僕の鬱症状は、酷くなっているようだ。
何故なら、前歯が欠けた。
要因はたくさんあるが、大きな要因として、暴飲暴食(酒と過食)、歯を磨かないことがあるだろう。
前歯が欠けるほどに虫歯が酷くなっているのに昨夜も歯を磨かずにいつものように褥に倒れるようにして寝た。
限界までいつも酒を飲んでしまうからである。
そして朝起きても歯を磨かない。
顔も洗えない。朝から鬱だからである。
それが一週間以上続く。
一週間以上歯を磨かない、顔も洗わない。
そして食べたいだけ食べて飲みたいだけ酒を飲む。
また黒糖を入れた紅茶やコーヒーを飲む。
これを約一年続けた結果、僕は、歯ァ欠けた。
昨日、風呂場で大きく欠けた前歯を見たとき、わたしは本当に悲しかった。
疲弊し、赤ワインを二杯飲んで徒歩30分以上かけて歩いてPokémon GOをしに出掛けたのだった。
帰りは電車で帰って来た。
常に、欠けた前歯の悲しみがわたしの根源的な意識に覆い被さっていた。
わたしはわたしではないのだと想った。
わたしはわたしではないし、わたし以外のだれかでもないのだとわたしは想った。
わたしの記憶がわたしをわたしだと想っているかも知れないが、わたしの記憶がわたしではないのだと想った。
きしめんがわたしの腸のなかでわたしだと想っているかも知れないが、わたしではないだろう。
きしめんがわたしならば、なにゆえ、前歯が欠けたことをこれほど悲しむのか。
可笑しいではないか。
わたしはきしめんではないことは確かであるようだ。
わたしは"きしめん以外の何者か"という定義を自分に下してみたが、なんでそんな定義をいちいち下す必要があるのだろうか?
「きみは独りじゃない。」と人に励まされたが、なんで独りじゃないのにそんなこといちいち否定する必要があるのだろうか。
それは「きみは独りだ。」と言われてるのも同じではないか。
なんで独りであることなんてわかってるのにそんなこといちいち人から断言されなくてはならないのか。
俺とバトルしたいのか?
きみは自分がきしめんではないという証明ができるとでも想っているのか。
きみは前歯が欠けないからって安寧の生活を送っている気になっているかも知れないがきみは自分がきしめんではないという証明を宇宙に向かって叫ぶことはできるとでも想っているのか。
もし想わないならば何故、なにゆえに想わないのか?
世界の、宇宙の始まりに、きしめんが一匹闇のなかを泳いでいるというイメージをしたことはあるのか。
何故、きしめんが宇宙の起源であるというイメージをしたことはないのか。
我々の起源がきしめんであった場合、なにゆえわたしは前歯が欠けたことをこれほどまでに悲しまなくてはならないのか。
わたしは自分がきしめんではないという証明を何故できないのか?
何故、きしめんはペラペラの薄っぺらい存在であるのにそのなかに、内臓や器官を持っているのか。
きしめんには目も鼻も歯もない。
しかし、その顔に、口腔はある。
そしてその口腔と肛門はなかで繋がっている。
そのきしめんの肛門から、生まれ落ちたという想像をわたしたちは、何故しないのか。
わたしたちは一匹の白いきしめん状の生命体の腸内のなかにある宇宙という空間にある地球という星のなかに住んでいる。
だがそのきしめんは、さらなる巨大なきしめんの肛門から生まれ落ちたのである。
わたしたちは永遠に生まれ落ちる。
きしめんはみずからをほんとうに愛するとき、じぶんの口腔と肛門を繋げ、輪を作り、子をみずからのなかに産卵する。
無数の白いきしめんサークルが、暗闇の宇宙に泳いでいる。
それは、仄かに虹色に光り輝いている。
くねくねと、みずからの軀をくねらせながら。
楽しそうに。
終わらぬこの歓びのなかに。