最近、また青虫を育てていた。
たぶん良く行く近所の農家直売店から買ってきた無農薬の小松菜に付いていた子だと想う。
5月8日くらいの日、キッチンの壁に青虫が張り付いていた。
わたしはそれを虫籠に入れて小松菜をまいにち換えてやって大事に育てた。
青虫はやがて早くも蛹になり、そして5月20日には無事に羽化した。





薄く羽根が黄色がかっているように見える紋白蝶だった。
蝶を青虫から育てたのは何度もあるが、昔はいつも寄生蜂にやられて死んでしまう子ばかりだった。
無事に羽化させられたのはこれで二度目だったかも知れない。
でも彼(彼女)をすぐに外には放せなかった。
毎日のように豪雨と強風が荒れており、こんな中に外に放つのは可哀想だと想ったからだ。
たから昨日の5月23日にやっと晴れて、朝にベランダの植木に水をやったりコニファーの枯れた部分の剪定を行ったあとに近くの巨大な公園に放しに行った。
ちょうど午後12時過ぎで、久々の雨上がりの公園は嫌になるほどに人が多く、公園を入ったあと二人の男性が網を片手に帰ってくるのを見掛けた。
嫌な予感がした。
でも此処の大きな花壇には色んな種類の花が咲き渡っており、紋白蝶を放つのに最適な場所に想えた。
わたしは此処以外に、良い場所は想い付かなかった。
半ば不安が募る暗い気持ちで、わたしはその花壇に向かって彼(彼女)の入った虫籠を入れたエコバッグを方から下げて歩いて行った。 
広い円形花壇に着いて、見渡せば大きな薔薇の花がたくさん咲いていた。
そこへ紋白蝶が飛んでいた。此処へ放せば、すぐにパートナーが見つかるかもしれない。
わたしは彼(彼女)が幸せに暮らしている様子を想像して嬉しくなった。
するとそのとき、その花の蜜を吸っている紋白蝶に近づき、手でそっと掴もうとしている若い母親の姿が見えた。
近くには小さな男の子がいた。
わたしは子供のために捕まえようとしているのかと想ったが、もしかしたら彼女自身も蝶が好きなのかもしれないと想い、声をかけた。
「蝶が好きなのですか?」
彼女は逃げられた蝶を追う目をわたしにやって振り返り、答えた。
「いえ、息子の為に捕まえようかなと想って(笑)」
わたしは虫籠をその若い母親に見せて言った。
「この蝶、わたしが育ててた青虫から羽化したんです。三日前に羽化したけど、ずっと雨だったから放せなくって、でも今日、久々に晴れたので連れて来たんです。」
彼女は少し驚いている様子で小さな虫籠のなかにいる紋白蝶を眺め、感心して「へ~!すごいですねぇ。」と言った。
無農薬の小松菜に付いていただろうことや結構早い段階で羽化したことを話したあと、見に来た彼女のちいさな息子に紋白蝶を見せてわたしは言った。
「羽化したんだよ~。」
「羽化」という意味さえきっとわかっていないのだろう、その幼い男の子は特に関心も寄せず、飛んでいる蝶を探すようにすぐに離れて行った。
わたしはその場を離れ、此処よりももっと花のたくさん咲いている円形花壇の中心のところまで歩いた。
そして大きな赤い薔薇の花が元気に咲いているところに放つことを決め、花壇の前で虫籠の蓋を開けた。
iPhoneでビデオに撮りながら開けて、少しのあいだ彼(彼女)は蓋に付いたまま離れなかったが薔薇の花に近づけるとひらひらと飛び立った。
その様子をビデオで追い、彼(彼女)に別れの言葉を掛けた。
「元気でね。」
「達者でな。」
「達者に生きるんだよ。」
「バイバイ。」
でも彼(彼女)がまだずっと傍を飛んで花の蜜を吸っているので少しわたしもそこにいることにした。
13時44分に放ってから、14時4分に3つ目の動画を撮った。
もうひとりの母親らしき若い女性が、近づいてわたしの紋白蝶を両手で捕まえようとした。
わたしは「ちょっと待ってください!」と叫んだ。
そして自分が青虫から育てた蝶であることを説明した。
わたしは言った。
「逃がすところを間違えたと今後悔しています…。虫取りの人がいっぱいいて…。」
彼女は本当にそうですねと共感してその場を去った。
その何分かあとだった。
何人もの親と、その子どもたちが近づいてきて、わたしの放った紋白蝶を見つけて、そのうちの小さな子どもが叫んだ。
「いたあ!!」
そして子どもが走ってきて、わたしの紋白蝶を必死に追い、手で掴み潰すように、捕まえようとした瞬間、わたしは悲痛の想いで叫んだ。
「やめて!!」
「捕らないで!!」
そして親御さんたちに向かって必死に懇願した。
「わたしが育てた蝶なんです!」
その親御さんたちのなかに最初に出会った母親がいて、彼女が事情を他の親たちに説明してくれた。
そして親たちは焦って、子どもたちに向かって叫んだ。
「だめ!捕っちゃだめ!」
子どもたちはそれでもなかなか気づかずに無我夢中で負いつづけたが、わたしと親たちの叫ぶ声にやっと気づき、振り返って問うた。
「なんでとっちゃだめなの?」
親たちは自分の子どもたちに向かって説明した。
「このお姉さんが育てた蝶なんだって。」
一人の男の子が、わたしに向かって訪ねた。
「卵から育てたん?」
わたしはその子に答えた。
「ううん。青虫から育てたの。」
子どもたちはそれでようやく事情を理解し、紋白蝶を追うことをやめてくれた。
そして親たちはわたしに謝りながら、その場を子どもたちと一緒に離れた。
わたしはホッとしたが、青褪めていた。
心の底から後悔していた。何故、この公園に放してしまったのか。
紋白蝶は、わたしの傍を離れ、目でかろうじて追える場所をひらひらと飛んで花の蜜を吸うために花から花へと渡っていた。
どれも大きな薔薇ではなく、ちいさな花だった。
わたしはわたしを責めながら彼(彼女)を目で負いつづけた。
そして、その数分かあとのことだった。
一人の若い父親と、小学2年生くらいの男の子が、とても嬉しそうにわたしの紋白蝶を見つけて、持っていた大きな虫取り網で捕まえたのだ。
捕まえられた喜び親子の歓声のなか、すぐに透明の空っぽの大きなケースに彼(彼女)は入れられた。
その光景を、わたしは少し離れた場所から見つめ、絶望的な悲しみのなかで感じていたのだった。
このように、わたしのちいさな喜びでさえ、奪い去られてしまうのかと。
満たされている者たちが、常に苦しみつづけ、悲しみつづけながら満たされることのないわたしのほんの一瞬満たされようとする喜びをも、奪い取るのかと。
わたしは最早、この世界に絶望して、離れた場所から彼らに向かって懇願する気力は失っていた。
でもわたしは家に帰ってから、またも後悔しつづけるのだった。
あのとき、すぐにその場を離れゆこうとする彼らの元にやっぱり走って行って、彼らにこう懇願すれば良かったと。
「その紋白蝶はわたしが青虫の頃から大事に育ててきた蝶なのです。だからどうか、標本などにはせずに、大事に育ててあげてください。」と。
そして、やっぱり自分のベランダから、彼(彼女)を放せばよかったと、これを書いている今も後悔している。
でも、あの男の子が、本当に彼(彼女)を愛して育てるならば、自然で生きるよりも彼(彼女)にとっての益となるかもしれない。
何故ならば、人間以外のすべての魂は人間によって深い愛で愛されるほど、魂が成長して人間の魂へと早く進化できるからである。