ゆざえのDiery'sぶろぐ

想像の森。 表現の駅。 幻想の家。

死体写真家

ツリの煩悶地獄 五

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以下、釣崎清隆氏とわたしの10月7日のDM











ゆざえ「わたしの兄はわたしより6歳上で、今はブラックな運送会社でトラックの運転手をしており、休みは週一で寝る時間が4時間ある日は良い方だと話していました。
兄は廃墟のような荒れ果てたおぞましく不衛生でぼろぼろの実家の猫屋敷で猫9匹と共に暮らしています。

98年だったかもしれません。兄が釣崎清隆氏の撮った死体写真の載ったBURSTを何冊と持っていて、わたしはそれを観て、生まれて初めて、人間の死体写真を観ました。

手首から千切れた女性の写真をわたしも観た頃から、兄は鶏肉を食べるのを嫌がり、鶏肉を食べると下痢をするようになりました。
兄曰く、鶏肉が臭いと言うのです。
でも同じスーパーでずっと買ってきた鶏肉が、そんな急に臭い腐ったものになるのでしょうか…?

わたしはそんな兄の繊細さが、きっとあの死体写真の女性の千切れた手首の切断面の肉の腱や脂肪が、鶏肉にそっくりだったからに違いないと確信したのです。

でも悲しいことに、わたしはそれからも何年と鶏肉を食べても平気でした。
畜肉を一切断ったのは、それから14年後の30歳になってからです。」



ゆざえ「それで、あの女性の手首から切断された写真が、わたしが最初に観た時の記憶では、もっと鶏肉とそっくりなピンク色がかった肉の色と黄色い脂肪や腱の色が印象的だったのですが、BURSTに載せられた写真は、加工されていない状態で写真集に載せられているものなのでしょうか…?」



釣崎清隆「あの右手を加工して表現するのが私の仕事なので、素材のままで公開する気はいまのところないですね。」



ゆざえ「釣崎清隆氏、こんばんは☔

 ということは、わたしが観たBURSTの掲載時で既に加工されていたということなのですね。
    何故、わたしの記憶では本当に鶏肉そのものみたいだったのか、不思議です…。」


ゆざえ「もとの右手の写真は、本当に鶏肉みたいだなと、釣崎清隆氏も、感じられましたか…?」


釣崎清隆「そうですね。手羽先だと思いました」


ゆざえ「手羽先ということは、骨も見えていたのでしょうか…?」


ゆざえ「写真の真ん中の白い部分は骨なのでしょうか…?」


釣崎清隆「そうです」


ゆざえ「骨だと気づきませんでした…。

    元の写真も観てみたいです…」

ゆざえ「釣崎清隆氏は、このまま動物たちが虐待と拷問を受けて殺され続ける世界のままで良いとお感じになられますか…?

その因果でないならば、何故、人類がこれほどの拷問の地獄を味わって死んでゆかねばならない世界なのか、わたしには理解できませんし、納得ができません。」








ツリからの返事は、なかった。
























ツリの煩悶地獄 四

ツリは、彼の命懸けで撮り続けて来た死体写真集、『THE DEAD』 の刊行に寄せての言葉のなかで、こう述べていた。







「世界は残酷だ。

 それでも世界はやはり美しい。」






僕は、そんなツリに、昨日、Twitterのダイレクトメールで、こう問うた。

ツリの愛する人が、こんな最期を迎えても、「世界は美しい」と、言えるのですか…?と。

















しかし、わたしはツリから、とうとう答えて貰わぬ内に、アンフォローされてしもうた。
理由は、ダイレクトメールによる「私信の濫用」であるようだ。
わたしは昨夜、朝から夜までずっと、酒を飲んでおった。
昨日はわたしの愛兎、みちたの、一回忌であった。
とにかく、ずっと飲んでいた。何も、何も、何もしたくなかった。
何もしたくなかったから、愛する死の同志であるツリに、何度と切実に話し掛けた。
酩酊状態で、何もしたくなかった。
僕のメッセージをスルーし続けるツリに、僕は切実にこう厭味を言った。
『自分のドウデモイイツイートはするのに、わたしの切実なメッセージは読んで戴けないのですね。』
ツリは、いい加減、怒(いか)った。
「一度冷静にご自身の書き込みをかえりみてもらえますか? 
その上で、これ以上分をわきまえないようでしたらブロックするしかありません。
私信を濫用しないでください。
ただそれだけです。
僕はこう見えても忙しいんですよ。」
と優しく言いながらも、心では、想い切り、ムカついていた。
僕はツリと、その後、約一時間ほどかけて少し会話したのち、9人おったフォロワーの、ケロッピー前田氏を含む、8人全員を、アンフォローさせた。
そして、嬉々として、ツリに、言った。
「フォロワーがツリだけになった!」
数秒後、ツリは、僕を無言でアンフォローした。(僕は謝罪の言葉を一言も言っていない。)
僕は、絶望にうちひしがれ、ツリを、罵りたくなった。
寝ても、目が醒めると、ツリに対する悲憤と不満が溢れてきて、とうとう、ツリに電話を掛けた。
留守電やった。
僕は、緊張しながらも、絶望と悲しみとアルコールの残留で朦朧としながらも留守電にこう遺した。
「何故、教えて、戴けなかったのでしょうか...?
 何故、釣崎清隆氏の、撮ったアダルトビデオを、どうしたら、観れるのか?
 という質問に対し、答えて戴けなかったのでしょうか...?
 良ければ、御答えください。ガチャっ。」
そう必死に、蚊の哭くような声で、きれぎれに言って、携帯の受話器を置いた。
ツリから、電話は掛かってこない。
彼は、僕に対して元々、真摯に向き合いたいという気持ちが、あらへんのです。
いいえ、彼は、根源的に、人を、愛せないのです。
だから、「世界は美しい。」と、言って退けるのです。
違いますか?
ほとんどの人は、生きたまま解体された動物の惨殺死体を喰らいながら、笑ってる。
その世界を見ても、「世界は美しい。」と、言えるのは、ツリが人を愛せない人間だからなのです。
愛していないから、別に、人が、誰が、地獄に堕ちようとも、ドン底に突き落とされようとも、
拷問を受けて死のうとも、ええのですと、想っとるのです。
違いますか?
卵を大量生産する為に、雄のひよこは全員、






このように毎日、毎日、大量に生きたままミンチにされている。
それを観ても、ツリは、言うのデス。
「それでいて世界は美しい。」
レンダリングプラントで、瀕死の牛や馬がブルドーザーで運ばれてきて、丸まま巨大撹拌機に投げ込まれ、そのなかで、地獄の底からの悲鳴と絶叫を上げる者がいようとも、









ツリは、言うのデス。
「世界は美しい。」
生きているのに、手脚を切断される人間と動物が、なくならないこの世界を見て、ツリは、それでも言う。
「世界は美しい。」
ははは、そうだよ、ツリ、貴方にとっては、世界は美しいのDEATH 。
人を、動物を、愛せない貴方にとって、世界は本当に、美しいのDEATH 。
耀いているのDEATH 。キラキラ光り続けていて、眩いのDEATH 。
目が眩むほどに。
貴方の愛する娘が、家畜の如くに、レイプされ、生きたまま解体されるか、生きたままミンチにされようとも、世界は光り耀き続け、眩むほど、美しいのDEATH 。
嗚呼、そんな人間が、この世界にどれ程いるだろうか...!
20代で、スプラッターポルノ・SM・レイプ物のAVを監督し、その後、四半世紀も死体写真を撮り続けて来た男が、普通であるはずがないやろう。
普通の感覚で、人間を愛することなんかできないのDEATH 。
狂気も病気も、とうに超えてしまっているんDEATH 。
普通に人間を愛せないのDEATH 。
人間を苦しめることが、人間を地獄に突き落とすことが、ツリの人間に対する愛なんDEATH 。
ははは、僕は、最初の最初から、それに気づいていたんDIE 。
そうでなければ、僕はツリを、愛さなかった。
僕はだから、ツリが、本当に、どうしようもないほどに悲しくて、美しい存在であると、確信した。

僕なんだよ。
俺なんだ。

わたしは、人間を、愛せない。

だれも、愛せない人間DEATH 。

愛する貴方と同じに。








「世界は残酷だ。

 それでも世界はやはり美しい。

私はただひたすら美に殉じたいと願うばかりだ。」

釣崎清隆







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ツリの煩悶地獄 一

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見よ。この、美しき、悲し気な慈悲の眼差しを。
一心に、彼は何かをずっとずっと見つめている。
全人類が、彼の命懸けで撮った写真を、見つめ続ける必要がある。
何故なら、彼は、一体、何を撮っているかというと、一体全体、何を25年も撮り続けて来たかというと。
御覧なさい。
あなたには、見えないか。
彼が、何を見つめているのか。
彼は、一つのものをしか、撮り続けて来なかった。
彼が、命を惜しまずに、また、拷問の地獄に怯えることもなく、
世界各国の犯罪現場、危険地帯で撮り続けて来たものとは、そう。
何も隠す必要はない。
死体である。
人間の死体を、彼はずっとずっと、撮り続けて来た。
世界を渡って、死体だけを撮り続けて来た男。
この世界で唯一無二の存在。
死体写真家、釣崎清隆。愛称、ツリ。
人々は、彼の撮った写真を初めて観たとき、アッと心のなかで声をあげて驚く。
これは、死体ではないか。
何だって?死体を撮り続けて来た男が、この国におるだって?
信じられないよ。本当なの?嘘じゃないの?嘘だと言ってくれないか。なぁんて、ね。別にそんなこと、俺にはどうだって良いよ。
こんな気色の悪いものを、あえて観たいなんて想わない。
吐き気がする。
気味が悪い。早く、その写真、何処かへ遣ってくれないか。
俺は見たくないんだよ。
だってすべての人間が、これに辿り着くんやろう?
キモいっすね。
いや、マジで。俺たち全員、こんなんになるんだね。
マジで、キモいよ。
生きてる意味在るのか?俺たちは。
最後はこんなに、醜いものになるのに。
生まれてくる意味があるのか?
だからさ、例えば交通事故の死体とか、本当に一度、一瞬でも観ただけで、
人間の一生のトラウマになるその死体に、俺たち全員、なる可能性のある世界なんだっつってんだよ。
わかってんの?
子供、産み落とすなよ。もう。
これに、この、この世で最も最悪な代物に最後にするために、人は自分の子を、
自分の子を最も愛して育て、本物の死体から、目を背け続けてるじゃないか。
発狂してる?
洗脳されてんのか、何者かに。
オウム真理教みたいなカルト宗教に、人類のほとんどが、洗脳されとんのか。
違うなら、何故、死体を見つめないんだよ。
可笑しいぢゃないか。
なんで毎日、死体を喜んで大量生産しているんだ。
死体に、するためだろう?
本当の絶望を自分と、人間に与えてくれる死体にするために、自分の愛する子どもを、
グロテスクな死体にするためにだろう?
違うって言うのか?
死体を観て、何を想うんだ?
気持ち悪い?
観たくない?
可哀想?
自分はこんな死体にはなりたくない?
お前だよ。
お前の姿だよ。
お前の死体が、お前が食べるその死体が、お前の姿だよ。
そんなに、キモいか、お前の食べ物と、お前自身が。
お前が殺したんやないか。
お前が食べる為に、お前が味わって食べるために、お前が、生きたまま解体して殺害したんやないか。
どの、人間の死体よりもグロテスクなそのスナッフフィルムをお前自身が喜んで撮り続けてるのも同じやないか。
お前の腹ン中で、お前と、お前の子どもが、生きているうちに解体されて惨殺されているその殺害シーンと死体の映像が無限に、回り続けとんねん。
わかってんの?
お前は自分自身と、自分の子どもを大量に殺戮し続ける為に、
死体を大量生産してきたんだよ。
俺は今、その無間地獄を、ずっとずっと、見つめてるんだよ。
顔を顰め、堪え難い苦痛を感じながら、此処から。
この、俺の足の脛まで、既に完全に浸かってしまっている、脂肪とぐちゃぐちゃに混じり合った、すべての人と動物の死体からずっとずっと流れ続けている血溜まりの上で。


























我が敬愛なる釣崎清隆へ





釣崎清隆氏、昨夜は、わたしに優しい笑顔と慈悲の御言葉をくださり、本当にありがとうございました。
今日になっても、まだ胸の底が感動で震えており、それで、今日になって、想ったのです。
せや、わたしの、一番の苦しみを、釣崎清隆に知って貰おう。
釣崎清隆に、わたしの最も苦しいトラウマを、聴いて、知って戴きたい。

その前に、わたしが過去に書いたわたしと父との関係と、わたしが最愛の父を亡くすに至った経緯を、まとめたものがあるので、是非、読んで戴きたい。



映画「小さな唇」感想 男と少女の姿は父親と娘のもう一つの話



この記事では、具体的に書くことのできなかった事柄があります。
わたしが、本格的に寝たきりとなる鬱症状を発したのは、20歳の時です。
父がわたしが元気になるようにと買ってくれたパソコンを、父もたまに使っていました。
皮肉なことに、父はそのパソコンで、無料でDownloadしたAV(アダルトビデオ、ポルノ映像)を観ていました。
父は、パソコンについて何も知らなくて、ダウンロードした動画のアイコンがデスクトップ上に堂々と在り続けていることにも、多分気付いていなかったと想います。
わたしはそれらをあえてクリックすることはありませんでした。
観たくもないのに、たった一度だけ、わたしは偶然的に、観てしまったのです。
何故か、勝手に、QuickTimeか何かの履歴の映像が、画面に流れてしまったのです。
その映像のなかには、一人の若い裸の女性(華奢なわたしの身体つきと良く似た裸の、顔がはっきりと観えない女性)が、カメラに向かって座ってみずからの性器をいじり、自慰行為をして必死に喘いでいる姿が映されました。
わたしは血の気が一気に引き、映像をすぐに消しました。
嗚呼、こんなものを観て、父は興奮し、欲情しているのか…。
わたしと、歳の変わらない、もしくは同い年かも知れない、顔も判然としない女性の喘いでいる自慰行為を見つめながら。
自分自身の、最も穢らわしく、嫌らしい醜い姿を、わたしは見せられ、そのわたしの自慰行為を観ながら父が性的快楽を感じているかのような、わたしにとって、まさに本物の地獄の経験でした。
それが、わたしのなかで最も深いトラウマで在り続けているのだと想います。
15,6歳の時、釣崎清隆の撮った死体写真を観たトラウマや、小学高学年から兄の持っていた数々の、遊人などのレイプ物の漫画の描写によるトラウマを、超える自分のなかの最も深い絶望として、一つのアダルトビデオが、わたしの記憶のなかにずっと在り続けています。

そして、わたしはわたしの本当のすべてであった最愛の父を、自分のなかの”性”に対する深い嫌悪と自責の苦しみによって、喪ってしまったのだということを、今でも信じています。

このトラウマを、克服すべく、わたしが今まで手を伸ばしたAVは、すべて西洋のものでした。
それらを観ても、わたしのトラウマに何か変化が起こることはありませんでした。
どうしても、わたしと同じ、日本人の女性である必要があるのです。
それなのに、わたしはこれまでまだ一度も、日本のAV(アダルトビデオ)を、ちゃんと観れないのです。

でも最近、わたしは釣崎清隆という、貴方の存在を知り、貴方がわたしの最も尊敬する命を懸けて死と、死体と向き合い続けてきた死体写真家で在りながら、同時に、わたしの最も嫌悪感の抱くAVというものを監督してきたAV監督であることを知って、わたしは自分の苦しいトラウマとなる死体を見つめると同時に、最も苦しいトラウマであるAVをも、見つめる必要があると感じています。

最も、観たくはないものを、みずから見つめること、此処にしか、このトラウマを克服する手段は、きっとありません。
この世に、AVが、ポルノ映像が、性的快楽を、肉欲と姦淫を煽るすべてのものが、なかったならば、きっとわたしはこのような地獄のなかで最愛の父を喪い、その絶望のなかにずっと生き続ける重度の引き籠りの生活保護者で、慢性的鬱症状の在るアルコール依存症ではなかったと想います。
でも同時に、わたしは想うのです。
わたしはこの、本物の地獄のなかにずっと生き続けてきたからこそ、ヴィーガンとして、自分が苦しい犠牲になってでも、すべての存在が救われることを一心に願い続けて生きて行ける人間に、なりたいのだと、いつも願い続けて生きている人間として生きられているのだろうと。

だから、わたしは感謝しているのです。
わたしのこの地獄の苦しみは、これからもずっと、在り続けるのだと想いますが、それでも感謝しています。

わたしが、何よりも、愛しているのは人間の深い悲しみであり、深い悲しみこそ、最も美しいと確信しているのですが、愛する貴方のなかにも、”どうしようもない”ほどの深い悲しみが、ずっと在るのだと感じました。

釣崎清隆という存在は確かに、わたしに消えないトラウマとなる贈り物を、贈ってくださった人であり、これからも、きっと贈ってくださるだろうことを、心から期待しております。

釣崎清隆氏、人間の、最も苦しい、最も地獄のその写真を、その映像を、撮り続けて、わたしたちにどうか見せてください。

どれほど苦しくとも、それを見つめ続けて生きようとすること、そこにしか、存在していない人間の真の救いが、必ずや在るはずなのです。









追伸:釣崎清隆氏の撮った、できれば、レズビアン物以外のアダルトビデオを、わたしはどうすれば観ることができるでしょうか…?




最後まで、お読みくださり、真に感謝致しております。


こず恵




















『JUNK FILMS ジャンクフィルム 釣崎清隆残酷短編集』 僕たち、日本人は、本物のJUNK。最も、死体から遠い国に住んでいる。








なかなか、観るのが怖くて、観れなかったが、やっと観れた。
観終わって、悲しくて涙が流れた。
何より、心が苦しかったのは、最後のデヴィッドのところだった。
何なのだろうか…。日本という国の虚しさを、わたしは見せつけられた。
日本が先進国でありながら、自殺大国であることの理由が、この冷ややかな虚しさのなかにあるのではないか。
それに比べて、他の国は、何故あたたかみがあるのか?
動物的な慈悲のようなものが、他の国にはあるように感じられた。
日本は無機質的で、無感情的で、作り物のよう(人工的)である。
だが、ただ釣崎清隆が無言で撮った最後の青木ヶ原樹海の髑髏は、冷たさや虚しさを感じることはなかった。
髑髏には青々とした苔が生えており、大自然の慈愛に包まれながら、完成されたひとつの現象として、感動的なものであった。短いシーンだけでとても残念である。

最も痛々しさを感じたのが、顔がぐちゃぐちゃの血と肉の塊となった死体の映像よりも遥かに日本の若者たちによる友人デヴィッドの納骨のシーンであった。
釣崎清隆の、あたたかい眼差しのフィルターを通しても、それを覆うことはできないほどに、どうしようもない空虚さに満ちており、胸が今でも苦しい。
これは『デスファイル完全版』を軽く超えるほどの死者に対する尊厳の欠如である。
損壊の最も激しいどの死体よりも遥かに、”残酷”なものである。
わたしはそう感じた。
でも唯一の救いは、この映像を釣崎清隆が撮ったことである。
それ以外に、何処にも救いはない。
そこにある闇は、底がない。
日本という国は、この世界で最も救いが必要な国なのではないか。
何故、ここまで寒々しいのか。
ただ丁寧に、慎重に扱うなら、それが死者に対する尊厳であるのだと、想い違いをしているのではないか?
日本というこの国に存在しているこの恐ろしい虚構が、一体、何処から来ているのか。

わたしはこの世界から拷問的苦痛のすべてを無くする訴えを、みずからのなかで強めたくて、死体をじっくりと、見つめることを決意し、釣崎清隆の存在を最近知った。
今、そのわたしを襲っているのは、”日本”という国が、どれほど”救いがたい”凍りついた国であるかということを知らされた吐き気を催すほどの悲しみである。
でも、あの髑髏が、この「ジャンクフィルム」のジャケットの青木ヶ原樹海で釣崎清隆が撮った此の世の何よりも幸せそうに、優しい寝顔で眠る髑髏が、わたしに言うのである。
「僕も日本人だった。」
そうだね…。君はわたしと同じ日本人だったんだ。
でも今は、今は、そんな縛りに縛られてはいない。
世界で一番冷めたこの国から、君は解放されたんだ。多分…。
きっと、そうだ。それとも、骨と魂は、全く、もはや別々の存在だからなのか。
嗚呼…僕は本当にこれまでずっと、髑髏恐怖症だったんだ、それなのに。
この映像の、綺麗な色んな個性を持つ髑髏たちに、なんて胸がときめいたことだろう!
これは釣崎清隆の真剣に死を見つめる愛の深さが、僕に反映したのだと、信じている。
彼の穢れなき愛と悲しみが、全く届かないほどに、この国の闇は、深いのである。
























僕の裸を撮ってくれへんか。

















プロフィール 1981生 ゆざえ

ユザエ

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