モダンフリークスPresents【進捗night出張版】
進捗ナイト終わりなのか…。
なんか自分の所為なんじゃないかと悲しいけれど、多分違うのだろう…。
最近、つくづく、人間味の深い人ほど、死に近いんだと感じる。
感性の鋭い人、愛の深い人、繊細で壊れやすい人、毎日、どうしようもない苦しみと悲しみのなかに生きている人。
そんな人達が、表現をしていることは、この世界で本当の救いだ。
でもそんな人達が最早、表現を続けて行けないことが絶望的であり、終る人がたくさんいる。
僕の表現を真剣に読む(読みたい)人はこの世界で多分、一人か、二人くらいしかいないだろう。
0人である年もきっとあるだろう。
それでも僕は表現を終わらせたくないし、死ぬまで僕にしかできない表現を遣り続けて死ぬ。
進捗ナイトが終わってほしくなかったけれど、きっと新しいもっと素晴らしいものがこれから起こることを僕は信じる。
僕は釣崎清隆氏を本当に心の底から死ぬまで特別な存在として愛し続ける。
そして福田光睦氏もケロッピー前田氏もピスケン(曽根賢)氏も僕は大好きです。
そして福田光睦氏もケロッピー前田氏もピスケン(曽根賢)氏も僕は大好きです。
人間として、僕は信用している。
僕は本当にイかれてるし非常識な人間なのだろう。
でも僕のような人間にもこの世界でちいさなちいさな居場所が在って、僕が生きてゆけることをこの映像に映っていた人たちが陰からそっと応援してくれているような気持ちになる。
ピスケン氏は100年後には此処にいるみんな死んでいるのだから、僕らはみんな「亡霊が生きている」んだと言った。
僕らは生きている亡霊であって、そんな存在たちがずっとずっと生きていることと死んでいることの一体なにが違うというのか?と、死を見つめつづけて切実に問いつづけて生きている。
死を見つめつづける人たちの眼差しは真剣であり、ギロギロしており、光を喪って死んでいて、黒々と輝いていて、焦点を失くし、優しくて、悲しく、美しい。
僕らは死のなかでしか生きられないのに。
僕らは生きているときにしか、死を見つめることは、できないのに。