ゆざえのDiery'sぶろぐ

想像の森。 表現の駅。 幻想の家。

逢魔が時の停留処にて 第六

寝て、約四時間後くらいに目が醒め、寝れなかった。俺は。
そうだ。楽天銀行で、宝くじを買い、百万円かそこらを当てて遣って、その金でこのくろごきぶりちゃんと恐怖の同棲し続けなくてはならないこの部屋を引っ越したらええんや。と俺は想い、楽天銀行の残高を見てみると、残高203円であった。
買えないですや。これじゃ買えないですや。
俺は諦め、いつもの思索と黙考をし始めた。
俺の本ブログに、執拗に悪質で幼稚なハラスメントをしてきたあの45歳の男は、一体、何を俺に求めてたんやろな。と俺は想った。
ただファックがしたいとか(俺はヘテロであるのだが)、俺を差別し見下すことで優越感に浸りたいとか、俺を騙して苦しめることがただ単に快楽な軽薄なサドか、おるだけへの執着でなく、誰にでもあんなハラスメントをしているのか、俺にハラスメントしないでは拷問のような地獄にいて、切実な救いを求めてなのか、好き勝手ごろつきとして働かず酒を飲んでロハスに生きて表現だけを一筋に遣っている俺への妬み、嫉妬からか、俺が男という生き物を見下していると感じ、それに対する恨みからか、俺が人間という生き物を見下しているという感じがし、それに対する腹立ち紛れの自爆行為か、ともすれば、彼奴にとってのハラスメントとは、俺への最高の愛情表現なのか、彼奴はそれを遣れば俺を喜ばし、俺を幸福にできると想ったのか、彼奴は俺と結婚したかったのか、彼奴は今も、何処を観ているのだかわからんような目で今も真っ直ぐに前を向いて歩いているのか。額に汗しながら、呻きながら、魘されながら、絶望しながら、遣りたくもない肉体労働をしながら、安い給与で、彼奴は今も、腰を痛めることを懸念しながら、彼奴は今日も、明日も、明後日も、明明後日も、一月後も、一年後も、十年後も、三十年後も、生きているのか。息をしているのか。誰一人からも、愛されずに。
俺が彼奴を見離したから、彼奴は此れから三十年、本当に独りで生きてゆくのかもしれない。
でも俺は、彼奴を見離したつもりはない。
現にあれから毎日、彼奴のことを考えて、返事を待ち続けている。
あれから何日が経っただろう。まだ返事は何一つ来ない。
彼奴の方が、俺を見棄てたのではないのか。
俺はいつでも、彼奴と真剣と向き合い話そうとしてきたのだが、彼奴はいつもふざけているようにしか見えなかった。
俺と彼奴、どちらの苦痛と悲しみが深いのか。
そんなもん、天秤に掛けられない。
永遠に、量ることはできない。
量ることができないものを、彼奴は簡単に、量って俺にハラスメントしてきたのである。
御前よりも俺の方が苦しんでいると。
安全圏から、御前は一体、何を偉そうな口を叩き腐っとるのだと。
俺は御前よりも危険圏に生きていて、御前は俺より安全圏に生きていると彼奴は俺に言いたいのである。
そうやって相手が自分よりも楽に生きているということを自分のなかで確立させ、信じるために、そうしてこの地獄から救われる為に、彼奴はそれを俺を殺してでも俺に伝えるために書き込んだのである。
俺を此処まで苦しめて、彼奴が苦しんでいない筈はないやろう。
否、今はまだほくそ笑んで生きていたとしても、今後、一体、何が彼奴を待ち構えておるやろか。
ははは、考えたら気色が良い話だ。彼奴は俺を苦しめ、自分が苦しみたかっただけだと俺は想っている。
今よりも、彼奴はドン底に堕ちたかったのだ。
そして俺という男は諦め、あらゆる孤独な女たちにすがり付き、助けてくれと懇願するのだろう。
俺を愛してくれと。一番に。特別に。
何よりも。何よりも俺を愛してくれないなら、ハラスメントするもん。
ぐすん。
赤ちゃんではないか。彼奴は赤ちゃんの時に、よっぽど愛されなかったのに違いない。
せやさかいに赤ん坊、乳呑み子から全く成長することができないのだ。
しかしその乳呑み子に俺が遣ったこととは、彼奴にとってのネグレストであったのかも知れないな。
俺は彼奴と、御前のような人間は絶対信用できないから、御前を信じて愛することは絶対にないという前提で俺は彼奴と向き合ってきたのではなかったか。
でもそんな俺に彼奴は、あたたかい赦しの母性愛と人生の厳しさを教えてくれる父性愛によって自分自身の肯定というものを一心に、求めていたのかもしれない。
彼奴は、本当に早急にそれを俺に求めすぎた。
でも俺はゆっくりと、死ぬまでの時間をかけて、たった独りで自らの表現だけによってそれを遣っていこうとしている。
一体、いつまで、同じことを遣り続けるつもりか、大体なんでそこまで俺に執着して来るのか、彼奴は。
俺が本ブログに戻ったなら、彼奴はまた同じようなことを遣ってくる気がする。
此れを父と息子で例えるなら、何度断っても小銭(数万円単位)を借りに来る甘えて精魂の腐りつつある息子に辛抱尽きて、自家の戸の前に、「わしは此処を引っ越すことにした。御前に、引っ越し先の住所を知らせることはない。何故ならば、御前は何べんゆうてもわからなんだし、わしも年金でかつかつに暮らしとるのに御前はわしの苦労もわかろうとはせなんだ。御前に貸す金は一円もないとゆうたやろう。なんで一回ゆうただけでわからへんのや。もうわしは限界や。あと何年生きられるかもわからひんさかい、もし遺せる金があるなら、御前にすべてを遣る。だから口座先は変えるな。わかったな。わしは銭など棺のなかに持ってってもしゃあないさかいにな。でも御前には必要であろう。生きて行く為の金や。わしがはよ去ぬことを願っとれ。達者で元気に暮らせ。しかしなんかあれば、テレパシーで送ってこい。ほなな、わしは去ぬで。」と書いたちらしの裏を貼り付けて、我がいえを後にする老いぼれた親爺のようである。
俺が大切な本ブログを断ったのは、俺の為でもあるし同時に、御前の為でもある。
父親が自分を棄て家を出て引っ越した後に、息子がどう変わって行くのかはわからないが、父親の願いとは一つである。
倅が自分の受けた苦しみと悲しみを知り、反省してテレパシーで真の謝罪と感謝を述べてくること。
そして人生とは、真に以て厳しいものであることを倅が漸く覚り、苦痛の連続の自分の人生を受け入れようとして人に迷惑をかけずに独りでも生きて行くこと。
自分を振った女が血税で酒を呑みながら人を見下すようなブログを書いていたとしても、嫌がらせのコメントを連投したりしないこと。
そんなことは、人間の最もみっともない恥ずかしい行為であるということを知ること。
もっとちゃんと生きて行けるはずである。
御前は人間の出来れば遣りたくない辛い肉体労働を好きでもないのに頑張れるほど根性のある人間ではないか。
自分の黒歴史をこれ以上増やす必要はあるのか。自分の業を、これ以上積み立てる必要はあるのか。ないのか。どっちなのか。
我が胸に、問い掛けて御覧なさい。
御前はこれ以上、自分を振った女にハラスメントし続けて生きて行く積もりなのか。

あの家に、どうしたら戻れるやろうか。
運と縁、それが巡り廻りて、戻れる日が、いつの日か、遣ってくるのかも知れん。
わし、生きとるかのお。
親爺は狭く、殺風景なアパートで一人、冷奴を充てに胡麻焼酎をあおり、舌鼓を鳴らした。
本当に消えかけそうな、蝋燭の火が、窓の向こうに見え隠れする。



訪問者が一日にだれ一人居なくても、俺は書き続けなくてはならない。
とにかく自分の内にあるものを外へ表現することを死ぬ迄遣り続けなくてはならない。
昨日もこのブログには、誰も訪れなかった。
一日に何時間と費やし七千文字以上書いても、誰ひとり俺の記事を読みに来る人は居ない。
働く人なら、自分の仕事が誰かの役に立っていると自負することができるのだろう。
でも俺の書く小説を、一体死ぬまでに誰が真剣に読むだろうか。
一体俺の仕事とは、誰の役に立っているのだろう。
毎日が寂しくてたまらないが、想わば新潮新人賞に応募した作品を書いていたあの3ヶ月程の期間も、俺はほぼ誰とも会わず会話せずの日を過ごし、苦しくてならなかったが、その苦しみがあって、あの作品を完結させられたのだと想っている。
もしかしたら或る遠い星に住む孤独な人間が、その高度文明によって離れた地球という星に住む俺の生活をずっと観察、監視しており、俺の小説を心から楽しみにしているやもしれまい。
そうだ孤独な彼の為にも、俺は死ぬ迄、書き続けよう。
俺は何があっても、諦めない。
この世界の全員に、面白くないと言われようと、俺は書き続けるったら、書き続けるかんね。
表現を、創造を、絶対に、やめないんだかんね。


そういえば今日は夢にスウェーデンのラッパーのYung Lean(ヤング・リーン)が出てきた。
何か彼との深い絆を感じる温かい夢であった気がする。ヤングの深い愛を、俺は確かに受け取ったぜ。
去年に出した「Stranger」っていうアルバムも滅茶苦茶良いんだよね。
こんなに癒されるヒップホップが他にあるだろうか。本当の天才だと想う。
俺が14歳のときに彼が産まれ、彼はこの21年、色んなことを経験して生きてきたのだなあ。
そういうことを考えると、本当に感動する。
同時に、とてつもなく悲しくなる。
彼奴は俺が死んでも、どうでも良かったから、俺にハラスメントをやめなかったんだ。
俺があらゆる経験を通してこれまで三十六年間必死に生きてきたことを、彼奴は感動してくれないのだろう。
このようにいつも、俺は喜びを少しでも感じた瞬間、同時に悲しみを感じてしまうようだ。
そしてこの喜びが、深ければ深いほど、俺は悲しみの底に突き落とされてしまうようだ。


悲しみはどのようなものもやがて、悲憤のマグマを誕生させ、マグマを消化してゆくことをしないなら、はらわた内でずっと消化されないマグマが己れと、他者を、苦しめ続け、最後には破滅させようとする。
他者に対する怒りとは、自分に対する怒りそのものである。
自分に怒り続けている人間ほど、必死にそのマグマを消化し続けていかねばならない。
どうすれば煮え滾り続けるマグマを消化してゆくことが出来るか。
自分と毎分毎秒、向き合い続けてゆくこと、自分から目を逸らさず、どのような自分をも隠さずに表現してゆくこと。
自分を、肯定してゆく作業は、他者を、肯定してゆく作業である。
自分を否定し続けるものは、他者をも否定し続ける。
互いに苦しめ合い、互いに破滅してゆくのか。
俺はどうしても、最後まで、自分と向き合い続けて生きたい。
すべてとの心中を、俺は望まなかった。
でも自分と向き合い続けていかない者は、すべてとの心中へ向っている。




消マの頭蓋内世界に閉じ込められてしまった不魔にとって、生きることとはなんだろう。
不魔は、何か悪いことを行なったからこうして閉じ込められて消化される日を恐れなくてはならないのではなく、真当な善き人間として生きていても、いつの日か必ず消化され行く運命にあるのである。
不魔は、宿の個室のベッドに横になり、レースカーテン越しの窓の外の暗闇を見詰めながら自分の運命と自分を救うことのないすべてを呪った。
不魔は、愛されたいと願った。
消化され行く日を免れないというのならば、せめて本当の愛を知ってから、死にたいと想った。
本当に愛する女に出逢い、愛されることを知るのならば、死に対する苦しみは安らぐだろうか。
それとも一緒に死にたくなるほど、今よりずっと苦しむだろうか。
不魔は生々しく想像してみた。
愛する女の顔は見えないが、まさしく女は俺のたった一人の愛する女であり、女にとっても、俺がたった一人の愛する男であるようだ。
なんという幸せであろう。人間というのは、たったそれだけで幸せになれるというのか。
顔の見えない女は、俺が仕事から帰るといつも、キッチンに立っている。
俎板の上で葱かなんかを刻んでいる。良い音だ。何故か、懐かしい音だ。
エプロンで手を拭きながら俺に微笑みかけ、「おかえりなさい」と言う。
俺はそれだけでほっとすることだろう。毎日の繰り返しでありながら、同じことを繰り返すことに安心する。
小さな円形のテーブルを囲んで女と晩餐を共にしながら、俺が女に話すことや、女が俺に話すことは、きっとなんでもない、特に内容のない話なのだろう。
近所のスーパーのレジ打ちをしているおっちゃんらしき人が、実に神経質そうで繊細な心の持ち主なような気がするのだが、あのような人がああいった単純な単調作業を何時間とし続けることを想うと、自分も苦しくなってくる。
でも本当のところはどうだろう。本当はこの仕事が楽しくて仕方ない、うきうきわくわくしながらレジを売っているかもしれない。そんなことに憂う自分は変なのか知らん。
多分そういったことを、俺の愛する女は俺に話すのだろう。
俺はははは。と笑い、きっとこう答えるだろう。
「ああ、おまえは多分、かなり変だ。でも誰に気違いだとか言われたって気にすることない。俺はそんなおまえだけをたったひとり、愛しているのだからね。はははははは。おっさんのこと考える時間をすべて、俺のこと考えてくれへんか。」
女も俺にくったくのない少女のような顔で微笑み返す。
嗚呼、俺の愛する女はなんと可愛いのだろう。こないだ俺の浮気を疑って、包丁持って追い駆けてきて、ケツを深くズブと刺されて血が止まらず死に掛けたが、ははは。なんて可愛い女なのだろうか。
女は俺しか見ていないのだ。女には俺しか見えていない。
それなのに、俺の女はいったい、俺が居なくなればどうなるんだ。

不魔は眼を見開き、滂沱たる涙を流し想った。
いったいこんな妄想をして、誰が救われると、俺は想ったんだ。




















続く。













逢魔が時の停留処にて 第五

今日は二度寝したあと夕方に起きて、郵便局とコンビニエンスストアとグロッサリーストアへ想う向いて赴いた。
行きしは曇ってたが、帰りしは雨が結構降ってきて、濡れて帰った。
つっても徒歩2分とかなので、酸性雨によって皮膚を溶かされ家に着いた頃にはどろどろのゾンビと化していて何もかもが厭になって、もう生きてゆくことができなくないかと想って西洋のとある古い墓地に遣ってきた。
何を想ってこんな処へ来たかというと、ゾンビの仕事といえば人を驚かすこと、恐れさせて逃げ惑わせること、ゾンビ研究家の研究対象になり一日の給与5千円を稼ぐことくらいだと想ったからである。
しかし日本の古い墓地には御岩さんなどが似合うが西洋の十字架並ぶ古い墓地にゾンビが似合うかというと特にそうでもない。
そういえばあまりゾンビ映画を観たことがなくて、こんなことなら毎日でもゾンビ映画を垂れ流しておけば良かったと後悔した。
とにかくゾンビ研究家の人に偶然遭ったならもっと好ましい俺に似合う場所はないだろうかと相談してみよう。もしかしたらゾンビピザショップとか思い掛けない場所を教えてくれるやもしれないし。(勿論、ゾンビ肉をピザとして売っている店なら断固、お断りである)
ゾンビとは何かと言えば人間が死んで腐乱して行っているその最中で生き返った存在である。
そのまま腐敗が進むのならばやがて白骨化して骸骨となって最後は塵である。
その塵を観て、やあゾンビだ。と言う人はいないだろう。塵は塵であり、塵は非常に小さな粒子である為、どれが誰の塵かなどわかりようがない。
だから知人が塵となって、夜に公園で座ってたら目の前に遣って来て、「やあ久しぶりだね。元気してる?」と声を掛けられても全く気付くことはできないだろう。
それに塵の声だから耳元で何かノイズのような耳鳴りがなっているように聴こえるので塵となった人が幾ら必死に話し掛けようとも一向に相手がそれに気づくことができない。
悲しいことだ。塵となった人が、人に恋をすることもあるのだろう。
果してその恋の苦しみが報われる日は遣ってくるのであろうか。
中身はまったくの同じであるのに、人がゾンビや骸骨や塵を人として同じように愛せないのは可笑しな話である。
だからといって人が腐乱死体や骸骨や塵に人のように普通に話しかけていたら危ない人だと想われ人間じゃないような目で見られてしまうのだろう。
ひとことで言うなら、向こうの方に行ってしまった人。と捉えられるのだろう。
向こうの方とは、俗世に生きる人間の人智に及ばぬところである。
そういえば俺は小学生の頃、帰ってきた答案用紙のその答えあわせが一人ではどうしてもわからなくて、仕方なく左斜め前の席の休んでいるクラスメイトの男の机の上にあった答案用紙をめくり、その答えをこっそりと書き写していたら、一人のクラスメイトの男が俺の遣っているところに気付き、その瞬間、「きいっしょっ」と、心の底からこいつ人間じゃないというような言い方で吐き捨てた。
俺はそう言われて初めて、そうか、俺の遣ったことってそれほど人間としてやばいことなのか、気色の悪いことなのかと知ったのだった。
そこそこ端整な顔立ちの色の白い男だったが、今頃どうしているのだろう。どん底に堕ちているのか、それともなんとか世間の枠からは外れずに生きていけてるのだろうか。考えたら苦しいことだ。俺のクラスメイトで、夭逝した人もいるのかもしれない。俺はこうやって誰一人とも会話をしない、関わらない日々を過ごしているが、それでも自分の好きなことだけを遣って、作家にとっては充実とも言える日々を送っているのかも知れまい。
作家は沈めるだけの底まで沈めることを、本質的に望んでいるだろう。
だから一時ゾンビになっても、一時白骨化しても、一時灰燼になっても、塵と化しても、またいつか戻れると言うならば、別段問題はないのである。
まあ今回ゾンビになってしまったことは俺の幻覚で西洋の墓地へ赴いたのは白昼夢であったようだが、楽しかったなあ。
白昼夢というのは切実なんだけれども、世界、次元、時空というものが、ものすごく歪んでその為感覚も同じに歪み続けて正常な感覚、意識とは言えない空間に在る為、俺はその世界を楽しもうとするなら、それは不可能ではない。
でもその世界に、俺以外の存在は居ないといつも感じるので、寂しいことには変わらない。
またこの世界も、俺だけの存在が居ないといつも感じるので、寂しいことには変わらない。
今夜も、死だけを抱いて、死だけに抱かれて、俺は眠る。
死が、俺の乳首を弄(いら)い、俺は勃起し、射精す。
何処にか?それは勿論、死の子宮へ向かってである。
死は俺の子を、妊娠す。死は俺の卵を温める。
俺の子は死の胎内で順調に成長してゆき大きくなってゆく。
そして死は、俺の子を、俺の頭蓋内に、産み落とす。
名前は、子死江(こしえ)である。




まだ幼い子死江には、母もおらず、また父は売れない作家であったが、日々思索室に籠もり、子死江の遊び相手になって遣れなかった。
父は子死江には、イマジナリーフレンドなる存在が必要であると想った。
子死江はみずから、ピンク色の湖のなかを泳ぎ、向こう岸へ渡った。
そして岸から上がり、着ているスカートの裾をぎゅっと絞った。
その時であった。子死江は何か気配を感じ、ふと足許を見た。
するとそこには、小さな30センチほどの大きさの水色の耳と足の服を着たクマのぬいぐるみがちょこなんと座って居た。



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クマは起き上がり、子死江に御辞儀してこう言った。
「ハジメマシテ。ボク、精ンク魔(セインクマ)と言う者です。きみのイマジナリーフレンドとなる為に、この仮の姿を着ています。ぼくは、きみとお友達になりたいです。」
子死江は、ちいさな精ンク魔を抱き上げると、ぎゅっと愛しそうに抱き締めた。
精ンク魔は、嬉しそうに微笑んで子死江を抱き締め返した。
「ここは、ぼくのおうちのガーデン、お庭です。なにかほしいものがあったら、御遠慮なくぼくに言ってください。」
精ンク魔は子死江に抱っこされながら右手を前に出して自分の庭を紹介した。
「うぬ(己)の寝るベッドはあるのか。うぬの座る椅子はあるのか。うぬの食べる食べ物は、着替える衣はあるのか。」
子死江がそう訊ねると精ンク魔はこくんと頷き、「ええもちろんです!なんでもここにはあります!」と言ったので子死江は驚いた。
「精ンク魔、大好き。」と子死江はもう一度精ンク魔を強く抱きしめた。
その瞬間のことであった。精ンク魔の頭蓋内では、ぐつぐつと煮え滾るものがあり、それは確かにマグマであった。
その時誕生したのが愛マグマ、通称、愛グマである。
愛グマの形も、ちいさなクマの形であった。
精ンク魔も愛グマも、子死江の愛を感じ、幸せな心地であった。
精ンク魔が熟睡しているときに子死江に話しかけるのは愛グマであった。
話し方も話すことも同じであったが、子死江にはその存在が別々であることがわかっていた。
子死江は精ンク魔も愛グマも同じだけ大好きであったので特に問題はないと想った。
だが、ある晩のことである。精ンク魔は子死江の隣で、すやすやと寝息をたてて寝ていた。
口が半ば開いたままで、涎が口の端から垂れ落ちた。その涎をウォータースライダーのように滑り落ちてきた愛グマは、子死江の胸にしっかと抱き着いた。
子死江が胸の圧迫に目を醒まし、うぬの胸にしがみ付くクマを見て、歓喜し抱き締めた。
精ンク魔の頭蓋内空間でこれまで過ごしてきた愛グマは、この夜精ンク魔の口から外へ出てきて一時間かそこらの短時間でみるみるうちに成長し、約40センチほどのアンティークテディベア風の薄い茶色のクマとなっていたからだ。



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愛グマは子死江に、賢そうなクマ顔でこう言った。
「子死江、貴女を愛しています。わたしと、結婚してください。」
どうやら愛グマは、この瞬間に本気になり、精ンク魔と話し方、一人称、二人称も変えて子死江に愛の告白をしたのだった。
非常に複雑で厄介な関係である。何故なら愛グマは精ンク魔の子死江に対する愛のマグマから産まれた存在であり、愛グマの父親とは即ち精ンク魔であって、まだふたりとも、身体は幼児であり、愛した子死江に至っては、心も身体も幼女である。
子死江は、まだ結婚というものがどんなものであるかがわからなかったが、幼いながらもなんとなくややこしくて煩わしいことになったのだろうかと想った。
なんと返事すれば良いかと考えていたら突如睡魔に襲われ、そうや、このまま寝てこましたろう。と想い、子死江はそのまま寝入ってしまって愛グマは悲しんだ。
やはり、クマでは、クマの姿では、だめなのか…。愛グマもまた、クマの姿は仮の姿であったのである。
子死江はまだ、精ンク魔も愛グマも、その本当の姿を知らない。
もし、知ってしまったのならば、子死江は、耐えてゆけるであろうか。
愛グマはこっそり、精ンク魔に見付からぬように使っていない奥の部屋の洋服箪笥の中に隠れ、内側から戸を閉めた。
そして暗闇のなかで沈思黙考した。これからは、精ンク魔が彼女のそばにいないとき、精ンク魔が寝ているときだけ彼女に話しかけよう。
愛グマは洋服箪笥の真暗を枕とするそのマクラ闇のなかで、涙をひとしきり流した。
そして確信するのであった。このような孤独と暗闇に耐えることができるのも、ひとえに子死江への我れの愛の深さゆえである。
















続く。









逢魔が時の停留処にて 第四

俺はうっすら、そうではないか。と、想っていた。
人間の、人類の怒りとは、根源に深い悲しみがあるのではないかと。
怒りっぽい、短気である人とは、うちの父もそうであったし、兄もそうで、自分自身もそれに当たると感じる。
自分でゆうのもなんだが、この家族の悲しみは相当深く、父は深い悲しみを抱えたまま他界してしまったが、遺された族である二人は、この悲しみの行き場が未だ、見付かっていないようだ。
詳しくは兄のプライバシーを損害する為、話すことができないが、兄は今も実家で、それも廃墟と化しているような家で暮らしている。
ブラック企業で働き、寝る時間は平均三時間だという。
短気であるとは、謂わば地下深くで蟠るマグマが普通よりも熱く、エネルギーが強く、その為、噴火する頻度は増え、噴火のエネルギーもまた強まるということであろう。
では情熱の深い人ほど、怒りやすいのか。というと情熱は深そうだが、いからない人も多いと感じる。
何故か、それは自分自身と、さほど反発していない情熱家だからではないか。
自分に厳しく、自分の何かにつけて許せないと感じるものが強くて多い人ほど、他者に牙が向きやすいように想えるのである。
だのでユングもシャドウの投影という人間の潜在心理を分析、心理学界に、驚愕の原理を打ち立てた。
しかし此処でこんな真理を出してきたら、俺の思索に支障が出るのではないかと想うかもしれないが、俺はこの真理を超えようとして思索に耽っているのである。
真理には、真の愛には、だれひとり、永遠に辿り着けない。と、かの銀色の聖者は言った。
俺もその通りであると想う。
苦しいことだが、それが真理であろう。
真理には、永遠に辿り着けない。それこそ、真の理。
考えると、吐きそうになるから、もうこの話はやめよう。
目を背け、俺の課題の続きを思索しよう。
ええっと、ああそうそう、怒りとは、深い悲しみから起こっているのではないか?という思索をしていたのだ。
此処で言いたいのは、悲しみにも、そら種類が在る。ということである。
誰もが同じ悲しみを悲しみとして悲しんでいるわけではない。
俺は、この悲しみを、まず大きく二つに分けてみて、考えてみた。
人の一番の悲しみとは、何ぞ?と考えたとき、それはやっぱり、あなた、愛、が、深く関係していますよ。
では、愛のなきところに、深い悲しみはないか。と考えると。
確かにそうであると俺は想ったん。
宇宙に、否、全宇宙に、愛がないならば、人がこれ程までに深く悲しみ続けることが在るで在ろうか。
例えば、今まで、五体満足で生きてきた人が両足をなくす、両腕をなくす、両目玉をなくす、鼻と口をなくす、はらわたをなくす、肛門をなくす、生殖器をなくす、頭髪をなくす、頭蓋をなくす、脳髄をなくす、視力と聴力をなくす、味覚をなくす、触覚をなくす、若さをなくす、肌のきめ細かさをなくす、皮膚をなくす、骨をなくす、などして、奇怪な蛸のような生命体となるならば、人間は、どれほど悲しみ、苦しみ続けることであろうか。
多くの人は、たった一日もその状態で生きて行くことに耐えきれず、自ら海へ帰って行くかもしれない。
耐えきれた少数の者も、自分は、本質は蛸状の生命体であったのであり、元々人間ではなかったのだと想い込むことでどうにか耐えて行く術を掴まざるを得ないかもしれない。
何故そこまで、自分が蛸のような奇妙な気持ちの悪い生命体になったからといって、耐え難い悲しみと苦痛を感じ、海へ帰ったり人間としての存在を否定したりするのか?
これも俺は、深い愛ゆえであると想われる。
人間は、何かと自分の容姿が気に食わないとか自分が健康でない、自分の今の境遇が気に入らないなどと言っては不満を嘆き続けることを得意とするが、人間が人間として存在できているということ自体、物凄いことなのであって、物凄い愛からできているからこそ、人間は人間として生きることの喜びを感じられるのであるだろう。
つまり人間が、人間として存在し、人間として生きられるそのことを満足せずに、一体何に満足しようとしておるのか?
容姿に不満、不健康であることに不満、人格に不満、人生に不満などといって、自分の観念、生活習慣も変えようとしない、そしてそれを、神の、人類の創造主のせいにしたりもする。
容姿に満足し、健康であることに満足し、人格がまともであることに満足し、人生がすんすんとうまい具合に理想の青写真通りに進むことに満足す。それが人間の満足というものだとでも想っとるのである。
そんなもん、人間の幸福とは呼ばない。
人間の幸福とは、人間が人間として生きられること、生きて行けること、人間と関わりながら様々な経験をしてゆけること、つまり、人間が、人間で在る。こと。
頓悟(とんご)だな。頓悟で罠悟。とんごびんご。どうやら俺は早くも、覚ってしまったようだ。
人間が人間として在る、存在すること以外に、以上に、人間の幸福はない。
あ、これ、来たな。来てる。俺に向かって、何かが遣って来てる。
はて、あれは、なにか知らん。
妙な、気色の悪い、蛸みたいな外から見える器官をすべてなくした深海の、そのまた地下深くに六十億年生存していましたというような顔のくにゃくにゃくねくねした、変な赤い奴。
あれが、あいつが、きゃつが?真理、か。
俺は座禅をbeachで組み、念仏を唱えた。
蛸稲蛸稲万物微伊地蛸稲蛸稲清真不念子巳野陽波胃束蛸稲蛸稲他小神里二田野麦唐替佐伝暮蛸稲蛸稲万物微伊地蛸稲蛸稲清真不念子巳野陽波胃束蛸稲蛸稲他小神里二田野麦唐替佐伝暮蛸稲蛸稲万物微伊地蛸稲蛸稲清真不念子巳野陽波胃束蛸稲蛸稲他小神里二田野麦唐替佐伝暮蛸稲蛸稲万物微伊地蛸稲蛸稲清真不念子巳野陽波胃束蛸稲蛸稲他小神里二田野麦唐替佐伝暮蛸稲蛸稲万物微伊地蛸稲蛸稲清真不念子巳野陽波胃束蛸稲蛸稲他小神里二田野麦唐替佐伝暮蛸稲蛸稲万物微伊地蛸稲蛸稲清真不念子巳野陽波胃束蛸稲蛸稲他小神里二田野麦唐替佐伝暮蛸稲蛸稲万物微伊地蛸稲蛸稲清真不念子巳野陽波胃束蛸稲蛸稲他小神里二田野麦唐替佐伝暮蛸稲蛸稲万物微伊地蛸稲蛸稲清真不念子巳野陽波胃束蛸稲蛸稲他小神里二田野麦唐替佐伝暮......

すると、遣ってきている気配を感じなくなり、俺は眼を開けた。
ザザザザザザザザアン。と、ビーチに俺だけが居て波音が聴こえていて、あれまだ朝の九時?俺は腕時計を観て、まだこんな早い時間かと想った。
ぴゃあ、ぴゃあ、ぴゃあ、と鴎か海猫たちが鳴いて飛び交って旋廻していた。

酷く、疲弊していた。多分脳細胞の殆どが死滅したのかもしれない。此れが覚醒状態なのだろうか。まるで三度続けて射精し続けた後のようだが、俺の課題を放り出すことはできない。
俺は強い怒りと深い悲しみの因果関係を解明せねばならない。
人間の悲しみには、種類があり、それを大きく二つに分けるならば、
①愛されていて愛している。深い愛を知るがゆえの悲しみ。
②愛されていないし愛していない。深い愛を知らぬがゆえの悲しみ。
に分かれるのではないかと考えた。
前者は、親の愛や兄弟や友人や恩師の愛などによって、愛されていることを知り、また自分も愛していることを知る愛の深い者である。
一方後者は、今まで誰からも愛を感じることができなかった。例えば、道路の真ん中で糞をしている野良犬に出逢ったとき、最初は自然と助けてやろう、此処で糞していたら車に跳ねられてしまうと懸念し、糞している最中の野良犬を抱きかかえようとした。すると、あろうことか、その野良犬は、恩を仇で返すが如くに自分の顔を見て、ふんと鼻で笑い、そのあと後ろ足で排泄したばかりの糞を自分の顔目掛けて蹴り飛ばして来たのだ。これが、五歳の頃の後者の記憶である。この時、後者は、愛とは、他者を愛するとは、無駄である。と人生の答え、結論に至った。何故なら、後者は、この時、命を懸けて野良犬を助けようとしたのに、その尊き犠牲愛が、野良犬には全く届かないものであることを知ったからである。はっ、俺は誰からもどうせ愛されていてへんし、誰も愛せへんのだ。深い愛?ファックでしょう。糞と同じ。とにかく臭い。愛を語るなど、白々しい。だるが、だるを、愛していると言えるんだ?往来に出れば何人もの恋人同士、夫婦がなかむつまじく歩いているが、例えば、自分と相手、どちらかが八つ裂きにされねばならない極限の境地に立たされたなら、わたしは嫌だ。頼むからあの人を八つ裂きにしてくださいと懇願する人間ばかりでないのか。俺にはそう見えるね。愛など、虚構だ。俺は愛を信じない。気付けば、親も兄弟も友も先生も神も、俺を白い目で見ていた。そして、俺自身さえ、俺を白い目で見る。創造主は、俺を玩具として、作っただけなんだ。要らなくなったら、飽きたら、すぐに消滅させる。苦しめるだけ苦しめて、ゲヘナへ投げ棄てる。俺は、その後もう永遠に存在しない。それまで転ばせられ、落とされ、吊り上げられ、振り回され、打ち付けられ、溺れさせられ、餓えさせられ、渇かせられ、怒らされ、泣かされ、叫ばされ、欲情させられ、恨まされ、辱しめられる。

後者は、自分自身に絶えず憤怒んし続けている。だからいつも自分に対して苛ついているので他者が何かとアホなこと、自分をムカつかせること、またはモラルに欠けていると感じることをやらかした場合、おもっくそ、はらわたで煮えた怒りのマグマが爆発し、口や目から、噴火して、酷いときには手や足からも噴火する。
時に、口から出た、またはインターネットを通して手先から出たマグマがキーボードを打ち込み、正論を述べまくる時も多い。
だが怒る内容に関係なく阿修羅の如くの破壊威力となるときも多く、止められるものは最後、国家権力しかない。
暴力は、絶対的に正義とはならないからである。
しかし言葉だけの暴力には、国家権力はなかなか動かない。
俺は最近も、精神的ストレスにより死にそうになるほどの言葉による暴力を匿名で受け、その行為について幾つもの問いを真剣に投げ掛けたのだけれども、相手は話し合おうともせずに、未だ、返事がない。
俺は、その遣るだけ遣って逃げて行く暴力に対し、どう対処すればいいのか?
俺が受けた卑劣な暴力に対し、俺のマグマは煮えたぎり、噴火するのを待っているようだ。
しかしそのマグマが、全く関係のない者に向かって噴火し、その者を傷付けてしまう場合、俺の罪は積み重なるのである。
いや俺に暴力を奮った者に向かって噴火しても、神はそれを喜ぶとは想えない。
イエスはどんなに酷いことをされてもそれを遣り返すことを神は望まない存在であることをずっと説いていた。


転た寝をしてしまった。
もう夕方の五時。夢で父と姉と逢っていた。
芸術系の店に父と一緒に入り、わたしは前から見ると短めのボブで後ろから見ると長髪という変な髪型にしてもらい、満足して帰りに其処で売っていたクッキーを買うかどうか悩んでいた。
その店を出て、わたしはお父さんに何故かワンピースをプレゼントする為、そのワンピースを置いている店に父を連れて行き、其処の試着室で父にワンピースを着てもらった。
黒い生地にスカートの裾の辺りには赤や灰色などのラインの入ったレトロなデザインのワンピースを着た父が、試着室のカーテンを開いてわたしの前で少し困った様子で居たが、わたしは「似合ってる」と喜び、父もわたしのプレゼントを有り難く受け取ってくれた。

一方、わたしは自分の部屋で寝ていると姉が遣ってきて、姉とわたしはまだ関係が悪いままであったが上下別々の上は半袖のカットソー、下はタイトスカートを姉にあげようと考えていた為、それを試着してもらった。
姉はあまり気に入らない様子で、タイトスカートに付いたままになっていた値札の4700円を見て、姉はこれを買ってやると言った。
わたしはプレゼントするつもりだったが、姉がそう望むならとそれに承諾した。

場面は父との時間に戻り、わたしと父は其処のデパートを出る為、広い階段を登りながら話をしていた。

そして場面は変わり、わたしは姉の運転する車に乗っていた。
姉はわたしに、お父さんとの、これからの話をしようと言った。
それを意味するのは、わたしたちがお父さんを喪うことを、どのように耐えて生きて行くか、という話だった。
わたしはお父さんが近いうちに居なくなってしまうことを何となく気付いていたが、それを考えることから逃げていた。
でも姉は今からそれに向き合おうとしていて、今から考えておいた方が良いとわたしに話したのだった。

四歳で母を亡くしわたしが母の記憶を喪ったのは、母がわたしが父を母のようにも愛するようにと願ったからなのか。
わたしにとって父は母でも在り、父のなかに居る母に、あのワンピースをプレゼントしたのだろうか。
スタイルのとても良かった母があのワンピースを着たら、良く似合ったことだろう。



消マは今も、黄昏る咥内停留所でひとり、列車を待っている。
だれがために、噴火するのか。
消化している最中のマグマのエネルギーとは、複雑で神妙なエネルギーである。
それでも消マは、己れの存在に、たったひとり、耐えねばならない。
生まれてしまった存在とは、消滅するその瞬間まで、生きなければならないからである。
だれがために、消化するのか。
噴火したいだけ、噴火して、本当にすべてを喪ってしまった存在は多いであろう。
何故ならばマグマとは、存在そのものを構成する固体が溶融したもの、生、そのものを構成する固体が溶融して存在するようになったマグマを噴出させ続けるものは、いずれ死を迎えることを、避けられない。
帰するところ、怒り、瞋恚(しんに)のエネルギーだけが、マグマと成り、どんどんと高温になってゆくのではないのである。
わたしはそのマグマを、一体何に消化し続けているのかというと、わたしはマグマを、愛として消化している。
それがわたしの存在課題である。
でも今、消化されていないすべての消化不良マグマである不魔の存在を想う時、わたしが哀しむ。
わたしはマグマを消化し続けることで生きている存在に過ぎない。
いずれは不魔をも、わたしは消化してゆくだろう。
彼は、わたしにずっと、こう請う。
俺を、消化しないでくれ。死が怖い。御前が俺を消化するなら、俺はきっと死ぬるのであろう。
御前に消化される為に、俺は消化不良マグマとして存在するようになったというのか。
だとしたらなんという残酷なことだろう。
俺だって、結婚もしたいし子供も授かりたい、でもそのあとなら御前に消化されても良いという話ではなく、俺はずっと、俺という存在として、生きてゆきたい。
御前は俺の請願を、愚劣で軽薄なものとして取り合わず、御前が生きてゆく為に消化(こな)すつもりか。
誰が為に、御前は俺を消化するのか。
御前も俺も生きてゆく道が、本当にないのだろうか。
それに何故御前は咥内へ向っているのかわかっているのか。逆流であるのだぞ。
口は出入り口であるが消化されたものが口から出るとは嘔吐、吐瀉であり御前の噴出するものとは吐瀉物であり、それが言葉となるなら言葉のゲロだ。
御前はマグマを、愛として消化していると言ったな。
でも御前に言っておく。それは愛だとしても、詮ずる所、愛のゲロだ。
通称、愛露(あいろ)、そいつが生まれるだけだ。



不魔は、丸太壁でできたロッジ宿の共有スペースのダイニングテーブルの前に座ってゲロみたいな見た目のシチューを食べながらふと、右手の窓の向こうに広がる暗い景色を眺め想った。
何もかもが、まるで絶望的に想えてくるではないか。
此処から、消マの頭蓋内のこの空間から、脱出する方法はないのか。
壁時計を見ると時間は午後の九時半過ぎである。
時間は確かに過ぎて行っているようだが、あまりその感覚にない。
時間が過ぎて行っているということは、俺が消マに消化される死の宣告時に向って進んでいっているということであろう。
死刑囚の気持ちが、わかってくるようだ。
でも俺の罪とは、果て何か?
消化不良マグマとして誕生してしまったこと、それが俺の罪なのか。
気付けば消化不良マグマとして存在していた。ただそれだけなのに、刻一刻と、処刑台へ向って進むこの時間を、此処で独り、耐え忍んで過ごして行かねばならぬなど、許せぬことぞ。
俺を誕生させたのは誰か?純粋マグマが、御前に消化されることがなければ、消化不良マグマなど、存在することもなかっただろう。
消マ、御前の存在に因って、俺が存在するようになったんだ。
此処は御前の頭蓋内部なのだから、俺の声が聴こえぬ筈はない。
俺が御前の存在に由って誕生したということは、畢竟、俺という存在とは、御前の息子のような存在なのではないのか。
嗚呼、何と言う私利私益からの生殺与奪!俺と言う存在は、何と言う悲しき定め。
御前は俺の父親である為、子の俺を生かすも殺すも、その喜びを与えるも奪うも御前の私意次第であるということか。
まるで俺とは、母親の胎内から抜け出すことのできぬ親に殺される日を恐怖して生きる堕胎児のようだ。
敢えて今から、消マ、御前のことを御父(みちち)と呼ぼう。
御父よ。わたしの声を御聴きください。
何故、貴方の息子であるわたしを、消化せねばならないのですか。



消マの頭蓋内部の宿の一角が、ぐつぐつと煮え滾り、消マは気が朦朧とした。
確かに不魔は、わたしの存在によって誕生したわたしのひとり子のような存在である。
わたしが親で在る限り、不魔を愛する必要があるだろう。
しかし一度愛してしまったなら、どうしてそれを消化することができようか。
何故、わたしはマグマを消化するのか?
それはわたしが消化マグマとして、存在してしまったからである。
存在に逆らう時、一体どうなってしまうのだろう。
























プロフィール 1981生 ゆざえ

ユザエ

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