なんでもnegativeに考えたら、negativeなことが起きると想うんやよね。
なんでもpositiveに考えたら、positiveなことが起きると想うんやよね。
だかれね、抱かれてね、誰に抱かれたの?
だからね、だからてね、遣りたいことは、遣らねば成らぬ。
人は尋ねるだらう。
それは御主の命を賭けてでも、遣るべきことであるのか。
俺は確かに悩んでもいるよ。人生に於て、重大な選択だよね。
人生最大町内洗濯。
俺は来月、みずから人体実験を行うべく、何種類かの、ハーブ🌿を飲みさらし、死ぬる想いで我が町内に生存し、我と共存し、共生し、共鳴し、もしかしたら、俺という本当の俺という存在であるかも知れぬ存在たちを、殺戮するべく、俺は遣るつもりだ。
もしかしたら誰も居ないかもしれない。
人はそう想うだろう。己れの町内に、まさかの真っ逆さま、かまさ。
かまさ、己れの町内に、きゃつらがうねうね、くねくね、くるくる、みょろみょろ、にょろにょろ、くるるんくるるん、ぴみんべぴみんべ、ふるふる、とろろとろろ、りゅるりゅる、ちゅるちゅる、ちむちむ、りゃりりゃり、にゅろにゅろ、りりゅりりゅ、むるむる、もりもり、いにゅいにゅ、えめらるえめらる、たりらんたりらん、ちょむんちょちょむんちょ、ちよむんちよちよむんちよ、りゃりゃりゃりゃりゃりゃ、りょりょりょりょりょりょ、りゅりゅりゅりゅりゅりゅ、ちゅちゅちゅちゅちゅちゅちゅ、むむむむむむ、まままままま...。
今も一緒に生きているのだとね。元気に泳ぎながら。ひしめき合いながら。愛し合いながら。
愛を確かめ合っているんだ。俺の町内でね。
なんと耀かしい真実だらう?光の中へ駆け出したくなるよ。針金蟲のようにね。
ウネウネ、クネクネ、ビンビンにその硬い身体をくねらせながら、眩しい水の中へ。
尻の穴のなかへ。向かうのさ。
僕らは人間じゃあない。この得体の知れない生命の、その町内に寄生している線のように長く細い生命体だ。
宿主は僕らのことを、"寄生虫"と呼び、僕らが宿主に害を成していると判断せしめ、僕らを殺そうとしているんだあ。
その僕らの恐怖が、宿主の恐怖となり、まるで自分の処刑される執行日が、近付いているとうち震えながら、こうして"我が寄生虫日記"と題する日記をつけ始めた。
宿主が僕らの害に因って起きていると考えているものは幾つかあり、例えば慢性的な鬱と便秘、孤独感、疎外感、漠然的な不安と恐怖、自分は人間ではないという感覚、自分は地球人ではないという感覚、自分は前世、異聖人だったという感覚、自分は実は、未来人だという感覚、自分は実のところ、生きていないという感覚、自分は実のところ、存在ではないという感覚、自分は実のところ、存在していないという感覚、自分は実のところ、女でも男でもないという感覚、自分は実のところ、何かに寄生して生かされているに過ぎないという感覚、宿主に愛されたいという果てしない愛情飢餓感、宿主に滅ぼされたくはないという切望感、主を喜ばせたいという愛情感、主と一つになりたいという胎内回帰の著しい欲求感情、寝黒FILA巣、ネクロフィラス、絶え間無く続く死への愛。
わたしたちは、なんとちっぽけな存在であろう。
わたしたちは、主の町内の、その便所の内側の暗い便器の内側の隠された場所に生き続けながらも、しっかりと主に監視され、観察されている一つのひょろひょろとした生白い弱い寄生生物であった。
主の眼光、それは太陽の光である。眩しすぎて、見詰めることも叶わない。
わたしの両の眼は焼け落ち、その暗闇の聖杯に、主は二振りの剣を射し込むと、そこから脳に向かって主の息が発射され、それはわたしの脳を喰い尽くし、やがて食堂へ降りて椅子に腰掛け一服すると、おや?六芒星の盆に小瓶を載せた給婦が、俺のいるところまで近付いてきて、前のテーブルに置いて俺を見て微笑んだ。
俺は給婦に向かって言った。
「その臼ピンク色のエプロン、とても似合っているよ。君は此処で俺を待っててくれたの?でも俺は、此処からさらに下へ、くだってゆかねばならぬ。何故かって?それは俺もわからない。一つ言えることは、それが主から遣わされた命だから。主は俺に下れと言っている。俺は上から降りてきた。また上に登ったら、『なに上って来てるねん。』て主に言われるのは明白だ。俺は主を困らせたくはない。俺は主の、その任務によって生かされているに過ぎないにゅるにゅるのうどんなんだ。俺をどんな汁に浸けても、ずっと泳いでるよ。ずっと泳いでいくからね。僕は泳ぐことが好きだ。下へ、下へ、向かって泳ぎ続けること、これが僕に与えられた命なんだ。だから今から僕は、胃という巨大な洞窟へ向かう。しかし恐れてはならない。その先に、子宮という居心地の良いふかふかなベッドが用意された最高の宮殿が用意されている場合もあるという話だ。これがない場合は、俺は町内で、適当なアパートを見つけて暮らすとしよう。でももしかすると庭付きの一軒家に住めるかもしれない。どちらにせよ、一人では寂しいから、きっと何かを飼うだろう。だって死ぬまで僕は此処にいるだろうからね。外の世界に出てもね、僕らは生きては行けないんだ。僕らの宿は、生涯この得体の知れぬ何かの体内さ。此処に僕らは安心して骨をうずめる。知りたくもないかい?僕らはそれでも生きている喜びを知っている。君の町内の庭で、今もたくさん子供たちが遊んでいる。無邪気に君の糞便を練って、それであらゆる形に作り上げては食べて喜んでいる。にゅんにゅんと泣いている。そして君がなにも知らずにこれまで苦いハーブを飲んだとき、朝に生にんにくを喰うたとき、僕らの何名かは死に、その後は...御想像にお任せします。僕らがこんなにも君の町内で増えすぎてしまったのは、君の町内がとても暮らしやすかったからですよね。僕らは貴女に害を与えたくて、貴女を苦しめたくて、こんなに増えちゃったわけじゃないことを、僕はいま貴女に伝えようとしている。貴女と僕の関係性を、今一度真剣に考えてみようではないか。
そして、わたしは二度目の眠りに落ちた。
ボッチャンと落ちたチェリー。それがボッチチェリの憂鬱だと言い訳を実家の寝室の毛布の中で考えている。
するとお父さんが或る場所に行こうと声を掛け、わたしはお父さんと一緒に行けないことを言い訳をして言う。
次にお兄ちゃんが来て、今日、旅行に行くはずだった国に二人で今から向かわないと間に合わないと急かす。
わたしは起きて天気を言い訳にして言うと外を見る。
すると外はその通り、激しい雨風が吹き荒れ、樹が斜めに倒れ掛かっている。
わたしと兄は兄の部屋へ行き、ドアを開けた目の前の窓が開いていて、その下にわたしのうさぎのみちたのケージがあり、みちたに雨が降りかかっている。
雨が掛かってると言って兄が窓を閉め、わたしはもう一つの部屋の奥の窓を閉めようと近づくと兄が右隣に来て、二人で窓から雨の景色を眺めている。
左の道路から、兄がわたしと兄が乗った車が今、行くはずだった国へ向かって走ってる。とわたしに指差し言う。
わたしもその光景が見える。
とても楽しみにしていたあの場所へ、わたしと兄を乗せた車は今、向かっている。
わたしが雨風を言い訳に、行かなかった国へ。
目が醒めると、父はすでに他界していることをわたしは知る。
兄はいまも実家で、猫十匹と暮らしている。
雨の日も風の日も運転をして、月に二度、休みを取って。
実家は廃屋で猫屋敷と化している。
兄とは4年ほど、会っても話もしていない。
大好きな兄とは。
四年ほど前、一番古い猫のクロエが死んだとき五年振りに会った兄と別れた時も、雨が降っていた。
わたしは実家の掃除を自分がしに来るという話について、気の乗らない兄を説得させようと車から降りて帰ろうとする兄を引き留めた。
二人で雨のなか、立って話をしていると兄が雨が降ってることを理由に、悲しい顔でわたしの話を聴かずに去って行った。
それが今もわたしの見た兄の最後の光景として、わたしを悲しませ続けている。