『バースト・ジェネレーション』 presents NEO鬼畜道場 ver. 第三回(収録配信)で、
死体写真家である釣崎清隆が話していた。
「ヤバいと想いながら、ヤバい女とやっちゃうってことありますからね僕も。今はほとんどないんですけれども。」
と。
わたしはこれを聴いて、「ヤバい女」とは、一体、何なのか?ということを考えた。
自分自身が、或る意味「ヤバい女」として生きる一人である。
人間の「ヤバさ」は、人間の数だけあるはずである。
しかし自分にとって、相手が何故ヤバいのか?と考えると、
それは後々に、自分に降り掛かる”リスク”の、ヤバさであるはずだ。
自分に降り掛かるリスクの高さが、高い可能性がある相手ほど、自分にとって、ヤバい人間であるはずだ。
女ならまず、セックス依存症や、よっぽどの自罰心理がない限り、こいつはヤバいな。と感じる男と、やったりはしないのではないか。
でも男の場合、ヤバいと感じても、やるのは”性欲”というどうしようもない問題があるからだと、想う人は多いかも知れない。
待ってくれよ。とわたしは言いたい。
どういうことなんだ。セックスをするにあたって、”リスク”の重さ、重いリスクを被る可能性の高いのは、
女の方だという考えが、何故スルーされているんだ?
もし、それをスルーしていなかったならば、「ヤバい女」という浅ましい侮蔑の表現で、自分がセックスをした女性に対して、表現することなどないのではないか?
”セックス”とは、どのように避妊しようが、妊娠する可能性を0%にすることはできないことくらい、
釣崎清隆も知っているだろう。
女にとって、100%、妊娠する可能性を防ぐことはできないセックスに於いてのリスクとは、
妊娠、堕胎、出産(出産時や産後鬱などによる死)、養育費、産めば子供を育てることに多くの時間を費やすリスク、
堕胎すれば、我が子を殺したという罪の意識(カルマ)から逃れられないリスク。
これらのリスクの可能性がある上で、女はどの男ともセックスするしかないのである。
わたしは9人の男性とセックスした過去があるが、避妊をしてセックスをしたことはこれまで一度もない。
相手が勝手に膣外射精をした時は、相手を真剣に責めた。
避妊(膣外射精をも含む)は、自分の内に存在する神に背く行為だからである。
セックスをして子供を授かることとは、”自然”という神の存在の最も深い愛の現象だからである。
人生とは皮肉なもので、ずっとずっと子供が欲しいと望んできたわたしは一度も妊娠できずに、
わたしの姉は一度、堕胎の経験があるが、その後、未婚で元気な男の子をもうけた。
ずっとずっと政府は隠し続けてきたが、日本の死因の第三位は実は”人工妊娠中絶”である。
【数字でみる人工妊娠中絶】日本人の死因ランキングTOP3に入る?驚きの人工中絶数と順位
わたしは前世できっと何度と、堕胎された経験も堕胎した経験もあるのだろうと感じるほど、
”堕胎”という人間の行為について、あまりに敏感であり、耐え難い苦しみを感じる。
堕胎を行い、二度と子供を産めなくなる女性や、堕胎が原因で死に至る女性、
そして出産でも、命を落とす女性がいることを当然知った上で、”ヤバい女”とセックスしてきたと、釣崎清隆は表現したのだろうか?
好き好んで、女性を苦しめて快楽を感じる趣旨であるレイプもののAVを監督して撮ってきた釣崎清隆が”ヤバい女”と表現するとき、女性を見下しているように感じてしまう。
釣崎清隆に、わたしの最愛の父を喪った原因であるわたしにとって人生で一番の苦しみのトラウマはアダルトビデオなんだと告白し、
このトラウマを克服してゆく為に、釣崎清隆の撮ったAVを最初に観たいのだという趣旨を話し、
どうしたら観れるのかと三度、質問したが、三度とも、答えてくれなかった。
わたしは、釣崎清隆が、許せない。
死と性と女を冒涜し続けてきた釣崎清隆を、わたしは許すことはできない。
死と性と女、わたしにとってそのすべて、わたしの母であるからである。
わたしが4歳の時に、母は死んで、死体となった。
母の死体を見つめつづけたわたしにとって、死と、すべての死体は、わたしにとって母である。
そしてすべての女性器は、わたしの生まれてきた神聖な場所であり、わたしにとって母である。
すべての女性に対し、わたしが深いコンプレックス(感情の複合体のこと。 衝動や欲求・記憶などの、さまざまな心理的要素が無意識に複雑に絡み合って形成されるもの)を懐き続けて来たのは、すべての女性にわたしの母を映し、母を求めてしまうからである。
釣崎清隆は、わたしの母を、本当に好きなように傷つけ、陵辱し、侮辱し、恥辱と汚辱を味わわせ、果てには、呆れたことに、Tシャツやトランプにまでしてきた。
わたしは、釣崎清隆にTwitterをブロックされてしまったが、今でも変わらず愛している。
本当に愛しているからこそ、あえてこんなことを話さなくてはならない。
貴方に、これまでと同じように、死体と、女性を撮り続けてはほしくないんだ。
貴方には、自分の最も愛する存在として、死体と女性を、表現することは、撮ることは、見つめ続けることは、できないのですか。
自分を産み落とした母(死と性と女)に対して、このまま犯し続け、死んでゆくおつもりですか。
決して、安らかではない死に様で。
死体写真家である釣崎清隆が話していた。
「ヤバいと想いながら、ヤバい女とやっちゃうってことありますからね僕も。今はほとんどないんですけれども。」
と。
わたしはこれを聴いて、「ヤバい女」とは、一体、何なのか?ということを考えた。
自分自身が、或る意味「ヤバい女」として生きる一人である。
人間の「ヤバさ」は、人間の数だけあるはずである。
しかし自分にとって、相手が何故ヤバいのか?と考えると、
それは後々に、自分に降り掛かる”リスク”の、ヤバさであるはずだ。
自分に降り掛かるリスクの高さが、高い可能性がある相手ほど、自分にとって、ヤバい人間であるはずだ。
女ならまず、セックス依存症や、よっぽどの自罰心理がない限り、こいつはヤバいな。と感じる男と、やったりはしないのではないか。
でも男の場合、ヤバいと感じても、やるのは”性欲”というどうしようもない問題があるからだと、想う人は多いかも知れない。
待ってくれよ。とわたしは言いたい。
どういうことなんだ。セックスをするにあたって、”リスク”の重さ、重いリスクを被る可能性の高いのは、
女の方だという考えが、何故スルーされているんだ?
もし、それをスルーしていなかったならば、「ヤバい女」という浅ましい侮蔑の表現で、自分がセックスをした女性に対して、表現することなどないのではないか?
”セックス”とは、どのように避妊しようが、妊娠する可能性を0%にすることはできないことくらい、
釣崎清隆も知っているだろう。
女にとって、100%、妊娠する可能性を防ぐことはできないセックスに於いてのリスクとは、
妊娠、堕胎、出産(出産時や産後鬱などによる死)、養育費、産めば子供を育てることに多くの時間を費やすリスク、
堕胎すれば、我が子を殺したという罪の意識(カルマ)から逃れられないリスク。
これらのリスクの可能性がある上で、女はどの男ともセックスするしかないのである。
わたしは9人の男性とセックスした過去があるが、避妊をしてセックスをしたことはこれまで一度もない。
相手が勝手に膣外射精をした時は、相手を真剣に責めた。
避妊(膣外射精をも含む)は、自分の内に存在する神に背く行為だからである。
セックスをして子供を授かることとは、”自然”という神の存在の最も深い愛の現象だからである。
人生とは皮肉なもので、ずっとずっと子供が欲しいと望んできたわたしは一度も妊娠できずに、
わたしの姉は一度、堕胎の経験があるが、その後、未婚で元気な男の子をもうけた。
ずっとずっと政府は隠し続けてきたが、日本の死因の第三位は実は”人工妊娠中絶”である。
【数字でみる人工妊娠中絶】日本人の死因ランキングTOP3に入る?驚きの人工中絶数と順位
わたしは前世できっと何度と、堕胎された経験も堕胎した経験もあるのだろうと感じるほど、
”堕胎”という人間の行為について、あまりに敏感であり、耐え難い苦しみを感じる。
堕胎を行い、二度と子供を産めなくなる女性や、堕胎が原因で死に至る女性、
そして出産でも、命を落とす女性がいることを当然知った上で、”ヤバい女”とセックスしてきたと、釣崎清隆は表現したのだろうか?
好き好んで、女性を苦しめて快楽を感じる趣旨であるレイプもののAVを監督して撮ってきた釣崎清隆が”ヤバい女”と表現するとき、女性を見下しているように感じてしまう。
釣崎清隆に、わたしの最愛の父を喪った原因であるわたしにとって人生で一番の苦しみのトラウマはアダルトビデオなんだと告白し、
このトラウマを克服してゆく為に、釣崎清隆の撮ったAVを最初に観たいのだという趣旨を話し、
どうしたら観れるのかと三度、質問したが、三度とも、答えてくれなかった。
わたしは、釣崎清隆が、許せない。
死と性と女を冒涜し続けてきた釣崎清隆を、わたしは許すことはできない。
死と性と女、わたしにとってそのすべて、わたしの母であるからである。
わたしが4歳の時に、母は死んで、死体となった。
母の死体を見つめつづけたわたしにとって、死と、すべての死体は、わたしにとって母である。
そしてすべての女性器は、わたしの生まれてきた神聖な場所であり、わたしにとって母である。
すべての女性に対し、わたしが深いコンプレックス(感情の複合体のこと。 衝動や欲求・記憶などの、さまざまな心理的要素が無意識に複雑に絡み合って形成されるもの)を懐き続けて来たのは、すべての女性にわたしの母を映し、母を求めてしまうからである。
釣崎清隆は、わたしの母を、本当に好きなように傷つけ、陵辱し、侮辱し、恥辱と汚辱を味わわせ、果てには、呆れたことに、Tシャツやトランプにまでしてきた。
わたしは、釣崎清隆にTwitterをブロックされてしまったが、今でも変わらず愛している。
本当に愛しているからこそ、あえてこんなことを話さなくてはならない。
貴方に、これまでと同じように、死体と、女性を撮り続けてはほしくないんだ。
貴方には、自分の最も愛する存在として、死体と女性を、表現することは、撮ることは、見つめ続けることは、できないのですか。
自分を産み落とした母(死と性と女)に対して、このまま犯し続け、死んでゆくおつもりですか。
決して、安らかではない死に様で。