寝て、約四時間後くらいに目が醒め、寝れなかった。俺は。
訪問者が一日にだれ一人居なくても、俺は書き続けなくてはならない。
とにかく自分の内にあるものを外へ表現することを死ぬ迄遣り続けなくてはならない。
昨日もこのブログには、誰も訪れなかった。
一日に何時間と費やし七千文字以上書いても、誰ひとり俺の記事を読みに来る人は居ない。
働く人なら、自分の仕事が誰かの役に立っていると自負することができるのだろう。
でも俺の書く小説を、一体死ぬまでに誰が真剣に読むだろうか。
一体俺の仕事とは、誰の役に立っているのだろう。
毎日が寂しくてたまらないが、想わば新潮新人賞に応募した作品を書いていたあの3ヶ月程の期間も、俺はほぼ誰とも会わず会話せずの日を過ごし、苦しくてならなかったが、その苦しみがあって、あの作品を完結させられたのだと想っている。
もしかしたら或る遠い星に住む孤独な人間が、その高度文明によって離れた地球という星に住む俺の生活をずっと観察、監視しており、俺の小説を心から楽しみにしているやもしれまい。
そうだ孤独な彼の為にも、俺は死ぬ迄、書き続けよう。
俺は何があっても、諦めない。
この世界の全員に、面白くないと言われようと、俺は書き続けるったら、書き続けるかんね。
表現を、創造を、絶対に、やめないんだかんね。
そういえば今日は夢にスウェーデンのラッパーのYung Lean(ヤング・リーン)が出てきた。
何か彼との深い絆を感じる温かい夢であった気がする。ヤングの深い愛を、俺は確かに受け取ったぜ。
去年に出した「Stranger」っていうアルバムも滅茶苦茶良いんだよね。
こんなに癒されるヒップホップが他にあるだろうか。本当の天才だと想う。
俺が14歳のときに彼が産まれ、彼はこの21年、色んなことを経験して生きてきたのだなあ。
そういうことを考えると、本当に感動する。
同時に、とてつもなく悲しくなる。
彼奴は俺が死んでも、どうでも良かったから、俺にハラスメントをやめなかったんだ。
俺があらゆる経験を通してこれまで三十六年間必死に生きてきたことを、彼奴は感動してくれないのだろう。
このようにいつも、俺は喜びを少しでも感じた瞬間、同時に悲しみを感じてしまうようだ。
そしてこの喜びが、深ければ深いほど、俺は悲しみの底に突き落とされてしまうようだ。
悲しみはどのようなものもやがて、悲憤のマグマを誕生させ、マグマを消化してゆくことをしないなら、はらわた内でずっと消化されないマグマが己れと、他者を、苦しめ続け、最後には破滅させようとする。
他者に対する怒りとは、自分に対する怒りそのものである。
自分に怒り続けている人間ほど、必死にそのマグマを消化し続けていかねばならない。
どうすれば煮え滾り続けるマグマを消化してゆくことが出来るか。
自分と毎分毎秒、向き合い続けてゆくこと、自分から目を逸らさず、どのような自分をも隠さずに表現してゆくこと。
自分を、肯定してゆく作業は、他者を、肯定してゆく作業である。
自分を否定し続けるものは、他者をも否定し続ける。
互いに苦しめ合い、互いに破滅してゆくのか。
俺はどうしても、最後まで、自分と向き合い続けて生きたい。
すべてとの心中を、俺は望まなかった。
でも自分と向き合い続けていかない者は、すべてとの心中へ向っている。
消マの頭蓋内世界に閉じ込められてしまった不魔にとって、生きることとはなんだろう。
不魔は、何か悪いことを行なったからこうして閉じ込められて消化される日を恐れなくてはならないのではなく、真当な善き人間として生きていても、いつの日か必ず消化され行く運命にあるのである。
不魔は、宿の個室のベッドに横になり、レースカーテン越しの窓の外の暗闇を見詰めながら自分の運命と自分を救うことのないすべてを呪った。
不魔は、愛されたいと願った。
消化され行く日を免れないというのならば、せめて本当の愛を知ってから、死にたいと想った。
本当に愛する女に出逢い、愛されることを知るのならば、死に対する苦しみは安らぐだろうか。
それとも一緒に死にたくなるほど、今よりずっと苦しむだろうか。
不魔は生々しく想像してみた。
愛する女の顔は見えないが、まさしく女は俺のたった一人の愛する女であり、女にとっても、俺がたった一人の愛する男であるようだ。
なんという幸せであろう。人間というのは、たったそれだけで幸せになれるというのか。
顔の見えない女は、俺が仕事から帰るといつも、キッチンに立っている。
俎板の上で葱かなんかを刻んでいる。良い音だ。何故か、懐かしい音だ。
エプロンで手を拭きながら俺に微笑みかけ、「おかえりなさい」と言う。
俺はそれだけでほっとすることだろう。毎日の繰り返しでありながら、同じことを繰り返すことに安心する。
小さな円形のテーブルを囲んで女と晩餐を共にしながら、俺が女に話すことや、女が俺に話すことは、きっとなんでもない、特に内容のない話なのだろう。
近所のスーパーのレジ打ちをしているおっちゃんらしき人が、実に神経質そうで繊細な心の持ち主なような気がするのだが、あのような人がああいった単純な単調作業を何時間とし続けることを想うと、自分も苦しくなってくる。
でも本当のところはどうだろう。本当はこの仕事が楽しくて仕方ない、うきうきわくわくしながらレジを売っているかもしれない。そんなことに憂う自分は変なのか知らん。
多分そういったことを、俺の愛する女は俺に話すのだろう。
俺はははは。と笑い、きっとこう答えるだろう。
「ああ、おまえは多分、かなり変だ。でも誰に気違いだとか言われたって気にすることない。俺はそんなおまえだけをたったひとり、愛しているのだからね。はははははは。おっさんのこと考える時間をすべて、俺のこと考えてくれへんか。」
女も俺にくったくのない少女のような顔で微笑み返す。
嗚呼、俺の愛する女はなんと可愛いのだろう。こないだ俺の浮気を疑って、包丁持って追い駆けてきて、ケツを深くズブと刺されて血が止まらず死に掛けたが、ははは。なんて可愛い女なのだろうか。
女は俺しか見ていないのだ。女には俺しか見えていない。
それなのに、俺の女はいったい、俺が居なくなればどうなるんだ。
不魔は眼を見開き、滂沱たる涙を流し想った。
いったいこんな妄想をして、誰が救われると、俺は想ったんだ。
続く。
そうだ。楽天銀行で、宝くじを買い、百万円かそこらを当てて遣って、その金でこのくろごきぶりちゃんと恐怖の同棲し続けなくてはならないこの部屋を引っ越したらええんや。と俺は想い、楽天銀行の残高を見てみると、残高203円であった。
買えないですや。これじゃ買えないですや。
俺は諦め、いつもの思索と黙考をし始めた。
俺の本ブログに、執拗に悪質で幼稚なハラスメントをしてきたあの45歳の男は、一体、何を俺に求めてたんやろな。と俺は想った。
ただファックがしたいとか(俺はヘテロであるのだが)、俺を差別し見下すことで優越感に浸りたいとか、俺を騙して苦しめることがただ単に快楽な軽薄なサドか、おるだけへの執着でなく、誰にでもあんなハラスメントをしているのか、俺にハラスメントしないでは拷問のような地獄にいて、切実な救いを求めてなのか、好き勝手ごろつきとして働かず酒を飲んでロハスに生きて表現だけを一筋に遣っている俺への妬み、嫉妬からか、俺が男という生き物を見下していると感じ、それに対する恨みからか、俺が人間という生き物を見下しているという感じがし、それに対する腹立ち紛れの自爆行為か、ともすれば、彼奴にとってのハラスメントとは、俺への最高の愛情表現なのか、彼奴はそれを遣れば俺を喜ばし、俺を幸福にできると想ったのか、彼奴は俺と結婚したかったのか、彼奴は今も、何処を観ているのだかわからんような目で今も真っ直ぐに前を向いて歩いているのか。額に汗しながら、呻きながら、魘されながら、絶望しながら、遣りたくもない肉体労働をしながら、安い給与で、彼奴は今も、腰を痛めることを懸念しながら、彼奴は今日も、明日も、明後日も、明明後日も、一月後も、一年後も、十年後も、三十年後も、生きているのか。息をしているのか。誰一人からも、愛されずに。
俺が彼奴を見離したから、彼奴は此れから三十年、本当に独りで生きてゆくのかもしれない。
でも俺は、彼奴を見離したつもりはない。
現にあれから毎日、彼奴のことを考えて、返事を待ち続けている。
あれから何日が経っただろう。まだ返事は何一つ来ない。
彼奴の方が、俺を見棄てたのではないのか。
俺はいつでも、彼奴と真剣と向き合い話そうとしてきたのだが、彼奴はいつもふざけているようにしか見えなかった。
俺と彼奴、どちらの苦痛と悲しみが深いのか。
そんなもん、天秤に掛けられない。
永遠に、量ることはできない。
量ることができないものを、彼奴は簡単に、量って俺にハラスメントしてきたのである。
御前よりも俺の方が苦しんでいると。
安全圏から、御前は一体、何を偉そうな口を叩き腐っとるのだと。
俺は御前よりも危険圏に生きていて、御前は俺より安全圏に生きていると彼奴は俺に言いたいのである。
そうやって相手が自分よりも楽に生きているということを自分のなかで確立させ、信じるために、そうしてこの地獄から救われる為に、彼奴はそれを俺を殺してでも俺に伝えるために書き込んだのである。
俺を此処まで苦しめて、彼奴が苦しんでいない筈はないやろう。
否、今はまだほくそ笑んで生きていたとしても、今後、一体、何が彼奴を待ち構えておるやろか。
ははは、考えたら気色が良い話だ。彼奴は俺を苦しめ、自分が苦しみたかっただけだと俺は想っている。
今よりも、彼奴はドン底に堕ちたかったのだ。
そして俺という男は諦め、あらゆる孤独な女たちにすがり付き、助けてくれと懇願するのだろう。
俺を愛してくれと。一番に。特別に。
何よりも。何よりも俺を愛してくれないなら、ハラスメントするもん。
ぐすん。
赤ちゃんではないか。彼奴は赤ちゃんの時に、よっぽど愛されなかったのに違いない。
せやさかいに赤ん坊、乳呑み子から全く成長することができないのだ。
しかしその乳呑み子に俺が遣ったこととは、彼奴にとってのネグレストであったのかも知れないな。
俺は彼奴と、御前のような人間は絶対信用できないから、御前を信じて愛することは絶対にないという前提で俺は彼奴と向き合ってきたのではなかったか。
でもそんな俺に彼奴は、あたたかい赦しの母性愛と人生の厳しさを教えてくれる父性愛によって自分自身の肯定というものを一心に、求めていたのかもしれない。
彼奴は、本当に早急にそれを俺に求めすぎた。
でも俺はゆっくりと、死ぬまでの時間をかけて、たった独りで自らの表現だけによってそれを遣っていこうとしている。
一体、いつまで、同じことを遣り続けるつもりか、大体なんでそこまで俺に執着して来るのか、彼奴は。
俺が本ブログに戻ったなら、彼奴はまた同じようなことを遣ってくる気がする。
此れを父と息子で例えるなら、何度断っても小銭(数万円単位)を借りに来る甘えて精魂の腐りつつある息子に辛抱尽きて、自家の戸の前に、「わしは此処を引っ越すことにした。御前に、引っ越し先の住所を知らせることはない。何故ならば、御前は何べんゆうてもわからなんだし、わしも年金でかつかつに暮らしとるのに御前はわしの苦労もわかろうとはせなんだ。御前に貸す金は一円もないとゆうたやろう。なんで一回ゆうただけでわからへんのや。もうわしは限界や。あと何年生きられるかもわからひんさかい、もし遺せる金があるなら、御前にすべてを遣る。だから口座先は変えるな。わかったな。わしは銭など棺のなかに持ってってもしゃあないさかいにな。でも御前には必要であろう。生きて行く為の金や。わしがはよ去ぬことを願っとれ。達者で元気に暮らせ。しかしなんかあれば、テレパシーで送ってこい。ほなな、わしは去ぬで。」と書いたちらしの裏を貼り付けて、我がいえを後にする老いぼれた親爺のようである。
俺が大切な本ブログを断ったのは、俺の為でもあるし同時に、御前の為でもある。
父親が自分を棄て家を出て引っ越した後に、息子がどう変わって行くのかはわからないが、父親の願いとは一つである。
倅が自分の受けた苦しみと悲しみを知り、反省してテレパシーで真の謝罪と感謝を述べてくること。
そして人生とは、真に以て厳しいものであることを倅が漸く覚り、苦痛の連続の自分の人生を受け入れようとして人に迷惑をかけずに独りでも生きて行くこと。
自分を振った女が血税で酒を呑みながら人を見下すようなブログを書いていたとしても、嫌がらせのコメントを連投したりしないこと。
そんなことは、人間の最もみっともない恥ずかしい行為であるということを知ること。
もっとちゃんと生きて行けるはずである。
御前は人間の出来れば遣りたくない辛い肉体労働を好きでもないのに頑張れるほど根性のある人間ではないか。
自分の黒歴史をこれ以上増やす必要はあるのか。自分の業を、これ以上積み立てる必要はあるのか。ないのか。どっちなのか。
我が胸に、問い掛けて御覧なさい。
御前はこれ以上、自分を振った女にハラスメントし続けて生きて行く積もりなのか。
あの家に、どうしたら戻れるやろうか。
運と縁、それが巡り廻りて、戻れる日が、いつの日か、遣ってくるのかも知れん。
わし、生きとるかのお。
親爺は狭く、殺風景なアパートで一人、冷奴を充てに胡麻焼酎をあおり、舌鼓を鳴らした。
本当に消えかけそうな、蝋燭の火が、窓の向こうに見え隠れする。
訪問者が一日にだれ一人居なくても、俺は書き続けなくてはならない。
とにかく自分の内にあるものを外へ表現することを死ぬ迄遣り続けなくてはならない。
昨日もこのブログには、誰も訪れなかった。
一日に何時間と費やし七千文字以上書いても、誰ひとり俺の記事を読みに来る人は居ない。
働く人なら、自分の仕事が誰かの役に立っていると自負することができるのだろう。
でも俺の書く小説を、一体死ぬまでに誰が真剣に読むだろうか。
一体俺の仕事とは、誰の役に立っているのだろう。
毎日が寂しくてたまらないが、想わば新潮新人賞に応募した作品を書いていたあの3ヶ月程の期間も、俺はほぼ誰とも会わず会話せずの日を過ごし、苦しくてならなかったが、その苦しみがあって、あの作品を完結させられたのだと想っている。
もしかしたら或る遠い星に住む孤独な人間が、その高度文明によって離れた地球という星に住む俺の生活をずっと観察、監視しており、俺の小説を心から楽しみにしているやもしれまい。
そうだ孤独な彼の為にも、俺は死ぬ迄、書き続けよう。
俺は何があっても、諦めない。
この世界の全員に、面白くないと言われようと、俺は書き続けるったら、書き続けるかんね。
表現を、創造を、絶対に、やめないんだかんね。
そういえば今日は夢にスウェーデンのラッパーのYung Lean(ヤング・リーン)が出てきた。
何か彼との深い絆を感じる温かい夢であった気がする。ヤングの深い愛を、俺は確かに受け取ったぜ。
去年に出した「Stranger」っていうアルバムも滅茶苦茶良いんだよね。
こんなに癒されるヒップホップが他にあるだろうか。本当の天才だと想う。
俺が14歳のときに彼が産まれ、彼はこの21年、色んなことを経験して生きてきたのだなあ。
そういうことを考えると、本当に感動する。
同時に、とてつもなく悲しくなる。
彼奴は俺が死んでも、どうでも良かったから、俺にハラスメントをやめなかったんだ。
俺があらゆる経験を通してこれまで三十六年間必死に生きてきたことを、彼奴は感動してくれないのだろう。
このようにいつも、俺は喜びを少しでも感じた瞬間、同時に悲しみを感じてしまうようだ。
そしてこの喜びが、深ければ深いほど、俺は悲しみの底に突き落とされてしまうようだ。
悲しみはどのようなものもやがて、悲憤のマグマを誕生させ、マグマを消化してゆくことをしないなら、はらわた内でずっと消化されないマグマが己れと、他者を、苦しめ続け、最後には破滅させようとする。
他者に対する怒りとは、自分に対する怒りそのものである。
自分に怒り続けている人間ほど、必死にそのマグマを消化し続けていかねばならない。
どうすれば煮え滾り続けるマグマを消化してゆくことが出来るか。
自分と毎分毎秒、向き合い続けてゆくこと、自分から目を逸らさず、どのような自分をも隠さずに表現してゆくこと。
自分を、肯定してゆく作業は、他者を、肯定してゆく作業である。
自分を否定し続けるものは、他者をも否定し続ける。
互いに苦しめ合い、互いに破滅してゆくのか。
俺はどうしても、最後まで、自分と向き合い続けて生きたい。
すべてとの心中を、俺は望まなかった。
でも自分と向き合い続けていかない者は、すべてとの心中へ向っている。
消マの頭蓋内世界に閉じ込められてしまった不魔にとって、生きることとはなんだろう。
不魔は、何か悪いことを行なったからこうして閉じ込められて消化される日を恐れなくてはならないのではなく、真当な善き人間として生きていても、いつの日か必ず消化され行く運命にあるのである。
不魔は、宿の個室のベッドに横になり、レースカーテン越しの窓の外の暗闇を見詰めながら自分の運命と自分を救うことのないすべてを呪った。
不魔は、愛されたいと願った。
消化され行く日を免れないというのならば、せめて本当の愛を知ってから、死にたいと想った。
本当に愛する女に出逢い、愛されることを知るのならば、死に対する苦しみは安らぐだろうか。
それとも一緒に死にたくなるほど、今よりずっと苦しむだろうか。
不魔は生々しく想像してみた。
愛する女の顔は見えないが、まさしく女は俺のたった一人の愛する女であり、女にとっても、俺がたった一人の愛する男であるようだ。
なんという幸せであろう。人間というのは、たったそれだけで幸せになれるというのか。
顔の見えない女は、俺が仕事から帰るといつも、キッチンに立っている。
俎板の上で葱かなんかを刻んでいる。良い音だ。何故か、懐かしい音だ。
エプロンで手を拭きながら俺に微笑みかけ、「おかえりなさい」と言う。
俺はそれだけでほっとすることだろう。毎日の繰り返しでありながら、同じことを繰り返すことに安心する。
小さな円形のテーブルを囲んで女と晩餐を共にしながら、俺が女に話すことや、女が俺に話すことは、きっとなんでもない、特に内容のない話なのだろう。
近所のスーパーのレジ打ちをしているおっちゃんらしき人が、実に神経質そうで繊細な心の持ち主なような気がするのだが、あのような人がああいった単純な単調作業を何時間とし続けることを想うと、自分も苦しくなってくる。
でも本当のところはどうだろう。本当はこの仕事が楽しくて仕方ない、うきうきわくわくしながらレジを売っているかもしれない。そんなことに憂う自分は変なのか知らん。
多分そういったことを、俺の愛する女は俺に話すのだろう。
俺はははは。と笑い、きっとこう答えるだろう。
「ああ、おまえは多分、かなり変だ。でも誰に気違いだとか言われたって気にすることない。俺はそんなおまえだけをたったひとり、愛しているのだからね。はははははは。おっさんのこと考える時間をすべて、俺のこと考えてくれへんか。」
女も俺にくったくのない少女のような顔で微笑み返す。
嗚呼、俺の愛する女はなんと可愛いのだろう。こないだ俺の浮気を疑って、包丁持って追い駆けてきて、ケツを深くズブと刺されて血が止まらず死に掛けたが、ははは。なんて可愛い女なのだろうか。
女は俺しか見ていないのだ。女には俺しか見えていない。
それなのに、俺の女はいったい、俺が居なくなればどうなるんだ。
不魔は眼を見開き、滂沱たる涙を流し想った。
いったいこんな妄想をして、誰が救われると、俺は想ったんだ。
続く。







