ゆざえのDiery'sぶろぐ

想像の森。 表現の駅。 幻想の家。

日記

Half human, All humanoid.






























































































































Half human, Half machine.

























































































































Sadness of Butterfly~紋白蝶の悲しみ~



最近、また青虫を育てていた。
たぶん良く行く近所の農家直売店から買ってきた無農薬の小松菜に付いていた子だと想う。
5月8日くらいの日、キッチンの壁に青虫が張り付いていた。
わたしはそれを虫籠に入れて小松菜をまいにち換えてやって大事に育てた。
青虫はやがて早くも蛹になり、そして5月20日には無事に羽化した。





薄く羽根が黄色がかっているように見える紋白蝶だった。
蝶を青虫から育てたのは何度もあるが、昔はいつも寄生蜂にやられて死んでしまう子ばかりだった。
無事に羽化させられたのはこれで二度目だったかも知れない。
でも彼(彼女)をすぐに外には放せなかった。
毎日のように豪雨と強風が荒れており、こんな中に外に放つのは可哀想だと想ったからだ。
たから昨日の5月23日にやっと晴れて、朝にベランダの植木に水をやったりコニファーの枯れた部分の剪定を行ったあとに近くの巨大な公園に放しに行った。
ちょうど午後12時過ぎで、久々の雨上がりの公園は嫌になるほどに人が多く、公園を入ったあと二人の男性が網を片手に帰ってくるのを見掛けた。
嫌な予感がした。
でも此処の大きな花壇には色んな種類の花が咲き渡っており、紋白蝶を放つのに最適な場所に想えた。
わたしは此処以外に、良い場所は想い付かなかった。
半ば不安が募る暗い気持ちで、わたしはその花壇に向かって彼(彼女)の入った虫籠を入れたエコバッグを方から下げて歩いて行った。 
広い円形花壇に着いて、見渡せば大きな薔薇の花がたくさん咲いていた。
そこへ紋白蝶が飛んでいた。此処へ放せば、すぐにパートナーが見つかるかもしれない。
わたしは彼(彼女)が幸せに暮らしている様子を想像して嬉しくなった。
するとそのとき、その花の蜜を吸っている紋白蝶に近づき、手でそっと掴もうとしている若い母親の姿が見えた。
近くには小さな男の子がいた。
わたしは子供のために捕まえようとしているのかと想ったが、もしかしたら彼女自身も蝶が好きなのかもしれないと想い、声をかけた。
「蝶が好きなのですか?」
彼女は逃げられた蝶を追う目をわたしにやって振り返り、答えた。
「いえ、息子の為に捕まえようかなと想って(笑)」
わたしは虫籠をその若い母親に見せて言った。
「この蝶、わたしが育ててた青虫から羽化したんです。三日前に羽化したけど、ずっと雨だったから放せなくって、でも今日、久々に晴れたので連れて来たんです。」
彼女は少し驚いている様子で小さな虫籠のなかにいる紋白蝶を眺め、感心して「へ~!すごいですねぇ。」と言った。
無農薬の小松菜に付いていただろうことや結構早い段階で羽化したことを話したあと、見に来た彼女のちいさな息子に紋白蝶を見せてわたしは言った。
「羽化したんだよ~。」
「羽化」という意味さえきっとわかっていないのだろう、その幼い男の子は特に関心も寄せず、飛んでいる蝶を探すようにすぐに離れて行った。
わたしはその場を離れ、此処よりももっと花のたくさん咲いている円形花壇の中心のところまで歩いた。
そして大きな赤い薔薇の花が元気に咲いているところに放つことを決め、花壇の前で虫籠の蓋を開けた。
iPhoneでビデオに撮りながら開けて、少しのあいだ彼(彼女)は蓋に付いたまま離れなかったが薔薇の花に近づけるとひらひらと飛び立った。
その様子をビデオで追い、彼(彼女)に別れの言葉を掛けた。
「元気でね。」
「達者でな。」
「達者に生きるんだよ。」
「バイバイ。」
でも彼(彼女)がまだずっと傍を飛んで花の蜜を吸っているので少しわたしもそこにいることにした。
13時44分に放ってから、14時4分に3つ目の動画を撮った。
もうひとりの母親らしき若い女性が、近づいてわたしの紋白蝶を両手で捕まえようとした。
わたしは「ちょっと待ってください!」と叫んだ。
そして自分が青虫から育てた蝶であることを説明した。
わたしは言った。
「逃がすところを間違えたと今後悔しています…。虫取りの人がいっぱいいて…。」
彼女は本当にそうですねと共感してその場を去った。
その何分かあとだった。
何人もの親と、その子どもたちが近づいてきて、わたしの放った紋白蝶を見つけて、そのうちの小さな子どもが叫んだ。
「いたあ!!」
そして子どもが走ってきて、わたしの紋白蝶を必死に追い、手で掴み潰すように、捕まえようとした瞬間、わたしは悲痛の想いで叫んだ。
「やめて!!」
「捕らないで!!」
そして親御さんたちに向かって必死に懇願した。
「わたしが育てた蝶なんです!」
その親御さんたちのなかに最初に出会った母親がいて、彼女が事情を他の親たちに説明してくれた。
そして親たちは焦って、子どもたちに向かって叫んだ。
「だめ!捕っちゃだめ!」
子どもたちはそれでもなかなか気づかずに無我夢中で負いつづけたが、わたしと親たちの叫ぶ声にやっと気づき、振り返って問うた。
「なんでとっちゃだめなの?」
親たちは自分の子どもたちに向かって説明した。
「このお姉さんが育てた蝶なんだって。」
一人の男の子が、わたしに向かって訪ねた。
「卵から育てたん?」
わたしはその子に答えた。
「ううん。青虫から育てたの。」
子どもたちはそれでようやく事情を理解し、紋白蝶を追うことをやめてくれた。
そして親たちはわたしに謝りながら、その場を子どもたちと一緒に離れた。
わたしはホッとしたが、青褪めていた。
心の底から後悔していた。何故、この公園に放してしまったのか。
紋白蝶は、わたしの傍を離れ、目でかろうじて追える場所をひらひらと飛んで花の蜜を吸うために花から花へと渡っていた。
どれも大きな薔薇ではなく、ちいさな花だった。
わたしはわたしを責めながら彼(彼女)を目で負いつづけた。
そして、その数分かあとのことだった。
一人の若い父親と、小学2年生くらいの男の子が、とても嬉しそうにわたしの紋白蝶を見つけて、持っていた大きな虫取り網で捕まえたのだ。
捕まえられた喜び親子の歓声のなか、すぐに透明の空っぽの大きなケースに彼(彼女)は入れられた。
その光景を、わたしは少し離れた場所から見つめ、絶望的な悲しみのなかで感じていたのだった。
このように、わたしのちいさな喜びでさえ、奪い去られてしまうのかと。
満たされている者たちが、常に苦しみつづけ、悲しみつづけながら満たされることのないわたしのほんの一瞬満たされようとする喜びをも、奪い取るのかと。
わたしは最早、この世界に絶望して、離れた場所から彼らに向かって懇願する気力は失っていた。
でもわたしは家に帰ってから、またも後悔しつづけるのだった。
あのとき、すぐにその場を離れゆこうとする彼らの元にやっぱり走って行って、彼らにこう懇願すれば良かったと。
「その紋白蝶はわたしが青虫の頃から大事に育ててきた蝶なのです。だからどうか、標本などにはせずに、大事に育ててあげてください。」と。
そして、やっぱり自分のベランダから、彼(彼女)を放せばよかったと、これを書いている今も後悔している。
でも、あの男の子が、本当に彼(彼女)を愛して育てるならば、自然で生きるよりも彼(彼女)にとっての益となるかもしれない。
何故ならば、人間以外のすべての魂は人間によって深い愛で愛されるほど、魂が成長して人間の魂へと早く進化できるからである。




Untied cord

昨日は朝5時前から起きていて、朝から酒を飲んでいたので早くも夜の9時過ぎに寝床に倒れ、僕は眠りに入ったのだった。
そしてパソコンで「マイ・プライベート・アイダホ」を録画していたので録画終了ボタンを押す為にアラームを23時過ぎにセットし、目が醒めた。
僕は二度寝をしようとしたができんかった。
なので先日に買った中原中也訳のランボオ詩集を手に取り、毛布に包まれながら読み始めたのだった。




雌鳩らは、静かに飛んで、我が寝そべつてゐる
芝生の方までやつて来て、私のまはりに羽搏(はばた)いて
私の頭かうべを取囲み、我が双の手を
草花の鎖で以て縛いましめた。
薫り佳き桃金嬢もて飾り付け、さて軽々かろがろと私を空に連れ去つた
彼女らは雲々の間あひだを抜けて、薔薇の葉に
仮睡まどろみゐたりし私を運び、風神は、
そが息吹いぶきもてゆるやかに、我がささやかな寝台とこをあやした。

鳩ら生れの棲家に到るや
即ち迅き飛翔もて、高山たかやまに懸かるそが宮殿に入るとみるや、
彼女ら私を打棄てて、目覚めた私を置きざりにした。
おお、小鳥らのやさしい塒ねぐら!……目を射る光は
我が肩のめぐりにひろごり、我が総身はそが聖い光で以て纏はれた。
その光といふのは、影をまじへ、我らが瞳を曇らする
そのやうな光とは凡おほよそ異ちがひ、
その清冽な原質は此の世のものではなかつたのだ。
天界の、それがなにかはしらないが或る神明しんめいが、
私の胸に充ちて来て大浪のやうにただようた。




読み始めてすぐに、僕は感動に包まれ、全身を、光と愛に満たされたそのとき、除夜の鐘の音が遠くで鳴り響いた。
おお、天の父と聖霊たちはこの宇宙で最も愚かなわたくしに最も素晴らしい年越しを与え賜われたのか…!
感涙し、神からの愛の深さに打ちのめされたるあと、僕の今求める詩がそのあとあまりなく、退屈を覚えながらページを捲りまくり、飛ばしまくって読み、不満のなかに、本を閉じ、拗ねて口を尖らせてわたくしは寝くさった。

僕は夢のなかで、様々な体験をした。
だが目を覚ますと、僕は一つの断片をしか記憶していなかった。
夢のなかで、僕は兄と車で出掛ける予定だった。
僕は嬉しかった。
そんな経験は、今まで何度あったろうか。
あまり兄とわたしは二人で出掛けることはなかったのである。
わたしは欣びのなか、支度した。
兄は「先、車に行ってるわ。」と言って先に家を出た。
わたしは慌てて、急いで、準備した。
そして玄関に向かい、しゃがんで靴紐を結んでいた。
それが意味のわからない靴紐だった。
何をどうやってもうまく行かなかった。
想うように結べなかった。
僕はずっとずっと必死に、ちゃんと、ほどけないように紐を結ぶことに夢中になり、その間ずっと兄を独りで待たせていることに途方に暮れながら苦しんだ。
早く、早く、わたしは兄のところへ行きたかった。
そして車に乗って二人で一緒に出掛けたかった。
すると玄関のドアが開いて兄が戻ってきて、兄は怒りと悲しみのいつもの恐ろしい形相でわたしに言ったのだった。
「2時間も待っとったんやぞ。」
マジか…。まさか二時間も経っていたとは…わたしは想わなかった。
嗚呼、叶わなかった。
愛する兄と二人で出掛けることができなかったわたしは、悲しくて、兄にも申し訳がなかった。
二時間も、兄はマンションの下に止めている車のなかで独りで待っていた。
準備を整えたわたしが降りてくるのを。
兄はもしかするときっと天にいたときも、こんな感じだったのだろうかとわたしは目が醒めて想った。
わたしが降りて来るのを兄はずっと待っていた。
だがわたしが降りて行って母の子宮に受胎したのは兄が生まれてから五年もあとだった
わたしは自分の青写真を作るのに時間を掛け過ぎたのか。
本当はもっと早く、降りて行くことを兄と約束していたのかも知れない。
わたしは降りて行くのが遅れた為、わたしと兄は、ずっと離れて互いに独りで暮らしているのだろうか。
本当は共に、ずっと一緒に暮らす約束を、していたのに。




















君は自分の手で自分自身を生きたまま解体して殺して食べることはできるかな。














































































死体が、わたしを呼んでいる。







敬愛なる死の同志であられる釣崎清隆氏へ

わたしはずっと、樹海という場所を異様に恐れてきました。
『樹海 死体』等という検索ワードで、絶対にGoogle画像検索できなかったわたしが、釣崎清隆氏のお陰で、あなたとの縁で、やっと、日本の樹海で亡くなられた方たちの死体を、見つめることができるようになりました。

来月に入って、お金が入れば、すぐに村田らむ氏の、『樹海の写真集』も是非購入しようと考えています。
もう怖いものは、死体の内には、ありません。
わたしが無感覚になることの方が、よっぽど恐ろしいのです。

釣崎清隆氏が、本当に撮りたいのは日本の死体なのだと言った言葉に、わたしは深い喜びを感じると同時に、それがほとんど叶わないことを本当に残念に感じています。
わたしもなのだと、気づいたのです。
わたしも、最も見つめたい死体は、最も見つめる必要があると感じる死体は、わたしと同じこの虚しい、きっと世界一虚無に支配されているこの日本という国で生きてきた最も近い同胞である日本人の死体であるのです。

最近、村田らむ氏の『樹海考』を読みながら、涙が流れました。
樹海まで来て、人は、最後の晩餐を独りで食べるために、樹海へ入る前にあったセブンイレブンへ立ち寄り、そこで自分が自殺をする前に、最後の最期に食べたいものを選び、飲み物も買って、そして樹海の奥へ入って行き、小鳥たちが木洩れ日のなかに囀ずり、木の葉が風に揺れて擦れる音を聴きながら、静かに湿った朽ち木や枯れ葉の上に座って独りで、黙々と、もうあと何分後には、死体となり、死体現象をひたすら辿り、腐乱してゆく自分の身体のなかに、本来、生きるための食べ物と飲み物を摂り込んでは、身体は、その内部は、一生懸命に、生命維持の為に、けなげに消化してゆくのです。

食べて、飲んだあとは、おならやげっぷが出たり、排泄したくなる欲求を覚えたかも知れません。
生まれて間もない赤ちゃんや、幼児と変わらないのです。
人間は何年生きようが、あと数分後には、動かぬ人形のような死体と化す前までは。
でも、もう、御別れなのです。
自分を、必死に、生きてゆくこと、ただそれだけの為に生かしてきたこの、肉なる自分とは。

ふと、空を、見上げたかも知れません。
いいえ、ちょうど良い、吊り下がれそうな枝を見つけるために空を仰いだはずが、木々の間から、綺麗な、縹色をした空が、まるでマグリットの「大家族」の絵の、荒れる暗い海とゆくあてを喪ったような空にぽっかりと浮かぶ大きな鳥のフォルムのなかにある優しい色の青空が、その目に映ったかも知れません。
懐かしさを、感じて、切なくて胸が苦しくなったかも知れません。
でも、もう、後戻りはできない。
もう、決めたことなのだから...もう、生きてゆくことはできないから、生きてゆくことに堪えられないから、此処へ来たのだから。
帰り道は、闇に覆われていて、帰る術も、帰る場所も、なくしてしまった。
もう死ぬしか、もう死ぬことしか、できない...

わたしは、死体を見つめる人が、死体に寄り添うことができないならば、何の意味もないと感じました。
死体を見つめて、その人が生きているときを、自分のなかで鮮やかに再生できないならば、虚しいばかりなのです。
わたしは、わたし自身が虚しいと感じました。
あなたが撮り溜めた何枚もの死体の写真を見つめながら、何も、想像できなくなった自分が、死体より遥かに、虚しい存在であると感じました。

わたしは確かに、今からおよそ24年前、あなたの撮った痛々しい右手の写真が自分のなかに鮮明に存在し、その右手はずっとずっとわたしのなかで生き続けて来たはずでした。
わたしは、そのままにしておくべきだったのかと、複雑な苦しみに襲われ続けています。
あなたは、わたしがまだ15,6歳のときに確かにわたしに素晴らしい贈り物を命懸けで贈り届けて下さって、わたしはそのトラウマを克服する術を持ちませんでした。
24年あまりが経ち、そのパンドラの箱でもあり、玉手箱でもあるあなたからのgiftの箱を、再びわたしは開けてしまった。
其処に、女性の右手は、その死体の一部は、転がっていました。
でも違う...それはまるで別の右手であって、わたしの記憶のなかで地面に転がっていた、あの、わたしの深層の区域に常に其処に転がっていた右手ではないのです。
わたしは、狐につままれた想いで、わたしのなかの右手を、捜しあて、見付け出す為に、樹海へ行き、わたしはホッとしたいのか、此処にあったのかと。
でもそこにあるわたしの見つめる目の前に存在する死体は、紛れもなく、わたし自身の死体であるはずなのです。

わたしは、死に場所を求めるかのように、青木ヶ原樹海へ共に行ってくれる人を募りました。
誰かは、わたしの衝動的で不可解で危険極まりない行為を、冷笑するように、こう言うかも知れません。
死体が、貴女を呼んでいるのだと。




こず恵(Twitter:yuzae1981)
























我が死の同志である釣崎清隆へ

自分は、わたしの表現をいくつも読んで戴けたら理解して戴けるかと願いますが、グロテスクなものが、苦手で堪らないのに、グロテスク表現、過激表現によって、人間が、自分の目覚めの力によってみずからを救いだせることを、信じて自分の表現を遣り続けています。
それはわたし自身が、2012年に見たあまりに現実的な悪夢を切っ掛けに、現実の地獄とその悪夢がリンクし、ようやく自分が此の世に真剣に救いを求めたことによって、ヴィーガンになることができて、例え自分を犠牲にしてでも此の世(全存在)の真の救いを求めて生きられるようになったからです。
そして其処に行き着くまでの自分のこれまでの人生が、如何に虚しいものであり、利己的なものであり、此の世の最大の悪(生命に対する強制的な拷問の地獄の苦痛)に加担し続けてきたかに、気づくことができたからです。
でも、誤解して貰いたくないのは、わたしが本当に遣りたいこととは、飽く迄、フィクションであるということです。
その点に於いても、現実の死体を見つめ続け、その死体を芸術作品として昇華させるべく命懸けで表現し続けながらも、本当に遣りたいことは劇映画を撮ることなのだと言った釣崎清隆氏に、わたしは深く共感を覚えています。
自分は、啓蒙的表現には、真の喜びを感じられてはいないように感じています。
これは、使命であり、抗うこともできなければ、抗う必要もないわたしの死ぬまでの、身命を賭してでも遣り遂げねばならない責務なのです。
いつでも、自分の啓蒙的表現には、不満を感じています。
そんな容易く、この問題を昇華できるはずもありません。
わたしのバイブルである我が生涯の師、町田康の「告白」のように、最も愛する存在を、みずからの手によって殺す。それを、表現し切ること。その苦しみがなくては、とてもカタルシスを生み出すことはでき得ません。
わたしの根源的訴えとは、「何故、自分自身(他者)に拷問の地獄を与え、そして殺すのか。」という問いなのです。
今日の午前3時過ぎに、わたしは初めて、自殺映像なるものを観ました。
人間が、みずからカメラに向かって自殺する、その瞬間の映像をです。
彼は、自分の顔面をショットガンで見事に吹っ飛ばし、虚しく死にました。
自分を、悲惨な方法で殺害することで、彼はすべての人間に、訴えたかったのだと感じました。
何故、自分自身(他者)を、人は殺すのか。と。
胸を撃って自殺するだけで、十分に悲惨であるはずなのに、彼はそれだけでは、きっと許せなかった。
彼は、自分の最も遣るべき、自分に相応しい方法で、自分を殺したかった。
彼がグロテスクなものが好きだったか苦手だったか、知り得ませんが、どちらにしろ、彼は最もグロテスクな死に様の一つである顔面を吹っ飛ばして死ぬという方法を選んで、自分を殺して死にました。
こんなことを、わたしが他の誰よりもあなたに向かって話すのは、あなたは既にわたしの表現のなかで、わたしが、わたしの実名で殺した、実名の、たった一人の存在だからなのかもしれません。
わたしはあなたを殺してしまった。
でも殺したのはあなたの姿を取ったわたし自身であり、わたしが殺したいのは、わたし以外には存在しません。
わたしは、自分を殺す瞬間を、確かに観ました。
今日の午前3時過ぎに。
それは、酷く既視感の在るものでした。
わたしは既に、それを知っていた為、わたしが、そのヴィジョンに、ずっとずっと、執着してきたはずだと、気付いたのです。
わたしはこれまでずっとずっと、”顔”と、”顔”がない、その状態に執着し続け、最早、わたしは自分や家族を含めるどの人の顔も、現実ではその造形を覚えることが困難になりました。
人の”顔”は、肉(肉体)によって、できているのではないのです。
眼には観えない心や、魂や、霊といったものが、眼では観えないその部分に、現れているはずのもの、それが、”顔”というものなのです。
その”顔”という、最も大切な部分が、一瞬で、吹っ飛んで、真っ赤な鮮血を滴らせ続けるばかりのただの醜い肉となったのです。
それが、わたしの顔であり、すべての人の顔であるのです。
わたしは、グロテスク表現と、過激表現を、どれほど孤立し、人を傷つけ、自分も傷つき、絶望的な孤独のなかに生き続けるとしても、死ぬまで遣り続けたいと願っています。
実際、本当に誰一人、何一つ届かないのかも知れませんが、わたしには、他に方法がありません。
わたしと、すべての顔を取り戻す、方法がないのです。

























わたしの死胎を撮らないでくれ。






























































































BURST GENERATION ―絶滅へ向かうこの世界を救う唯一の、絶滅しゆくものとは、絶望の死と悲しみである。








自分は1981年生まれで80年代と90年代に、最も重要な経験をして来たと言える人間である。

97年に酒鬼薔薇事件が起きて深く影響され(5年間、彼と自分を重ね合わせ、恋をし続け)、97,8年に兄の持っていたBURSTで釣崎清隆の撮った死体写真を観て衝撃を受け、深くトラウマとなり続けながらも、丸尾末広の「笑う吸血鬼」や糞尿まみれの童貞厠之助や「少女椿」の徳利児鞭棄などに本物のエロスを感じ、月刊ガロを読み耽り、猟奇的なものに官能的なものを覚え、フィッシュマンズの佐藤伸治の死に泣きながら暮らしていた90年代(十代)を生きて来て、最も愛する漫画家は華倫変で、生涯の師匠は町田康であるわたしが、サブカルチャーにあまり詳しくなくて、”カウンターカルチャー”という言葉すらつい最近知った。

Tattoo、ドラッグ、人体改造、エロ、ハードコア類…どれも興味がないのである。
はっきり言って、何一つそこに惹かれるものはない。
寧ろ、不快さを感じるし、面白くない。
そんなわたしが一番愛する映画とはアレックス・コックス監督、ゲイリー・オールドマン主演の「シド・アンド・ナンシー」である。

わたしが、約24年振りに、昔の「BURST」を買い占め、この「BURST GENERATION」を買ったのは主にたった一つの理由、死体と、釣崎清隆という人間を見つめるためである。

読んでいて、ほとんどはつまらぬ記事だと感じたのだが、非常に切ない気持ちにさせられるものも幾つかあった。
だが全体的に切なく、嗚呼、この雑誌きっと続かないんじゃないのか。という儚さを感じさせられる感覚であり、直観的にこの雑誌は、今この世界に求められているように感じなかったのである。
今求められているものとは、本当に反吐の出るくだらないものばかりであって、本物(本物の死体や、本物の人間の悲しみ)を切実に知りたいと願っている人間など、絶滅危惧種なのである。

例えば『父のロリータ』という記事は自分の境遇と凄く重なるものがあり、不快な苦しみと同時に人間の底知れぬ悲しみを感じて、とても良い記事だと感動したのだが、こういった記事を毎回読みたいのだと願う読者はどれくらいいるだろうか。
現代の大きな社会問題として”孤独死”の問題があって、孤独に暮らす人間にとって、明日は我が身の問題でもある。
浴室のドア下のコンクリートの床に頭を打ち付け、べっとりと黒い血痕と頭髪がそのまま付着しているその写真を掲載し、読者に、彼女の父親の最期を、想像させてくれる記事が、この時代にどれほど有り難いことか、どれほど貴重であることか、ほとんどの人は、知ることもない。
死体写真と同じく、人間の最期を嘘偽りなく観せてくれることを安心できる、決して消費されはしない、一生残り続けるであろう記事を載せてくれるこの雑誌自体もまた絶滅危惧種であり、そんな雑誌を、ほとんどの人は一度も手には取らず、死んでゆくことだろう。

p.s.釣崎清隆が撮ったからなのか、わからないが、青木ヶ原樹海の髑髏が、またも、どの死体より、どの生きた人間よりも優しい幸せそうな顔で安らかに眠っているのだった。
わたしは本当にこれまでずっと髑髏恐怖症だったのに、彼の撮った髑髏があんまりに愛おしくて、最近、髑髏を連れて帰りたくてしょうがない。

最後に、この雑誌にわたしからの御願いがある。
本当の地獄の苦しみの末に亡くなったであろう自殺者の死体(仏様)の次のページに、エロが来るのだけは、やめて戴きたいと願う。


























グロテスクで虚しいものたち 釣崎清隆へ捧ぐ






『バースト・ジェネレーション』 presents 「NEO鬼畜道場」ver. 第三回
 釣崎清隆 x ケロッピー前田

この動画のコメント欄に、わたしの素直な想いを書いた。
(わたしのyoutubeのアカウント名はoto yoruです。追記を、今朝書きました。)

わたしの複雑な苦しみを、釣崎清隆なら、わかってくれるんじゃないかとわたしは直観として感じたし、今でもその想いがある為、誰に何を想われようとも、わたしは表現したいことを表現し続けてゆくつもりである。




この本のなかの釣崎清隆のインタビューで、彼が自分の若い時分に撮ったAVを二本とも、封印したいと、恥じていることを知った。
だからなのだろうか?わたしは自分の一番の苦しみのトラウマがAVであり、そのトラウマを克服すべく、彼に過去の作品をどうすれば観れるのかと再三にわたって訊ねたが、一度も、答えては貰えなかった。
苦しい質問であることを承知で、わたしは彼に、何かの返事を答えて貰いたかった。
わたしに対して、何かの言葉を彼がずっと言ってくれることを待っていた。
でも完全にスルーされ続けたことで、わたしの精神は不安定になり続け、結局、最後は彼にTwitterをブロックされた。
苦しい為、ほとんど彼のTwitterを観に行かなくなった。
何か一言でも、言葉が欲しかった。
自分の最も苦しいことを貴方に告白したのですから。
わたしは確かに、気付いていた。
作品として、撮られたAVではなく、わたしの一番の苦しみであるものとは、作品でも何でもない、ただの無料で配布されている極短いエロ動画だったのです。
だからわたしが本当に自分を最も苦しめ続けてきたトラウマに向き合うために、見つめる必要があるのは、映像作品としてのAVではなく、ネット上に散乱し続けている無料視聴できる浅ましく薄っぺらい寒々しく、虚しいばかりの、グロテスクでもある性器にボカシの入れられていない”日本”のエロ動画なのです。
それらを見つめ続けることで、わたしの鬱は、さらに酷くなり、アルコールの量も増えて早死する可能性もある。
だから最初に、初歩的なものとして、敬愛する釣崎清隆の撮った作品としてのAVを最初に観たいと望んだのだろう。
わたしは結局、自分と、最愛の父を殺す経緯となったAVを見つめることから、逃げ続けている。

わたしはこの先もずっと、息を吹き返す日は来ないだろう。
そう、わたしは望んでいる。
この絶望を抱えたままでしか、わたしは死にたくはない。


































死と性と女 釣崎清隆に捧ぐ

『バースト・ジェネレーション』 presents NEO鬼畜道場 ver. 第三回(収録配信)で、
死体写真家である釣崎清隆が話していた。
「ヤバいと想いながら、ヤバい女とやっちゃうってことありますからね僕も。今はほとんどないんですけれども。」
と。
わたしはこれを聴いて、「ヤバい女」とは、一体、何なのか?ということを考えた。
自分自身が、或る意味「ヤバい女」として生きる一人である。
人間の「ヤバさ」は、人間の数だけあるはずである。
しかし自分にとって、相手が何故ヤバいのか?と考えると、
それは後々に、自分に降り掛かる”リスク”の、ヤバさであるはずだ。
自分に降り掛かるリスクの高さが、高い可能性がある相手ほど、自分にとって、ヤバい人間であるはずだ。
女ならまず、セックス依存症や、よっぽどの自罰心理がない限り、こいつはヤバいな。と感じる男と、やったりはしないのではないか。
でも男の場合、ヤバいと感じても、やるのは”性欲”というどうしようもない問題があるからだと、想う人は多いかも知れない。
待ってくれよ。とわたしは言いたい。
どういうことなんだ。セックスをするにあたって、”リスク”の重さ、重いリスクを被る可能性の高いのは、
女の方だという考えが、何故スルーされているんだ?
もし、それをスルーしていなかったならば、「ヤバい女」という浅ましい侮蔑の表現で、自分がセックスをした女性に対して、表現することなどないのではないか?
”セックス”とは、どのように避妊しようが、妊娠する可能性を0%にすることはできないことくらい、
釣崎清隆も知っているだろう。
女にとって、100%、妊娠する可能性を防ぐことはできないセックスに於いてのリスクとは、
妊娠、堕胎、出産(出産時や産後鬱などによる死)、養育費、産めば子供を育てることに多くの時間を費やすリスク、
堕胎すれば、我が子を殺したという罪の意識(カルマ)から逃れられないリスク。
これらのリスクの可能性がある上で、女はどの男ともセックスするしかないのである。
わたしは9人の男性とセックスした過去があるが、避妊をしてセックスをしたことはこれまで一度もない。
相手が勝手に膣外射精をした時は、相手を真剣に責めた。
避妊(膣外射精をも含む)は、自分の内に存在する神に背く行為だからである。
セックスをして子供を授かることとは、”自然”という神の存在の最も深い愛の現象だからである。
人生とは皮肉なもので、ずっとずっと子供が欲しいと望んできたわたしは一度も妊娠できずに、
わたしの姉は一度、堕胎の経験があるが、その後、未婚で元気な男の子をもうけた。
ずっとずっと政府は隠し続けてきたが、日本の死因の第三位は実は”人工妊娠中絶”である。
【数字でみる人工妊娠中絶】日本人の死因ランキングTOP3に入る?驚きの人工中絶数と順位
わたしは前世できっと何度と、堕胎された経験も堕胎した経験もあるのだろうと感じるほど、
”堕胎”という人間の行為について、あまりに敏感であり、耐え難い苦しみを感じる。
堕胎を行い、二度と子供を産めなくなる女性や、堕胎が原因で死に至る女性、
そして出産でも、命を落とす女性がいることを当然知った上で、”ヤバい女”とセックスしてきたと、釣崎清隆は表現したのだろうか?
好き好んで、女性を苦しめて快楽を感じる趣旨であるレイプもののAVを監督して撮ってきた釣崎清隆が”ヤバい女”と表現するとき、女性を見下しているように感じてしまう。
釣崎清隆に、わたしの最愛の父を喪った原因であるわたしにとって人生で一番の苦しみのトラウマはアダルトビデオなんだと告白し、
このトラウマを克服してゆく為に、釣崎清隆の撮ったAVを最初に観たいのだという趣旨を話し、
どうしたら観れるのかと三度、質問したが、三度とも、答えてくれなかった。
わたしは、釣崎清隆が、許せない。
死と性と女を冒涜し続けてきた釣崎清隆を、わたしは許すことはできない。
死と性と女、わたしにとってそのすべて、わたしの母であるからである。
わたしが4歳の時に、母は死んで、死体となった。
母の死体を見つめつづけたわたしにとって、死と、すべての死体は、わたしにとって母である。
そしてすべての女性器は、わたしの生まれてきた神聖な場所であり、わたしにとって母である。
すべての女性に対し、わたしが深いコンプレックス(感情の複合体のこと。 衝動や欲求・記憶などの、さまざまな心理的要素が無意識に複雑に絡み合って形成されるもの)を懐き続けて来たのは、すべての女性にわたしの母を映し、母を求めてしまうからである。
釣崎清隆は、わたしの母を、本当に好きなように傷つけ、陵辱し、侮辱し、恥辱と汚辱を味わわせ、果てには、呆れたことに、Tシャツやトランプにまでしてきた。
わたしは、釣崎清隆にTwitterをブロックされてしまったが、今でも変わらず愛している。
本当に愛しているからこそ、あえてこんなことを話さなくてはならない。
貴方に、これまでと同じように、死体と、女性を撮り続けてはほしくないんだ。
貴方には、自分の最も愛する存在として、死体と女性を、表現することは、撮ることは、見つめ続けることは、できないのですか。
自分を産み落とした母(死と性と女)に対して、このまま犯し続け、死んでゆくおつもりですか。
決して、安らかではない死に様で。


























ツリの煩悶地獄 五

ツリとのDM
ツリとのDM2
ツリとのDM3
ツリとのDM4











以下、釣崎清隆氏とわたしの10月7日のDM











ゆざえ「わたしの兄はわたしより6歳上で、今はブラックな運送会社でトラックの運転手をしており、休みは週一で寝る時間が4時間ある日は良い方だと話していました。
兄は廃墟のような荒れ果てたおぞましく不衛生でぼろぼろの実家の猫屋敷で猫9匹と共に暮らしています。

98年だったかもしれません。兄が釣崎清隆氏の撮った死体写真の載ったBURSTを何冊と持っていて、わたしはそれを観て、生まれて初めて、人間の死体写真を観ました。

手首から千切れた女性の写真をわたしも観た頃から、兄は鶏肉を食べるのを嫌がり、鶏肉を食べると下痢をするようになりました。
兄曰く、鶏肉が臭いと言うのです。
でも同じスーパーでずっと買ってきた鶏肉が、そんな急に臭い腐ったものになるのでしょうか…?

わたしはそんな兄の繊細さが、きっとあの死体写真の女性の千切れた手首の切断面の肉の腱や脂肪が、鶏肉にそっくりだったからに違いないと確信したのです。

でも悲しいことに、わたしはそれからも何年と鶏肉を食べても平気でした。
畜肉を一切断ったのは、それから14年後の30歳になってからです。」



ゆざえ「それで、あの女性の手首から切断された写真が、わたしが最初に観た時の記憶では、もっと鶏肉とそっくりなピンク色がかった肉の色と黄色い脂肪や腱の色が印象的だったのですが、BURSTに載せられた写真は、加工されていない状態で写真集に載せられているものなのでしょうか…?」



釣崎清隆「あの右手を加工して表現するのが私の仕事なので、素材のままで公開する気はいまのところないですね。」



ゆざえ「釣崎清隆氏、こんばんは☔

 ということは、わたしが観たBURSTの掲載時で既に加工されていたということなのですね。
    何故、わたしの記憶では本当に鶏肉そのものみたいだったのか、不思議です…。」


ゆざえ「もとの右手の写真は、本当に鶏肉みたいだなと、釣崎清隆氏も、感じられましたか…?」


釣崎清隆「そうですね。手羽先だと思いました」


ゆざえ「手羽先ということは、骨も見えていたのでしょうか…?」


ゆざえ「写真の真ん中の白い部分は骨なのでしょうか…?」


釣崎清隆「そうです」


ゆざえ「骨だと気づきませんでした…。

    元の写真も観てみたいです…」

ゆざえ「釣崎清隆氏は、このまま動物たちが虐待と拷問を受けて殺され続ける世界のままで良いとお感じになられますか…?

その因果でないならば、何故、人類がこれほどの拷問の地獄を味わって死んでゆかねばならない世界なのか、わたしには理解できませんし、納得ができません。」








ツリからの返事は、なかった。
























ツリの煩悶地獄 四

ツリは、彼の命懸けで撮り続けて来た死体写真集、『THE DEAD』 の刊行に寄せての言葉のなかで、こう述べていた。







「世界は残酷だ。

 それでも世界はやはり美しい。」






僕は、そんなツリに、昨日、Twitterのダイレクトメールで、こう問うた。

ツリの愛する人が、こんな最期を迎えても、「世界は美しい」と、言えるのですか…?と。

















しかし、わたしはツリから、とうとう答えて貰わぬ内に、アンフォローされてしもうた。
理由は、ダイレクトメールによる「私信の濫用」であるようだ。
わたしは昨夜、朝から夜までずっと、酒を飲んでおった。
昨日はわたしの愛兎、みちたの、一回忌であった。
とにかく、ずっと飲んでいた。何も、何も、何もしたくなかった。
何もしたくなかったから、愛する死の同志であるツリに、何度と切実に話し掛けた。
酩酊状態で、何もしたくなかった。
僕のメッセージをスルーし続けるツリに、僕は切実にこう厭味を言った。
『自分のドウデモイイツイートはするのに、わたしの切実なメッセージは読んで戴けないのですね。』
ツリは、いい加減、怒(いか)った。
「一度冷静にご自身の書き込みをかえりみてもらえますか? 
その上で、これ以上分をわきまえないようでしたらブロックするしかありません。
私信を濫用しないでください。
ただそれだけです。
僕はこう見えても忙しいんですよ。」
と優しく言いながらも、心では、想い切り、ムカついていた。
僕はツリと、その後、約一時間ほどかけて少し会話したのち、9人おったフォロワーの、ケロッピー前田氏を含む、8人全員を、アンフォローさせた。
そして、嬉々として、ツリに、言った。
「フォロワーがツリだけになった!」
数秒後、ツリは、僕を無言でアンフォローした。(僕は謝罪の言葉を一言も言っていない。)
僕は、絶望にうちひしがれ、ツリを、罵りたくなった。
寝ても、目が醒めると、ツリに対する悲憤と不満が溢れてきて、とうとう、ツリに電話を掛けた。
留守電やった。
僕は、緊張しながらも、絶望と悲しみとアルコールの残留で朦朧としながらも留守電にこう遺した。
「何故、教えて、戴けなかったのでしょうか...?
 何故、釣崎清隆氏の、撮ったアダルトビデオを、どうしたら、観れるのか?
 という質問に対し、答えて戴けなかったのでしょうか...?
 良ければ、御答えください。ガチャっ。」
そう必死に、蚊の哭くような声で、きれぎれに言って、携帯の受話器を置いた。
ツリから、電話は掛かってこない。
彼は、僕に対して元々、真摯に向き合いたいという気持ちが、あらへんのです。
いいえ、彼は、根源的に、人を、愛せないのです。
だから、「世界は美しい。」と、言って退けるのです。
違いますか?
ほとんどの人は、生きたまま解体された動物の惨殺死体を喰らいながら、笑ってる。
その世界を見ても、「世界は美しい。」と、言えるのは、ツリが人を愛せない人間だからなのです。
愛していないから、別に、人が、誰が、地獄に堕ちようとも、ドン底に突き落とされようとも、
拷問を受けて死のうとも、ええのですと、想っとるのです。
違いますか?
卵を大量生産する為に、雄のひよこは全員、






このように毎日、毎日、大量に生きたままミンチにされている。
それを観ても、ツリは、言うのデス。
「それでいて世界は美しい。」
レンダリングプラントで、瀕死の牛や馬がブルドーザーで運ばれてきて、丸まま巨大撹拌機に投げ込まれ、そのなかで、地獄の底からの悲鳴と絶叫を上げる者がいようとも、









ツリは、言うのデス。
「世界は美しい。」
生きているのに、手脚を切断される人間と動物が、なくならないこの世界を見て、ツリは、それでも言う。
「世界は美しい。」
ははは、そうだよ、ツリ、貴方にとっては、世界は美しいのDEATH 。
人を、動物を、愛せない貴方にとって、世界は本当に、美しいのDEATH 。
耀いているのDEATH 。キラキラ光り続けていて、眩いのDEATH 。
目が眩むほどに。
貴方の愛する娘が、家畜の如くに、レイプされ、生きたまま解体されるか、生きたままミンチにされようとも、世界は光り耀き続け、眩むほど、美しいのDEATH 。
嗚呼、そんな人間が、この世界にどれ程いるだろうか...!
20代で、スプラッターポルノ・SM・レイプ物のAVを監督し、その後、四半世紀も死体写真を撮り続けて来た男が、普通であるはずがないやろう。
普通の感覚で、人間を愛することなんかできないのDEATH 。
狂気も病気も、とうに超えてしまっているんDEATH 。
普通に人間を愛せないのDEATH 。
人間を苦しめることが、人間を地獄に突き落とすことが、ツリの人間に対する愛なんDEATH 。
ははは、僕は、最初の最初から、それに気づいていたんDIE 。
そうでなければ、僕はツリを、愛さなかった。
僕はだから、ツリが、本当に、どうしようもないほどに悲しくて、美しい存在であると、確信した。

僕なんだよ。
俺なんだ。

わたしは、人間を、愛せない。

だれも、愛せない人間DEATH 。

愛する貴方と同じに。








「世界は残酷だ。

 それでも世界はやはり美しい。

私はただひたすら美に殉じたいと願うばかりだ。」

釣崎清隆







IMG-8613


























人類の拷問の地獄は、決して終わらない







我が敬愛なる釣崎清隆へ





釣崎清隆氏、昨夜は、わたしに優しい笑顔と慈悲の御言葉をくださり、本当にありがとうございました。
今日になっても、まだ胸の底が感動で震えており、それで、今日になって、想ったのです。
せや、わたしの、一番の苦しみを、釣崎清隆に知って貰おう。
釣崎清隆に、わたしの最も苦しいトラウマを、聴いて、知って戴きたい。

その前に、わたしが過去に書いたわたしと父との関係と、わたしが最愛の父を亡くすに至った経緯を、まとめたものがあるので、是非、読んで戴きたい。



映画「小さな唇」感想 男と少女の姿は父親と娘のもう一つの話



この記事では、具体的に書くことのできなかった事柄があります。
わたしが、本格的に寝たきりとなる鬱症状を発したのは、20歳の時です。
父がわたしが元気になるようにと買ってくれたパソコンを、父もたまに使っていました。
皮肉なことに、父はそのパソコンで、無料でDownloadしたAV(アダルトビデオ、ポルノ映像)を観ていました。
父は、パソコンについて何も知らなくて、ダウンロードした動画のアイコンがデスクトップ上に堂々と在り続けていることにも、多分気付いていなかったと想います。
わたしはそれらをあえてクリックすることはありませんでした。
観たくもないのに、たった一度だけ、わたしは偶然的に、観てしまったのです。
何故か、勝手に、QuickTimeか何かの履歴の映像が、画面に流れてしまったのです。
その映像のなかには、一人の若い裸の女性(華奢なわたしの身体つきと良く似た裸の、顔がはっきりと観えない女性)が、カメラに向かって座ってみずからの性器をいじり、自慰行為をして必死に喘いでいる姿が映されました。
わたしは血の気が一気に引き、映像をすぐに消しました。
嗚呼、こんなものを観て、父は興奮し、欲情しているのか…。
わたしと、歳の変わらない、もしくは同い年かも知れない、顔も判然としない女性の喘いでいる自慰行為を見つめながら。
自分自身の、最も穢らわしく、嫌らしい醜い姿を、わたしは見せられ、そのわたしの自慰行為を観ながら父が性的快楽を感じているかのような、わたしにとって、まさに本物の地獄の経験でした。
それが、わたしのなかで最も深いトラウマで在り続けているのだと想います。
15,6歳の時、釣崎清隆の撮った死体写真を観たトラウマや、小学高学年から兄の持っていた数々の、遊人などのレイプ物の漫画の描写によるトラウマを、超える自分のなかの最も深い絶望として、一つのアダルトビデオが、わたしの記憶のなかにずっと在り続けています。

そして、わたしはわたしの本当のすべてであった最愛の父を、自分のなかの”性”に対する深い嫌悪と自責の苦しみによって、喪ってしまったのだということを、今でも信じています。

このトラウマを、克服すべく、わたしが今まで手を伸ばしたAVは、すべて西洋のものでした。
それらを観ても、わたしのトラウマに何か変化が起こることはありませんでした。
どうしても、わたしと同じ、日本人の女性である必要があるのです。
それなのに、わたしはこれまでまだ一度も、日本のAV(アダルトビデオ)を、ちゃんと観れないのです。

でも最近、わたしは釣崎清隆という、貴方の存在を知り、貴方がわたしの最も尊敬する命を懸けて死と、死体と向き合い続けてきた死体写真家で在りながら、同時に、わたしの最も嫌悪感の抱くAVというものを監督してきたAV監督であることを知って、わたしは自分の苦しいトラウマとなる死体を見つめると同時に、最も苦しいトラウマであるAVをも、見つめる必要があると感じています。

最も、観たくはないものを、みずから見つめること、此処にしか、このトラウマを克服する手段は、きっとありません。
この世に、AVが、ポルノ映像が、性的快楽を、肉欲と姦淫を煽るすべてのものが、なかったならば、きっとわたしはこのような地獄のなかで最愛の父を喪い、その絶望のなかにずっと生き続ける重度の引き籠りの生活保護者で、慢性的鬱症状の在るアルコール依存症ではなかったと想います。
でも同時に、わたしは想うのです。
わたしはこの、本物の地獄のなかにずっと生き続けてきたからこそ、ヴィーガンとして、自分が苦しい犠牲になってでも、すべての存在が救われることを一心に願い続けて生きて行ける人間に、なりたいのだと、いつも願い続けて生きている人間として生きられているのだろうと。

だから、わたしは感謝しているのです。
わたしのこの地獄の苦しみは、これからもずっと、在り続けるのだと想いますが、それでも感謝しています。

わたしが、何よりも、愛しているのは人間の深い悲しみであり、深い悲しみこそ、最も美しいと確信しているのですが、愛する貴方のなかにも、”どうしようもない”ほどの深い悲しみが、ずっと在るのだと感じました。

釣崎清隆という存在は確かに、わたしに消えないトラウマとなる贈り物を、贈ってくださった人であり、これからも、きっと贈ってくださるだろうことを、心から期待しております。

釣崎清隆氏、人間の、最も苦しい、最も地獄のその写真を、その映像を、撮り続けて、わたしたちにどうか見せてください。

どれほど苦しくとも、それを見つめ続けて生きようとすること、そこにしか、存在していない人間の真の救いが、必ずや在るはずなのです。









追伸:釣崎清隆氏の撮った、できれば、レズビアン物以外のアダルトビデオを、わたしはどうすれば観ることができるでしょうか…?




最後まで、お読みくださり、真に感謝致しております。


こず恵




















『JUNK FILMS ジャンクフィルム 釣崎清隆残酷短編集』 僕たち、日本人は、本物のJUNK。最も、死体から遠い国に住んでいる。








なかなか、観るのが怖くて、観れなかったが、やっと観れた。
観終わって、悲しくて涙が流れた。
何より、心が苦しかったのは、最後のデヴィッドのところだった。
何なのだろうか…。日本という国の虚しさを、わたしは見せつけられた。
日本が先進国でありながら、自殺大国であることの理由が、この冷ややかな虚しさのなかにあるのではないか。
それに比べて、他の国は、何故あたたかみがあるのか?
動物的な慈悲のようなものが、他の国にはあるように感じられた。
日本は無機質的で、無感情的で、作り物のよう(人工的)である。
だが、ただ釣崎清隆が無言で撮った最後の青木ヶ原樹海の髑髏は、冷たさや虚しさを感じることはなかった。
髑髏には青々とした苔が生えており、大自然の慈愛に包まれながら、完成されたひとつの現象として、感動的なものであった。短いシーンだけでとても残念である。

最も痛々しさを感じたのが、顔がぐちゃぐちゃの血と肉の塊となった死体の映像よりも遥かに日本の若者たちによる友人デヴィッドの納骨のシーンであった。
釣崎清隆の、あたたかい眼差しのフィルターを通しても、それを覆うことはできないほどに、どうしようもない空虚さに満ちており、胸が今でも苦しい。
これは『デスファイル完全版』を軽く超えるほどの死者に対する尊厳の欠如である。
損壊の最も激しいどの死体よりも遥かに、”残酷”なものである。
わたしはそう感じた。
でも唯一の救いは、この映像を釣崎清隆が撮ったことである。
それ以外に、何処にも救いはない。
そこにある闇は、底がない。
日本という国は、この世界で最も救いが必要な国なのではないか。
何故、ここまで寒々しいのか。
ただ丁寧に、慎重に扱うなら、それが死者に対する尊厳であるのだと、想い違いをしているのではないか?
日本というこの国に存在しているこの恐ろしい虚構が、一体、何処から来ているのか。

わたしはこの世界から拷問的苦痛のすべてを無くする訴えを、みずからのなかで強めたくて、死体をじっくりと、見つめることを決意し、釣崎清隆の存在を最近知った。
今、そのわたしを襲っているのは、”日本”という国が、どれほど”救いがたい”凍りついた国であるかということを知らされた吐き気を催すほどの悲しみである。
でも、あの髑髏が、この「ジャンクフィルム」のジャケットの青木ヶ原樹海で釣崎清隆が撮った此の世の何よりも幸せそうに、優しい寝顔で眠る髑髏が、わたしに言うのである。
「僕も日本人だった。」
そうだね…。君はわたしと同じ日本人だったんだ。
でも今は、今は、そんな縛りに縛られてはいない。
世界で一番冷めたこの国から、君は解放されたんだ。多分…。
きっと、そうだ。それとも、骨と魂は、全く、もはや別々の存在だからなのか。
嗚呼…僕は本当にこれまでずっと、髑髏恐怖症だったんだ、それなのに。
この映像の、綺麗な色んな個性を持つ髑髏たちに、なんて胸がときめいたことだろう!
これは釣崎清隆の真剣に死を見つめる愛の深さが、僕に反映したのだと、信じている。
彼の穢れなき愛と悲しみが、全く届かないほどに、この国の闇は、深いのである。
























僕の裸を撮ってくれへんか。

















『聖なるズー』に寄せた削除された我が告白




Amazonレビューに載せたものが、いつの間にか削除されておったので、自分のブログに載せることにする。
自分にとって初めての告白でもあり、大切な表現なので、通報した人間に悲憤を投げつけながら、保存しておいた文をコピー・アンド・ペーストすることに致す。
ちなみに★は5つ満点を付けていた。
(僕が最後に観た時点では2人の方が『役に立った』ボタンを押してくださっていた。)







「20歳前後の時、虹色鍬形がわたしの人差し指に掴まってペニスを突き刺してきた時、わたしは恍惚となり欲情した。
 わたしは本気で彼とセックスがしたかった。」







(2020年)7月15日にこの本が自宅に届いて、18日の午後16時半前、この本を読み終えた。
一昨日辺りから、吐き気の入り交じるほどの不快さと苦しみの感覚と、人間の底知れぬ悲しみを新たに知ったことの喜びがわたしのなかに並存しているが、これを素直に表現するならば、わたしは居た堪れないほどの深い悲しみに打ち拉がれている。

事実、昨日は悲しみのあまり瞼が痺れるほどの涙を流した。
そして自身に対する自罰の想いが、一層深まっているように感じられる。

わたしは自分とズーフィリア(動物性愛者)の彼らを分けて考えることは到底でき得ない人間である。
雄馬と女性が性交している写真に下着が濡れるほどに興奮して欲情しても、わたしは動物と実際に性行為をしたいとは少しも想わないし、舌を絡ませ合うことすら衛生的に考えてしたくはない。

だが人間(自分)とは違う”種”をしか、わたしは真の意味で愛せない人間である。
わたしの性愛とはナルシシズム(自己に対する性愛)であり、またネクロフィリア(死体性愛、死に対する性愛)であり、近親相姦愛でもある。

人間(自分)とは違う種とは、自分を超越した存在である。
だがそれは本来の自分であり、真の自分である。同時に、わたしの父と母であり、わたしの子である。
その存在だけが、わたしだけを無償で永遠に愛し続けてくれる存在であり、その愛は深まる一方であり、決して、衰退はしない。

だが、その愛が一体どこに存在しているのかというと、わたしの外側には存在してはいない。
それはわたしの内側にだけ存在でき得るものであり、わたしだけが、それを生み出せることを確信している。
このわたしの性愛について、これは正常な愛であり、この愛によってわたしは幸福になれるから良いのだと言った時、人々はどう感じるだろうか。

わたしは、この自分の性愛を異常性愛であり、病的だと感じている。
この愛こそわたしが真の愛として切実に求め続ける限り、だれひとり、人間も動物も他のどの存在も、わたしは愛することはできないだろう。

愛そうとしても、不満が募るばかりの愛であり、それによってわたしが幸福になることは不可能である。
わたしはこのような自分自身とズーフィリアの人たちが同じ病に冒されていると感じる。

特に、雌の馬に本当に恋をしているマリクという男性が現れた時、わたしは自分と同じ悲しみを彼のなかに感じ、彼が「馬ほど美しく、完璧で、素晴らしい生物はいない。」と言ったとき、わたしは感動して魂が震えた。
なんと美しいのだろうかと。
彼は人間よりも、馬が美しいと感じて馬に本気で恋をしている。
わたしは生きている人間よりも、死んでいる存在のほうが美しいと感じて生よりも死に恋をしている。
此処に存在している二つの病的さに、然程の差はないであろう。

わたしもマリクも、”人間としての自分”を受け容れることができず、人間としての自分を殺したい(殺している)人間なのである。
「馬ほど美しく、完璧で、素晴らしい生物はいない。」と、マリクはうっとりとした顔で言ったことだろう。
わたしはそれが間違っているとは想わない。人間より遥かに、馬は美しく、純真であり、愛が深い生物である。
人間の醜さと愚かさは、人間が肉食(同胞の共喰い)をする行為によって如実に表されている。

だがマリクに、わたしは言うだろう。
「確かにその通りだ。馬は生物の中で一番に美しいだろう。でも誘われたからといって雌馬とセックスするきみは病的だ。きみは野蛮で醜い人間という生物なのに、何故、穢れなき美しい馬を自分の汚れたペニスで穢すことを許せるんだ?ぼくならばそんなことはできない。彼らはどのようにも穢されてはならない存在なんだ。自分の娘を何よりも美しいと感じている父親が娘に誘われたと言って娘とセックスする。その父親ときみはよく似ているじゃないか。きみはその行為によって、これまで以上にもっと深く傷つかなくてはならない。」

マリクはきっと暗い影を落して顔を伏せるだろう。

だが、「マリク、ぼくはぼく自身に向かって言っているんだよ。ぼくらは、同類なんだ。ぼくらはこのままでいてはいけないんだ。これを真の愛だと、肯定して受け容れて死んで行ってはならないんだ。きみならば、きっと理解してくれるだろう。ぼくは本当にだれも愛せない。ぼく(ぼくを超えた本当のぼく)以外に。ぼくはぼくとしか、セックスができない人間なんだ。ぼくはぼくと性行為するときにしか、恍惚な感覚を覚えることができない。どうやってこのぼく自身に、希望を持って生きて行けばいいんだ。馬をしか愛せないきみはどうやってこの先、人間として生きて死んでゆくつもりなんだ。ぼくの目を視ろ、マリク。何故、ぼくらは、普通に生きていけないんだ。何故、多くの人と同じように人間の異性を人間として愛することができないんだ。何故、自分のすべてを受け容れてくれるだろう存在、自分のすべてを愛してくれている存在をしか、ぼくらは愛せないんだ。きみは恋する雌馬から誘われて彼女と交わった。きみは最早、人間であると言えるのか。ぼくは恋する死から誘われて死と交わった。ぼくは生きていると言えるのか。何故、多くの人は、自分が人間であることと、自分が生きているということに疑問を持たないんだ。何故、多くの人は、動物を”愛している”と言いながら、動物にも”パーソン”が在ると言いながら、動物を生きたまま解体して拷問にかけて殺したその死体を食べていることに平気なんだ。何故、多くの人は、暴力と性暴力を憎みながら、家畜たちが日々奮われている最悪な暴力(虐殺)と性暴力(人工授精というレイプ行為)に対して、あまりに無関心なんだ。人間と動物が対等であるべきならば、何故、殺して食べるんだ。何故、人間は自分の愛することのでき得る動物をしか、愛そうとはしないんだ。何故、マリク、ぼくらは、自分の愛することのでき得る存在をしか、愛することができないんだ。牝馬がきみの遺伝子を継いだハイブリッドの馬人間の奇形児を出産したとき、我が醜い子を観てきみは何を想うんだ。何を感じるんだ?”それ”はやがてすぐに死ぬだろう。神に背いている為、生かされはしないんだ。ぼくは死だけを愛し、死のうちに、死ぬだろう。ぼくはみずからのこの性愛を、決して肯定しない。ぼくはぼくの愛を、否定する。ぼくは間違っているんだ。マリク、ぼくらは間違っている。神(生と性)に背き、悪魔(死と悪)を崇拝している。ぼくはぼくのこの苦しみと悲しみを、人々に受け容れられたいとも理解してもらいたいとも想わない。ぼくはきみと共有したいとも想わない。既に、それは同じものである。ぼくは雄馬のペニスを自分のヴァギナに挿入させたいなんて想わない。実際の”行為”に何の意味がある?そのセックスの行為によって、動物の霊が愛を進化させることはないだろう。愛は行為ではなく、”意識”である。行為がなければ愛し合えない関係にどんな意味がある?何故、人間は動物を愛していないということにそれほど苦しめないんだ?何故、食用の動物たちの断末魔は”人間の愛”から、いつまでもスルーされ続けているんだ。動物とセックスすることが愛ならば殺して食べることも愛だとでも言うのか。ぼくのこの吐きそうなほどの苦しみと悲しみは可笑しいのか。何故、動物とのセックスを認めて欲しいと叫ぶ前にどのような理由からも動物を殺さないで欲しいと叫ばないんだ。動物を愛していると叫ぶ人たちの食卓に牛や豚や鶏の死体が盛られているのは何故なんだ?暴力に反対する人たちのテーブルの上に何故、今夜も動物たちの惨殺死体が皿の上に載せられているのだろう?ぼくはぼくの病的さを理解しようと日々目を向けている。永久に、これが”聖なる愛”であるなどと言わない。これは”虚構の愛”である。この本のなかにも在る同じ”虚構の愛”について、ぼくは終わらない吐き気と人間の根源に在る悲しみとその真っ暗な闇を、感じないでいることはできなかった。」
























木下との秘密の夢

また木下が夢に出てきた!
ぼくはゲームのような道(上から俯瞰もできる道)を歩いていて木下のいる場所まで到着しなくちゃならない。
道が少し薄暗いから、明るくしようとすると今度は道が光りすぎて眩しい。
しかたなく眩しい白い道を歩いてゆく。
やっと到着。木下はモダンな感じの白い建物のなかにいるが、此処は病院なのかも知れない。
木下と色々と話をする。
木下はいまシナモロールにハマっていて、ぼくもシナモロール好きだよと話が合う。
何故か、赤ちゃんのオムツを変える話題でふたりで盛り上がって笑っている。
一生懸命に遣ってるのに、かならず側にいる人間に厳しく「あーそこはこうするの!」とか、うるさく言われることがマジでつらいよね(笑)ってぼくと木下は話しながら笑う。
最後に、木下はぼくに大切な日記をくれる。(それは丸められている。)
ぼくはすごく喜んでいる。
だってこの日記のなかには、とても素晴らしい秘密が書かれているはずなんだ。

最近、またよく夢を見るよ。
悲しい夢や怖い夢が多かったけれども、珍しく(笑)木下がなんだかちょっとほのぼのする夢にでてきてくれたから嬉しいな。

そうだ、あれから、例のコナーたんに、SoundCloudからコメントやメッセージを送ったんだ。
そしたらなんと、彼から、「親愛なる友よ」って言ってもらえたんだ。
ぼくが送った作品(小説)も、「きみは本当の才能がある」って言ってくれて、信じられない。
それから、彼に叶わぬ恋をしちゃっているんだ。
もっと純粋な想いで、ぼくは愛していたかったのに…
恋はなんて悲しいのだろう。
だって彼の幸福を願っているとか言っておきながら、彼に素晴らしい恋人ができたら、僕は苦しくて、祝福できないだろうからね。
でもそれでも、この気持だけは変わらない。
ぼくは彼が、ただ元気で生きてくれていたらそれだけで嬉しいんだ。

きみ(木下)に対しても、同じなんだよ。
















僕の親愛なる友、春馬へ






この「TWO WEEKS」という昨年の作品が、三浦春馬、春馬、君にとって、君の主演のドラマ作品としての最後の作品、遺作となったのは、深い理由があるはずだ。
何故...何故、君は死んでしまったのだろうと、始終胸を苦しませながらこのドラマ作品を僕は一昨日から最後まで間に三時間ほどの仮眠を入れて一気に観た。
そして悲しみに疲れて眠り、目が覚めて毛布にくるまれながら横になって今これを携帯で打っている。
春馬、僕は2006年、25歳の僕が「14歳の母」を観ていたとき、君に仄かな恋心を持って観ていたことを想いだしたよ。
君は僕の9歳年下だ。
僕は確かにあの頃、君に仄かに恋をしていた。その理由が、今、僕はわかった気がするよ。
君は僕と、良く似ているんだ。
魂の根源、本質的なものが。
君が十年前に寺脇康文と話していた対談を一昨日に観たときに、僕は気づいた。
僕らは...とても、とても、とても、その深層部分が、その心髄のような場所が、深く、深く、深く、闇(空虚)なんだ。
だからどんなに信頼する人と話をしていても、家族と話をしていても、いつでも、意識は自分のその場所をもう一人の自分が、眺め、観つづけていて、どんなに笑っても、泣いても、感謝をしても、心の底では、虚しくて、悲しくて、寂しくて堪らないんだ。
自分でそれを良くわかっている。
だからずっとずっと、僕らは独りだったし、苦しかった。
ユーモアセンスがないということにも、真面目過ぎるということにも苦しんできたね。
人と話すのが、だからとてもつらくて、苦手なんだ。いつでも、自分の意識していない部分でもすごく無理をしなくては人と話せない。人の目を見れない。笑うことが、できない。
いつだって人の話に、自分の話に、集中できない。
いつも、自分のなかに存在し続ける真っ暗な闇が、その空っぽの真っ白な穴が、自分を見つめつづけているから。
苦しいよ...僕もずっと。生きているだけで苦しくてしょうがない。
でも僕は、君と大きな決定的な違いがある。
僕は、親の愛を、信じている。
でも君は、違った。
君は、君のなかには、僕のなかに在りつづける親からの愛と親への愛という本当の光、本物の希望が、なかった。
君は、今まで良く、堪えて、強く生きてこれたな...
自分が、何処にもいなかったのに。それをずっと、繊細な君はわかってたのに。
でも、君の苦しみに比べたら僕の苦しみなんて...って、僕はちっとも想わないけどね。
僕はそれでも毎日身を引き裂かれるような感覚のなかに今も苦しみつづけているから。
でも僕がそれでも光を見喪わずに生きて行けるのは、僕のなかには確かな親の愛が生きつづけているからなんだ。
春馬、僕は君を必ず救いに行く。
いや、今、命を懸けて約束しているんだ、君に。
僕は必ず、死のなかから、すべての存在を救う。
そこに、いま君の魂はいるが、君は、僕だ。
それを僕は知っているから。
君が死につづけるということは、僕が死につづけるということだ。
君が、死のなかに、いつづけるということは、僕が、この死のなかに、いつづけるということだ。
僕は必ず、絶対に、この命を懸けて、すべての死のなかにいる存在を救うよ。
その為ならば、あらゆる幸福を犠牲にしてやろう。喜んで、今以上の孤独と苦しみと悲しみを求める。
僕らは死に支配されていると、春馬、君は想うか?
違うよ。僕が、死を支配しているんだ。
そして君も、本当はね、死を支配しているんだよ。
でもその力を発揮する能力を、僕らが使いこなせるようになる為には、一体どれほどの絶望と、みずからの闇と向き合いつづけなくてはならない苦しくて堪え難い時間が、必要だと想う?
僕は本当に寂しくて堪らない。
もうこの世界には、僕を愛している存在は存在していないことを僕は知っているからね。
僕は4歳で母を、22歳で最愛の父を喪った。
来月で39歳になる。僕はこの世界に対しては、本当に絶望している。
何故なら、僕は愛されてはいないんだ。誰にもね。
この地球上には、だれひとり、僕を本当の愛で愛することのできる存在はいない。
僕は散々、母の記憶がない僕にとって、父が、僕のすべてであったのだと人々に話してきたが、本当の意味で、それを真に理解し、共鳴する人はほぼいない。
僕のこの絶望を、本当のところでみんなわからないんだ。
僕は最も愛するぼくのすべてであるお父さんが死んだときに、僕も共に死んだ。
だから君と同じ、僕は同じ、死のなかに生きているんだ。
ずっといま君がいるそこでね、僕は生きてきたし、これからも、生きてゆく。
僕の命も、この人生も、長くないのかな。
春馬は知ってた?信じられないほど、今、この星は最悪な時代、最悪な”その時”に向かって、猛スピードで、爆走している時代なんだぜ。
早くて、数十年以内、もうこの地球上は、もうどの生命も、絶滅するかもしれない。
1万5000人以上の科学者たちが、人類は今すぐにでも「植物中心の食事(つまりヴィーガンかベジタリアン)」へと移行せねば、この地球は第六の大量絶滅を免れないともう何年も前から人類に向けて警告し続けているのにも関わらず、ほとんどの人たちは、それに無関心さ。(検索ワード「地球への脅威はるかに悪化、科学者1万5000人による「人類への警告」
人類があまりに、愚かに、身勝手に、愛の喪われた虚無のなかに、生きてきた結果、この地球という星はまた一に、戻るかもしれないんだ。
本当に、間に合わないのならば、また最初から遣り直しさ、またこの星に人類が誕生するまでには、何十億年と、かかるかもしれない。
後悔しても、もう遅いんだよ...。
春馬...それは、君という大切で、絶対に、死んではならないという存在が、死んでしまったという事実、現象、この一つの悲劇である現実として、変えることはできないということだよ。
どれほど、いま君がその死の闇のなかで、ひとりで苦しみつづけているか、僕はわからない。
でも僕は確かに君に約束をした。
すべての、僕の幸福を喪ってでも、僕は必ず君を救う。
僕の絶望は終わらない。
春馬、君はさ、愛する”君の娘”である彼女のもとに、戻るつもりはないんだろう?
君は"彼"とのカルマを、すぐに清算することはできない。
何十回と輪廻転生を繰り返しても、多分、足らないだろう。
"それ"は恐ろしいほどに、深いものなんだ...
それを清算するまえに最愛の彼女のもとに戻るならば、つまり、彼女との幸福を手に入れようとするならば、彼女を、あらゆる危機にさらすだろう。
君はそれを決して許さない。
だから君にとってのこの作品は、君が今いるその世界、"天国"から、寂しそうに、彼女(のいるこちらの世界)を振り返るシーンで終る。
今、僕は泣いている。
君は、気の遠くなるほどの時間、永遠に感じるほどの時間、きっと彼女のもとへは戻らないだろう。
彼と、本当の決着(結着)を着けるまではね。
君の今のその苦しみには、勿論、終りがある。
だが生命は、みずから、更なる深さを、追い求めつづける。
それが生命である僕らという、すべての光の存在なんだ。
僕らはすべて、永遠に、生きつづける。
時間の存在しない世界で。
その愛と光による、孤独と、苦痛と、その悲しみに、終り(果て)はない。
春馬、君は、今も、生きているんだ。
眼には見えない世界で。








8月8日追記:
今日、春馬が僕の夢に出てきました。
彼は僕に向かって何気ない顔でこんなことを言いました。
「きみが何処で何をしてて、どんな服が今欲しいと想っているか、ぼくにはすべて観えているんだよ。」
僕は夢のなかでは、マジ?って顔で吃驚していたけれども、夢から覚めて、色々考えている。

もしかしたら君は、”だれか”を助けるために、そっちに行ったのか?

それとも、僕の願いが、君の姿になって現れたのかな。

君は僕の内と外で、生きているんだね。








8月18日追記:
昨日から、「条件付きの愛 劣等感」、「条件付きの愛 完璧主義」等で検索して、色んなことを考えていました。
自分の、本質的なところに、空虚で、透明な感覚がいつまでも抜け落ちないのは、わたしが親から、条件付きの愛でしか、愛されてはいないのだと、わたし自身が感じて来たからなのではないかと。
わたしが4歳9ヶ月の時に他界した母は、敬虔なエホバの証人だった。
家族のなかで唯一人、忠実なクリスチャンであった母は、一体どれほどの厳しい躾のなかで、わたしを育てたかを、わたしは記憶にない。
父から聴いた話では母からも、剥き出し(裸)の尻を皮の鞭で何度と叩かれるという躾を行われていたという。
わたしは泣きながらそのなか、絶叫し続けていた。
その厳格な躾も、今のわたしの何をしても拭えない劣等感や完璧主義と関係しているだろうか。

そしてこの躾(教育)は、わたしの未だ続いている離人症的苦しみ(現実離れの感覚)や、底がないと感じるほどの空虚感に、関係しているのだろうか。
容姿端麗の両親の間に生まれたわたしは、母がわたしの新生児時代の醜さを嘆く日記を母の死後、数年後に読む前から、それを察していたことだろう。
「じぶんは、可愛くないからという理由で、実の母からも、愛されないのか。」つまり条件付きでしか、愛されないのだというこの感覚が、いまもわたしを苦しめ続けているのか。
僕は小学校5,6年時、学年で一番可愛いと言われていた。
そうにも関わらず、自分の鏡を観るたびに、自分の顔が、いつも気に入らなかった。
自分の容姿に、常に劣等感を持ち続けて生きてきた。
どれほど、他人から褒められようが、自分はそうは想えない。

この苦しい感覚を、僕以上に、春馬はずっとずっと感じて生きてきたんじゃないか。
どれほど、周りから才能があると言われても、自分のなかの空虚さが薄れることがない。

この”渇き”が、一滴たりとも、癒えることがない。
何故ならこの渇きを癒せるのは実の親であることを、わかっていたからではないか。

”真の親”とは、何がどうなろうと、変わらぬ愛で愛してくれる存在である。
わたしは、親の愛を信じていると同時に、”闇”のなかに生きているのは何故か。
そのひとつの原因を、「条件付きの愛でしか愛されていない」というみずからの感覚にあるのだと、わたしはわかっていたことに、改めて気付かされた。

きみに、足りないものは何なのかなんて、考えない。
きみに、足りないものなんてない。

ダムを想像して欲しい。
溢れる水が堰き止められねば、甚大な被害を被る。
でもこのダムを造ることができるのはだれなのか。
ダムを造ることの被害については、だれが被るのか。
僕が言いたいのは、人々の苦しみと悲しみには、”限界(limit )”が在るということ。
他者の限界値に気づけないのはみずからの限界値を、”決壊”させても平気でいられる”こころ”として、生きてしまっているからかもしれないということを。








8月19日:追記
”愛”とは、なんなのだろう?
ほんとうにたくさんの人たちが、三浦春馬という一人の男の子が自分の命を殺してしまったということに、ショックを受け、嘆き、悲しみ、深い無念さや虚しさを感じている。
でもその”愛”とは、”条件付きの愛”なのだろうか?
それとも、何の条件も付けない、”無条件の愛”、本当の、”無償の愛”なのだろうか。
僕は彼の魂が、こう今も悲しんでいるように感じている。

ぼくが、容姿がほんとうに醜くて、だれひとりにも好かれない人間で、性格も、気持ち悪くて、気味が悪くて、奇妙な、だれにも理解されない気色の悪い趣味を持っていて、ほんとうに、何の才能もなくて、いつもうじうじとしていて、だれにも優しくなくて、何の想い遣りもなくて、引きこもりで、国の税金でお酒を飲んで生きていて、なにひとつ、なにひとつ、良いところがない人間だったとしても、ぼくはだれかに、こんなふうに、惜しまれたのかな…。

きみは…どう想う…?








8月20日追記:
『私がある人を条件付きではなく愛するとは、たとえその人がどのような人であろうとも、私はその人の存在を承認し、肯定し、祝福するということだ。たとえその人が私の望んだような人間ではなくても、たとえその人が私の枠組みを破壊するような存在であったとしても、たとえその人が私のいまの快適な生活や人生を根底から崩すような存在であったとしても、私はその人の存在を承認し、肯定し、祝福するということだ。いくら私がつらくなり、苦しみ、声を上げて叫びそうになったとしても、私はけっして目の前にいるその人から一方的に逃げたりしないし、どこかへ閉じこめたりしないし、存在を抹消したりしないということだ。「条件付きではない愛」とは、大切な人に対して、このような態度を貫くことである。』
『無痛文明論』森岡 正博著 P62より

僕たちはどれほど、人を”条件付きではない愛”によって、愛しているのだろうか?
そしてどれほどの人から、その愛によって、愛されているのだろうか?
僕は三浦春馬という一人の存在が、死のときも今も、自分と他者にそれを訴えているように感じる。
繊細で優しい者たちが次々とみずから命を絶ってゆくこの世界で、遺された僕らは、その愛によって人を愛し、愛されているのだろうか。
何かがおかしい…
人はどれほど苦しくとも、自分という一人の人間を殺してはならない。
でも人がいつまでも条件付きの愛でしか他者と、そして自分を、愛せてはいないことに気づかないままに生きて死ぬことで、一体、僕らは誰を犠牲にしてきたのかということを、深刻に考えることもなく、死んで良いことにはならない。

僕らは、春馬の尊き犠牲によって、”自分自身”を、どのように変化させてゆけるのだろうか?
どのように、自分と他者を愛して、死ねるのだろうか。








8月22日追記:
『(相手が)私に、なにかの「幻想」を貼り付けていた場合、私は愛を失うのを恐れるあまり、必死になって自分をその幻想に合わせようとするだろう。自分を相手の幻想に合わせることによって、相手のお気に入りとなり、相手が要求する条件をクリアーでき、愛を握りしめておくことができると考えるだろう。
しかしながら、実際にそれをつづけていったとしよう。そのうちに、相手の幻想を演じている自分と、自分にいちばんぴったりくる自分とのあいだのギャップが、どうしようもなく開いてくる。しかし、愛を失うことがいちばん恐いのだから、私は相手の幻想を演じる自分のほうにこの私を重ねていこうとする。そうやって、自分にいちばんぴったりとくる自分を殺していく。
するとどうなるか。私は自分が自分であるというリアリティを徐々に失っていくのだ。この私が自分の人生を生きているのだ。という充実感がしだいに失われていき、ロボットのようになる。私は私だが、私ではない。私は嘘の人生を生きることになる。』
『無痛文明論』森岡 正博著 P84より

芸能界はまるで、人々の『幻想』の掃き溜めのようだ。
芸能人はいつまで人々のつまらぬ幻想のなかで生きなければならないのか。
何故、芸能人は、自分の至らない部分や醜い部分を少しでも曝け出すと、たちまちに嫌われ、誹謗中傷を受け続け、まるで「言葉の殺人凶器」のような恐ろしい非難を受け続けねばならないのだろう?
一人の俳優の弱さや受け容れたくはない要素を、これでもかと言わんばかりに否定する人々たちのなかで、彼らは自分を殺しつづけ、人々の幻想のなかに生きてゆくしかないのか。
僕は正直に言うと、三浦春馬の演技力や容姿の美については、そこまで評価していない。
僕は彼のファンだったわけではない。
目くじら立てて、此処が駄目だとか、何かに付けてダメ出しの評価もしてこなかった。
僕は彼は、まだまだこれからなんだと想っていた。(彼は作品に恵まれていないと感じて、僕が心から観たいと想える作品に彼が出演していなかったことも理由である。)
それでも彼は怪優と言われる岸田森や、三國連太郎のような俳優にこれから成る素質があったかもしれない。
だが俳優のなかで、ほんの少数がそういった俳優になれる世界で、人々の評価が、どういうところで一人の俳優を絶望させてしまうのか。

僕らは一人の俳優を、弱い部分も醜い部分もあるだろう一人の人間として、みずからの「幻想」を捨て去って、静かに見つめる必要があるのではないだろうか?
そしてそれはすべての人間と、”自分自身”に対しての幻想を、どのように剥がして、”無条件の愛”に向けて愛してゆけるのかという課題に、だれもが真剣になる必要があるのだと、僕は改めて想う。































人間は絶望のなかで死んでゆく

ぼくは目覚め、ヴィーガンになってから、大変に複雑で矛盾した想いに駆られ続けている。
ぼくはこの苦しみを誰かにわかってもらいたいと感じる。
だが、ほとんどの人は多分、これを理解はできないだろう。
ぼくがヴィーガンになったのは、ひとつの長いとても現実的な悪夢を見たことが切っ掛けであった。
その悪夢とは、ぼくの目の前で白い袋を頭から被せられた人々が並ばされ、次々に跪かされて斬首されて殺される夢であった。
この悪夢を、ブログに記した日から、さらなる現実の悪夢がぼくに続いた。
ぼくはネット上で、偶然にもサウジアラビアで公開斬首刑になる寸前の一人の少女の写真を見た。
悪夢とその写真、二つともぼくが彼らの後ろから眺めるアングルであった。
その写真と、ぼくの見た悪夢はぴったりと重なり、何日間も自分の首が切り落とされる感覚と痛みに苦しみ続けた。
ぼくは生まれて初めて、本当の真剣にこの世の救いを求めた。
何故、人類が、このように残酷な拷問の地獄のなかで殺され、死んでゆかねばならない世界なのか。
そしてぼくのこの問いに行き着いたものが、生々しい屠殺場の映像であった。
今から約8年半前、ぼくは初めて屠殺場の映像を見た。
それで、全身の震えが止まらないほどの恐怖と苦痛と、血の気が一気に引く感覚と、悲しみで止まらない涙のなかで、ぼくはやっと気づいたのだった。
嗚呼、ぼくは…ぼくの愛する両親を殺し続けて食べてきた。
ぼくはぼくの家族を、そしてぼく自身を、生きたまま解体して虐殺して、食べ続けてきた。
終るはずなんてないじゃないか…人類の地獄と拷問が…。
人類は、自分の来世(未来)を拷問にかけ、何度と繰り返し殺し続けているんだ。
それをやめるまで、人間は地獄のなかで死んでゆくだろう。
本当の地獄のなかで、人間は救いを求める手を差し出すが、目の前には自分がこれまで無関心に殺し続けて来た家畜たちの悲しい目が自分の目を見つめているだろう。
そしてその家畜の目は、自分の目であることに漸く気づく。
それをやめるまで、人間は絶望のなかで死んでゆくだろう。
その絶望の目は、屠殺されゆく動物たちの目である。
ぼくは人間も動物も救いたくてヴィーガンになったが、ヴィーガンになって、ぼくは人間を地獄に落とさなくてはならないことがわかった。
それは今ぼくがいる、寝ても覚めてもこの堪え難い地獄の世界(現実)である。
























親愛なる君へ

アーティストにファンがお薦めの音楽を教えることはあまりないことだと想うのですが、このアルバムは是非リッキーに聴いて貰いたいなと感じて、良かったら読んでください。

そのアルバムはBalam Acabというアーティストの「Wander / Wonder」という2011年のアルバムで、このアルバムの二曲目の「Apart」という曲を最初聴いたとき、本当に衝撃を受けました。
それでアルバムを通して聴いたときに、言い知れない彼の喪失感と、深い本物のカタルシスを感じました。
このアルバムを、光のすべてを喪ってしまったときに、是非聴いてほしいのです。

でもそれだけでわたしと彼との関係は終わらなくて、わたしは彼とSNSを通して言葉を交わしたりもして深く関り出したとき、初めて経験するアーティストと近づくことの苦しみを知りました。
彼のSNSは本当に痛々しくて、彼の抱えている苦しみと悲しみの叫びが生で伝わってくるのです。
作品とはその殆どは昇華させられている為、わたしたちは彼らの苦しみと悲しみに触れても、何とか堪えられるんだと感じました。
でも作品以外のものでそれを知ったとき、わたしは耐え難くて、それでかなり長い期間関わりをやめ、SNSから離れていました。

こんな話を聴いて、リッキーは心苦しいと想いますが、わたしはアーティストもファンの苦しみを知っておいてほしいと想うのです。
わたしはアルコール70~80度前後とか、信じられない度数の瓶をラッパ飲みする写真をしょっちゅうUPする彼のSNSに❤マークは到底つけられませんでしたし、何の言葉もかけることもできませんでした。
ファンにとって、愛するアーティストを助けることができないことはとてつもない苦しみでした。
だからといって、そんな写真は載せないでほしいなどとは想っていないのです。
アーティストはすべてを曝け出すべきです。
それができないから命を絶ったアーティストはたくさんいるはずです。
本当に創りたい作品を創ることができずに、ファンにさえ本当の姿を見せられずに、虚構の自分しか生きられないことに堪えられずに死んで行った人のようになってほしくありません。

「アーティストはこうあるべき」など、何もないのです。
わたしたちファンも、言いたいことを言えずにただ励ますばかりは苦しいものです。
リッキーには、こうして話し掛けることが今はできていますが、本当に何もしてあげられないとファンが感じたとき、アーティストはどんどん孤独になって行ってしまいます。
それでも、これだけはわかっておいて貰いたいのです。
わたしが想うに、たった一度でもそのアーティストの作品を心から愛した人は死ぬまで、そのアーティストのことを心の底で応援し続けているし、良い作品を作らなくたって、ただ生きていてくれたら良いと願っていますし、苦しくとも命を絶ってほしくなんてないのです。

本当の才能があるのに、わたしの愛するKhonnor(コナー)というアーティストも2004年に「Handwriting」というアルバムを出して2009年にEPを出してその後姿を消してしまいました。
多分、心の病が、彼に想うような音楽を作らせなくなってしまったのだと考えています。(追記:「Khonnor」でこの記事を書いた次の朝に新しい記事を検索してみたところ、信じられないことに、彼が新しい名義「CCLCNG」で復帰したというニュースを知りました…何ということでしょう。彼はもう戻ってこないのだと何処かで勝手に決めつけていたのです(笑)嬉しいと同時に彼の新しい音楽がどんなものなのか…聴くのに勇気が要ります。その記事を日本語翻訳にして読んでみると、彼は今までの間に麻薬に堕ちたり半年間ホームレスになったりカルテルの人々とトラブルに巻き込まれたり…Facebookをハッキングされて物を盗まれたり、一昨年には父親を亡くし、昨年には自動車にはねられ昏睡状態に陥り、頭蓋形成術を受けていたようです…)
でもわたしは早く良いアルバムをこさえて戻ってきてくれと願うのではなくて、とにかく元気で生きていてほしいとずっと願い続けています。
本当のファンは、みんなそうだと想います。
リッキーにも、そんなファンがたくさん存在しているのだということを、どうか忘れないでください。
良い作品を創ることより良いライヴをすることより、命のほうが遥かに大事であるのです。
わたしが西洋医薬のすべてを止めたのは、薬は肉体だけでなく精神をも破壊し、破滅させてゆくことを身を通して実感したからです。
わたしが一番好きな映画はゲイリー・オールドマン主演のアレックス・コックス監督の「シド・アンド・ナンシー」です。
シドとナンシーが二人でドラッグで破滅してゆく本当に美しくてならない物語です。
でもそれは作品だからそう賛美できるのです。
リアルのシドとナンシーの最期を、美しいと賛美することはわたしにはとてもできません…それは人間を破壊させるドラッグを賛美していることと同じになってしまいます。

最後に、わたしが一番言いたかったことは、ファンはアーティストの苦しみを知るべきだと想うし、アーティストもまた、ファンの苦しみを知るべきであるのだということです。
ファンはリッキーに、良いライヴをしてくれることよりも、生きていてほしいのです。
次のフルアルバムを作られないことをBalam Acabも相当苦しみ続けていると想いますが、その苦しみもファンは十分に理解しているのです。
ファンを心配させちゃダメだなんて、想う必要なんてありません。
堪え難いとき、ファンには逃げ場があります。
アーティストとファンが、もっと互いの苦しみと悲しみを共有し合えるようになれたならと願っています。

読んでくださって、本当にありがとう。


こず恵









親愛なる木下へ

取り敢えず、わたしのなかで一人の特別な存在で在り続け、大切な人間の一人である木下に、此の地獄の世を最後まで生き抜くためのわたしからのエール(祈りの叫び)を送りたいと想います。
もう二年以上、君のTwitterも観ていなかったし、ほとんど誰の近況も知らないで家で引き籠もって何年も暮らしてきたので、昨日に木下が倒れてたことを知り、とても心配になりました。
最近すごく痩せて来た気がして前から心配だったのですが、そんなことになってたのを全く知らなかった。
でも木下は、段々と美しくなってきてるなと感じました。
フイッシュマンズのさとちゃんにどんどん似てきてるし、中原中也にも似てきてる。
此の二人はこの世界で美しくてならない人間です。
それからフジファブリックの志村さんもそうです。
三人とも夭折しています。
其処に君までもが入ってほしくはないと感じます。
なんか、木下を観てたらわたしの六歳上の兄に重なるのです。
わたしの兄は所謂、廃墟同然のほんまもんの猫の多頭飼育崩壊した言葉を絶する猫屋敷に、猫十匹と暮らしています。
こないだ、姉の長年飼っていた猫の葬儀に、五年振りに兄二人と姉と4人で集まって、兄に会い、そのわたしの生家に入りました。
リビングの絨毯にも、ダイニングキッチンにも、猫のうんちがそこらじゅうに積もっていました。
猫が逃げるため窓を少ししか開けられないもんもんとした熱気と強烈なアンモニア臭のなか、わたしたちはそれらを始末しなければなりませんでした。
兄は完全に鬱症状があるのですが、猫たちを手離すことはできないのでそんな状態でずっとトラックの運転手の仕事をしてきました。
休みは週一、12時間拘束労働であるブラックな会社です。
そんな暮らしをしているまさに本当のキレギレな状況に生きてることが奇跡のように感じるわたしの兄と、木下が重なってしまったのです。
絶対に、死んでほしくなんてありません。
何処かに、救いがあるはずなのです。
以前、2014年にTwitterで木下にART-SCHOOLが好きだったみずから命を絶ってしまった子の話を教えたことがありました。
彼女がこの世を去ったあとに、遺したミクシィの日記を読んで彼女の存在を知り、わたしはそれでART-SCHOOLを好きになったのです。(彼女は特に「ニーナの為に」が好きだった記憶があります。)
肉体は男性であるのに男性に恋をしてしまう彼女の苦しみは壮絶であり、彼女の日記を読んだだけでわたしは彼女をとんでもなく美しい人だと感じました。
でも彼女の存在を愛し、彼女が生きていて欲しいと祈るなかに、彼女はみずから命を絶ってしまっていたことを知り、苦しみのあまり、ART-SCHOOLのモザイクを大音量で流しながら鏡を見たあとに大声で泣き叫んだことがありました。
2008年の夏でした。
その頃からずっと引き籠もって、生活保護を受けてわたしは生きてきました。
アルコールにどれほど救われてきたかと感じます。
話すことができる存在が訪問看護師の女性とホームヘルパーの女性と、それから姉しか存在しないのです。
でも本当に苦しいことは、ネットでしかわたしは話すことができません。
何故ならそれは人類にとって堪え難い地獄の苦しみだからです。
その苦しみと悲しみを創作で最終的に昇華させることがわたしの仕事(役目)であり、わたしが生きる意味です。
でも生命を救うためには、自分自身がぎりぎりのところで苦しみ続ける必要があるのです。
木下も、きっとそれがわかってる人なんだと感じます。
わたしにこの世界の本当の光と闇を与えたわたしの生涯の師匠である町田康もそうです。
愛ゆえに、みずから悲しみと苦しみを求め続ける人なのです。
わたしは彼にひれ伏し続けるほど町田康という人間を崇敬し続けています。
彼の作品のすべてが、生命のすべてに対する切実な祈りだと感じるのです。
君も、そんな作品をたくさん知っているはずです。
その祈りを、其処に確かに存在している愛を、どうか忘れないでほしい。
わたしはそれを忘れない限り、この堪え難い地獄の世界を最後まで生きることができると感じます。
いつの日かライヴ会場で、木下の祈りを全身で感じたいなと願います。



追伸:人とは、苦しみつづけて悲しみつづけるほどに、何かを赦されてゆくんじゃないかと感じます。
赦す存在とは自分の外に存在しているのではなく、自分の内に居るのだと想います。
















死の笑顔

みちたが10月11日に旅立ち、もう一月半が経つ。
僕は聖書を学び始める。
母が信じて死んでいった同じエホバの下で、僕が聖書を読む。
一つ、僕は学ぶ。愛想笑いをしないでも良い人間になりたい。
愛想笑いとは、互いの無関心の下にある。
関心があるのであれば、本当の笑顔で笑えないのか。
それとも苦しいからか。苦しいと関心があっても引き攣った笑顔でしか笑えないのか。
どうなんだ俺は。俺は俺が、わからないなと想った。
何故、わからないのですか。僕はそう神に問うた。
神は答える。
そんなこと、なんだって良いだろう。もっと大切なことがたくさんある。それについて、悩みなさい。
僕は歯軋りし、胸を掻き毟った。
そして僕は言った。
偽りの神よ。去りなさい。
だが神は、去ろうとしなかった。偽りの神ではなかったのか。
頑なに、僕を見つめて、沈黙している。
僕はどれほど苦しくても、偽りの笑顔で誰かに笑い掛けたくなどない。
そんなアンチ・キリストなことをするくらいなら、僕は不機嫌な顔で、そこに突っ立っていたい。
そして集会場で言う。
「あのお、もう帰っていいですかね?つまらないので…僕は聖書を学びに来たのであって、こんな下らなくて神が喜びそうもない会話に作り笑顔を引き攣った顔でし続けることを學ぶ為に来たのではありません。帰らせて戴きたい。帰って赤ワインを飲んで、今すぐに、この、今あったこと、この虚無な時間を、忘却したい。滅ぼしたい。宇宙から、殲滅させたい。もう、耐え切れないですわ。ほんまっすよ。僕は今、涙を必死に堪えています。今できるなら、号泣して神に問いたい。何故、僕は、偽りの笑顔で、偽りの人たちに対して笑い掛けねばならないのですか。この虚構に、何故気づかないのか。ただ関心のある振りをして、笑い合って、謙遜し合っていたなら、神に喜ばれるのですか。神は喜ばない。決して、神はそれを、喜ばない。僕にはわかる。僕はもう、それだから無理に笑いたくはない。関心のある振りもしたくはない。それは愛してもいないのに、愛してると言っているのと同じことだ。それは、神に背いている。僕は、神に嘘を付きたくない。神に嘘をついて、何の為に聖書を学んでいるのかわからない。僕は神に忠実に生きたいのです。僕は、あまりに愚かなので、神に本当に愛されたいのです。神は本当の笑顔でだけ、人に笑い掛けることを、求めておられます。僕は最早、笑いたくないとき、笑えないとき、ムカつくとき、まったく面白くないとき、嫌な気持ちのとき、退屈なとき、悲しいとき、苦しいとき、寂しいとき、もう笑いたくない。もしくは、嘲笑うかのように、鼻で笑うかもしれない。人々は、僕をこう想うだろう。なんと不謙遜な人間であるだろう。神は謙遜な者を愛するのである。僕は問う。神は一度たりとも、作り笑顔でわたしたちに微笑みかけたことはあったか?人々は、首を横に振る。そんなこと、あるはずがないだろう。僕は問う。では何故わたしたちは、作り笑顔で人に微笑みかけるのですか。愛のない、その冷えた作られた笑顔で。僕は言う。それは神に対しても、全く同じ冷えた微笑みで微笑みかけていることと同じなのです。何故それにあなたがたは耐えられるのか。僕は神に対して、正直でいたい。だから嬉しくないとき、もう誰にも、笑い掛けたくない。悲しいとき、悲しい顔のままでいたい。つまらないとき、つまらなさそうな顔をしていたい。尿意を我慢しているとき、尿意を我慢しているような顔をしていたい。心で馬鹿にしているとき、冷ややかに顔を歪めて嘲笑っている顔をしていたい。どんな場所であっても。それが、神に正直でいる、神に忠実であるということであると、僕は想う。僕は人間にどう想われたって構わない。僕が愛されたいのは人間ではなく、神だからです。もし、僕がこれから先も、作り笑顔で人に笑い掛けるとき、そのとき僕は、死んでいるだろう。死者が、笑い掛けているのです。不気味な笑顔で。そして鏡を見てゾッとする。なんと恐ろしい顔だろう?そこに映っているのは、サタンである。神ではなく、偽りの支配者、サタン神である。神は言う。見よ。あなたの、その死の笑顔を。何も生えない灰の地の上で、その笑顔は這いずりながら、わたしではなく、屍を見つめ続けるのです。」

















エリヤの火

また師匠が夢に出てきた。
最初はスーパーマーケットで師匠と出逢う。
そして知るんだ。
師匠は大型トラックは殺人機であると想っていることを。
だからこの店の前の道に大型トラックがたくさん列を成す日は絶対に店には来ない。
ぼくはその殺人機の群れの横の狭い左の歩道を歩いて師匠の家に行く。
師匠の家は壁が一面なくて、ぼくは壁のない面に背を向けてまるで店の展示物のように並べられている本を右から見てゆく。
何冊か並べられ、そこにぼくの書いた本を探す。
やっぱりない、とがっかりしていたら、一番左にぼくの本名が書かれたぼくの本が並んでいる。
そしてその横に師匠が立っている。
ぼくは歓喜の想いで師匠に言う。
わたしの本を一番にしてくれたんですね。
師匠はいつもの複雑な表情でぼくに何か答える。

その言葉は、こちらの世界では理解できない言葉だったから、きっと忘れてしまった。

ぼくと師匠は、たぶん『すべてを本当に救いたい』気持ちで繋がっている。
ぼくは師匠に救われ続けてきた。
でも同時に、ぼくは師匠を救えないのかと想うと絶望して悲しみに暮れてきた。

でも今想うのは、ぼくは師匠を救ってきたのかも知れない。

『救済』という行為、現象は、一方的に起こるのは不可能なんだ。
必ず互いに救われないでは救われない。
それは救いではないんだ。

でも此処に、愚かな人間がいる。
本当に愚かな人間だ。

ぼくは本当にすべてを救いたいのに、だれひとり救えず、独りで真っ暗な闇の底で死んでゆくことを願い続け、神に請う。

こんな愚かな人間が他にいるだろうか?

これほど愚かな矛盾があるだろうか。

ぼくは知っているんだ。
最も愚かな人間は、最も神に愛される者だということを。

最も愚かな人間は、最も神の救いを求め続け、そしてだれひとり救えずに死ぬことを、祈っているんだ。

まだ観ていないなら、アンドレイ・タルコフスキー監督の『ノスタルジア』を観てほしい。
ぼくがどれほどこの映画に感動したか。

この映画は最も愚かな矛盾、そこにある最も悲しい美しいものを描いている。

右の手にはイエス、左の手には洗礼者ヨハネが立つ。
どちらが本物の救世主、エリヤだと想う?
天はかしら。
爪先は温泉に浸かっている。
腹には死が宿っている。
彼女が産むのは誰なのか。
産みの聖母よ、貴女は誰の子を産むつもりか。
子宮のような洞窟で、男が詩を読んでいる。
医者から持ってあと半年だと言われ、この地に遣ってきた。
男は誰かに話し掛けるように話し出す。
子が、親の年までも生きないで死ぬのは、どれ程の罪か、考えたことはあるかい?
死者を救う方法は一つしかない。
我が魂を灰と見なし、これに火をつけて燃え上がらせる。
これを心から信じ続ける者だけが死者を救える。
その魂だけが、燃え尽きることはない。
その魂は燃え続け、そして太陽となった。
彼がいなかったなら、この世は永遠に闇のなかだった。
だれのことも、人は愛せなかっただろう。
彼はこの世を救ったと想うかい?
彼がいなければ、すべての生命は凍え続けて生きなければならなかった。
生まれてから死ぬまで、ずっと拷問の日々さ。
彼は、真にこの世を救った。
今もずっとずっと燃え続け、燃え尽きる日まで、彼はぼくたちを照らしてくれる。
そして彼が燃え尽きたあとには灰の雪が降り続け、生命は彼の灰を食べて生きていかなくてはならないだろう。
何故ならそれしか、ぼくたちが生きてゆく方法は最早ないからだ。
彼はエリヤだった。
再び、この地を救うため、彼は一本の小さなろうそくを手に、此処へ降り立つ。
洞窟のなかはあまりに寒く、男は読んでいた詩集を一枚一枚破ってそれを燃やす。
何、なにも問題はない。
男はすべての詩を、憶えている。
何度も何度も、同じことを繰り返し、その都度くるしみ嘆いて来たからだ。
イエスは母の水のなかで、豆粒のように小さかったときから受難の日について想い煩う。
このときから、イエスはずっと父に祈り続ける。
どうか堪えられるものだけをわたしにお与えください。
堪えられないのならば、どうかこの杯をわたしのまえから去らせてください。
イエスは洗礼を受ける日、洗礼者ヨハネに尋ねた。
あなたはエリヤではありませんか?
ヨハネはイエスに答えた。
いいえ、わたしはエリヤではありません。
男は火から、ちょうどよく離れた場所でその暖かさに微睡んでいる。
ほんのすこし近づけば燃えるように熱く、ほんのすこし離れれば凍えるように寒い。
イエスはすこし呆れた顔をしてヨハネに言った。
あなたはエリヤです。
あなたこそが、エリヤなのです。














町田康師匠との想いで第二

汝、我が民に非ず。そう神から言われた日には、どんなにか悲しきことであろう。
まず、神なのに、何故そんな殺生なことを言うの?と想って『あなたはわたしの神だけれど、なんて心の狭いキャパシーの小さい神だろう。』などと反論することは果してできるだろうか。
反論することで、果してその者は神に愛されるのだろうか。
前置きがちょっと長くなりましたが、わたしは昨夜、『汝、我が民に非ズ』というバンドのレコ初ライヴ(レコードを発売して初めてのライヴ)に行って、そのヴォーカリストの、町田康という神に逢いに行って、神にCDにサインをしてもらって、握手もしてもらって震える感動のなか、一人で家に帰って帰りにキャベツと白菜を買うて、家に着いた途端、キャベツと霜降り舞茸をフライパンにて熱し炒めせしめ、これを喰らいつきながら赤ワインを4杯どこかそこら飲んで汝、我が民に非ズ、の全曲を二回再生して眠って起きたら朝が来ていました。

不思議な朝でしたね。妙なシュールな夢を見ていたのですが、全く、昨夜のライヴとは関係の無さそうな夢でした。
悲しいけれども、そんなことでわたしは挫けますまい。
今から、我が神に対するアルバムとライヴへの想いをなるべく、簡潔に、綴りたいと想います。
なんで簡潔かと言うと、あんまり長いと師匠も(あっ、師匠とは我が神の別の呼び名です。)もたれも、たれひとりも、最後まで読んでくれないかもな。と恐れるからでございます。
二日酔いの脳髄で、何を言っておるのかと師匠は想われるかもしれませんが、やはり言っておかないと後で後悔しそうなので、今、午前10時49分ですが、わたしのこれまでについて、まず話始めたいと想います。

まず、わたしが町田康という作家を、我が生涯のたった一人の師匠と呼び始めたのは、今から八年前の、2010年の十一月のことでした。
図書館で偶然に手に取った『告白』という分厚き本を借りて、それを最後、徹夜して読み終った、その日から、わたしの世界観というものが、これ本当に変わってしまった。くらいの衝撃を受け、わたしは打ちのめされ、町田康という作家を、生涯たった一人の師匠と崇め、『わたしもこんな作品が書きたい。』と切実に強く、激しく、願いました。今でも願い続けています。
そして、わたしは漸く、小説を真剣に書いて、そして死ぬる。人生を生きる決意をしました。
そして最初に書き始めたのは、『告白』の二次創作品であり、残念ながら未完結のままであります。
当然であると感じました。
最初に自分の核となる一番のテーマを、完結させられる筈はなかったのです。
最初に完結させてはならなかった未完成の作品です。
それでも書いているとき、わたしは深い喜びに満ちみちていました。
熊太郎が乗り移ったような感覚で、熊太郎の続きを追っているような感覚で、わたしの熊太郎を、マイ熊太郎を、表現して行くこと。
あれほど、一気にその回を書き終えたあとの推敲にわくわくとして掛かることのできた作品は他にありません。
ブログにすぐに、発表して、2011年の3月から2012年の4月まで連載していました。
『告白』を読み終えたあと、わたしは絶望の底で、師匠を心から祝福し、まるで耀かしい光と恐ろしい闇が合わさったかのような世界に放り投げられ、今までにはない絶望と希望が確かにそこに、わたしの内に共に在りました。
こんな小説は他には絶対にないことがわかりました。
わたしはその時、いや、今でも、天からわたしに向かって降り注ぐ無数の尖った剣と、何よりもあたたかい陽の光線を浴び続けているのです。
それは、町田康という一人の人間という存在にわたしが出逢えたからです。
ちょっと今も、感極まって、独りで毛布にくるまって目頭を塵紙で押さえつつ、これを横になりながら携帯で打っております。
えっ?何故、君は神とも拝める存在に対する真剣な想いを、布団のなかで書き綴っているのですかって?
たはは...確かに仰有られる通りでござあすね。
何故、そんなに怠けているのでしょうか?
慢性的な鬱症状が在り、午前中に起きてパソコンに向かうのは辛いし、それに窓はカーテンを開けていて、その眩しき光線の逆光で、パソコンに向かうのは画面が見えづらくて辛いという言い訳をするつもりはあるのか、ないのか。という話なのでしょうか。って誰に訊いてるのでしょう。この言い方も師匠が乗り移っていることを解られるでしょうか?
本当に、師匠にとり憑かれて困っております。
助けてください。
師匠を愛したばっかりに、師匠に憑かれるというのであれば、それじゃあ、神を愛するものはすべて、神に憑かれておるのかねぇ。
どうなの、そこんとこ。
その前に、神とは人格を持っているのですか。持っていないのですか。
ぱはは。こんな話していたら、一向に前へ進めない。
ええっと、何の話をしていましたかな。
師匠に憑かれたばっかりに、話が師匠みたいに横へ後ろへ天へ逸れてくのです。
師匠と、話し方が頭(かぶり)に被っていることは御許し戴けませんでしょうか。
わたしも、これだけ憑かれてしまうと、好きで憑かれているのか、それによって疲れて、それを読んだ師匠が呆れて恥ずかしがられてまだ陽が沈みきらぬうちに就かれてしまうのか、わからないのでござあすね。
できることあらば我が愛してやまぬ師匠を無駄に困らせたり、恥ずかしがらせたりはしたくない(されたくない)のが師弟の心情です。
舎弟のわたくしめの願いであります。
それにしても、師匠が乗り移っておられるお蔭で、話が回りくどいですね。
どうしたら良いのでしょうか。
しかもこの口調はどこか師匠の愛してやまぬスピンクという方のそれとも似ている気がして、師匠は、自分の口調は真似ても良いが、スピンクの口真似だけは赦さぬ。殺す。と言われて、真剣を頭上に振り上げ、わぎゃあ。と叫び、わたしはとにかく逃げるしかありません。
卑怯者めが、あほんだら、待てい!師匠はわたしを追ってきます。
まるで我が身の影のように。
そうです。わてしは、わたしは、師匠に出逢ったあの日から、一日も師匠から逃げられない運命なのであります。
逃げても逃げても、いっやー随分と、遠くまで歩いて来たものだねえ、すっごく景観という感じがするな、こう、なんていうのか、ほんとになんにもないねえ。此処。何処やねん。何処まで来たんだ我々は。なんでこんなずっとずっと、田圃しかないのかね。空は鈍よりと、鈍色で今にもおいおいと泣き出しそうじゃあ御座あせんか。一体誰が、たれが悲しんでおるのかね。今日、一体なぜ我々はこんなところを歩いているのだらう。見渡す限り、枯れた寂しい田圃があるばかり。枯れた色の雑草が生い茂り、もはや田圃とも言えない。それらに挟まれたこの畦道を、我々は歩いている。
そう、今日は2017年の6月27日だ。
その早朝である。
だが此処は、何処だろう?
わたしの左に、誰かが一緒にずっと歩いておるのだが、誰なのだろう?
何か話をしておるようだが、何を話しておるのだろう?
もしかしたら、彼はこんなことを言っているのだろうか?
残念なことに、どうやらわたしは彼の言葉を聴いた尻から忘れ、その言葉は気体となり、辺りに漂っているかのようだ。
彼とわたしは確かに話をして歩いている。
ほわほわと浮くように、わたしたちはこのなにもない道を歩いている。
そうだな、もしかしたら、彼はこんなことをわたしに言っているのかも知れない。
「私はね、実は今日、あちらの世を発つんです。私がだれかと言うとね。ほら君が愛する、いつも師匠と崇める一人の男があちらの世界におるでしょう。ぼくがずっと主人・ポチと呼んできた人のその主です。ずっとずっと、私は彼と生きてきて、本当に楽しくって、あの家に貰われたことをいつも神に感謝していました。喜びが、本物の深い喜びが、毎日溢れすぎていたものだからだろうか、どうやら今日のうちに、私はあちらの彼らと一緒に暮らす世界の方を旅立たねばならないときが遣ってきたようです。それでね、大したことではないんだけれども、君に一つ、お願いしようかなと想って、こちらの世界で今、私は君と並んで歩いているのです。見えるかい?少し遠くの方。ほら、荒野の真ん中に、ぽつんと寂しそうな後ろ姿でどこから持ってきたのか一人の老いて行こうとしている男が椅子に座っているのが。まるでまだ私は彼と同じ世界にいるのに、私が居なくなったあとの腑抜けのようになった彼の姿を観ているようです。何故、彼はあんなところに独りでただ座っているのでしょうか。はかばりが見付からなくて、立ち上がると漏れるからああしていつまでも座っているのでしょうかね。なんだかとても気になってしまう光景です。私は彼を独りにしたくて、立ち去るわけじゃないのに、彼は結果、また独りになるのでしょうか?心配しても仕方無いけれども、あの様子は流石に心配をさせますよ。わたしは誰に心配を掛けようとも悲しみを悲しめるだけ、此処で悲しみ続けますよ。という彼特有の卑屈さが十分にたち現れている様ですよね。ちょっと観ているのが居たたまれなくなってくるレベルに来てる感じがしますよね。あれはちょっと、このまま放っておくのは、まずいのではないでしょうか?そう、だからね、私から君に、ひとつだけお願いがあるのです。なに、大層なことではないのだけれどもね、ちょっとね、彼のことをね、こう、なんていうか、あれほど、落ちきっている人間を励ますのは無理だから、少しだけ、君の彼へのその熱い情熱と愛を、届けてやって欲しいんです。どんなに悲しくても、君は頑張って生きてきたじゃないか。これからも生きられる。何故なら、この世界にはそういう悲しみの底で、生き続けてゆく人がたくさんいるのだからね。そう、君と彼はそのずっとずっと続き続ける深い悲しみによって出逢い、そして繋がっている人間たちなんだ。君の愛が、君のその、彼へのエールが、彼に届かないはずはない。どんなに悲しくても、どんなに苦しくても、人は生きてゆく。どん底に落ちても、独りになっても、神を見喪っても、愛する神から、汝、我が民に非ず。と言い棄てられても、生きてゆく。生きて行きたいと願い、生かされる存在、それが人という生命なんだ。無限に続いてゆく現象なんだ。彼のことが、今、少しだけ、心配だから、君にこんなことを話しているけれども、そうは言ってもぼくは彼をとても信じている。彼のように悲しみの深い人、私はそうそう知らないのだけれども。中原中也や中島らも辺りは良い勝負かも知れないですね。そのとんでもない深い激烈な悲しみのなかを生きてきたことでしか、絶対生み出せない作品を書いて、そして一人で旅立って行くんだ。君もそうだけれど、とかく悲しみを愛する人たちだ。深い愛には深い悲しみが必ずセットでお得に付いてくることを知っている、知り得てしまっている人たちだ。バリューセット、というとちょっと違うのかな、セットでお得に付いて来るからそれを頼むのではなくって、今なら愛を知れば、地獄のような悲しみがもれなく必ず付いてくる。そう唱えられる程に、素晴らしい『大切な何かを得る。』という意味の得なんだ。愛を知るためにお金は必要だろうか?いや、全く、必要ではない。では愛を知るために、何が必要だろうか?何も本当は必要ない。たったひとつを除いて。愛を知るためには、たった一つ、必要なものがある。愛を知るためには、存在が必要だ。では存在はどうしたら、与えられ続けると想う?君はそれを知っている。そして彼も、それを知っている。イエスは言った。求め続けなさい。戸を叩き続けなさい。そうすれば、開かれる。さあ、行って、彼に君のその、大きな願いを伝えてやってほしい。」
ふと、わたしは右の前方を見る。
するとその向こうの方に、荒れ果てた野のなかで、独りぽつんと寂しげに椅子に座る愛する師匠の後ろ姿がある。
わたしは歓喜に打ち震え、想う間もなく宙をふわりと蹴って、ふわんふわんと師匠の元に駈けていく。
そして師匠の目の前に浮かんだままで立ち、師匠をふわりと抱き締める。
師匠は驚いた様子だったけれども、わたしを受け入れようと優しく抱き締め返す。
わたしは心底ホッとして、良かった。良かった。本当に、良かった。と想った。

目が醒めて、すぐにその夢をわたしはブログに記した。(カテゴリーは『うれしい』でした。)
その一年と、四ヶ月ほど後に、わたしは師匠のアルバム『汝、我が民に非ズ』を最後まで聴いたとき、スピンクがこの世を去り、それも、わたしがあの朝に見た師匠の夢を見たその日の夕方に、旅去って行ったことを知る。
この偶然の出来事に関して、わたしは苦しい負い目と、そして不思議な縁による喜びを感じないではいられなかった。
負い目の苦しみとは何故、これまで師匠のスピンク日記シリーズを意識して避けて読んでこなかったのか。さらに師と崇めとるくせに何ゆえ、師匠の人生のなかで重大な出来事であるスピンクとの別れを、今更になって知ってしまったのか。という自責と負い目の苦しみである。
わたしはこれまで何年も、鬱症状を言い訳に師匠のTwitterも日記も、たまにしか覗かず、果ては師匠の作品でさえ、読む気力がないほどの疲弊が続いているためとか、お金が今月もないなどという言い訳をしてすべてを買って読むことができないでいた。
だから、このようなことになったのだと、自分を責めるしかなかった。
スピンクにも、申し訳無いという想いで、スピンク日記シリーズを全巻買い、ライヴの夜までに急いでわたしは読んだ。
不思議なことに、スピンク日記を読むまでは汝、我が民に非ズの最後の「スピンク」を聴く度に号泣していたのが、読み始めてからはさっぱり泣くことができなくなった。
スピンク日記を今、読み始めているということは、それはわたしの中では、スピンクが初めて生まれて、そしてわたしに向かって話し掛けているということだから、勿論、その間はスピンクはわたしのなかで確かに生きている。
生きて、わたしに話し掛けているのに、師匠の音楽を聴くとスピンクは旅立って行って、戻ってきてくれよ。頼む。等と師匠は果てのないような悲しみのなかに叫んでいる。おかしなことだなあと感覚的に感じて、全く涙も零れず、悲しくもならなかった。
その感覚は、とても複雑で、わたしはスピンクがいつまでも生きていてほしい。
いや、師匠がこの世を去ったあとも、人類も生命も絶滅したあともたったひとりで生きていてほしいと言っているのではなくて、とにかく師匠の側でいつまでも一緒にいてほしいと願っている。
わたしがスピンク日記を読み進めている間はスピンクは生きて、勿論、師匠の側でいつもの日常を面白楽しく愉快に過ごしている。
毎日のように、わたしはスピンク日記を読み、夜には酒を飲みながら汝、我が民に非ズを聴く。これがわたしのその間の日常となっていた。
朝と昼にはスピンクは生きて、師匠と共に今も暮らしており、夜には師匠はスピンクとの別れを悲しみ歌っている。
当然、わたしの願いとは、スピンクが師匠の隣で生きている世界。
だが師匠は、スピンクが自分の隣にもういないことを現実として受け止めて歌っている。
願いと現実が、引き裂かれる日々。
スピンクは、まるで師匠の分け御霊のような存在である。
わたしがスピンクを愛せない筈はなかっただろうに、犬とほぼ接してきたことのないわたしは師匠の家族であるスピンクの日記を買って読むことが出来なかった。
わたしは師匠とスピンクとの別れのあとに、スピンクの日記を読み始めた。
読み終えたくない物語を、どうしても読み終えねばならなかった。
わたしはスピンク日記シリーズを昨日の朝に読み終え、悲しみのなか号泣し、『告白』を読み終えたあとの感覚に似た本当に静かでならない世界に置かれていた。
読み終えてまた、師匠にとっての現実がわたしの現実として体験している世界に戻された。
読み終わったあと、汝、我が民に非ズのアルバムは聴かなかった。
そして夕方が来て、わたしは汝、我が民に非ズのライヴを観に行くために電車に乗り、駅から徒歩七分とかの場所がわからず、開場の時間に間に合いそうになかったので已む無くタクシーに乗りなんとか無事に開演の時間に間に合った。
師匠のライヴコンサートを、わたしは初めて観た。
汝、我が民に非ズのアルバムを、一番最初に聴いた時の物凄い感動(あまりに畏れ多くてなかなか聴けなかったのもあり、感動は凄まじかった。)と、地続きな感動がわたしを興奮させて止まらなかった。
「スピンク」は最後の方に歌うかなと想ったが、中間辺りで師匠は歌い、わたしはそれを聴いて、やっと残り続ける負い目を師匠が根刮ぎ浚ってくださったかのように、悲しみの涙ではなく、師匠が既に前を進んでいることが伝わってきて、悲しみと喜びの感動の入り交じった涙がわたしの頬に伝った。
号泣ではなかった。ただ二つか三つばかしの大きな涙の粒がほろと零れた後は、もう悲しみは去っていた。
それよりこれを今朝からずっと打ち込んでいて打ちながら号泣し過ぎて頭が今痛い。
「つらい思いを抱きしめて」の「順番、譲って笑った幼い子。君の両手に抱かれて死んだね。」と歌ったとき、師匠の目が潤んだように見えた。
それを観て、師匠はやっぱり我慢しているのではないかと想った。
気付けばもう午後の13時53分だ。
わたしのこの文章は師匠に読んでもらえるのだろうか?
それはわからない。神のみぞ知るです。
あの時、サインをしてもらったときに、こういった経緯を手紙に認めて渡していたなら、師匠は読んでくれはったやもしれまい。
だが、それは叶わなかった。
色々と、今回も心残りがある。
なんでパッケージやなくて、CDにサインしてもらってしまったのか(わたしの前の人がCDにサインしてもらってたので、阿呆で頭の足りないわたしはサインはパッケージではなくてCDにしてもらわなあきまへんのかと勘違いしたからである爆)、なんでいそいそとして握手してもらわずに師匠を悲しませることをしてしまったのか(あの時の複雑な笑顔の師匠の悲しみと若干の憤慨、悲憤の混じったような感じの表情を今も憶えている)、なんでもう一度握手してくださいと頼んだとき、何か礼以外の一言言えなかったのか。
まあしかし、もうええやんかいさ。
師匠はそう言ってくれるだろうか?
今回も、なんとか師匠は愚かで悲惨なわたしに向かってにこやかな笑顔を自然にしてくれたから、もうそれでええではないか。
いますぐ忘れてしまおう。そんな戯けた悲しいこと。師匠もそう歌ってくれている。
嗚呼、本当に、頭が痛い。眼孔の奥がずきずきする。
泣きすぎてしまった。自分の書いた文章で...

愚かであることの苦しみに苦しみ抜いて人は神をやがては見る。
そして最終的に、神に、『汝、我が民に非ず』と言われることの悲しさよ。
神に、我が民と認められるならば永遠に神の国に生きることを約束され、神に、汝、我が民に非ず。と烙印を押されるならば果してどうなるのか。
何にしても、師匠が自分の望みとは違う苦しみに苦しみ抜いて脱け出せないときも死のときも、わたしは命を賭して師匠を救いに行きたい。
汝、我が民に非ズを聴きながら。




町田康師匠の夢3

(↑クリックすると大きい画像で開きます。)










町田康師匠の夢(を想い返して)

だだっ広い荒野に挟まれた道をわたしは歩いている。
そばにスピンクが居たのかもしれない。
師匠が少し遠くに、ぽつんと椅子に座っている後姿を見つける。
わたしは歓喜にうち震え、ものすごい速さで空中を蹴って、師匠の胸に飛び込む。
年を取った師匠を力強く、優しく抱き締める。
師匠は驚いた様子だけれども、それでもわたしを優しく抱き締め返す。
だだっ広い枯れた荒野のなかで。
どんよりとした、曇り空の下で。
戸惑いながらも、師匠はわたしに愛を返す。
良かった。
良かった。
本当に良かった。
わたしは満たされ、心から安心する。


















町田康師匠との想いで

7月16日の日のことを、想いだしている。
師匠のあの日の、あの優しい笑顔について。
僕は考えている。
あのときすごく、僕は怖れていて。
師匠がまた無愛想の不機嫌な様子だったら、どないしょう…と恐怖でその場にくずおれそうだった。
あの場で、僕の番が廻って来ること、それまで此処で待って立って並んでいなくてはならないこと。
苦行のようだった。苦しくて恐くてたまらない時間だった。
もうほとんどが、投げ遣りだった。
そういう諦めの気持ちであそこに並んでいなくては、耐えられなかった。
全身が小刻みに震えていたかもしれない。
心臓が冷たくなって、止まっていたかもしれない。
あのとき僕は、死んでいたやもしれまい。
ほとんど、虚脱状態で、鬱になっていた。
僕はそこに立っていて、その近くに立っていて、時間が止まったような感覚で死んでるみたいに。
無になっていた。無になるべく、魂が抜けていた。
そして。いよいよ僕の番が遣ってきた。
僕の目の前に、真ん前に、師匠が座っていて、師匠の真ん前に、僕は立っていた。
ギケイキ2: 奈落への飛翔を、無言で師匠に差し出した。
物凄い負い目であった。何故なら僕はまだギケイキ一巻を、読み終えてなかったからだ。
まだ読んでもおらないのにこいつ、何ギケイキ2買い腐っとるのかあ、あほお。と師匠にしばかれることはないとわかっていても、その負い目に押し潰されて、その場で土下座して失神したいほどだった。
そういった感覚のなかで、僕は無表情で、無心で、師匠にギケイキ2を手渡し、師匠も無言でそれを受け取って、その見開きの蒼い部分に自分の名のサインをしてくださった。
そして無言で師匠は僕にサインし終わったギケイキ2をまた手渡してくれた。
それでも僕は無言でその場に立ち尽くしていた。
立ち尽くしていることしかできなかった。
身体が固まって、人間ではない何か無機質な素材でできた像のように師匠の前に突っ立っていた。
僕はもう、どうしたら良いのかまったくわからなかった。
え、どうしたらいいの?え、僕は今、どうしたらいいの?何故、愛する師匠が目の前にいて、僕が此処にいて、世界は存在していて、地球は回っていて、宇宙空間が無限に広がっているの?え、全然、ぜーんぜんわからないよー。この瞬間、時間は流れていくはずなのに、止まったままで、この瞬間だけ、宇宙のどこかにぽつんと在り続けているんじゃないか。信じたくない。僕は絶対に信じられない。愛する師匠でさえも、この世界からいつかいなくなる瞬間が来ることを。
そのとき、師匠は僕に、僕の絶望のすべてが、僕の闇のすべてが、僕の死のすべてが壊れてしまうほどの優しくてならないあたたかい笑顔で、僕の顔を見て自然に想いきり微笑んだ。
その瞬間、すっと力が抜けて、載っていた想い積荷がすべてなくなったようなほっとするあたたかい安心に包まれて、僕も自然と師匠に微笑み返して、右手を差し出した。
師匠は微笑んだまま僕の右手を、右手で握り返してくださった。
今回も緊張で僕の手は汗ばんではいたと想うけれど、一度目のような嫌な汗のべたべたな手ではなかったように想う。
僕は落ち着いて師匠に手を握り返して微笑み返しながら声をかけた。
「七年振りに逢いに来ました。ありがとうございます。」
師匠は何度か、優しい笑顔のまま頷いてくださって、そして僕と師匠の手は、離れ、僕は師匠のもとを、歩き去って行った。
ツイッターでもゆうたけれども、僕はそのあとすぐ、感動にうち震える心でその部屋を出て、出た後、ものすごい悲しみに襲われて立っていられなくなるほどだった。
ちょうどあったソファーに座って、涙が零れたかは記憶にない。
師匠が帰って行かれる姿を見えなくなる最後の最後まで見送りたかったけれども、携帯を見て慌ててLEO今井のライヴ会場に向って、僕は急いだ。






師匠とLEOに逢えた日





















「死だけが希望」

今日も夜の七時頃に起きて、山芋と、生玉葱に


をかけて、ふんでアマニオイルかけて、ベジマヨと生醤油と辣油かけて、青紫蘇を散らす。
そしてそれを、喰うてこましたった。
やはり俺と、俺の胃は、生野菜や生果実が一番悦ぶようだ。

そういえば去年の今日の俺は、町田康師匠の夢を見た。
のどかな風景の中に、町田康師匠がひとりぽつんと何故か椅子に座っていて、(後姿であったが彼であるとすぐにわかった)
わたしは感激にうち震えて、つい、ほわんほわんと宙を蹴るように走ってって、
そして町田康師匠を想いきし、抱き締める。
町田康師匠はすこしうろたえるも、わたしを優しく抱き締め返してくれる。
良い夢であった。
そして今年の今日の俺は、亡き最愛の父の夢を見た。
しかし内容は、あまり良い夢ではなく、何故かわたしと父の手の平に、カブトムシが張り付いて、
その甲虫が両腕の前脚を二本、同時にわたしとわたしの父の手の平に深くめりこませ、離れようとせんのだ。
父のほうは幸い、そこまで傷が深くなかったが、一方わたしの手の平は、何か透明で黄色い液が、
血の如くにその傷口からちいさい泉のように湧いてきて、つらかった。
現実的な痛みでなかったにしろ、その夢の世界では強烈な痛みであった。
父も、わたしの手を心配していた。
のどかな風景の中で、たぶんわたしと父、それ以外に人はいなかった。

あの甲虫は、何を意味していたのだろう。
もしかしたら俺の本ブログにブログハラスメント、略してブロハラをしてきたあいつを象徴しているのだろうか。
俺があいつを離そうにも、あいつは頑なに、それを拒んでいるように見えた。
そしてそこに穴を二つ開け、そこから尿のような聖水が湧いてくるのである。
清らかな黄色がかった透き通る水は、血の代りに湧き出て来た水である。
俺の手の平に開けられた二つの穴が、まるで開かれた目であって、そこから尿のような涙を溢れさしていた。
あいつの両の手のその爪先が、俺のその両の目に、喰い込んで、どうしても離れようとしなかった。
無理矢理離そうものなら、あいつの両手は千切れたろうし、俺の手の平の両目も裂かれただろう。
俺は諦め、為す術を持たなかった。
恐怖であり、苦痛であり、自分の因果が、悲しかった。

そんな痛く苦しく悲しい夢であったが、それでも優しいお父さんと例え夢のなかでも会えたことはわたしの心をすこし慰んだ。
幻であっても、嬉しかった。


そういえば今日、町田康師匠の「生の肯定」


生の肯定
町田 康
毎日新聞出版
2017-12-20



という本を読んでて、ものすごく印象的な感動する文章があったので、
それを載せようかなと想う。
と想ってその箇所を探したんだが、どうしても見つからない。
仕方ないので、見つかったら今度載せようと想う。
どうゆうものだったかとゆうと、確か
「存在は、生命とは初めて、死によって統合される、ひとつになることができるのである」みたいな感じのものだった。



だから我々は、ひとつとなることを最も願い、怖れているのではないか。



佐川一政さんは、インタビューに涙目で、「死だけが希望」であると答えた。
例え人肉を喰いたいがために、残虐な殺人を行なってしまった人であっても、
そこに人間の本当の美しさを俺が観たのは、確かである。



人というものは怖れすぎても、願いすぎても、幻覚を観、幻聴を聴くことがある。
今も現に、俺はクロゴキブリちゃんを怖れる余り、廊下のほうから時折り聞えるカサッ、カサカサッっという幻聴を聴いているようだ。
何故、幻聴と想うか。それはこの三日間、彼は姿を現さんかったし、何の音も聞えてくることがなかったのに、
今日、音だけは聴こえてきて、姿が一向に見えないからである。

逆に、或る一人の人間を愛する余りに、すべての人間が、その愛する人間であるという幻覚を見、
すべての人間が愛する人間に見えてしまうというのも、あるだろう。
それ以上、行くと、すべての動物、生物、植物までもが、愛する人間に見えてくる。
そこをも超えると、すべてのモノ、自然物、とにかく存在するありとあらゆるものを愛する人間として、
人はそこに幻を観るようになる。

愛する者を見たいという一心で、愛する者の側におりたいという切実な願い故に。
その人間は、愛する者に囲まれて暮らすことができるだろう。

いや自分自身すら、愛する者と、もうごっちゃになって、ある者は閉鎖病棟に閉じ込められてしまうだろうが、
ある者は覚者として、全員が、すべてが、「わたしの最も愛する者です」と言うであろう。

だから、死を追い求め続ける者、死を恐れ続ける者、彼が存在するすべてを”死”として感じるようになるのも自然なことである。

それがゆえ、生きることが、真に切実なものとなるであらう。



















新しいゆざえの世界

喜びと喜びを感じていないことは同じじゃないのか。
そう、俺。
神に愛されている。
或る賭けをする、愛する師匠に対して。






ってゆう文章をね、俺はどうやら昨晩、赤ワインを何杯と飲んだあとに、書いたようなのだが、
これさっぱり、記憶にない。(ちなみに師匠とは作家の町田康のことである。一体なんの賭けを、師匠に対して行なおうとしていたのか?昨夜の俺、何考えてたのか?それを想いだせないことは、何たる虚しき恐れであろう。)

しかも、昨夜は「necro」というIDで、「ねくろのにっきずぶろぐ」にしようと想って、それでこのライヴドアブログを新設したのだということを、今日起きて、メールボックスに、livedoor  Blogから、「ブログの作成が完了しました。
ようこそ!necroさん 

タイトル
URL
カテゴリ
: ねくろのにっきずぶろぐ
: http://nekrononikki.blog.jp/
: 日記(総合) >日記



っていうメールが届いていて、あ、そうや昨夜、そういやブログを作ったんだったかーと想いだしたのである。
でも、今日、起きて、俺はどうもこの、necro(ねくろ)という、ギリシア語で「死体」「死」を意味するこの名前が、
気に入らず、なんか、やっぱ厭だなあ、この発音、いや意味は良いのだが、発音がなあ、俺って感じがちょっとしない感じがするよなあ。
と想って、俺は自分の本名のアルファベットの綴りのアナグラム自動作成から、幾つか、最初「エ」から始まる名前で良い物を探していた。
幾つか、候補が上がった。

  1. エザ(eza)
  2. エザエ(ezae)
  3. エコズ(ekoz)
  4. エコエ(ekoe)
  5. エコウ(ekou)
  6. エコア(ekoa)
  7. エクダ(ekuda)
  8. エクエ(ekue)
  9. エクア(ekua)
  10. エウデ(eude)
  11. エウク(euku)
  12. エウエ(eue)
  13. エウウ(euu)
  14. エウア(eua)
  15. エアケ(eake)

などである。
どれも、やはり自分の名前のアナグラムであるからか、心地好いというか、良いなあと想える発音である。
この中から、どれかを選び取ったろうか知らん。と想い、どうしようかなと考えてたら、次の候補、「エザヅ」で検索したときに、「エザ カタカナ語ワールド」という検索結果が出てきて、そのサイトをクリックして色々観ていて、

エザ カタカナ語ワールド

でかい猫かうさぎと、ちいさい猫が対話をしているへなちょこ系漫画があって、

ezaz

こうゆうやつなのだが、すごく可愛くて面白いなと俺は想って、このサイトで、こんだ、俺のペンネームを探してしまったのである。
すると当然、ここには俺の名前のアナグラム用語だけがあるわけでないので、
関係のない用語のほうが多い。
エザホ とか、ザユエ とか、エザユ とか、あと「ユエザ」「ユザエ」なんかも、ええなあと想って、まあユエザとユザエは可愛いこれの漫画じゃなかったので残念であるのだが、(と想ったら、どうやら漫画は更新ごとに変わるようである。)


yuzae



【ユザエの属性を妄想する】
ユザエの感じ:らうらうい,ひどい
ユザエの固有色:薄い水色
ユザエの関連アイテム:オレンジジュース
ユザエの装備:せいすい
ユザエの固有数値:80



と右手にあって、これが、あ、ええなこれと想って、ユザエは「らうらうい(気高く美しい(うつくしい)、上品で可愛らしい(かわいらしい)、巧み(たくみ)だ、ものなれている」)のに、同時に「ひどい」で、
しかも固有色は薄い水色であり、装備は「せいすい」であるという。
これが結構、俺なのではないか。とまあちょっと想って、最終候補、「ユザエ」に今んとこ、決定した私大(次第)である。
と、こんなことをゆーと、え、貴女の何処が?気高く美しくて、上品で可愛らしいと言うのか?と言う人がおるかもしれないが、そんなものは、俺を、まったく知らぬ人が言うことであって、俺は何処かが、気高く美しくて、上品で可愛らしい部分を持っているのではないかという淡い自恃、そこに消滅しかけたる難波船みたいな切実さがあると考えることによって、自分で自分を支える、ということに挑戦してみようではないか、挑戦する価値は大いにあるだろう。

ちなみに難波船とは、難しい困難な波の上に浮いて漂い続けている無人の無尽の船のことである。

で、話を戻すとそうゆう訳あって、我が新しいブログの名前を、「ゆざえのにっきずぶろぐ」としてみたのである。
すると、あ、いいかもしれない。と気に入ったので、ゆざえでええかな、とまあ俺の本名に「Y」のアルファベットはないのだけれども、俺のずっと書いている小説の主人公の名前が「ユス」で、最初に「y」が入っているので、これを合わせたアナグラムとして、「yuzae」はいいなと想ったのだ。
「uzae(ウザエ)」は、俺の本名のアルファベットのアナグラムである。
だから俺の本名が知りたい方は、ここから解読してください。

「ユザエ」を気に入ったのは、どこか「ユダ」、「ユダヤ」みたいな発音で良いなと想ったのもある。
『ユダ』はユダ(Judah、 イェフーダー Yehudah)もしくは ジューダス(Judas)
という綴り、発音があり、「Y」は、「J」の発音とよく似ているということがわかる。
だからユザエも、「Juzae」という綴りであっても良いかもしれない。


ezaho




エザホは、こうゆうやつであるらしい。
エホバの、「エ」と「ホ」が入っているにも関わらず、すごくアホそうな響きに感じてしまうのは何故であるのだろうか。
しかも遣ってきた、飛んできたやつも、何かアホそうな蟹と蝶と蝉と蝸牛とバルタン成人が合体したような変な奴である。
これが、人間の固定観念、偏見、その他諸々の価値観であるのかもしれない。

取り敢えず、俺のIDはnecro(死)であるが、このブログでの名は、『ユザエ(yuzae)』にすることにした。

だから、このブログは今のところ本ブログからの避難場所、駆け込み寺、サイクロンシェルター、アジールの、仮設ブログである為どれほど続けていくか見当がつかないのであるが、
俺は表現を遣る以上は死ぬ気と生きる気で真剣に、命懸けて遣りたいと想っているので、皆様、宜しくお願い致します。

俺の本ブログ、○年、真剣に続けてきて、俺がこのブログをやめますとブログで言った際、俺の新設ブログはどこか?作ったら是非教えてくれ。と言ってくださる方は、まだ一人であるということに、俺は、これが現実か、現実とは真に、耐え難きものであると想ったけれども、まあしょうがないかな。

俺が表現して行きたいのは、人間の底のない悲しみであり、俺と言う人間をブログにて見つめ続ける人も同じく、耐え難い悲しみに暮れ、頼むから、やめてくれ、止めてくれ、と叫んでいた人も、結構多いのやもしれまいしな。

表現というものは、罪なのか、と。
それも本当に救いがたいほどの深い罪となってゆくのか、と。
そう感じるほど、俺は表現をやめたくはないし、誰一人読まなくとも、俺は物語を紡いで、全公開で無料で発表し続けて死ぬであろう。

果して、新しい、ニュー気持ちで、ユザエは生きてゆくことができるだろうか。


プロフィール 1981生 ゆざえ

ユザエ

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