ゆざえのDiery'sぶろぐ

想像の森。 表現の駅。 幻想の家。

『That they are loved.』 自分自身を最大に破壊して此の世を去ったロニー・マクナット氏が僕らに向けた最後のメッセージ

昨日、8月31日はわたしの愛するロニー・マクナット氏(Ronnie McNutt)の一年目の命日でした。


 


このブログで一番アクセス数の多い記事です。(一日に多くて7人以上の方が観に来られます。)
わたしの人生には幾つものトラウマがありますが、そのなかの三つのトラウマに、16,7歳の時(1998年頃)に観た死体写真、2018年に観たスナッフフィルム(GIF動画)、そしてロニー・マクナット氏の最後の映像があります。
この三つともが、すべて顔面を銃(銃と同等の破壊力のある凶器)によって破壊されたものです。
そのすべて、原形を全く留めていません。








これが、わたしが人生で初めて観たスナッフフィルムでした。
生の映像そのものではなく、生の映像をスローモーションにしているGIF動画を観ました。
その為、至近距離から破壊力の強い銃(弾丸)で撃った場合、人の顔面がどういう風に破壊されるか、よくわかりました。
この場合、顔面が粉砕されるというものではありませんでした。
粉砕するのではなく、額の真ん中を恐らく撃ち、その場所から両側に向かって顔(頭部)が半分に割れるという映像でした。
それがスローモーションで展開されていたので、わたしはその映像を、お酒を大量に飲んで覚悟して観ようとして観たにも関わらず、一瞬、観ましたが、一瞬後、とても直視することはできませんでした。
しかし、焦点を若干ずらした状態でも、人はそれがどんなものかを知る(観る)ことはでき得ます。
わたしはそれを観て、これは人類を最も破壊する方法(最も悍ましき人類による暴力)の一つであることを確信しました。
多くの人は、きっと想像もできないでしょう。自分の愛する存在や、自分自身の顔面が、同じように人によって破壊される光景を。
それはあまりに悍ましい光景であり、それを想像することすら堪えられないからです。
多くの人は、それを一度でも観てしまったなら、きっと後悔するでしょう。
自分自身の顔面を、自分の手によって破壊して死んだロニー・マクナット氏は、人々が”観たくはなかった”と心底悔いるもの、人間が、人間の作り出した凶器によって、その肉体(顔面)を根源的なまでに破壊して死ぬその瞬間を、人々に最後に観せて(残して)死にました。
わたしは未だ、”こんなものを観たくなかった”と悔いる人たち、また”トラウマとなるから早く削除するように”と促す人々に対して、深い悲憤が湧き上がります。
何故なら、そう言っている多くの人たちは、”観ればきっと、これまでみたいに肉を美味しく味わえなくなるから”という理由から、屠殺場の映像を決して観たくはないという意識(潜在意識)のなかに殺された動物の死体を味わって食べ続けている、自分の子供達にも食べさせ続けている人たちだろうと想像するからです。
最も残酷なことをし続けながら、最も残酷な方法で人の顔面が破壊されて死ぬ映像は観たくはないのです。
それは、あまりにも不快なものであって、そのような不快なものを自分の人生で疑似体験したくはないのです。
わたしはそこに存在している皮肉な有様の方がよっぽど不快です。
でも人々は、気づこうともしません。
わたし自身、十分に愚かな人間の一人ですが、その愚かさ(利己愛、Ego)にまで堕落したいとは願えません。
”トラウマ”となるのは、人々が堪えられないと感じる苦しみがそこに在るからです。
そしてその多くは、一生、人間の潜在的部分に残り続けます。
人々は、その潜在意識に存在し続けるトラウマの為に、自分では気づかないところでストレスを抱え続けることになります。
そして深いストレスを抱え続けることによって、人は様々な病を引き寄せ、発症します。
その一つが精神疾患であり、鬱病、PTSDなどです。
結果、その多くが容易に解決できないものなので人々は苦しみ続けることになります。
そうすると、多くの人はこう考えるかもしれません。
そうなると、最悪、自殺へと人は向かうだろう。殺人や、暴力的行為に向かう人もいるだろう。
わたしはイエスと答えます。自分のストレスに堪えられない人たちは、最悪な結果へ向かう可能性が高いです。
そして、潜在的に本当に深いトラウマを抱え続ける人たちは根源的に、このような深層心理に苦しめられ続けていると考えています。
「何故、わたしがこのような苦しみに苦しみ続けなくてはならないのか。”彼ら(自分ほどには苦しんでいないと感じる人々)”と、わたしに一体どんな違いが在るのか。何故、わたしの苦しみを本当の意味で理解しては貰えないのか。人々は、わたしの苦しみに対して所詮、他人事のように考えているのではないか。人々は、わたしが苦しみ続けるのはわたしが間違っている(愚かである)からだと想っているのではないか。人々は、根源的にわたしの苦しみを理解したいとは想っていないのではないか。」
この苦しい深層心理はやがて、自分の本質的な存在(神なる存在)や、他者へ投影されて向かいます。
また、内なる自分自身の影から、常にこう責められ続けることになります。
「おまえは根源的に駄目(失敗)だからおまえの苦しみのすべてを理解しようとする者などいない。人々がおまえほどには苦しんでいないのは、おまえほどには失敗してはいないからである。」
このような心理は、常に顕在意識に在るものではありません。最も深い意識のなかで、人は自分自身を責め苛み、虐げて否定し、罰し続けているのです。
そしてその深層意識は何かの切っ掛けでトリガーを引きます。
ロニー・マクナット氏は、最後の放送をFacebookで開始する前に、最後のFacebookに、こうメッセージを投稿しています。




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Someone in your life needs to hear that they matter.
That they are loved.
That they have a future.
Be the one to tell them.

『君の人生(生命)の中で誰かが、彼ら(自分、君)が重要であることを聴きたいと思っています。
(彼ら、君が)愛されていることを。
彼ら(君)には未来があります。
彼ら(自分自身)に伝える人になりなさい。』




わたしの翻訳が正しいかどうかわかりませんが、自分と他者をひとつのものとして考えているスピリチュアルな意識のなかにエンパシーを大切にして生きていた彼独自の暗号めいた最後のメッセージであると感じます。
決して”君は僕を愛していることに気づいて、それを素直に僕に伝えるべきだった”というような利己的なメッセージではないことはわかります。
しかし、暗喩的に”僕にも未来が在る。でもそれはもうすぐ喪われてしまうだろう。”ということを表しているかのようにも感じます。
想像し続ける必要がありますが、結果として、彼は自分のLife(生命、人生)を自分自身で最も凄まじい方法で破壊し、その未来在る生涯を終えました。



ロニー・マクナット氏の友人ジョシュア・スティーン氏は、”マクナット氏が職を失った、家を失いかけた、または個人情報を盗まれたという報告は真実ではないと述べました。”
しかし恋人と最近別れたこと(恋人から愛されていないと確信したこと)は恐らく彼がトリガーを引く切っ掛けになっただろうと想います。
そしてもう一つの切っ掛けはアルコールを大量に飲んだことや、(飲んでいたかもしれない)向精神薬も関係しているかもしれません。
人が絶望の果に死を選択するとき、自分の内なる闇が、自分(光)を覆って、包み込んでしまうのではないか。
ですが、どのような切っ掛けが起きかけたときでも、自分自身が本当に愛されていることを素直に伝え続けてくれる存在がいたならば、人はどんな苦しみのなかにも自分や他者を破壊する行為には出ないとわたしは感じます。
その存在とは、自分の外にいる存在ではありません。その愛を感じられるのは、それが真の愛であると認識できるのは、内なる自分しかいないからです。
それゆえその愛を発する者とは、宇宙で自分自身だけであるのです。

人は、本当の苦しみのなかにずっと生きて、自分自身が本当に愛されているという確信のなかに生きるとき、人の自殺映像を”トラウマになる、不快だから”という理由で”堪えられないもの”として判断し、それを避け、忌み嫌うでしょうか?
そして、その状態で生き続けていても、無残に殺された動物の死体を味わって悦んで食べ続けるでしょうか?

わたしの言いたいこととは、一年前の記事から変わっていません。
人は、本当に苦しくてならない現実を見つめ続けない(潜在意識においても苦しみ続けない)限り、”弱い(利己的な)”ままであるのだということです。
強くなる(愛を学ぶ、利他愛に目覚めてゆく)為に、トラウマ(本当に苦しい現実を知ること)を経験することを恐れず、みずからそれを求め、トラウマを背負ったのならば、人一倍に強くあらねばなりません。
ロニー・マクナット氏は、それがわかっていたように感じます。人が堪えられないほどのトラウマを背負ってしまったので、自分は強くなければ(強くなれないなら)、最早、生きて行けない(堪えられない)だろうということがわかっていたように感じるのです。

最後の彼のメッセージ


Someone in your life needs to hear that they matter.
That they are loved.
That they have a future.
Be the one to tell them.
『君の人生(生命)の中で誰かが、彼ら(自分、君)が重要であることを聴きたいと思っています。
(彼ら、君が)愛されていることを。
彼ら(君)には未来があります。
彼ら(自分自身)に伝える人になりなさい。』


を、彼(僕)自身に置き換えたいと想います。

『僕の人生(生命)の中で僕自身が、僕が重要であることを聴きたいと思っているんだ。
僕が(僕によって)愛されていることを。
僕(僕のなかの君)には未来がある。
僕は、僕にそれを伝える人になれ。』

限界のすれすれのところでずっと彼が生きてきたならば、このようなメッセージを常に自分自身に向かって彼は聴かせていたのではないか。

わたしは、ロニー・マクナット氏が、弱さの為にあのような最後を迎えて自分を破壊して死んだとは想っていません。
つまり、彼は”例外”であっただろうと感じています。
例外の自死、それはイエス・キリストと同じ、”自己犠牲の自死”というものです。

誰かが、”死”を選んだとき、その人が、”何に”よって死を選んだかを人々に深刻に考えて欲しいと願っています。

弱さ(ただただ生苦からの解放を求める意識)からなのか、弱さとは別の、”何か”からであるのか。

わたしは多くの人は、前者になるだろうと感じていますが、自分を破壊することで、人々に本当の愛を教えようとする自死もあることを知っています。
がしかし、それを賛美するべきだと想っていません。
何故ならば、それはわたしたち残された者たちが、想像し続けることでしか、真の自己犠牲としての自死というものは何処にも存在していないからです。
その行為は、どのような意図があろうとも、あくまでも”自分を殺す”、”自分という一人の人間を殺す”行為になります。
魂は、その行為に対して、完全で公平な報いを受けることになります。
多くの、自殺した魂は時間の存在しないその闇のなかで独り、永久に続くと想える苦しみを経験し続けることでしょう。

わたしは本物の覚者による自己犠牲であるという確信のない自死のすべてを賛美しません。
死ぬこと以上の価値が(地球で生きることの価値はもう)存在しない聖者でないならば、人はみずから死ぬより、すべてのカルマを贖ってゆく為に、生きることでの経験を通して学び合い、助け合い、影響し合う為に、この地上(天界)で生きてゆくべきなのです。

あなたは、あなたにそれを伝える人になりなさい。

そう、彼の声が、わたしの闇の底から湧き出る清らかな泉のように静かに、聴こえてくるのです。













IMG_4071
敬愛なるロニー・マクナット氏の優しい笑顔























Dead Bird ー全ての死と悪の母体ー

※『性風俗産業の市場規模は推計2.3兆~3.6兆円ほど、化粧品(2.5兆円)や酒類(3.6兆円)市場と同程度で、2015~2017年の推計では性風俗の店舗数は全国に1万1500~1万3000店で、これは大手コンビニ「ローソン」と同じくらいの規模である。』










殺したい人の数だけ死んでゆく。
この世界では,僕が殺したい人の数だけ死んでゆく。




Raw飱というコンビニエンスストアで新商品が売り出される。
商品名は"dead bird"
人間という生物の雌は何よりも美味しいという謳い文句と共に大量生産され始めたのは,紀元前5世紀以前からで、誰も憶えていない。
俺は良い商品を想い着いたなぁ。
君は可愛い。君はきっと売れる。君のクローンたちが毎日大量に俺のコンビニエンスストアに運ばれて来るのは,君の創造者は俺だからだよ。知ってた?アハハ。君は利口だ。それくらい分かるだろう。君はただ胸をはだけて股を開いて黙ってたら良いんだ。君はdead birdという商品だ。何も考えなくて良い。君を買う者は君にこう言う。さあ、君を存分に味わわせてくれ。税込550円も君を買う為に僕は支払ったんだ。僕の脳内に快楽物質が垂れ流し続けるほどの快楽を味わわせてくれ。返品されたいのか?されたくないならば上半身を裸にして、乳首をいやらしく触れ。なんだその無表情は?お前はdead birdという商品名だからって、そう死んだ鳥らしくする必要はないさ。嗚呼,そうだ!喘げ!叫べ!絶頂に達する断末魔を俺に聴かせろ!俺のこの肉なる剣でお前の肛門から口腔まで串刺しにしてやる。嗚呼、君は素晴らしい商品だ。君を作ったのは俺だ。これでまた一儲けできる。君が飽きられるまで,君は売れ続けるだろう。君は美しい。君は二度と、大空を羽ばたく日は来ない。君は忘れられる。消費者たちが君を味わい尽くした後、誰もが,君を忘れる。何も恐れなくて良い。君は人間の雌という生物だが,死んでるも同然だ。君たちが妊娠したら,胎児は取り除かれ,その死体は、国立遺伝学研究所へ運ばれ,腎細胞は人間の人口数のバランスを取る為の殺人兵器として活用される。人間はそれらを人工添加物やワクチンなどで体内に摂取し,免疫力を失って早くに死ぬ。君はその殺人兵器の母、人間の死の母体。できれば永久的に存在させたいが、人間という愚かな生き物は飽きやすい。人肉が飽きたら豚肉、豚肉が飽きたら牛肉,牛肉が飽きたら鶏肉、鹿,馬,羊,七面鳥,カンガルー,犬,猫,山羊。彼らは本当に野蛮で,見境がない。俺たちはその点,人間しか食べない。人間しか美味しくないのでね。君たちも性のすべてを搾取されたのちに生きたまま解体され,殺されて食べられる。人間が行い続けていることだ。君たちはそのカルマを精算しなくてはならない。君たちは犠牲者であり、神の生贄だが、同時に大罪を犯し続けてきた罪人、最も悪なる生命の拷問地獄をどの存在よりも最初に強制させた者。君は憶えている。君は,全ての悪の母。
その時,コンビニエンスストアの自動ドアが開き,一人の若い男が入って来てレジカウンターの前に立ってすかさずジャケットの内側から拳銃を取り出し店員の男の額に銃口を突き付けて言う。
「彼女を渡せ。」
店員はニヤニヤした顔で応える。
「お客様,大変申し訳ございませんがこちらはダミー(サンプル)で生きておりません。ええ、人形と変わりありません。お客様の性的欲望を満足させることはできないでしょう。奥の部屋に,生きている本物の商品がありますから、少々お待ち下さい。それをわたくしが今すぐに御用意致しますから。」
若い男はレジカウンターの横に置いてある椅子に静かに座っているdead birdの頬に震える左手を,伸ばし,それに触れる。
そして低く,途切れ途切れに言う。
「これの…何処が…生きていないんだ。」
店員はアンドロイドのように機械的な口調で応える。
「冷たい鶏の死体を揚げたあとのチキンナゲットは温かいですが、それは生きていません。それと同じですよお客様。」
若い男はdead birdに向かって言う。
「君はそれで良いのか…?良いはずなんてないだろう…。」
店員はdead birdに向かって言う。
「さあお客様に見本をお見せなさい。」
するとdead birdは着ている白いワンピースの胸のボタンをすべて外し、開こうとした瞬間,若い男は店員の額を撃ち抜く。
肉片がdead birdの腹に飛び散って落ちる。
若い男はdead birdの右手を引っ張り、レジカウンターの上に乗せようとする。
店員の肉片は早くも崩壊して自己融解し、dead birdの臍の穴から入り,子宮の奥へと侵食し、全ての筋繊維と心臓と脳へと達しようとしている。
店員はすべての霊魂を破壊して永久消滅させるパラサイトのオーバーソウルだったからである。
若い男はレジカウンターを飛び越えdead birdを抱き上げると走って店の外に出る。
目の前の紫のネオンライトが反射するコールタールの道路にタクシーが停まる。
若い男はdead birdを抱えて乗り込む。
タクシーの運転手の小柄な男は振り返らずに言う。
「このタクシーはより良い地獄か、より悪い地獄にしか止まりませんが,良いですか。」
若い男は即答する。
「Sure.」
道の先は二股に分かれている。
若い男は抱いているdead birdの身体がどんどん小さくなって少女化していることに気づく。
早く…早く決めなくては…右か左…。彼女(dead bird)の子宮か…拷問処刑場…。
若い男が迷っているとdead birdの肛門から出てきた白い蛇状の虹色に光る太いハリガネムシのような寄生虫が彼女の口腔へと全身をくねらせながら入り込んでゆく。
彼女の虹彩が虹色にスパークする。
どうやら今,彼女の体内でそれはウロボロス状に繋がって一つの輪となったようだ。
若い男は全身から脂汗を垂らし,まだ迷っている。
苦痛からなのか、快楽からなのか,dead birdは全身を激しく痙攣させ、右手の人差し指で右の道を指し示す。
若い男はdead birdを強く抱き締め、タクシーの運転手に告げる。
「右だ。右に行ってくれ。」
タクシーは静かに発車すると夜の暗闇のなかを走り続ける。
若い男はdead birdの口腔と肛門を外界と内界で繋ぐ虹色に光る白蛇のような寄生虫の硬いクチクラの表皮を優しく撫で、囁くように語り掛ける。
「もうすぐお前は終る。すべての悪。すべての悪の母。すべての死と悪。お前を僕が,終らせる。必ず。」
若い男は,気付けば眠っている。
タクシーの運転手の声で目が醒める。
「お客様、真に残念なことですが,お客様が選んだ道は確かにより悪い地獄へと続く道です。しかし、一つだけ,逃れる方法がありますよ。」
若い男はdead birdの姿を見ると彼女はちょうど9歳頃の姿となっている。
寄生虫は彼女の体内に隠れているようだ。
「それは…それはどんな方法だ。教えてくれ…。」
若い男は両手で顔を覆い,涙を流しながら言うと、タクシーの運転手は気味の悪い顔で振り向き、酷い腐敗臭の息を吐きながら言う。
「その愛らしい少女を,わたしに差し出しなさい。そうすればあなたは、必ずより悪い地獄を逃れ,より良い地獄へと向かい,確かに彼女の子宮に辿り着く。」
「死の鳥(dead bird)を、渡すわけには行かない。これは僕の母なんだ。誰によっても,凌辱させるわけには行かない。」
「お客様、良く御覧になりなさい。それはダミー(サンプル)であり、本物ではありません。それは死体であり、生きてはいない。あなたの母なる本質は,そこにはありません。」
若い男は,すやすやとあどけない表情で眠る愛おしいdead birdの胸に手を当てる。
鼓動を感じられない。これは確かに生きていないようだ。しかしあたたかい。人間の体温とは,なんとあたたかく、心地好いのか。これは生きてはいないのに,どうして…。
「お客様、そのあたたかさは、死んだ(殺した)鳥を揚げて,少し冷ましたものと同じあたたかさであり、それは生きているあたたかさとはまったく違うものですよ。あなたにはまだわからないのでしょう。あなたはまだ、生きたことがないから…。」
タクシーの運転手はそう言うと契約の証として、透明な水晶でできた心臓を若い男に差し出す。
「わたしが、あなたの代わりに、これを終らせてあげましょう。そして、あなたは、生きるのです。生命を手にするのです。それは永遠に,いつまでも、存在し続ける。これが、わたしとあなたとの約束です。さあ、あなたの生命をお受けなさい。」
若い男は,最早ほかに方法はなく、仕方なく,妥協してその透明な水晶の心臓を受け取る。
その瞬間,少女は男の手に渡り,目の前の広がる光景のなかで、男は若い男に見せる。
そこには、一つの透明な水槽が四つに分けられ,その一つにはたくさんの黒ずんだ小さな手首が転がっている。
まるで人形の一つのパーツのように。
もう一つの水槽には、黒ずんだ小さな足首が幾つも容れられ、他の二つの水槽に容れられるものは自ずと予想が着く。
それは頭部と胴体であるだろう。いずれも黒ずんだ…。
そして残りの両腕と両脚は、白々と,墓碑のように灰の上に突き刺さっている。
また灰の地上をのたうつように這っているだろう。
そう想像する今,現実に,若い男の目の前で少女は醜い男から逃げ回り,そして捕まえられる。
醜い男は、取り押さえた少女の足首目掛け,小さな斧を振り下ろす。
切断された少女の足首が転がり,少女は苦痛に叫ぶ。
そして、今から先に起こるさらなる地獄,より悪い地獄を想像して絶望の表情で中空を見つめる。
見開いた白い瞼からは、今にも眼球が零れ落ちそうになっている。
僕は、僕は何をしたのだ。
若い男は,みずからに問う。
男は若い男の耳元に囁く。
「あなたはもう戻れない。あなたは生命を手にした。永遠の生命を。これからずっと、ずっと、あなたはみずから、より良い地獄か、より悪い地獄を選び取り,どちらかを経験し続けるのです。それが、生命というものなのです。生命から受けた"わたし"の報復は,永遠に終らせることはできません。それは,"わたし"に対する報復です。」
若い男の目の前で虹色に光る白蛇のような寄生虫はやがて黒い鳥の姿に変化し,最後に黄金の牡牛の姿となる。
僕は,目を覚ます。
屠殺場の冷たいコンクリートの床の上で,皮を剥がされた血まみれの切断された牛の頭が,自分の熱い血溜まりのなかで、こう囁いている。


殺したい人の数だけ,死んでゆく。
この世界では,僕が殺したい人の数だけ,地獄の底で死んでゆく。













































Sadness of Butterfly~紋白蝶の悲しみ~



最近、また青虫を育てていた。
たぶん良く行く近所の農家直売店から買ってきた無農薬の小松菜に付いていた子だと想う。
5月8日くらいの日、キッチンの壁に青虫が張り付いていた。
わたしはそれを虫籠に入れて小松菜をまいにち換えてやって大事に育てた。
青虫はやがて早くも蛹になり、そして5月20日には無事に羽化した。





薄く羽根が黄色がかっているように見える紋白蝶だった。
蝶を青虫から育てたのは何度もあるが、昔はいつも寄生蜂にやられて死んでしまう子ばかりだった。
無事に羽化させられたのはこれで二度目だったかも知れない。
でも彼(彼女)をすぐに外には放せなかった。
毎日のように豪雨と強風が荒れており、こんな中に外に放つのは可哀想だと想ったからだ。
たから昨日の5月23日にやっと晴れて、朝にベランダの植木に水をやったりコニファーの枯れた部分の剪定を行ったあとに近くの巨大な公園に放しに行った。
ちょうど午後12時過ぎで、久々の雨上がりの公園は嫌になるほどに人が多く、公園を入ったあと二人の男性が網を片手に帰ってくるのを見掛けた。
嫌な予感がした。
でも此処の大きな花壇には色んな種類の花が咲き渡っており、紋白蝶を放つのに最適な場所に想えた。
わたしは此処以外に、良い場所は想い付かなかった。
半ば不安が募る暗い気持ちで、わたしはその花壇に向かって彼(彼女)の入った虫籠を入れたエコバッグを方から下げて歩いて行った。 
広い円形花壇に着いて、見渡せば大きな薔薇の花がたくさん咲いていた。
そこへ紋白蝶が飛んでいた。此処へ放せば、すぐにパートナーが見つかるかもしれない。
わたしは彼(彼女)が幸せに暮らしている様子を想像して嬉しくなった。
するとそのとき、その花の蜜を吸っている紋白蝶に近づき、手でそっと掴もうとしている若い母親の姿が見えた。
近くには小さな男の子がいた。
わたしは子供のために捕まえようとしているのかと想ったが、もしかしたら彼女自身も蝶が好きなのかもしれないと想い、声をかけた。
「蝶が好きなのですか?」
彼女は逃げられた蝶を追う目をわたしにやって振り返り、答えた。
「いえ、息子の為に捕まえようかなと想って(笑)」
わたしは虫籠をその若い母親に見せて言った。
「この蝶、わたしが育ててた青虫から羽化したんです。三日前に羽化したけど、ずっと雨だったから放せなくって、でも今日、久々に晴れたので連れて来たんです。」
彼女は少し驚いている様子で小さな虫籠のなかにいる紋白蝶を眺め、感心して「へ~!すごいですねぇ。」と言った。
無農薬の小松菜に付いていただろうことや結構早い段階で羽化したことを話したあと、見に来た彼女のちいさな息子に紋白蝶を見せてわたしは言った。
「羽化したんだよ~。」
「羽化」という意味さえきっとわかっていないのだろう、その幼い男の子は特に関心も寄せず、飛んでいる蝶を探すようにすぐに離れて行った。
わたしはその場を離れ、此処よりももっと花のたくさん咲いている円形花壇の中心のところまで歩いた。
そして大きな赤い薔薇の花が元気に咲いているところに放つことを決め、花壇の前で虫籠の蓋を開けた。
iPhoneでビデオに撮りながら開けて、少しのあいだ彼(彼女)は蓋に付いたまま離れなかったが薔薇の花に近づけるとひらひらと飛び立った。
その様子をビデオで追い、彼(彼女)に別れの言葉を掛けた。
「元気でね。」
「達者でな。」
「達者に生きるんだよ。」
「バイバイ。」
でも彼(彼女)がまだずっと傍を飛んで花の蜜を吸っているので少しわたしもそこにいることにした。
13時44分に放ってから、14時4分に3つ目の動画を撮った。
もうひとりの母親らしき若い女性が、近づいてわたしの紋白蝶を両手で捕まえようとした。
わたしは「ちょっと待ってください!」と叫んだ。
そして自分が青虫から育てた蝶であることを説明した。
わたしは言った。
「逃がすところを間違えたと今後悔しています…。虫取りの人がいっぱいいて…。」
彼女は本当にそうですねと共感してその場を去った。
その何分かあとだった。
何人もの親と、その子どもたちが近づいてきて、わたしの放った紋白蝶を見つけて、そのうちの小さな子どもが叫んだ。
「いたあ!!」
そして子どもが走ってきて、わたしの紋白蝶を必死に追い、手で掴み潰すように、捕まえようとした瞬間、わたしは悲痛の想いで叫んだ。
「やめて!!」
「捕らないで!!」
そして親御さんたちに向かって必死に懇願した。
「わたしが育てた蝶なんです!」
その親御さんたちのなかに最初に出会った母親がいて、彼女が事情を他の親たちに説明してくれた。
そして親たちは焦って、子どもたちに向かって叫んだ。
「だめ!捕っちゃだめ!」
子どもたちはそれでもなかなか気づかずに無我夢中で負いつづけたが、わたしと親たちの叫ぶ声にやっと気づき、振り返って問うた。
「なんでとっちゃだめなの?」
親たちは自分の子どもたちに向かって説明した。
「このお姉さんが育てた蝶なんだって。」
一人の男の子が、わたしに向かって訪ねた。
「卵から育てたん?」
わたしはその子に答えた。
「ううん。青虫から育てたの。」
子どもたちはそれでようやく事情を理解し、紋白蝶を追うことをやめてくれた。
そして親たちはわたしに謝りながら、その場を子どもたちと一緒に離れた。
わたしはホッとしたが、青褪めていた。
心の底から後悔していた。何故、この公園に放してしまったのか。
紋白蝶は、わたしの傍を離れ、目でかろうじて追える場所をひらひらと飛んで花の蜜を吸うために花から花へと渡っていた。
どれも大きな薔薇ではなく、ちいさな花だった。
わたしはわたしを責めながら彼(彼女)を目で負いつづけた。
そして、その数分かあとのことだった。
一人の若い父親と、小学2年生くらいの男の子が、とても嬉しそうにわたしの紋白蝶を見つけて、持っていた大きな虫取り網で捕まえたのだ。
捕まえられた喜び親子の歓声のなか、すぐに透明の空っぽの大きなケースに彼(彼女)は入れられた。
その光景を、わたしは少し離れた場所から見つめ、絶望的な悲しみのなかで感じていたのだった。
このように、わたしのちいさな喜びでさえ、奪い去られてしまうのかと。
満たされている者たちが、常に苦しみつづけ、悲しみつづけながら満たされることのないわたしのほんの一瞬満たされようとする喜びをも、奪い取るのかと。
わたしは最早、この世界に絶望して、離れた場所から彼らに向かって懇願する気力は失っていた。
でもわたしは家に帰ってから、またも後悔しつづけるのだった。
あのとき、すぐにその場を離れゆこうとする彼らの元にやっぱり走って行って、彼らにこう懇願すれば良かったと。
「その紋白蝶はわたしが青虫の頃から大事に育ててきた蝶なのです。だからどうか、標本などにはせずに、大事に育ててあげてください。」と。
そして、やっぱり自分のベランダから、彼(彼女)を放せばよかったと、これを書いている今も後悔している。
でも、あの男の子が、本当に彼(彼女)を愛して育てるならば、自然で生きるよりも彼(彼女)にとっての益となるかもしれない。
何故ならば、人間以外のすべての魂は人間によって深い愛で愛されるほど、魂が成長して人間の魂へと早く進化できるからである。




プロフィール 1981生 ゆざえ

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