ゆざえのDiery'sぶろぐ

想像の森。 表現の駅。 幻想の家。

性愛

ツリの煩悶地獄 六

今日も、遺品整理のバイトを終えて帰宅し、家に就いて、ツリは一服していた。
ビール缶を片手に、豆おかきを食べながら、疲弊を感じながらも、今日一日を無事に過ごせたことを感謝する気持ちで、幸福を噛み締めている時だった。
玄関のチャイムが、突然鳴った。
ツリは、吃驚した。一体、こんな時間に、誰だろうか?ツリは大変に訝った。
すると、ドアの前で、男の声がした。
「ヤマト宅急便です。」
ツリはホッとした。なあんだ、宅配便か。はて、何が届いたのだろう。
ドアの前まで行って、覗き窓から外を覗くと、確かにヤマト運輸の緑色の制服を来た男が、緑色の帽子を被って立っておった。
安心し、ツリはドアを開けた。
その瞬間、物凄い速さで、男に腹と、頭部を鈍器で殴られ、気絶した。
次の瞬間、ツリは、ヌルヌルとした、熱い血の味で目が醒めた。
鈍痛を、頭部の左上部分に感じて、ツリは想った。
俺の頭から血が流れており、その流れてきた俺の血を、俺が舐めている、そういうことか。
そして、あっ、とツリは想いだしたのだった。
そうだ俺、訳がわからないが、ヤマト運輸の男に突然、殴られたんだ…。
ツリは、此処は、はて、何処だろう…?と想った。
薄暗くて、良く観えなかった。
何か、物があるようにも観えるし、何もないようにも観えた。
とにかく狭いようで、広いようにも感じられたが、室内であることはわかった。
何故ならば、室内にいるときの、雨の音が、外から聴こえて来るからだった。
気温も暑くもなく、寒くもなかった。
一つ、明確にわかることは、自分は椅子に座らされており、両手首を、椅子の背凭れの部分に強く縛り付けられており、両足頸は、椅子の足に、それぞれ拘束され、自分は身動きがまったく取れない状態であるということであった。
一体、何が起こっているにだろうか…。
「いるにだろう」って何…?ツリは自分で突っ込んだ。
嗚呼、俺は…。俺は…。とうとう、捕まっちゃったのか。ツリは絶望した。
誰かわからないけれども、俺は、本当に捕まえられちゃったんだ。
色々と、ヤバいこと俺は遣ってきたものなあ…。遣りたいことを。
いつか、こうなっても可笑しくないことを、俺は遣ってきた。
いやさ、ずっと想ってたんだよ俺は。なんで俺以外の人間たちがさ、続々と殺されたり、死んだりしてゆくこの世界で、俺っていう何でも好きなこと遣ってきた人間が、まだ本当にヤバいことにはなってないのかなって。
いつか、こうなるって、何処かで恐れてたのかなぁ。
それが、叶っちゃったんだ。叶えられちゃったんだ。俺の潜在的恐怖が。
…。しかし此処は何処なのだろう?
ツリは、独り言をずっと喋って気を紛らわそうと必死だったが、いよいよ、堪え切れなくなり、不安が暗黒のコクーン(cocoon)のように、ツリを覆ったのだった。
目の前が、薄暗い感じだったのが、真っ暗になった。
嗚呼、俺とうとう、死ぬのか…。
誰かに、殺されるか、このまま、死ぬのかな。
助けてくれる奴、誰もいないのか。
俺みたいな人間、命懸けて助けてくれる奴、いないよなぁ…。
嗚呼、そういやあの娘、俺に”死の同志”だなんつった、はは、こず恵は…どうしているのだろう。
彼女、俺のストーカーになって、本当に俺の家にいつか遣って来るんじゃないかって想ってたんだがなぁ。
一向に、来ないんだよな。つまらんことに…。
死の同志とか、大層なこと言っておきながら、そんなもんなのか。
まったく、根性のない女だよ。俺を殺す勢いでさ、俺を殺すほどにさ、俺を愛してみろっつうんだよね。
死の同志だなんて言うならね…。
俺を、助けてくれないのか…。こず恵も。
ツリは、魂の底で、こず恵を、死の同志であるその彼女を、呼んだ。
その時である。
眩しい光の漏れる、ドアの隙間が開き、ドアが、閉められた。
何処かの角に、蝋燭の火でも灯ったかのように、部屋が、少し明るくなったような気がした。
ふと、気づくと、ツリの目の前、ニメートルほど先に、こず恵が、白いレース生地の花柄のミニワンピースを着て、神妙な顔で、彼を見つめて立っていた。
ツリが、驚いて、黙っていると、彼女は哀れむ顔をして言った。
「ごめんなさい…。」
ツリは、彼女に深く、息を吐いたあと応えた。
「やはり…貴女だったか…。」
彼女は、黙っていた。
その憐れむ顔は、何処か微笑んでいるようにも観えた。
ツリは、優しく、「おいで…。」と彼女に言った。
彼女が、涙を、絶え間なく流し始めたからだった。
ツリは、人相は、悪いが、本当に情に弱い、人情深い男なのだった。
彼女が、哀れで可哀想でならなくなったので、優しくしてあげたいと素直に想ったのだった。
でも彼女は、まるで一度、幼いときに父親に棄てられた娘のように、緊張してツリに近づくのを拒んでいた。
だから、ツリは、もう一度、ツリのなかに存在し得る、慈悲を最大限にした声で、彼女に言った。
「こず恵…。おいで…。」
すると、彼女は、不安げな顔のまま、つたたたたたたん。と、幼女のようにツリのもとへ駆け寄り、ツリの膝の上に、ちょこなんと痩せ細った身体を横にさせて載ったのだった。
ツリは、笑うのを我慢した。
堪えながら、優しく彼女に微笑みかけて、黒く、丸い目をして見つめる彼女を見つめ返した。
すると、初めて、彼女はツリに、恥ずかしげに微笑み返した。
ツリは、彼女が最愛の亡き父と、自分を重ねていることに気付いていた。
彼女の父親が、まるで自分のせいで死んで、父親がすべてであった彼女も一緒に死んだのだと、責められ続けて来たことも気付いていた。
ツリは、彼女に対し、潜在意識で深く罪悪心を懐いていた。
Twitterで、彼女が自分に対し厭味を言い始めた時、いよいよ始まったかと想った。
積年の、愛憎による呪詛の始まりが、とうとう始まったことを知り、ツリは居た堪れなくなり、ツリは、彼女を仕方なくBlockした。
彼女は、自分に対して、理想の父親であって欲しいのである。
何故ならば、彼女は理想の父親と、理想の母親をしか、この世に求めてはいないからだ。
でもそんなことは、到底、無理な話である。
一体、どうやって、他人である男が、彼女を無償の愛で愛し続けることができるというのか。
ツリは彼女の本当の欲求に、何も応える気はなかったし、応えられることは何もないことを知っていた。
此処に存在している虚しさを、彼女も、ツリも感じていた。
彼女は、自分に対して、殺意以上の、恐ろしい感情と念があるのも、ツリはわかっていた。
でも、どうだろう。今、実際にこうして彼女に拘束され、頭蓋骨も多分、陥没させられ、血が、だらだらだらだらと流れ続けて来るなかに、彼女を(心のなかで)抱っこして、ツリは観念しているのか、変な安心を感じているのだった。
嗚呼、きっと俺はもうすぐ死ぬのだろう…。
彼女は、俺の頭蓋骨陥没に、当然、気付いているはずなのだが、一向に、応急処置をしようともしないじゃないか…。
そんな自分の悲しみに彼女はエンパスなので、すぐさま気づき、ツリを睨みつけた。
嗚呼、俺は睨まれている…。蛇に睨まれたる蛙の如きツリは彼女を深い眼差しで見つめて言った。
「だいぶ…朦朧としてきたよ。こず恵…。俺の命も、もうすぐ事切れるのかもしれない。」
彼女は、ツリの陥没した頭の肉の割れ目を観て、ツリに向き直るとホッとした顔で微笑んで言った。
「大丈夫。ツリ。生きてるよ。」
「…。」
話が通じてるのかな…この娘(こ)…。
ツリが、絶望の闇のなかで煩悶していると、彼女が、急にツリの膝の上でもじもじとし始め、何かを自分に要求していることに気付いた。
ツリは流れ落ちて来る血に、目を瞬かせて血の涙を流して訊ねた。
「何かして欲しいことがあるの?言って御覧。後生だからね…。」
すると彼女は、恥ずかしげに身をくねらせながら、頬を赤らめて、幼女のようにツリに向かって囁いた。
「パパ…。キスして…。」
ツリは、生唾をごくりと飲んだ。とうとう、来たか…。これはただのごっこではない…。
もう本当に、死ぬな…。俺、死ぬわ…。ツリは、自分の意識が薄れて行きそうな気がした。
嗚呼、もう本当に俺は死ぬよ。死ぬなら…最期に、彼女の望みを聴いて死んでやろうじゃないか…。
ツリは、彼女にそっと、父親のようにキスしてあげた。
すると、嗚呼、どうしたことだろうか、こんな死の間際に。
ずっとEDだったのに…。ツリは自分の陰茎が激しく勃起して、彼女の太腿に突き立てていることに気づき、興奮した。
ツリは、彼女と激しくキスし始めると、舌を彼女の喉の奥に突っ込み、自分の熱い血を彼女に飲ませた。
そして、もう堪らなくなったので、彼女に懇願した。
「こず恵…。縄をほどいてくれ。」
彼女は、不安で仕方ないという顔をして、ツリを見つめると、首を横に振った。
ツリは、倒れそうな感覚のなか、彼女に言った。
「こず恵を、この手で強く抱き締めたいんだよ…。」
彼女は、目を伏せ、涙を流した。
ツリは彼女の涙を舐め回し、勃起した男性器をぐりぐり彼女の女性器に激しく擦り付けた。
彼女も、激しく欲情し、小さく喘ぎ始めた。
あまりに激しく、ツリの身体に寄り掛かってくる為、椅子が後ろに倒れ、後頭部をしたたか打ち付け、ツリは衝撃で少しの間、気絶した。
そして、気絶から目が醒めると、縄はほどかれており、ベッドの上に、横たわっていた。
彼女が、幸せそうな顔で自分の身体に抱き着いて、寝息を静かに立てて眠っていた。
白いシーツが、殺害現場のように、真っ赤に染まっていた。
俺の血、全然止まる気配がないじゃないか…。
ツリは、何を想ったのか、側にあったデスクの上に、カメラを見つけると、彼女の着ている自分の血で染まった白い花柄のレース生地のミニワンピース姿を、その血のなかで、死んでいるかのような彼女の姿を、死体として、撮影し始めた。
そして、次は脱がして裸にすると、カメラを手に取ったが、ツリは、深い溜め息を吐いてカメラをデスクの上に戻した。
彼女は、静かにまだ、眠っている。
ツリは、死体を犯すように、彼女と交わった。
絶頂に達する瞬間に、彼女は息を吹き返すかのように息を深く吸い込んで目を覚まし、彼を見つめた。
自分の頭から流れ滴る血で、彼女の顔もまた、血だらけであった。
ツリは、もうすぐ、世界は終わることを知っていたが、彼女の目を父親のような眼差しで見つめ、静かに言った。
「こず恵、今から俺とこず恵の、結婚式を挙げよう。」
彼女は、本当に幸せそうに、微笑むと、うんと、頷いた。
そして次の瞬間、自身の背中に手を伸ばすと彼女はツリの額に銃口を突き付け、黒々とした目で言った。
「もうすぐ、生まれる。わたしたちの愛する子が…。」
彼女はトリガーに指を当てた。
ツリは、涙を湛えて絶望した美しい顔で彼女を見つめながら「何故なんだ…。」と言いかけた。
言い終わる前に、彼女はトリガーを引き、ツリは衝撃で後ろに激しく倒れる形で頭部と上半身を跳ね上がらせた。
だが、彼女を覆うように身体を載せている状態だった為、バウンドして彼女の身体の上に激しく倒れ込んだ。

約一月後、ベッドの隣で眠る腐乱死体と化した彼の頭部の腐肉のなかに手を突っ込み、彼女は彼の頭蓋骨を取り出すと、湯船に溜めていた温かいお湯のなかで綺麗に洗い、すべての醜く穢れた肉を洗い落とした。
そして彼の死体の隣で、赤子のように彼の白白とした頭蓋骨を胸に抱いた彼女は横たわると、此の世の何より幸せそうな優しい顔で眠る髑髏を見つめ、彼女は幸福に満たされながら言った。
「これは、わたしの愛する子。わたしの、死の息。」


























oOoOO - Starr


























死と性と女 釣崎清隆に捧ぐ

『バースト・ジェネレーション』 presents NEO鬼畜道場 ver. 第三回(収録配信)で、
死体写真家である釣崎清隆が話していた。
「ヤバいと想いながら、ヤバい女とやっちゃうってことありますからね僕も。今はほとんどないんですけれども。」
と。
わたしはこれを聴いて、「ヤバい女」とは、一体、何なのか?ということを考えた。
自分自身が、或る意味「ヤバい女」として生きる一人である。
人間の「ヤバさ」は、人間の数だけあるはずである。
しかし自分にとって、相手が何故ヤバいのか?と考えると、
それは後々に、自分に降り掛かる”リスク”の、ヤバさであるはずだ。
自分に降り掛かるリスクの高さが、高い可能性がある相手ほど、自分にとって、ヤバい人間であるはずだ。
女ならまず、セックス依存症や、よっぽどの自罰心理がない限り、こいつはヤバいな。と感じる男と、やったりはしないのではないか。
でも男の場合、ヤバいと感じても、やるのは”性欲”というどうしようもない問題があるからだと、想う人は多いかも知れない。
待ってくれよ。とわたしは言いたい。
どういうことなんだ。セックスをするにあたって、”リスク”の重さ、重いリスクを被る可能性の高いのは、
女の方だという考えが、何故スルーされているんだ?
もし、それをスルーしていなかったならば、「ヤバい女」という浅ましい侮蔑の表現で、自分がセックスをした女性に対して、表現することなどないのではないか?
”セックス”とは、どのように避妊しようが、妊娠する可能性を0%にすることはできないことくらい、
釣崎清隆も知っているだろう。
女にとって、100%、妊娠する可能性を防ぐことはできないセックスに於いてのリスクとは、
妊娠、堕胎、出産(出産時や産後鬱などによる死)、養育費、産めば子供を育てることに多くの時間を費やすリスク、
堕胎すれば、我が子を殺したという罪の意識(カルマ)から逃れられないリスク。
これらのリスクの可能性がある上で、女はどの男ともセックスするしかないのである。
わたしは9人の男性とセックスした過去があるが、避妊をしてセックスをしたことはこれまで一度もない。
相手が勝手に膣外射精をした時は、相手を真剣に責めた。
避妊(膣外射精をも含む)は、自分の内に存在する神に背く行為だからである。
セックスをして子供を授かることとは、”自然”という神の存在の最も深い愛の現象だからである。
人生とは皮肉なもので、ずっとずっと子供が欲しいと望んできたわたしは一度も妊娠できずに、
わたしの姉は一度、堕胎の経験があるが、その後、未婚で元気な男の子をもうけた。
ずっとずっと政府は隠し続けてきたが、日本の死因の第三位は実は”人工妊娠中絶”である。
【数字でみる人工妊娠中絶】日本人の死因ランキングTOP3に入る?驚きの人工中絶数と順位
わたしは前世できっと何度と、堕胎された経験も堕胎した経験もあるのだろうと感じるほど、
”堕胎”という人間の行為について、あまりに敏感であり、耐え難い苦しみを感じる。
堕胎を行い、二度と子供を産めなくなる女性や、堕胎が原因で死に至る女性、
そして出産でも、命を落とす女性がいることを当然知った上で、”ヤバい女”とセックスしてきたと、釣崎清隆は表現したのだろうか?
好き好んで、女性を苦しめて快楽を感じる趣旨であるレイプもののAVを監督して撮ってきた釣崎清隆が”ヤバい女”と表現するとき、女性を見下しているように感じてしまう。
釣崎清隆に、わたしの最愛の父を喪った原因であるわたしにとって人生で一番の苦しみのトラウマはアダルトビデオなんだと告白し、
このトラウマを克服してゆく為に、釣崎清隆の撮ったAVを最初に観たいのだという趣旨を話し、
どうしたら観れるのかと三度、質問したが、三度とも、答えてくれなかった。
わたしは、釣崎清隆が、許せない。
死と性と女を冒涜し続けてきた釣崎清隆を、わたしは許すことはできない。
死と性と女、わたしにとってそのすべて、わたしの母であるからでらる。
わたしが4歳の時に、母は死んで、死体となった。
母の死体を見つめつづけたわたしにとって、死と、すべての死体は、わたしにとって母である。
そしてすべての女性器は、わたしの生まれてきた神聖な場所であり、わたしにとって母である。
すべての女性に対し、わたしが深いコンプレックス(感情の複合体のこと。 衝動や欲求・記憶などの、さまざまな心理的要素が無意識に複雑に絡み合って形成されるもの)を懐き続けて来たのは、すべての女性にわたしの母を映し、母を求めてしまうからである。
釣崎清隆は、わたしの母を、本当に好きなように傷つけ、陵辱し、侮辱し、恥辱と汚辱を味わわせ、果てには、呆れたことに、Tシャツやトランプにまでしてきた。
わたしは、釣崎清隆にTwitterをブロックされてしまったが、今でも変わらず愛している。
本当に愛しているからこそ、あえてこんなことを話さなくてはならない。
貴方に、これまでと同じように、死体と、女性を撮り続けてはほしくないんだ。
貴方には、自分の最も愛する存在として、死体と女性を、表現することは、撮ることは、見つめ続けることは、できないのですか。
自分を産み落とした母(死と性と女)に対して、このまま犯し続け、死んでゆくおつもりですか。
決して、安らかではない死に様で。


























我が敬愛なる釣崎清隆へ





釣崎清隆氏、昨夜は、わたしに優しい笑顔と慈悲の御言葉をくださり、本当にありがとうございました。
今日になっても、まだ胸の底が感動で震えており、それで、今日になって、想ったのです。
せや、わたしの、一番の苦しみを、釣崎清隆に知って貰おう。
釣崎清隆に、わたしの最も苦しいトラウマを、聴いて、知って戴きたい。

その前に、わたしが過去に書いたわたしと父との関係と、わたしが最愛の父を亡くすに至った経緯を、まとめたものがあるので、是非、読んで戴きたい。



映画「小さな唇」感想 男と少女の姿は父親と娘のもう一つの話



この記事では、具体的に書くことのできなかった事柄があります。
わたしが、本格的に寝たきりとなる鬱症状を発したのは、20歳の時です。
父がわたしが元気になるようにと買ってくれたパソコンを、父もたまに使っていました。
皮肉なことに、父はそのパソコンで、無料でDownloadしたAV(アダルトビデオ、ポルノ映像)を観ていました。
父は、パソコンについて何も知らなくて、ダウンロードした動画のアイコンがデスクトップ上に堂々と在り続けていることにも、多分気付いていなかったと想います。
わたしはそれらをあえてクリックすることはありませんでした。
観たくもないのに、たった一度だけ、わたしは偶然的に、観てしまったのです。
何故か、勝手に、QuickTimeか何かの履歴の映像が、画面に流れてしまったのです。
その映像のなかには、一人の若い裸の女性(華奢なわたしの身体つきと良く似た裸の、顔がはっきりと観えない女性)が、カメラに向かって座ってみずからの性器をいじり、自慰行為をして必死に喘いでいる姿が映されました。
わたしは血の気が一気に引き、映像をすぐに消しました。
嗚呼、こんなものを観て、父は興奮し、欲情しているのか…。
わたしと、歳の変わらない、もしくは同い年かも知れない、顔も判然としない女性の喘いでいる自慰行為を見つめながら。
自分自身の、最も穢らわしく、嫌らしい醜い姿を、わたしは見せられ、そのわたしの自慰行為を観ながら父が性的快楽を感じているかのような、わたしにとって、まさに本物の地獄の経験でした。
それが、わたしのなかで最も深いトラウマで在り続けているのだと想います。
15,6歳の時、釣崎清隆の撮った死体写真を観たトラウマや、小学高学年から兄の持っていた数々の、遊人などのレイプ物の漫画の描写によるトラウマを、超える自分のなかの最も深い絶望として、一つのアダルトビデオが、わたしの記憶のなかにずっと在り続けています。

そして、わたしはわたしの本当のすべてであった最愛の父を、自分のなかの”性”に対する深い嫌悪と自責の苦しみによって、喪ってしまったのだということを、今でも信じています。

このトラウマを、克服すべく、わたしが今まで手を伸ばしたAVは、すべて西洋のものでした。
それらを観ても、わたしのトラウマに何か変化が起こることはありませんでした。
どうしても、わたしと同じ、日本人の女性である必要があるのです。
それなのに、わたしはこれまでまだ一度も、日本のAV(アダルトビデオ)を、ちゃんと観れないのです。

でも最近、わたしは釣崎清隆という、貴方の存在を知り、貴方がわたしの最も尊敬する命を懸けて死と、死体と向き合い続けてきた死体写真家で在りながら、同時に、わたしの最も嫌悪感の抱くAVというものを監督してきたAV監督であることを知って、わたしは自分の苦しいトラウマとなる死体を見つめると同時に、最も苦しいトラウマであるAVをも、見つめる必要があると感じています。

最も、観たくはないものを、みずから見つめること、此処にしか、このトラウマを克服する手段は、きっとありません。
この世に、AVが、ポルノ映像が、性的快楽を、肉欲と姦淫を煽るすべてのものが、なかったならば、きっとわたしはこのような地獄のなかで最愛の父を喪い、その絶望のなかにずっと生き続ける重度の引き籠りの生活保護者で、慢性的鬱症状の在るアルコール依存症ではなかったと想います。
でも同時に、わたしは想うのです。
わたしはこの、本物の地獄のなかにずっと生き続けてきたからこそ、ヴィーガンとして、自分が苦しい犠牲になってでも、すべての存在が救われることを一心に願い続けて生きて行ける人間に、なりたいのだと、いつも願い続けて生きている人間として生きられているのだろうと。

だから、わたしは感謝しているのです。
わたしのこの地獄の苦しみは、これからもずっと、在り続けるのだと想いますが、それでも感謝しています。

わたしが、何よりも、愛しているのは人間の深い悲しみであり、深い悲しみこそ、最も美しいと確信しているのですが、愛する貴方のなかにも、”どうしようもない”ほどの深い悲しみが、ずっと在るのだと感じました。

釣崎清隆という存在は確かに、わたしに消えないトラウマとなる贈り物を、贈ってくださった人であり、これからも、きっと贈ってくださるだろうことを、心から期待しております。

釣崎清隆氏、人間の、最も苦しい、最も地獄のその写真を、その映像を、撮り続けて、わたしたちにどうか見せてください。

どれほど苦しくとも、それを見つめ続けて生きようとすること、そこにしか、存在していない人間の真の救いが、必ずや在るはずなのです。









追伸:釣崎清隆氏の撮った、できれば、レズビアン物以外のアダルトビデオを、わたしはどうすれば観ることができるでしょうか…?




最後まで、お読みくださり、真に感謝致しております。


こず恵




















『聖なるズー』に寄せた削除された我が告白




Amazonレビューに載せたものが、いつの間にか削除されておったので、自分のブログに載せることにする。
自分にとって初めての告白でもあり、大切な表現なので、通報した人間に悲憤を投げつけながら、保存しておいた文をコピー・アンド・ペーストすることに致す。
ちなみに★は5つ満点を付けていた。
(僕が最後に観た時点では2人の方が『役に立った』ボタンを押してくださっていた。)







「20歳前後の時、虹色鍬形がわたしの人差し指に掴まってペニスを突き刺してきた時、わたしは恍惚となり欲情した。
 わたしは本気で彼とセックスがしたかった。」







(2020年)7月15日にこの本が自宅に届いて、18日の午後16時半前、この本を読み終えた。
一昨日辺りから、吐き気の入り交じるほどの不快さと苦しみの感覚と、人間の底知れぬ悲しみを新たに知ったことの喜びがわたしのなかに並存しているが、これを素直に表現するならば、わたしは居た堪れないほどの深い悲しみに打ち拉がれている。

事実、昨日は悲しみのあまり瞼が痺れるほどの涙を流した。
そして自身に対する自罰の想いが、一層深まっているように感じられる。

わたしは自分とズーフィリア(動物性愛者)の彼らを分けて考えることは到底でき得ない人間である。
雄馬と女性が性交している写真に下着が濡れるほどに興奮して欲情しても、わたしは動物と実際に性行為をしたいとは少しも想わないし、舌を絡ませ合うことすら衛生的に考えてしたくはない。

だが人間(自分)とは違う”種”をしか、わたしは真の意味で愛せない人間である。
わたしの性愛とはナルシシズム(自己に対する性愛)であり、またネクロフィリア(死体性愛、死に対する性愛)であり、近親相姦愛でもある。

人間(自分)とは違う種とは、自分を超越した存在である。
だがそれは本来の自分であり、真の自分である。同時に、わたしの父と母であり、わたしの子である。
その存在だけが、わたしだけを無償で永遠に愛し続けてくれる存在であり、その愛は深まる一方であり、決して、衰退はしない。

だが、その愛が一体どこに存在しているのかというと、わたしの外側には存在してはいない。
それはわたしの内側にだけ存在でき得るものであり、わたしだけが、それを生み出せることを確信している。
このわたしの性愛について、これは正常な愛であり、この愛によってわたしは幸福になれるから良いのだと言った時、人々はどう感じるだろうか。

わたしは、この自分の性愛を異常性愛であり、病的だと感じている。
この愛こそわたしが真の愛として切実に求め続ける限り、だれひとり、人間も動物も他のどの存在も、わたしは愛することはできないだろう。

愛そうとしても、不満が募るばかりの愛であり、それによってわたしが幸福になることは不可能である。
わたしはこのような自分自身とズーフィリアの人たちが同じ病に冒されていると感じる。

特に、雌の馬に本当に恋をしているマリクという男性が現れた時、わたしは自分と同じ悲しみを彼のなかに感じ、彼が「馬ほど美しく、完璧で、素晴らしい生物はいない。」と言ったとき、わたしは感動して魂が震えた。
なんと美しいのだろうかと。
彼は人間よりも、馬が美しいと感じて馬に本気で恋をしている。
わたしは生きている人間よりも、死んでいる存在のほうが美しいと感じて生よりも死に恋をしている。
此処に存在している二つの病的さに、然程の差はないであろう。

わたしもマリクも、”人間としての自分”を受け容れることができず、人間としての自分を殺したい(殺している)人間なのである。
「馬ほど美しく、完璧で、素晴らしい生物はいない。」と、マリクはうっとりとした顔で言ったことだろう。
わたしはそれが間違っているとは想わない。人間より遥かに、馬は美しく、純真であり、愛が深い生物である。
人間の醜さと愚かさは、人間が肉食(同胞の共喰い)をする行為によって如実に表されている。

だがマリクに、わたしは言うだろう。
「確かにその通りだ。馬は生物の中で一番に美しいだろう。でも誘われたからといって雌馬とセックスするきみは病的だ。きみは野蛮で醜い人間という生物なのに、何故、穢れなき美しい馬を自分の汚れたペニスで穢すことを許せるんだ?ぼくならばそんなことはできない。彼らはどのようにも穢されてはならない存在なんだ。自分の娘を何よりも美しいと感じている父親が娘に誘われたと言って娘とセックスする。その父親ときみはよく似ているじゃないか。きみはその行為によって、これまで以上にもっと深く傷つかなくてはならない。」

マリクはきっと暗い影を落して顔を伏せるだろう。

だが、「マリク、ぼくはぼく自身に向かって言っているんだよ。ぼくらは、同類なんだ。ぼくらはこのままでいてはいけないんだ。これを真の愛だと、肯定して受け容れて死んで行ってはならないんだ。きみならば、きっと理解してくれるだろう。ぼくは本当にだれも愛せない。ぼく(ぼくを超えた本当のぼく)以外に。ぼくはぼくとしか、セックスができない人間なんだ。ぼくはぼくと性行為するときにしか、恍惚な感覚を覚えることができない。どうやってこのぼく自身に、希望を持って生きて行けばいいんだ。馬をしか愛せないきみはどうやってこの先、人間として生きて死んでゆくつもりなんだ。ぼくの目を視ろ、マリク。何故、ぼくらは、普通に生きていけないんだ。何故、多くの人と同じように人間の異性を人間として愛することができないんだ。何故、自分のすべてを受け容れてくれるだろう存在、自分のすべてを愛してくれている存在をしか、ぼくらは愛せないんだ。きみは恋する雌馬から誘われて彼女と交わった。きみは最早、人間であると言えるのか。ぼくは恋する死から誘われて死と交わった。ぼくは生きていると言えるのか。何故、多くの人は、自分が人間であることと、自分が生きているということに疑問を持たないんだ。何故、多くの人は、動物を”愛している”と言いながら、動物にも”パーソン”が在ると言いながら、動物を生きたまま解体して拷問にかけて殺したその死体を食べていることに平気なんだ。何故、多くの人は、暴力と性暴力を憎みながら、家畜たちが日々奮われている最悪な暴力(虐殺)と性暴力(人工授精というレイプ行為)に対して、あまりに無関心なんだ。人間と動物が対等であるべきならば、何故、殺して食べるんだ。何故、人間は自分の愛することのでき得る動物をしか、愛そうとはしないんだ。何故、マリク、ぼくらは、自分の愛することのでき得る存在をしか、愛することができないんだ。牝馬がきみの遺伝子を継いだハイブリッドの馬人間の奇形児を出産したとき、我が醜い子を観てきみは何を想うんだ。何を感じるんだ?”それ”はやがてすぐに死ぬだろう。神に背いている為、生かされはしないんだ。ぼくは死だけを愛し、死のうちに、死ぬだろう。ぼくはみずからのこの性愛を、決して肯定しない。ぼくはぼくの愛を、否定する。ぼくは間違っているんだ。マリク、ぼくらは間違っている。神(生と性)に背き、悪魔(死と悪)を崇拝している。ぼくはぼくのこの苦しみと悲しみを、人々に受け容れられたいとも理解してもらいたいとも想わない。ぼくはきみと共有したいとも想わない。既に、それは同じものである。ぼくは雄馬のペニスを自分のヴァギナに挿入させたいなんて想わない。実際の”行為”に何の意味がある?そのセックスの行為によって、動物の霊が愛を進化させることはないだろう。愛は行為ではなく、”意識”である。行為がなければ愛し合えない関係にどんな意味がある?何故、人間は動物を愛していないということにそれほど苦しめないんだ?何故、食用の動物たちの断末魔は”人間の愛”から、いつまでもスルーされ続けているんだ。動物とセックスすることが愛ならば殺して食べることも愛だとでも言うのか。ぼくのこの吐きそうなほどの苦しみと悲しみは可笑しいのか。何故、動物とのセックスを認めて欲しいと叫ぶ前にどのような理由からも動物を殺さないで欲しいと叫ばないんだ。動物を愛していると叫ぶ人たちの食卓に牛や豚や鶏の死体が盛られているのは何故なんだ?暴力に反対する人たちのテーブルの上に何故、今夜も動物たちの惨殺死体が皿の上に載せられているのだろう?ぼくはぼくの病的さを理解しようと日々目を向けている。永久に、これが”聖なる愛”であるなどと言わない。これは”虚構の愛”である。この本のなかにも在る同じ”虚構の愛”について、ぼくは終わらない吐き気と人間の根源に在る悲しみとその真っ暗な闇を、感じないでいることはできなかった。」
























プロフィール 1981生 ゆざえ

ユザエ

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20170112162110
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