てて眠っていた。
白いシーツが、殺害現場のように、真っ赤に染まっていた。
俺の血、全然止まる気配がないじゃないか…。
ツリは、何を想ったのか、側にあったデスクの上に、カメラを見つけると、彼女の着ている自分の血で染まった白い花柄のレース生地のミニワンピース姿を、その血のなかで、死んでいるかのような彼女の姿を、死体として、撮影し始めた。
そして、次は脱がして裸にすると、カメラを手に取ったが、ツリは、深い溜め息を吐いてカメラをデスクの上に戻した。
彼女は、静かにまだ、眠っている。
ツリは、死体を犯すように、彼女と交わった。
絶頂に達する瞬間に、彼女は息を吹き返すかのように息を深く吸い込んで目を覚まし、彼を見つめた。
自分の頭から流れ滴る血で、彼女の顔もまた、血だらけであった。
ツリは、もうすぐ、世界は終わることを知っていたが、彼女の目を父親のような眼差しで見つめ、静かに言った。
「こず恵、今から俺とこず恵の、結婚式を挙げよう。」
彼女は、本当に幸せそうに、微笑むと、うんと、頷いた。
そして次の瞬間、自身の背中に手を伸ばすと彼女はツリの額に銃口を突き付け、黒々とした目で言った。
「もうすぐ、生まれる。わたしたちの愛する子が…。」
彼女はトリガーに指を当てた。
ツリは、涙を湛えて絶望した美しい顔で彼女を見つめながら「何故なんだ…。」と言いかけた。
言い終わる前に、彼女はトリガーを引き、ツリは衝撃で後ろに激しく倒れる形で頭部と上半身を跳ね上がらせた。
だが、彼女を覆うように身体を載せている状態だった為、バウンドして彼女の身体の上に激しく倒れ込んだ。

約一月後、ベッドの隣で眠る腐乱死体と化した彼の頭部の腐肉のなかに手を突っ込み、彼女は彼の頭蓋骨を取り出すと、湯船に溜めていた温かいお湯のなかで綺麗に洗い、すべての醜く穢れた肉を洗い落とした。
そして彼の死体の隣で、赤子のように彼の白白とした頭蓋骨を胸に抱いた彼女は横たわると、此の世の何より幸せそうな優しい顔で眠る髑髏を見つめ、彼女は幸福に満たされながら言った。
「これは、わたしの愛する子。わたしの、死の息。」


























oOoOO - Starr


























グロテスクで虚しいものたち 釣崎清隆へ捧ぐ






『バースト・ジェネレーション』 presents 「NEO鬼畜道場」ver. 第三回
 釣崎清隆 x ケロッピー前田

この動画のコメント欄に、わたしの素直な想いを書いた。
(わたしのyoutubeのアカウント名はoto yoruです。追記を、今朝書きました。)

わたしの複雑な苦しみを、釣崎清隆なら、わかってくれるんじゃないかとわたしは直観として感じたし、今でもその想いがある為、誰に何を想われようとも、わたしは表現したいことを表現し続けてゆくつもりである。




この本のなかの釣崎清隆のインタビューで、彼が自分の若い時分に撮ったAVを二本とも、封印したいと、恥じていることを知った。
だからなのだろうか?わたしは自分の一番の苦しみのトラウマがAVであり、そのトラウマを克服すべく、彼に過去の作品をどうすれば観れるのかと再三にわたって訊ねたが、一度も、答えては貰えなかった。
苦しい質問であることを承知で、わたしは彼に、何かの返事を答えて貰いたかった。
わたしに対して、何かの言葉を彼がずっと言ってくれることを待っていた。
でも完全にスルーされ続けたことで、わたしの精神は不安定になり続け、結局、最後は彼にTwitterをブロックされた。
苦しい為、ほとんど彼のTwitterを観に行かなくなった。
何か一言でも、言葉が欲しかった。
自分の最も苦しいことを貴方に告白したのですから。
わたしは確かに、気付いていた。
作品として、撮られたAVではなく、わたしの一番の苦しみであるものとは、作品でも何でもない、ただの無料で配布されている極短いエロ動画だったのです。
だからわたしが本当に自分を最も苦しめ続けてきたトラウマに向き合うために、見つめる必要があるのは、映像作品としてのAVではなく、ネット上に散乱し続けている無料視聴できる浅ましく薄っぺらい寒々しく、虚しいばかりの、グロテスクでもある性器にボカシの入れられていない”日本”のエロ動画なのです。
それらを見つめ続けることで、わたしの鬱は、さらに酷くなり、アルコールの量も増えて早死する可能性もある。
だから最初に、初歩的なものとして、敬愛する釣崎清隆の撮った作品としてのAVを最初に観たいと望んだのだろう。
わたしは結局、自分と、最愛の父を殺す経緯となったAVを見つめることから、逃げ続けている。

わたしはこの先もずっと、息を吹き返す日は来ないだろう。
そう、わたしは望んでいる。
この絶望を抱えたままでしか、わたしは死にたくはない。


































死と性と女 釣崎清隆に捧ぐ

『バースト・ジェネレーション』 presents NEO鬼畜道場 ver. 第三回(収録配信)で、
死体写真家である釣崎清隆が話していた。
「ヤバいと想いながら、ヤバい女とやっちゃうってことありますからね僕も。今はほとんどないんですけれども。」
と。
わたしはこれを聴いて、「ヤバい女」とは、一体、何なのか?ということを考えた。
自分自身が、或る意味「ヤバい女」として生きる一人である。
人間の「ヤバさ」は、人間の数だけあるはずである。
しかし自分にとって、相手が何故ヤバいのか?と考えると、
それは後々に、自分に降り掛かる”リスク”の、ヤバさであるはずだ。
自分に降り掛かるリスクの高さが、高い可能性がある相手ほど、自分にとって、ヤバい人間であるはずだ。
女ならまず、セックス依存症や、よっぽどの自罰心理がない限り、こいつはヤバいな。と感じる男と、やったりはしないのではないか。
でも男の場合、ヤバいと感じても、やるのは”性欲”というどうしようもない問題があるからだと、想う人は多いかも知れない。
待ってくれよ。とわたしは言いたい。
どういうことなんだ。セックスをするにあたって、”リスク”の重さ、重いリスクを被る可能性の高いのは、
女の方だという考えが、何故スルーされているんだ?
もし、それをスルーしていなかったならば、「ヤバい女」という浅ましい侮蔑の表現で、自分がセックスをした女性に対して、表現することなどないのではないか?
”セックス”とは、どのように避妊しようが、妊娠する可能性を0%にすることはできないことくらい、
釣崎清隆も知っているだろう。
女にとって、100%、妊娠する可能性を防ぐことはできないセックスに於いてのリスクとは、
妊娠、堕胎、出産(出産時や産後鬱などによる死)、養育費、産めば子供を育てることに多くの時間を費やすリスク、
堕胎すれば、我が子を殺したという罪の意識(カルマ)から逃れられないリスク。
これらのリスクの可能性がある上で、女はどの男ともセックスするしかないのである。
わたしは9人の男性とセックスした過去があるが、避妊をしてセックスをしたことはこれまで一度もない。
相手が勝手に膣外射精をした時は、相手を真剣に責めた。
避妊(膣外射精をも含む)は、自分の内に存在する神に背く行為だからである。
セックスをして子供を授かることとは、”自然”という神の存在の最も深い愛の現象だからである。
人生とは皮肉なもので、ずっとずっと子供が欲しいと望んできたわたしは一度も妊娠できずに、
わたしの姉は一度、堕胎の経験があるが、その後、未婚で元気な男の子をもうけた。
ずっとずっと政府は隠し続けてきたが、日本の死因の第三位は実は”人工妊娠中絶”である。
【数字でみる人工妊娠中絶】日本人の死因ランキングTOP3に入る?驚きの人工中絶数と順位
わたしは前世できっと何度と、堕胎された経験も堕胎した経験もあるのだろうと感じるほど、
”堕胎”という人間の行為について、あまりに敏感であり、耐え難い苦しみを感じる。
堕胎を行い、二度と子供を産めなくなる女性や、堕胎が原因で死に至る女性、
そして出産でも、命を落とす女性がいることを当然知った上で、”ヤバい女”とセックスしてきたと、釣崎清隆は表現したのだろうか?
好き好んで、女性を苦しめて快楽を感じる趣旨であるレイプもののAVを監督して撮ってきた釣崎清隆が”ヤバい女”と表現するとき、女性を見下しているように感じてしまう。
釣崎清隆に、わたしの最愛の父を喪った原因であるわたしにとって人生で一番の苦しみのトラウマはアダルトビデオなんだと告白し、
このトラウマを克服してゆく為に、釣崎清隆の撮ったAVを最初に観たいのだという趣旨を話し、
どうしたら観れるのかと三度、質問したが、三度とも、答えてくれなかった。
わたしは、釣崎清隆が、許せない。
死と性と女を冒涜し続けてきた釣崎清隆を、わたしは許すことはできない。
死と性と女、わたしにとってそのすべて、わたしの母であるからでらる。
わたしが4歳の時に、母は死んで、死体となった。
母の死体を見つめつづけたわたしにとって、死と、すべての死体は、わたしにとって母である。
そしてすべての女性器は、わたしの生まれてきた神聖な場所であり、わたしにとって母である。
すべての女性に対し、わたしが深いコンプレックス(感情の複合体のこと。 衝動や欲求・記憶などの、さまざまな心理的要素が無意識に複雑に絡み合って形成されるもの)を懐き続けて来たのは、すべての女性にわたしの母を映し、母を求めてしまうからである。
釣崎清隆は、わたしの母を、本当に好きなように傷つけ、陵辱し、侮辱し、恥辱と汚辱を味わわせ、果てには、呆れたことに、Tシャツやトランプにまでしてきた。
わたしは、釣崎清隆にTwitterをブロックされてしまったが、今でも変わらず愛している。
本当に愛しているからこそ、あえてこんなことを話さなくてはならない。
貴方に、これまでと同じように、死体と、女性を撮り続けてはほしくないんだ。
貴方には、自分の最も愛する存在として、死体と女性を、表現することは、撮ることは、見つめ続けることは、できないのですか。
自分を産み落とした母(死と性と女)に対して、このまま犯し続け、死んでゆくおつもりですか。
決して、安らかではない死に様で。


























母禍死

ペキンパーVol.6の、元AV監督であった現在、死体写真家である釣崎清隆のインタビューのなかの、
「性器とは何なのか?性器というからにはそこで遊んじゃったらダメなの。」
という、性器表現の規制についての言葉を読み、色々と考えている。
性器で、遊んでは駄目なのだ。という人間の本能的感覚が、一体どこから来ているのか。
わたしはその感覚が、人間の本質であり、美しく、悲しいものだと感じる。
性器は、おもちゃではない。
性器を遊ばれたら、人間は深く傷つき、悲しむ。何故なのか?
わたしは「性器というからにはそこで遊んじゃったらダメなの。」という言葉を読んで、
自分の過去を想いだした。
性器で遊んでしまった、自分の過去を…。
あれは確か2009年のクリスマス前の日だった。
今から十一年前、わたしは28歳だった。
今住んでいるこの大阪の姉の家の近くのマンションに引っ越してきて、生活保護を受け始め、
少し経った頃だった。
某yahoo婚活出会い系サイトで、知り合った2歳年上の男性と、運命的な出会いをした。
彼は、今まで色んな事を遣ってきた人だった。
芸人とかも遣ってきたが、何一つ評価されず、
いつでも、野望を抱いて、自分は今のこんな仕事を続けているべきじゃないのにという切迫した緊急感を常に感じながら自分の才能と可能性を疑わない人だった。
彼の言葉はいつでも、重く、誠実だった。
ふと彼が、素直な願望をわたしに話した。
海外に、また行きたいと想っていると。
それは、勿論、独りでである。
結婚したい想いがあって、婚活サイトに登録していたんじゃないのか?
嗚呼、彼にとって、わたしの存在とは、何なのだろう。とわたしは絶望した。
まだ、会ってもいない頃に、わたしは早くも彼に本気で恋をして依存し、苦しんだ末に、大量の某トリップ&安眠系市販薬を、致死量の半分くらい、オーヴァードーズ(OD)した。
そのとき、わたしは初めて幻覚というものをはっきりと観た。
今でも貴重な経験だったと想うが、二度と、繰り返したいとは想えない。
寝ゲロしたものが、乾かぬ間に、彼はとうとうわたしを心配してわたしのマンションに突然遣ってきた。
写真の何倍と美しい、悲しい顔をした猿顔の男前であった。
彼は、差し入れを持ってきただけなんだと震える声と身体で言って、すぐにドアの前から去って帰ろうとした。
わたしは彼の手を掴み、引き留め、彼を部屋に入れて、自然と彼に全身を激しく震わせながら、背の高い彼に背伸びして抱き着いたのだった。
彼はわたしを優しく抱き締めながら心配し、「大丈夫…?」と言った。
その後、彼は、わたしを愛らしいと想ったようで、付き合うことになった。
だが、わたしの彼に対する悲しみが、変わらなかった。
「また海外に行きたいんだ。」と言ったその言葉が、ずっとずっと潜在意識に絶望として存在していた。
わたしは、最初に会った日に、彼に自分の寝ゲロを指差して言った。
「これ、生きてる何かにずっと見えててん。幻覚で…。ほんまの話。」
彼は、小さく表情を震わせ、同時に、わたしを憐れんだ。
初めて会った数日後である。
彼が、「一緒に住もうか。」と言ってきても、わたしはずっとずっと不安さが消えなかった。
そして約二週間後、わたしは彼に対する不満と悲しみが限界に来た。
その夜、わたしの部屋で彼と一緒に寝た。
キス以上の何もしていない関係であった。
夜明け前である。
わたしは、未だに何一つ性的な行為を誘ってこない彼に不満を抱き、そんなわたしの苦しみをなんとも気付いていない彼に猛烈に腹が立った。
わたしは眠っている彼の男性器を直に触って弄った。
弄っていると、彼が目を醒まし、何事か?と、わたしを見つめて吃驚した。
わたしは無邪気に微笑み、彼に厭味を言った。
「これはおもちゃ(玩具)だよ。(笑)」
すると彼はものすごい傷ついた悲しい真剣な顔をして諭すように言った。
「それは、良くない考え方だね…。」
わたしは彼の深い悲しみが伝わってきて、心が打ち震えたが、わたしはわたしで傷つき果てた心情の結果の行為であり、意地でも彼の陰茎を握り締めることをやめなかった。
彼は諭しても、行為をやめないわたしに怒(いか)り、わたしの下着を脱がそうとした。
わたしはそれを拒んだ。
すると彼がブチ切れ、真夜中だというのに声を張り上げて言った。
「自分から誘っておきながらパンツ脱がしたら嫌がるのはおかしいよね?それが嫌ならなんで僕のを触って勃たせたりするの?パンツ脱がされたくないなら触らへんかったええやないかっ。」
わたしは恥ずかしくて、笑って「壁が薄いから大声立てんといて。」と言った。
彼はわたしの反応にまたも、怒(いか)った。
わたしの下着を無理に脱がすと自分も脱いで挿入しようとした。
だが、なかなか彼は挿れられなかった。
何故なら、わたしの性器が、濡れていなかったからである。
わたしは彼に、全く興奮していない様子で「濡れてる…?」と訊いた。
彼は返事をしないで、寂しげな顔をしてすぐさま、諦めて挿入をやめた。
その日の午後、わたしと彼は初めて近くの公園にデートに行った。
そして日が暮れて帰ってきて、彼は今日は帰ると言った。
明日も彼は休日だった。
でも彼は、家事などを色々としなくちゃならないから帰ると言った。
わたしは女がいるのかと訊ねた。
彼は呆れた、また寂しい顔で否定した。
わたしは泣いて、布団に突っ伏した。
彼は長い時間、ずっとわたしの側に放心しておった。
しかし立ち上がって、帰る用意をしだした。
わたしは帰ろうとする彼の足を、ひっしと強く掴んだ。
彼は隙をとられ、倒れた。
わたしは立ち上がろうとする彼の腕を思い切り引っ張り、
涙を流しながら彼に言った。
「なんで…なんで…。わたしが間違ってるん…?」
彼は、本当に苦しそうな半泣きのわたしの知る彼の最も美しい顔でわたしを見つめた。
その後、泣き疲れ、わたしはまた布団に横たわり、
彼は無言のまま帰った。
それ以来、彼とはもう、会えなかった。
これほど後悔した恋はなかった。
彼の性器をおもちゃにした罰は、何ヶ月とわたしを苦しめ続け、
セックスをしなかった唯一の恋人である彼への未練は、今も深く残り続けている。

やけに性器とおもちゃの話の前置きが長すぎたのだが、今から、本題である。
性器をおもちゃにしてきた世の男共たちを、殺す勢いで、文章を書こうではないか。
いきなり、核心を突こう。
アートであると評価でき得るもの以外の、すべての性の表現は、性器をおもちゃにして来た。
優れた芸術作品として、人を感動させるものと、娯楽として、人を楽しませるものの違いとは、
それは、神が宿っているものと、神が宿っていないものの違いである。
芸術とは、神が、まさに産み通したものであり、それを確信できる作品に於いて何をも規制など必要ではない。
それがだれひとり、不快にさせないと言っているのではない。
不快でトラウマになるほどのものであるのに、同時に、人に、”真の光”というものを感じさせるもの。
それが、芸術というものである。
例えば、現代美術家であるマシュー・バーニーの黙示録(終末)をテーマにした映画の予告を観たことがある。
最も印象的なシーンとして、女性器がはっきりと映されており、女性器から真っ黒な泥がどくどくと流れてくる、地の母が、死を産み落とすことを暗喩しているのであろうとても印象的なシーンがあった。
あのシーンに、ケシもボカシもモザイクも、まったく必要ではないのは、芸術作品として、真に優れており、神がかっているものであることを人々が認知しているからであり、絶対に、隠してはならない部分であり、重要不可欠なシーンであることを理解しているからである。
でもこれが、浅はかなテーマで撮られている作品のなかのシーンとして、女性器から泥が流れてくるシーンだった場合、ボカシを入れられ、人々は、肝心なところを観せてもらえない為、イライラが積り、悶々となって、もんじゃ焼きみたいな、なんとも捉えようのない顔をして、こう言うのだ。
まったく、遣ってらんねえぜ。これだれがたれが撮ったんや、責任者、やなくて監督の名前はなんだよ。何?ツリサキぃ?ツリサキと言えばあの、美を追求して35年、美意識が誰よりも高い死体写真家、美に殉ずる為に、生まれてきたAVが大好きな、あの、(美しかった…)男か。
死体撮らないで、何を撮っとるのだ、一体。
おまんこ消されてんじゃねえよ。自分の母親のおまんこ撮れや。糞が。
死体を見つめてきた男が、ポルノもAVも撮るな。
本物の芸術以外の、何一つ、昇華できていないくだらない作品を撮るのはやめてくれ。
死体に対する、最悪の冒涜罪であり、
吐きそうなほど、絶望的なものを感じるから。





















ツリの煩悶地獄 五

ツリとのDM
ツリとのDM2
ツリとのDM3
ツリとのDM4











以下、釣崎清隆氏とわたしの10月7日のDM











ゆざえ「わたしの兄はわたしより6歳上で、今はブラックな運送会社でトラックの運転手をしており、休みは週一で寝る時間が4時間ある日は良い方だと話していました。
兄は廃墟のような荒れ果てたおぞましく不衛生でぼろぼろの実家の猫屋敷で猫9匹と共に暮らしています。

98年だったかもしれません。兄が釣崎清隆氏の撮った死体写真の載ったBURSTを何冊と持っていて、わたしはそれを観て、生まれて初めて、人間の死体写真を観ました。

手首から千切れた女性の写真をわたしも観た頃から、兄は鶏肉を食べるのを嫌がり、鶏肉を食べると下痢をするようになりました。
兄曰く、鶏肉が臭いと言うのです。
でも同じスーパーでずっと買ってきた鶏肉が、そんな急に臭い腐ったものになるのでしょうか…?

わたしはそんな兄の繊細さが、きっとあの死体写真の女性の千切れた手首の切断面の肉の腱や脂肪が、鶏肉にそっくりだったからに違いないと確信したのです。

でも悲しいことに、わたしはそれからも何年と鶏肉を食べても平気でした。
畜肉を一切断ったのは、それから14年後の30歳になってからです。」



ゆざえ「それで、あの女性の手首から切断された写真が、わたしが最初に観た時の記憶では、もっと鶏肉とそっくりなピンク色がかった肉の色と黄色い脂肪や腱の色が印象的だったのですが、BURSTに載せられた写真は、加工されていない状態で写真集に載せられているものなのでしょうか…?」



釣崎清隆「あの右手を加工して表現するのが私の仕事なので、素材のままで公開する気はいまのところないですね。」



ゆざえ「釣崎清隆氏、こんばんは☔

 ということは、わたしが観たBURSTの掲載時で既に加工されていたということなのですね。
    何故、わたしの記憶では本当に鶏肉そのものみたいだったのか、不思議です…。」


ゆざえ「もとの右手の写真は、本当に鶏肉みたいだなと、釣崎清隆氏も、感じられましたか…?」


釣崎清隆「そうですね。手羽先だと思いました」


ゆざえ「手羽先ということは、骨も見えていたのでしょうか…?」


ゆざえ「写真の真ん中の白い部分は骨なのでしょうか…?」


釣崎清隆「そうです」


ゆざえ「骨だと気づきませんでした…。

    元の写真も観てみたいです…」

ゆざえ「釣崎清隆氏は、このまま動物たちが虐待と拷問を受けて殺され続ける世界のままで良いとお感じになられますか…?

その因果でないならば、何故、人類がこれほどの拷問の地獄を味わって死んでゆかねばならない世界なのか、わたしには理解できませんし、納得ができません。」








ツリからの返事は、なかった。
























ツリの煩悶地獄 四

ツリは、彼の命懸けで撮り続けて来た死体写真集、『THE DEAD』 の刊行に寄せての言葉のなかで、こう述べていた。







「世界は残酷だ。

 それでも世界はやはり美しい。」






僕は、そんなツリに、昨日、Twitterのダイレクトメールで、こう問うた。

ツリの愛する人が、こんな最期を迎えても、「世界は美しい」と、言えるのですか…?と。

















しかし、わたしはツリから、とうとう答えて貰わぬ内に、アンフォローされてしもうた。
理由は、ダイレクトメールによる「私信の濫用」であるようだ。
わたしは昨夜、朝から夜までずっと、酒を飲んでおった。
昨日はわたしの愛兎、みちたの、一回忌であった。
とにかく、ずっと飲んでいた。何も、何も、何もしたくなかった。
何もしたくなかったから、愛する死の同志であるツリに、何度と切実に話し掛けた。
酩酊状態で、何もしたくなかった。
僕のメッセージをスルーし続けるツリに、僕は切実にこう厭味を言った。
『自分のドウデモイイツイートはするのに、わたしの切実なメッセージは読んで戴けないのですね。』
ツリは、いい加減、怒(いか)った。
「一度冷静にご自身の書き込みをかえりみてもらえますか? 
その上で、これ以上分をわきまえないようでしたらブロックするしかありません。
私信を濫用しないでください。
ただそれだけです。
僕はこう見えても忙しいんですよ。」
と優しく言いながらも、心では、想い切り、ムカついていた。
僕はツリと、その後、約一時間ほどかけて少し会話したのち、9人おったフォロワーの、ケロッピー前田氏を含む、8人全員を、アンフォローさせた。
そして、嬉々として、ツリに、言った。
「フォロワーがツリだけになった!」
数秒後、ツリは、僕を無言でアンフォローした。(僕は謝罪の言葉を一言も言っていない。)
僕は、絶望にうちひしがれ、ツリを、罵りたくなった。
寝ても、目が醒めると、ツリに対する悲憤と不満が溢れてきて、とうとう、ツリに電話を掛けた。
留守電やった。
僕は、緊張しながらも、絶望と悲しみとアルコールの残留で朦朧としながらも留守電にこう遺した。
「何故、教えて、戴けなかったのでしょうか...?
 何故、釣崎清隆氏の、撮ったアダルトビデオを、どうしたら、観れるのか?
 という質問に対し、答えて戴けなかったのでしょうか...?
 良ければ、御答えください。ガチャっ。」
そう必死に、蚊の哭くような声で、きれぎれに言って、携帯の受話器を置いた。
ツリから、電話は掛かってこない。
彼は、僕に対して元々、真摯に向き合いたいという気持ちが、あらへんのです。
いいえ、彼は、根源的に、人を、愛せないのです。
だから、「世界は美しい。」と、言って退けるのです。
違いますか?
ほとんどの人は、生きたまま解体された動物の惨殺死体を喰らいながら、笑ってる。
その世界を見ても、「世界は美しい。」と、言えるのは、ツリが人を愛せない人間だからなのです。
愛していないから、別に、人が、誰が、地獄に堕ちようとも、ドン底に突き落とされようとも、
拷問を受けて死のうとも、ええのですと、想っとるのです。
違いますか?
卵を大量生産する為に、雄のひよこは全員、






このように毎日、毎日、大量に生きたままミンチにされている。
それを観ても、ツリは、言うのデス。
「それでいて世界は美しい。」
レンダリングプラントで、瀕死の牛や馬がブルドーザーで運ばれてきて、丸まま巨大撹拌機に投げ込まれ、そのなかで、地獄の底からの悲鳴と絶叫を上げる者がいようとも、









ツリは、言うのデス。
「世界は美しい。」
生きているのに、手脚を切断される人間と動物が、なくならないこの世界を見て、ツリは、それでも言う。
「世界は美しい。」
ははは、そうだよ、ツリ、貴方にとっては、世界は美しいのDEATH 。
人を、動物を、愛せない貴方にとって、世界は本当に、美しいのDEATH 。
耀いているのDEATH 。キラキラ光り続けていて、眩いのDEATH 。
目が眩むほどに。
貴方の愛する娘が、家畜の如くに、レイプされ、生きたまま解体されるか、生きたままミンチにされようとも、世界は光り耀き続け、眩むほど、美しいのDEATH 。
嗚呼、そんな人間が、この世界にどれ程いるだろうか...!
20代で、スプラッターポルノ・SM・レイプ物のAVを監督し、その後、四半世紀も死体写真を撮り続けて来た男が、普通であるはずがないやろう。
普通の感覚で、人間を愛することなんかできないのDEATH 。
狂気も病気も、とうに超えてしまっているんDEATH 。
普通に人間を愛せないのDEATH 。
人間を苦しめることが、人間を地獄に突き落とすことが、ツリの人間に対する愛なんDEATH 。
ははは、僕は、最初の最初から、それに気づいていたんDIE 。
そうでなければ、僕はツリを、愛さなかった。
僕はだから、ツリが、本当に、どうしようもないほどに悲しくて、美しい存在であると、確信した。

僕なんだよ。
俺なんだ。

わたしは、人間を、愛せない。

だれも、愛せない人間DEATH 。

愛する貴方と同じに。








「世界は残酷だ。

 それでも世界はやはり美しい。

私はただひたすら美に殉じたいと願うばかりだ。」

釣崎清隆







IMG-8613


























ツリの煩悶地獄 三


漸く、わたしは時間を遡り、時間を止めることのできる能力を、覚えることに成功した。
そして、わたしは彼らを、助けに行くことにした。
一緒に来てくれないかと、わたしはツリに言った。
ツリ以外に、頼める人はいなかった。
彼は、三日間の間、沈黙した。
だが、四日目の朝に、彼はそれを承諾し、一日でわたしたちは準備をし、時間を止めたその当日のイラクの地に、降り立った。
わたしたちは時空を超え、彼らがショットガン処刑を受ける0,001秒前に、彼の前に降り立った。
イスラム国の黒い覆面を着けた男に、ショットガンの銃口を顔面に突き付けられている美しい若い青年が、跪かされて地を見つめ、手を後ろで拘束されている。
他にも同じ赤い服を着せられ、2人の男が並ばされて跪かされていた。
彼が顔面を激しく破壊されて銃殺処刑される0,001秒前、彼の額の前に擦れ擦れで、銃弾が中空で止まっている。
僕とツリは顔を見合わした。
僕らは、過去に来ている。
もう何年も前に、彼らは、人類史上、最も残虐な方法の一つで、殺されたのだ。
でも僕らは、こうして過去に戻って来れることができた。
僕は、その彼の美しい顔を見るに堪えないものにしたその銃弾を、指でつまんでポケットに入れた。
その銃弾は、摩擦で、燃える火箸のように熱かった。
ツリは僕の手を掴んで見た。
だが何も火傷しておらなかった。
時間が止まっている為に、本当の熱さではないからだろう。
僕は感覚だけを、感じた。
さあ、早いところ、連れて帰ろうよ。
僕は深い息を吐き出すように力なく言った。
ツリは僕に訊いた。
何処に連れて帰るんだ。
僕はツリの悲しい目を観て言った。
この国やこの国の近くにおらせとったら、また捕らえられて、処刑されてしまう可能性があるだろう。
だからやはり、僕らのいる時間、あの日本に連れて帰るのが良いと想うんだ。
彼処におれば、イスラム国が遣って来ることはないだろう。
ツリは、溜息を吐いて言った。
殺される運命に在る者は何処に行ってもいつか殺されるのではないか。
君も言っていたじゃないか。
これは人類の罪による”犠牲”なのだと。
では彼らが殺されなかった場合、その犠牲は一体誰が代わりに払うんだ。
僕は充血する見開いた眼でツリの眼を見つめて言った。
決まってるじゃないか。僕とツリだよ。
僕らが彼らの身代わりになる為に、今、僕とツリは此処にいるんじゃないか。
他の誰かを身代わりになんてできないからね。
何なら、ツリ一人だけで彼らを日本に連れ帰ってくれよ。
僕一人此処に残って、イスラム国の男たちに時間を戻したあとにこう言うんだ。
悪いが彼らを殺させるわけには行かない。
その代わり、僕を好きなようにレイプしたあとに殺せば良い。
僕はきっと彼らに良いようにされるだろう。
彼らは顔を見合わし、驚いて困惑しながらもニヤニヤして嗤っている。
この男たちは、自分がこれから何をするのか、全くわかっていないんだ。
僕はその場に跪いて手を後ろにし、処刑される姿勢で叫んだ。
神よ…!あなたの御心が、成就されんことを…!
ツリは話を聴いていなかった。
さっさと彼らの拘束具を外し、彼らを起き上がらせ、憂いのたっぷりと籠もった表情で僕を正面から見つめて突っ立っていた。
そして少し鼻で笑うと優しい顔で言った。
さあ、日本へ帰るか。時間が戻らない内に。
僕は、心底、ホッとした。
ツリは僕を起き上がらせ、捕らえられていた三人の男と共に日本に戻って来た。
彼ら三人は、日本語がわからないし、英語も知らない。
各々に、彼らは自分の国の言葉で僕とツリに向かって、あらゆる言葉を話した。
一体、此処は何処なんだ?
何故、僕たちは、此処にいるんだ?
あなたがたは、一体、誰なのだ。
何を僕たちに、するつもりなんだ。
僕たちは、さっきまでイスラム国に捕らえられて、ショットガン処刑を受けるところだったはずなのだが…
あなたがたは、僕たちを助けてくれたのか?
どうやって助けたんだ?
あなたがたは、超能力者たちなのか?
それとも、此処は、夢のなかなのか…?
此処は、ツリの部屋で、外は嵐が過ぎたあとでどんよりと曇っていた。
僕はツリの部屋にあった赤ワインのボトルと、グラス5つと、豆おかきを持ってきて彼らの座る前の床の上に置いて、赤ワインをすべてのグラスに注いだ。
そして彼らの手と、ツリの手にグラスを渡し、みずからもグラスを手に持って言った。
今日は、神に祝福された日だ。
神の血を、一緒に飲もう。
僕は、涙を流していた。
僕は、先に自分だけ赤ワインを飲んだ。
すると安心してか、彼らもそれを飲んだ。
最後にツリも、飲んで豆おかきを食べた。
僕らはみんなで、言葉も通じないのに、気づくと微笑み合って、ホッとした気持ちでお酒を共に飲んで、共に豆おかきを食べた。
この日、何かが始まったんだ。
この宇宙で、死が、何かを産み落としたんだ。

翌朝、雑魚寝している皆のなかで一人起きて、美しい僕の愛する彼が、僕を起こして、寂しそうな顔で言った。
「故郷へ帰りたい。一緒に、帰って欲しい。僕の家族が、君を祝福する。」
僕は涙を流し、彼を優しく抱き締めて言った。

でも、観て御覧よ…。
僕は部屋のカーテンを開け、彼に外を観せた。
この世界。
このツリの部屋以外に、何一つ、存在していないよ。
もうみんな、すべて、滅び去ったあとなんだ。
今日は、2025年10月10日。
君が殺されたあの日から、十年、経ったろうか…?

























ツリの煩悶地獄 二

わたしは愛するツリと、本当に、
SEX蛾死体DEATH。」

と、とうとう一線を越えた言葉を、私は危ない気狂い系の熱烈なふぁんの女性から、Twitterのダイレクトメールで告げられてしまつた。
うーん。また、この糞忙しいときに、ファンと見せ掛けたアンチツリによる嫌がらせではあるまいな...?
私は今、急いで脱稿せんければならぬ執筆に気が気でならず、筆が進まぬ気晴らしにTwitterをちょいと触ればこの在り様。
怒濤のように私に対するこの女性からツイートとDMが送られてきよるから、どうしたものかな。
この女性はもしかしてアレなのかな、私を脱稿させたいのではなくて、脱肛させたいのかな?
本気なのであろうか?
私から返信がなくて苦しいのだと言われても私も今、私のあらゆる苦しみに苦しんでいて、もう何をどうしたら、何をどう着たら良いのか分からず、ステテコを頭から被ってみたものの、そんなことをしても、何一つ、筆は進まなかったではないか。阿呆たん。
それで、一体にこの女性は私に何を求めているのかと想っていたら、今日の午後、こんな言葉が彼女から届いたのである。

「僕は愛するツリと、本当に、
 SEX蛾死体DEATH。」

一体、何なのだ。これは。
おちょくっているのか、この私を。
死体写真家として死体で飯にありついてきた私に対する嘲りと愚弄と憫笑と陵辱なのか。
私は、深い深い溜め息を吐き、目を閉じた。
うーん、目が、目が、じんじんするな。
そして疲れて憑かれて私は横になっていた。
す、る、と、闇のなか、彼女が、私に向かって言った。
これは、暗号だよ。大事な暗号なんだと。
私は夢と現実の合間で、闇の内側から囁く彼女と共に、この暗号を解き始めだす。
""の形を見つめてごらん。
これは...。
あっ、これは...。
そうだよ、真っぷたつに、されてるでしょう。
永遠のマーク、無限の印が。
を、縦にして、真っぷたつに切断すると、になるんだ。
あっ、本当。これはすごい発見だ。
次行こう。
早いな、おい。
次はなに?
次は""だよね。
あっ、早くも、わかった。
何?
これも真っぷたつにしてるんだね。
と言う字を。
そうだよ!
日本が真っぷたつにされるという預言だよね。
違うよ。
違うんか。
日は、太陽だ!
太陽が、真っぷたつにされるのか。
そうさ、光のもとが、二つに切断され、分かれるんだ。
これは詩的だ!
では次行こう。
もう行くのか。
次は、""!
見つめてごらん。
ピラミッドの上に逆ピラミッド乗っかってる!?
土台と天井の線がないやろ。
ないね。
わかったぞ!
なんだ?!
傾けた十字架だ!
ツリ!その調子!
イエスが磔にされている十字架が、傾いてるのがなんだ!
素晴らしい!
でも、何故に傾いてるの...?
土壌がワヤやから?
ちゃんと深く地に、突き刺さんかったから?
これは、イエスの心境が表れているんだ。
人は、恍惚の時も、地獄の時も、傾くんだ。
...。
立っていられないんだよ、真っ直ぐに。
もうぐらぐらで、どっかのおっさんに肩ちょっと当てられただけで、倒れそうになるほど、グラグラヤネン。
で、ワレどこ見てさらしとんねん。ゆうておっさん傾いてた十字架を振り返る。
つとそこに、傾いとった十字架あったはずやのに、見たらあらへんねん。
おい、ワシ、幽霊でも見よったンけ、キリストの亡霊見てもうたんけ。縁起ええんかよおないんか、わかりまへんなあ、正味。ゆうて、まあ気ィ取り直して一杯道頓堀で酒飲んで帰ってこましたろ。ちゅて、おっさん、去(い)んで(去って)もうてんね。
...何の話...?ツリ...。
あっ、聴いてた?私、寝てた...。  
おい...大丈夫?ツリ...心配やね。 
あなたがゆうな。 
では、次、行って、こましたろ。
throughか!
次は、""!
これは昆虫の蛾の字やんね。
せやで、よう見ておくんなっしゃ。
うー。うー。うー。
何?
うーぱーるーぱー?
違う!わかっちったぞ!
なんだよ。
虫編に、(われ)と書いて、やないか!
そう。
あれ?そるで、それで終わり?
終わってへんが!
終わってへんがか!そらすまへなんだ。
知らんのか、あんたさん。
何のこと?
あの、戦慄の、実験を。
何?それ、怖そう...。
ぼくさ...。
どうした。
ぼくさ、最近、遣っちゃったんだよな。
何を遣っちゃったんだよね、あなた。
だからさ、アレ、だよ。
ドレ、だね。 
だから...ぼくさ、前にとうもころし買ってきてン。
とうもろこし🌽ね。
とうもころしの先っちょ、切ってンね。
カスカスやったさかい。
ふんだらね、
踏んだのか。
踏んでへんよ、ふんだらね、
ほいだらね、ほたらね、...切断してもうてん。
ともうころしの先を?
ちゃうよ、そんままやないか!
蛾の蛹をだよ...!
マジか...!
知らんかってん。ほんまぼく、知らんかってん。真っぷたつに、蛾の蛹、ちょんぎってもうたんや。
ふんでどうしたんだ。
ふんでね、二つに分かれた上半身と下半身を、くっつけたんや。
くっつけて、くっつくのですか。
死への羽ばたき」というアメリカの昆虫学者カロール・ウィリアムズ博士が
1942年に行った実験について、調べてみようでは、ないか。
(蛹の正面の構造が人間のペニスとヴァギナを合わせたような形であることにも注目しよう!)
うむ…。








horror-pupal-test


①は完全なサナギである。
②は半分に切って、それぞれの断面にプラスティックをかぶせた。
③は切り離したサナギの前後を、プラスチック管で連結したもの。
④は前後を連結してあるが、管のなかには可動の球が入れてあり、両者の間に組織が移行しないようにしてある。





一ヶ月後


horror-pupal-test5


①は普通に変態し、ガとなった。
②は前半の部分だけが変態し、後半部はそのままだった。
③は傷が回復し、ホルモンが流れるように管のなかに組織が橋渡しされて、前半部も後半部も変態を起こした
④は可動の球が組織の発達をさまたげて変態が起こらなかった。

死への羽ばたき


horror-pupal-test6


実験の最高潮である死の飛行

前と後ろの両部分とも変態した③のサナギは

羽化して蛾となり翅を羽ばたかせて、飛び立とうとした。

しかし、プラスティック管内で発達した弱い組織はすぐに切れ、

蛾は地に落ちて死んでしまった…


僕が、アワノメイガの真っ二つにしてしまった上半身と下半身の蛹をくっつけて、固定させ、
何が何でも羽化させようとしたのは、
今でも、本当にDangerousな実験だったと感じている。
でも、もし、無事に成功したならば、彼(彼女)は、夜の大空へと、羽ばたけたはずなんだ。
死への羽ばたきではなく…。
一体…そのアワノメイガの蛹は、どうなったの?
残念ながら、白い黴がほっわほっわ生えてきて、放っといてたらカッスカスになってしまったよ。
……。
つまり、実験は、失敗に終わった…。
彼(彼女)を、羽化させることが、僕にはできなかった。
そのことが、心残りなのかね。
…。違うよ、死と、蛾は、かけ離れていないんだ。
どういうことだね?
つまり…人間もまた、”死への羽ばたき”をする可能性のある実験として、
この地上に生まれてくるんだよ。
……。
僕らは皆、自分自身を、実験しているんだ。試しているんだよ、常に。
なるほど…そういうことか。
どこまでの恐怖に堪えられるのか?どれほどの痛みに、苦しみに、悲しみに、堪える力を身につけられるのか?
どんなに深い愛で、他者を、我を、愛して死んでゆけるのか?
すべてを愛せるのか?
愛することのでき得る者だけをしか、愛せないのか?
すべてを、本当にすべてを経験する為に、僕らは自分のこの不自由と感じる肉体の、この狭苦しく、暗い殻のなかで、ひっそりと息衝きながら、夢を、抱いて眠っているんだ。
ある者は、へと羽ばたき、死んでしまう。死体と化してしまうんだ。
でもある者は、何処かへ羽ばたいて、飛んで行ってしまう。
自分でも何処にいるのか、わかってないんだ。
ずっとずっと地の上を這い続けて、一度も羽ばたかずに、事切れる者もいる。
何がで、何がでないのか。
最早、僕たちはわからない。
そのすべてを表現した言葉が、
SEX蛾死体DEATH。」
この暗号の意味を、僕は決して、忘れないだろう。

























人類の拷問の地獄は、決して終わらない







ツリの煩悶地獄 一

EjJmqEeVkAAGU4F (7)




見よ。この、美しき、悲し気な慈悲の眼差しを。
一心に、彼は何かをずっとずっと見つめている。
全人類が、彼の命懸けで撮った写真を、見つめ続ける必要がある。
何故なら、彼は、一体、何を撮っているかというと、一体全体、何を25年も撮り続けて来たかというと。
御覧なさい。
あなたには、見えないか。
彼が、何を見つめているのか。
彼は、一つのものをしか、撮り続けて来なかった。
彼が、命を惜しまずに、また、拷問の地獄に怯えることもなく、
世界各国の犯罪現場、危険地帯で撮り続けて来たものとは、そう。
何も隠す必要はない。
死体である。
人間の死体を、彼はずっとずっと、撮り続けて来た。
世界を渡って、死体だけを撮り続けて来た男。
この世界で唯一無二の存在。
死体写真家、釣崎清隆。愛称、ツリ。
人々は、彼の撮った写真を初めて観たとき、アッと心のなかで声をあげて驚く。
これは、死体ではないか。
何だって?死体を撮り続けて来た男が、この国におるだって?
信じられないよ。本当なの?嘘じゃないの?嘘だと言ってくれないか。なぁんて、ね。別にそんなこと、俺にはどうだって良いよ。
こんな気色の悪いものを、あえて観たいなんて想わない。
吐き気がする。
気味が悪い。早く、その写真、何処かへ遣ってくれないか。
俺は見たくないんだよ。
だってすべての人間が、これに辿り着くんやろう?
キモいっすね。
いや、マジで。俺たち全員、こんなんになるんだね。
マジで、キモいよ。
生きてる意味在るのか?俺たちは。
最後はこんなに、醜いものになるのに。
生まれてくる意味があるのか?
だからさ、例えば交通事故の死体とか、本当に一度、一瞬でも観ただけで、
人間の一生のトラウマになるその死体に、俺たち全員、なる可能性のある世界なんだっつってんだよ。
わかってんの?
子供、産み落とすなよ。もう。
これに、この、この世で最も最悪な代物に最後にするために、人は自分の子を、
自分の子を最も愛して育て、本物の死体から、目を背け続けてるじゃないか。
発狂してる?
洗脳されてんのか、何者かに。
オウム真理教みたいなカルト宗教に、人類のほとんどが、洗脳されとんのか。
違うなら、何故、死体を見つめないんだよ。
可笑しいぢゃないか。
なんで毎日、死体を喜んで大量生産しているんだ。
死体に、するためだろう?
本当の絶望を自分と、人間に与えてくれる死体にするために、自分の愛する子どもを、
グロテスクな死体にするためにだろう?
違うって言うのか?
死体を観て、何を想うんだ?
気持ち悪い?
観たくない?
可哀想?
自分はこんな死体にはなりたくない?
お前だよ。
お前の姿だよ。
お前の死体が、お前が食べるその死体が、お前の姿だよ。
そんなに、キモいか、お前の食べ物と、お前自身が。
お前が殺したんやないか。
お前が食べる為に、お前が味わって食べるために、お前が、生きたまま解体して殺害したんやないか。
どの、人間の死体よりもグロテスクなそのスナッフフィルムをお前自身が喜んで撮り続けてるのも同じやないか。
お前の腹ン中で、お前と、お前の子どもが、生きているうちに解体されて惨殺されているその殺害シーンと死体の映像が無限に、回り続けとんねん。
わかってんの?
お前は自分自身と、自分の子どもを大量に殺戮し続ける為に、
死体を大量生産してきたんだよ。
俺は今、その無間地獄を、ずっとずっと、見つめてるんだよ。
顔を顰め、堪え難い苦痛を感じながら、此処から。
この、俺の足の脛まで、既に完全に浸かってしまっている、脂肪とぐちゃぐちゃに混じり合った、すべての人と動物の死体からずっとずっと流れ続けている血溜まりの上で。


























我が敬愛なる釣崎清隆へ





釣崎清隆氏、昨夜は、わたしに優しい笑顔と慈悲の御言葉をくださり、本当にありがとうございました。
今日になっても、まだ胸の底が感動で震えており、それで、今日になって、想ったのです。
せや、わたしの、一番の苦しみを、釣崎清隆に知って貰おう。
釣崎清隆に、わたしの最も苦しいトラウマを、聴いて、知って戴きたい。

その前に、わたしが過去に書いたわたしと父との関係と、わたしが最愛の父を亡くすに至った経緯を、まとめたものがあるので、是非、読んで戴きたい。



映画「小さな唇」感想 男と少女の姿は父親と娘のもう一つの話



この記事では、具体的に書くことのできなかった事柄があります。
わたしが、本格的に寝たきりとなる鬱症状を発したのは、20歳の時です。
父がわたしが元気になるようにと買ってくれたパソコンを、父もたまに使っていました。
皮肉なことに、父はそのパソコンで、無料でDownloadしたAV(アダルトビデオ、ポルノ映像)を観ていました。
父は、パソコンについて何も知らなくて、ダウンロードした動画のアイコンがデスクトップ上に堂々と在り続けていることにも、多分気付いていなかったと想います。
わたしはそれらをあえてクリックすることはありませんでした。
観たくもないのに、たった一度だけ、わたしは偶然的に、観てしまったのです。
何故か、勝手に、QuickTimeか何かの履歴の映像が、画面に流れてしまったのです。
その映像のなかには、一人の若い裸の女性(華奢なわたしの身体つきと良く似た裸の、顔がはっきりと観えない女性)が、カメラに向かって座ってみずからの性器をいじり、自慰行為をして必死に喘いでいる姿が映されました。
わたしは血の気が一気に引き、映像をすぐに消しました。
嗚呼、こんなものを観て、父は興奮し、欲情しているのか…。
わたしと、歳の変わらない、もしくは同い年かも知れない、顔も判然としない女性の喘いでいる自慰行為を見つめながら。
自分自身の、最も穢らわしく、嫌らしい醜い姿を、わたしは見せられ、そのわたしの自慰行為を観ながら父が性的快楽を感じているかのような、わたしにとって、まさに本物の地獄の経験でした。
それが、わたしのなかで最も深いトラウマで在り続けているのだと想います。
15,6歳の時、釣崎清隆の撮った死体写真を観たトラウマや、小学高学年から兄の持っていた数々の、遊人などのレイプ物の漫画の描写によるトラウマを、超える自分のなかの最も深い絶望として、一つのアダルトビデオが、わたしの記憶のなかにずっと在り続けています。

そして、わたしはわたしの本当のすべてであった最愛の父を、自分のなかの”性”に対する深い嫌悪と自責の苦しみによって、喪ってしまったのだということを、今でも信じています。

このトラウマを、克服すべく、わたしが今まで手を伸ばしたAVは、すべて西洋のものでした。
それらを観ても、わたしのトラウマに何か変化が起こることはありませんでした。
どうしても、わたしと同じ、日本人の女性である必要があるのです。
それなのに、わたしはこれまでまだ一度も、日本のAV(アダルトビデオ)を、ちゃんと観れないのです。

でも最近、わたしは釣崎清隆という、貴方の存在を知り、貴方がわたしの最も尊敬する命を懸けて死と、死体と向き合い続けてきた死体写真家で在りながら、同時に、わたしの最も嫌悪感の抱くAVというものを監督してきたAV監督であることを知って、わたしは自分の苦しいトラウマとなる死体を見つめると同時に、最も苦しいトラウマであるAVをも、見つめる必要があると感じています。

最も、観たくはないものを、みずから見つめること、此処にしか、このトラウマを克服する手段は、きっとありません。
この世に、AVが、ポルノ映像が、性的快楽を、肉欲と姦淫を煽るすべてのものが、なかったならば、きっとわたしはこのような地獄のなかで最愛の父を喪い、その絶望のなかにずっと生き続ける重度の引き籠りの生活保護者で、慢性的鬱症状の在るアルコール依存症ではなかったと想います。
でも同時に、わたしは想うのです。
わたしはこの、本物の地獄のなかにずっと生き続けてきたからこそ、ヴィーガンとして、自分が苦しい犠牲になってでも、すべての存在が救われることを一心に願い続けて生きて行ける人間に、なりたいのだと、いつも願い続けて生きている人間として生きられているのだろうと。

だから、わたしは感謝しているのです。
わたしのこの地獄の苦しみは、これからもずっと、在り続けるのだと想いますが、それでも感謝しています。

わたしが、何よりも、愛しているのは人間の深い悲しみであり、深い悲しみこそ、最も美しいと確信しているのですが、愛する貴方のなかにも、”どうしようもない”ほどの深い悲しみが、ずっと在るのだと感じました。

釣崎清隆という存在は確かに、わたしに消えないトラウマとなる贈り物を、贈ってくださった人であり、これからも、きっと贈ってくださるだろうことを、心から期待しております。

釣崎清隆氏、人間の、最も苦しい、最も地獄のその写真を、その映像を、撮り続けて、わたしたちにどうか見せてください。

どれほど苦しくとも、それを見つめ続けて生きようとすること、そこにしか、存在していない人間の真の救いが、必ずや在るはずなのです。









追伸:釣崎清隆氏の撮った、できれば、レズビアン物以外のアダルトビデオを、わたしはどうすれば観ることができるでしょうか…?




最後まで、お読みくださり、真に感謝致しております。


こず恵




















プロフィール 1981生 ゆざえ

ユザエ

管理人の別Blog
20170112162110
最新コメント
タグ絞り込み検索
メッセージ

名前
メール
本文
記事検索
QRコード
QRコード
RSS
  • ライブドアブログ