ゆざえのDiery'sぶろぐ

想像の森。 表現の駅。 幻想の家。

死体

カルト映画『アングスト/不安』 我々人類が決して抗えない”暴力と殺害”の記憶











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19日に鑑賞して大変に感動した『Angsut(邦題:アングスト/不安)』という1983年に公開された映画です。
原題の『Angst』は、ドイツ語で「〔漠然とした〕不安、懸念、心配、苦悩、恐れ」の意味があります。

15歳(1997年)から20歳まで酒鬼薔薇聖斗に恋をし続け、「今までも、そしてこれからも透明な存在であり続けるボク」と自分を表現した彼と自分を同一の存在に感じ続けて生きて来て、2012年に屠殺映像を観てから人間と家畜の違いが全くわからなくなってしまった(人間が家畜に見えて家畜が人間に見えるようになった)わたしはこの映画を多くの人々とは全然違う目線で観ることができたと感じています。
人間がなぜ人間に殺されるのか。その問いの答えを、わたしは最早知ってしまった。
それはなんとなくではなく、確信に満ちるものなのです。
わたしは自分自身にもこの世界にも絶望することはありませんが、多くの人々たちに対して、或る意味に於いて絶望している。
それは死ぬまでに、気付けるのか、気付けずに死ぬのか。
その後者にある一種の絶望をしているのです。
人間は、だれもが一刻も早く、これに気付くべきだと日々わたしは独りでもがき苦しんでいる。
わたしがもし”彼”なら、わたしはこの苦痛から、解放されるだろうか。
わたしは、人々を根源的に、真に救う為に、人々を地獄に突き落とさねばならない。
わたしが、今まさに落ち続けている、この地獄へ。
この底無しの無限に続く不安の奈落(無間地獄)へ。

人は”人”を殺してはならないという。
でも動物たちが、人の舌を満足させ悦ばせる為だけに自分の血を抜かれ、そして心臓がまだ動いている状態で(放血処理のあとに)解体されて殺され、その死体を食べられることを人は知らないか(関心を持たないか)、もしくはそれを知ったあとも自分に対してその行為を許し続ける。
何故だろうか?

わたしは以前、こんな作品を書いた。

『快楽殺人者の言い分』



それから、もっと前にはこんな記事も書いた。



また、以下の記事も書いた。














もし良ければ、これからボクと一緒に、
最高に不安で恐怖と堪え難き苦悩から逃れられない旅に出掛けないか。


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「アングスト」のAmazonレビュー
「アングスト」のAmazonレビュー2

『一般的に、惨酷な異常心理や恐怖を扱ったホラー映画は、低俗で悪趣味な娯楽と見做されがちですが、その反面、人間の食文化は美化される傾向にあります。
スーパーの肉が、どのような過程を経て、パック詰めされて、人々の胃袋を満足させているのか、ということを深く考えた場合、ホラー映画と日常の食事風景は大差ないように思えますが、牛や豚の屠殺やオスのヒヨコがシュレッダーで粉砕されるシーンが日常からカットされている為、誰もが自身の偽善的な態度に対して、特に違和感を抱けないのではないでしょうか。

しかし、ホラー映画に登場する殺人鬼が、意味もなく人間を屠ることによって、人間(観客)が家畜の域に貶められます。
それは、一般的に不快な描写ですが、この不条理な殺戮を、人間の偽善的な態度に対する懲罰とした場合、劇中の殺人鬼は「神」と同一視され、ある種のカタルシスが生じます。
多くの人々が日常で肉を戴いていますが、その口先で、「惨酷なシーンは不快だ」と表明することも、劇中の殺人鬼と同様の異常心理に思えてきます。

しかも、この矛盾した態度が、人間社会全般に備わった一般的な食文化の本質であることに、驚かされます。
屠畜を含めた食肉加工業者の営みを、内心では毛嫌いしつつ、その業者が切り取った肉片を喜んで食べていることに対し、それを薄々異常な心理だと気づきながらも、正常者(多数派)として振舞うことが人間社会(食文化)のマナーであるなら、屠畜を含めた惨酷なシーンは検閲でカットする必要に迫られますが、芸術性の高いホラーほど、この人間の回避不可能に思える「矛盾」を浮き彫りにしてくれるのではないでしょうか。』






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showtime様、本当に素晴らしいレビューで感動致しました。
わたしが主張したいことをまさに的確に、また感情を廃した冷静な視点で述べてくださっています。
ホラー系の映画などはわたしはほぼ観ることはありませんが、フィクション・ノンフィクションに関わらず、人間がこのように畜生の如くに無残に殺されてしまうことの原因を根源的に考察してゆくならば多数の人間が未だに行い続けている残虐極まりない(普遍的)行為に目を向けないでいることはできません。

「カタルシス」と表現してくださいましたが、わたしが表現しようとしていることも実にそれなのです。
人々が本当にカタルシスを感じられるものとは、実は限られていて、残酷極まりない現実を目の当たりにした瞬間、湧き上がる深い悲しみや苦痛の感覚が浄化され、恍惚とした光(赦されるなにか)に包まれるそのものであることを確信しています。
多くの表現者、芸術家が最終的に表現しようとしているもの。
それは、滅多にこの宇宙で起こることはない。

感性の鋭い人はこの主人公が欲望・快楽ゆえに人間を屠っているわけではないということを感じるでしょう。
人間が家畜だった場合、人間を屠る屠殺人は利己的な理由によって殺すのだと映るかもしれませんが、しかし実はもっと深い理由(因縁)があるだろうと感じています。
”人類による肉食文化(動物を大量に殺戮せしめて生産し、その虐殺死体を自分の血肉とし続ける行為)”を、”必要悪”であるのだと表現した大変に愛の深い存在がいます。
人は悪(生命に対する堪えられない地獄の苦痛を強要する行為)を行った場合、その悪は自分の元へと必ず帰って来るのです。
殺した者が殺される(報われる)には、殺した者を殺す者が必要となって来ます。
肉(死体)にして食べた者は肉(死体)にされる為に肉(死体)にする者が必要になります。

そうです。この世界は実は巨大な豚小屋、屠殺場であり、わたしたち人間もまた家畜として屠られる為に、その”必要悪”を延々と繰り返し行い続け、この地上(地の獄)に縛られ(閉じ籠められ)続け、永久にその潜在意識に拭い去ることは到底出来得ない深く暗い闇の底に在る不安と恐れをみずから生産し続けて生きているのです。

それを何処かで感じ取っている人は、この映画を真に賞賛するでしょう。






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Come with me.























Dead Bird ー全ての死と悪の母体ー

※『性風俗産業の市場規模は推計2.3兆~3.6兆円ほど、化粧品(2.5兆円)や酒類(3.6兆円)市場と同程度で、2015~2017年の推計では性風俗の店舗数は全国に1万1500~1万3000店で、これは大手コンビニ「ローソン」と同じくらいの規模である。』










殺したい人の数だけ死んでゆく。
この世界では,僕が殺したい人の数だけ死んでゆく。




Raw飱というコンビニエンスストアで新商品が売り出される。
商品名は"dead bird"
人間という生物の雌は何よりも美味しいという謳い文句と共に大量生産され始めたのは,紀元前5世紀以前からで、誰も憶えていない。
俺は良い商品を想い着いたなぁ。
君は可愛い。君はきっと売れる。君のクローンたちが毎日大量に俺のコンビニエンスストアに運ばれて来るのは,君の創造者は俺だからだよ。知ってた?アハハ。君は利口だ。それくらい分かるだろう。君はただ胸をはだけて股を開いて黙ってたら良いんだ。君はdead birdという商品だ。何も考えなくて良い。君を買う者は君にこう言う。さあ、君を存分に味わわせてくれ。税込550円も君を買う為に僕は支払ったんだ。僕の脳内に快楽物質が垂れ流し続けるほどの快楽を味わわせてくれ。返品されたいのか?されたくないならば上半身を裸にして、乳首をいやらしく触れ。なんだその無表情は?お前はdead birdという商品名だからって、そう死んだ鳥らしくする必要はないさ。嗚呼,そうだ!喘げ!叫べ!絶頂に達する断末魔を俺に聴かせろ!俺のこの肉なる剣でお前の肛門から口腔まで串刺しにしてやる。嗚呼、君は素晴らしい商品だ。君を作ったのは俺だ。これでまた一儲けできる。君が飽きられるまで,君は売れ続けるだろう。君は美しい。君は二度と、大空を羽ばたく日は来ない。君は忘れられる。消費者たちが君を味わい尽くした後、誰もが,君を忘れる。何も恐れなくて良い。君は人間の雌という生物だが,死んでるも同然だ。君たちが妊娠したら,胎児は取り除かれ,その死体は、国立遺伝学研究所へ運ばれ,腎細胞は人間の人口数のバランスを取る為の殺人兵器として活用される。人間はそれらを人工添加物やワクチンなどで体内に摂取し,免疫力を失って早くに死ぬ。君はその殺人兵器の母、人間の死の母体。できれば永久的に存在させたいが、人間という愚かな生き物は飽きやすい。人肉が飽きたら豚肉、豚肉が飽きたら牛肉,牛肉が飽きたら鶏肉、鹿,馬,羊,七面鳥,カンガルー,犬,猫,山羊。彼らは本当に野蛮で,見境がない。俺たちはその点,人間しか食べない。人間しか美味しくないのでね。君たちも性のすべてを搾取されたのちに生きたまま解体され,殺されて食べられる。人間が行い続けていることだ。君たちはそのカルマを精算しなくてはならない。君たちは犠牲者であり、神の生贄だが、同時に大罪を犯し続けてきた罪人、最も悪なる生命の拷問地獄をどの存在よりも最初に強制させた者。君は憶えている。君は,全ての悪の母。
その時,コンビニエンスストアの自動ドアが開き,一人の若い男が入って来てレジカウンターの前に立ってすかさずジャケットの内側から拳銃を取り出し店員の男の額に銃口を突き付けて言う。
「彼女を渡せ。」
店員はニヤニヤした顔で応える。
「お客様,大変申し訳ございませんがこちらはダミー(サンプル)で生きておりません。ええ、人形と変わりありません。お客様の性的欲望を満足させることはできないでしょう。奥の部屋に,生きている本物の商品がありますから、少々お待ち下さい。それをわたくしが今すぐに御用意致しますから。」
若い男はレジカウンターの横に置いてある椅子に静かに座っているdead birdの頬に震える左手を,伸ばし,それに触れる。
そして低く,途切れ途切れに言う。
「これの…何処が…生きていないんだ。」
店員はアンドロイドのように機械的な口調で応える。
「冷たい鶏の死体を揚げたあとのチキンナゲットは温かいですが、それは生きていません。それと同じですよお客様。」
若い男はdead birdに向かって言う。
「君はそれで良いのか…?良いはずなんてないだろう…。」
店員はdead birdに向かって言う。
「さあお客様に見本をお見せなさい。」
するとdead birdは着ている白いワンピースの胸のボタンをすべて外し、開こうとした瞬間,若い男は店員の額を撃ち抜く。
肉片がdead birdの腹に飛び散って落ちる。
若い男はdead birdの右手を引っ張り、レジカウンターの上に乗せようとする。
店員の肉片は早くも崩壊して自己融解し、dead birdの臍の穴から入り,子宮の奥へと侵食し、全ての筋繊維と心臓と脳へと達しようとしている。
店員はすべての霊魂を破壊して永久消滅させるパラサイトのオーバーソウルだったからである。
若い男はレジカウンターを飛び越えdead birdを抱き上げると走って店の外に出る。
目の前の紫のネオンライトが反射するコールタールの道路にタクシーが停まる。
若い男はdead birdを抱えて乗り込む。
タクシーの運転手の小柄な男は振り返らずに言う。
「このタクシーはより良い地獄か、より悪い地獄にしか止まりませんが,良いですか。」
若い男は即答する。
「Sure.」
道の先は二股に分かれている。
若い男は抱いているdead birdの身体がどんどん小さくなって少女化していることに気づく。
早く…早く決めなくては…右か左…。彼女(dead bird)の子宮か…拷問処刑場…。
若い男が迷っているとdead birdの肛門から出てきた白い蛇状の虹色に光る太いハリガネムシのような寄生虫が彼女の口腔へと全身をくねらせながら入り込んでゆく。
彼女の虹彩が虹色にスパークする。
どうやら今,彼女の体内でそれはウロボロス状に繋がって一つの輪となったようだ。
若い男は全身から脂汗を垂らし,まだ迷っている。
苦痛からなのか、快楽からなのか,dead birdは全身を激しく痙攣させ、右手の人差し指で右の道を指し示す。
若い男はdead birdを強く抱き締め、タクシーの運転手に告げる。
「右だ。右に行ってくれ。」
タクシーは静かに発車すると夜の暗闇のなかを走り続ける。
若い男はdead birdの口腔と肛門を外界と内界で繋ぐ虹色に光る白蛇のような寄生虫の硬いクチクラの表皮を優しく撫で、囁くように語り掛ける。
「もうすぐお前は終る。すべての悪。すべての悪の母。すべての死と悪。お前を僕が,終らせる。必ず。」
若い男は,気付けば眠っている。
タクシーの運転手の声で目が醒める。
「お客様、真に残念なことですが,お客様が選んだ道は確かにより悪い地獄へと続く道です。しかし、一つだけ,逃れる方法がありますよ。」
若い男はdead birdの姿を見ると彼女はちょうど9歳頃の姿となっている。
寄生虫は彼女の体内に隠れているようだ。
「それは…それはどんな方法だ。教えてくれ…。」
若い男は両手で顔を覆い,涙を流しながら言うと、タクシーの運転手は気味の悪い顔で振り向き、酷い腐敗臭の息を吐きながら言う。
「その愛らしい少女を,わたしに差し出しなさい。そうすればあなたは、必ずより悪い地獄を逃れ,より良い地獄へと向かい,確かに彼女の子宮に辿り着く。」
「死の鳥(dead bird)を、渡すわけには行かない。これは僕の母なんだ。誰によっても,凌辱させるわけには行かない。」
「お客様、良く御覧になりなさい。それはダミー(サンプル)であり、本物ではありません。それは死体であり、生きてはいない。あなたの母なる本質は,そこにはありません。」
若い男は,すやすやとあどけない表情で眠る愛おしいdead birdの胸に手を当てる。
鼓動を感じられない。これは確かに生きていないようだ。しかしあたたかい。人間の体温とは,なんとあたたかく、心地好いのか。これは生きてはいないのに,どうして…。
「お客様、そのあたたかさは、死んだ(殺した)鳥を揚げて,少し冷ましたものと同じあたたかさであり、それは生きているあたたかさとはまったく違うものですよ。あなたにはまだわからないのでしょう。あなたはまだ、生きたことがないから…。」
タクシーの運転手はそう言うと契約の証として、透明な水晶でできた心臓を若い男に差し出す。
「わたしが、あなたの代わりに、これを終らせてあげましょう。そして、あなたは、生きるのです。生命を手にするのです。それは永遠に,いつまでも、存在し続ける。これが、わたしとあなたとの約束です。さあ、あなたの生命をお受けなさい。」
若い男は,最早ほかに方法はなく、仕方なく,妥協してその透明な水晶の心臓を受け取る。
その瞬間,少女は男の手に渡り,目の前の広がる光景のなかで、男は若い男に見せる。
そこには、一つの透明な水槽が四つに分けられ,その一つにはたくさんの黒ずんだ小さな手首が転がっている。
まるで人形の一つのパーツのように。
もう一つの水槽には、黒ずんだ小さな足首が幾つも容れられ、他の二つの水槽に容れられるものは自ずと予想が着く。
それは頭部と胴体であるだろう。いずれも黒ずんだ…。
そして残りの両腕と両脚は、白々と,墓碑のように灰の上に突き刺さっている。
また灰の地上をのたうつように這っているだろう。
そう想像する今,現実に,若い男の目の前で少女は醜い男から逃げ回り,そして捕まえられる。
醜い男は、取り押さえた少女の足首目掛け,小さな斧を振り下ろす。
切断された少女の足首が転がり,少女は苦痛に叫ぶ。
そして、今から先に起こるさらなる地獄,より悪い地獄を想像して絶望の表情で中空を見つめる。
見開いた白い瞼からは、今にも眼球が零れ落ちそうになっている。
僕は、僕は何をしたのだ。
若い男は,みずからに問う。
男は若い男の耳元に囁く。
「あなたはもう戻れない。あなたは生命を手にした。永遠の生命を。これからずっと、ずっと、あなたはみずから、より良い地獄か、より悪い地獄を選び取り,どちらかを経験し続けるのです。それが、生命というものなのです。生命から受けた"わたし"の報復は,永遠に終らせることはできません。それは,"わたし"に対する報復です。」
若い男の目の前で虹色に光る白蛇のような寄生虫はやがて黒い鳥の姿に変化し,最後に黄金の牡牛の姿となる。
僕は,目を覚ます。
屠殺場の冷たいコンクリートの床の上で,皮を剥がされた血まみれの切断された牛の頭が,自分の熱い血溜まりのなかで、こう囁いている。


殺したい人の数だけ,死んでゆく。
この世界では,僕が殺したい人の数だけ,地獄の底で死んでゆく。













































グロテスクなものから目を背け続けてグロテスクなものに果てる世界。


【無料版】『バースト・ジェネレーション』 presentsNEO鬼畜道場 ver. 第四回 報道メディアにおけるグロテスク表現の変遷







確か聖書外典の記述だったと想うのですが、イエス・キリストが弟子たちと何日も荒野を歩き続けて弟子たちの疲労が限界に近づいていたとき、弟子がある一頭の馬か駱駝の腐乱した死骸を見つけ、あまりの悪臭と、その見た目のグロテスクさに、弟子たちは皆、顔を顰めて、何の罪もないその死骸に対して呪詛を吐きつけます。
自分たちはもう飲まず喰わずで死にかけているのに、その上こんなおぞましいものに出くわすなんて、なんという悪運だろうと。
しかし、イエスはそれを観て、すたすたとその死骸に近づいて行って、こう言ったそうです。
「なんと美しい白い歯だろう!」
イエスはその死体の醜さや死臭の何をも気にせず、その代わりに腐敗した肉の為に剥き出しになった白い歯に心底感動したようです。
弟子たちはそんなイエスに吃驚しました。
わたしはこれを読んだとき、本当に感動しました。
同時に、弟子たちの感性とは浅ましいものだなと感じました。

釣崎清隆氏は、『「イノセンス(innocence)」は害悪である。』と以前に仰られていたようですが、それは「無知」や「馬鹿」の意味があるからだと。
わたしは、上記の聖句を読んだとき、弟子たちはまったく無知で馬鹿で阿呆だと感じました。
これを有り難るのであれば、本当に無知で馬鹿です。

釣崎清隆氏は、またインタビューでこうも仰っておられました。

『死体っていうのは、それ以上でもそれ以下でもなくて、要するにブラックボックスだから、見る側の、自分を写す鏡だと思うわけ。
そこに自分を見ているんだと思うんだよ。
だから死体を見ていかがわしいと思う奴は、自分の心が卑しいんだと思う。』

『死体だけを穴が開くまで見ても、何も見えてこないんですよ。
死体っていうのはある意味で、”生きてる人を映す鏡”だと思うんで、人が見て、「気持ち悪い」って思う奴は、「本人が気持ち悪いんだ」っていうね。
なんかそういう風な見方も成り立つんじゃないかなって、最近は思うようになったんですよね。
その時に、その人の人間性が見えてくるっていうか。
死体に対応してやってる人間のそれぞれの対応の仕方っていうのは、非常に何かね、感動的なんですよね。』



人間は「イノセンス(無罪)」が必要なのではなく寧ろ、積み重なり、その重さで底の底まで行くような「罪」が必要なんだと感じました。
イエスという人は多分そういう経験を本当に多く経験してきた人なのだと想います。

そして「罪」が深まれば深まるほど、人間は本質へ近づいて行けるのかもしれません。
それはとんでもなく苦しい道のりであって、深い孤独である必要があると想うのです。

自分はグロテスク表現をずっと遣り続けて、誰からも反応すら貰えなくて、苦しくて孤独でなりませんが、これが「キャー」とか「ワー」とか人々から喜ばれる日には、自分はもう何を遣って行きてゆけばいいのかわからなくなるのかもしれません。

取り留めの無い話になってしまいましたが、人が死や死体を不快に感じることや、グロテスクなものから目を背けようとすることは大変に深いテーマであり、何故、この時代にグロテスク表現がこれほどまでに人々に受け入れられないのかを、もっと深く掘り下げて考察して行けると良いなと感じます。

























死体が、わたしを呼んでいる。







敬愛なる死の同志であられる釣崎清隆氏へ

わたしはずっと、樹海という場所を異様に恐れてきました。
『樹海 死体』等という検索ワードで、絶対にGoogle画像検索できなかったわたしが、釣崎清隆氏のお陰で、あなたとの縁で、やっと、日本の樹海で亡くなられた方たちの死体を、見つめることができるようになりました。

来月に入って、お金が入れば、すぐに村田らむ氏の、『樹海の写真集』も是非購入しようと考えています。
もう怖いものは、死体の内には、ありません。
わたしが無感覚になることの方が、よっぽど恐ろしいのです。

釣崎清隆氏が、本当に撮りたいのは日本の死体なのだと言った言葉に、わたしは深い喜びを感じると同時に、それがほとんど叶わないことを本当に残念に感じています。
わたしもなのだと、気づいたのです。
わたしも、最も見つめたい死体は、最も見つめる必要があると感じる死体は、わたしと同じこの虚しい、きっと世界一虚無に支配されているこの日本という国で生きてきた最も近い同胞である日本人の死体であるのです。

最近、村田らむ氏の『樹海考』を読みながら、涙が流れました。
樹海まで来て、人は、最後の晩餐を独りで食べるために、樹海へ入る前にあったセブンイレブンへ立ち寄り、そこで自分が自殺をする前に、最後の最期に食べたいものを選び、飲み物も買って、そして樹海の奥へ入って行き、小鳥たちが木洩れ日のなかに囀ずり、木の葉が風に揺れて擦れる音を聴きながら、静かに湿った朽ち木や枯れ葉の上に座って独りで、黙々と、もうあと何分後には、死体となり、死体現象をひたすら辿り、腐乱してゆく自分の身体のなかに、本来、生きるための食べ物と飲み物を摂り込んでは、身体は、その内部は、一生懸命に、生命維持の為に、けなげに消化してゆくのです。

食べて、飲んだあとは、おならやげっぷが出たり、排泄したくなる欲求を覚えたかも知れません。
生まれて間もない赤ちゃんや、幼児と変わらないのです。
人間は何年生きようが、あと数分後には、動かぬ人形のような死体と化す前までは。
でも、もう、御別れなのです。
自分を、必死に、生きてゆくこと、ただそれだけの為に生かしてきたこの、肉なる自分とは。

ふと、空を、見上げたかも知れません。
いいえ、ちょうど良い、吊り下がれそうな枝を見つけるために空を仰いだはずが、木々の間から、綺麗な、縹色をした空が、まるでマグリットの「大家族」の絵の、荒れる暗い海とゆくあてを喪ったような空にぽっかりと浮かぶ大きな鳥のフォルムのなかにある優しい色の青空が、その目に映ったかも知れません。
懐かしさを、感じて、切なくて胸が苦しくなったかも知れません。
でも、もう、後戻りはできない。
もう、決めたことなのだから...もう、生きてゆくことはできないから、生きてゆくことに堪えられないから、此処へ来たのだから。
帰り道は、闇に覆われていて、帰る術も、帰る場所も、なくしてしまった。
もう死ぬしか、もう死ぬことしか、できない...

わたしは、死体を見つめる人が、死体に寄り添うことができないならば、何の意味もないと感じました。
死体を見つめて、その人が生きているときを、自分のなかで鮮やかに再生できないならば、虚しいばかりなのです。
わたしは、わたし自身が虚しいと感じました。
あなたが撮り溜めた何枚もの死体の写真を見つめながら、何も、想像できなくなった自分が、死体より遥かに、虚しい存在であると感じました。

わたしは確かに、今からおよそ24年前、あなたの撮った痛々しい右手の写真が自分のなかに鮮明に存在し、その右手はずっとずっとわたしのなかで生き続けて来たはずでした。
わたしは、そのままにしておくべきだったのかと、複雑な苦しみに襲われ続けています。
あなたは、わたしがまだ15,6歳のときに確かにわたしに素晴らしい贈り物を命懸けで贈り届けて下さって、わたしはそのトラウマを克服する術を持ちませんでした。
24年あまりが経ち、そのパンドラの箱でもあり、玉手箱でもあるあなたからのgiftの箱を、再びわたしは開けてしまった。
其処に、女性の右手は、その死体の一部は、転がっていました。
でも違う...それはまるで別の右手であって、わたしの記憶のなかで地面に転がっていた、あの、わたしの深層の区域に常に其処に転がっていた右手ではないのです。
わたしは、狐につままれた想いで、わたしのなかの右手を、捜しあて、見付け出す為に、樹海へ行き、わたしはホッとしたいのか、此処にあったのかと。
でもそこにあるわたしの見つめる目の前に存在する死体は、紛れもなく、わたし自身の死体であるはずなのです。

わたしは、死に場所を求めるかのように、青木ヶ原樹海へ共に行ってくれる人を募りました。
誰かは、わたしの衝動的で不可解で危険極まりない行為を、冷笑するように、こう言うかも知れません。
死体が、貴女を呼んでいるのだと。




こず恵(Twitter:yuzae1981)
























Mince

死体をミンチ状にしたことって、経験ある?
どうしたの。突然…。
マグロとかさ、たたきにしたことある?俎板の上で。
あるかな…。記憶に無いけど…。
そういう感じにさ、人間の顔面をミンチ状にしたいなって想ったことある?
…ないよ。
そう…。可笑しいね。僕もないけど、見たんだ。
何を?
今朝、見たんだ。女性の顔を、ミンチ状にする夢を。
またえらい悪夢見たね…。
貴方の撮った死体写真の影響だよ。
そうか…。
最初は、大きなシャベルで切断して、細かく切り刻んでゆくんだ。
仰向けになっている女性の顔を。
夢のなかだから、なんでもありで、上手く切断できるんだよね。
でもそのあと、ミンチ状にするっていう工程なんだ。
彼女の頭部はさ、最初からミンチ状になるっていう決まりがあって、人類の大半が、それを認めてるんだ。
彼女の顔はさ、最初からミンチ状になる為に、存在していたものだし、彼女の顔面はミンチ状になる為に、ずっとその顔が、そこに存在していたって事なんだよ。
ツリが撮った死体写真もさ、ミンチ状まで行かないとしても、それに近い状態のものがあったじゃん。
そうだね。
その人たちもさ、そうなる未来が、決まっていたんだよ。
肉の塊、ブロックやたたき、その違いがあるだけでさ、人間が調理して食べる肉と同じようなものにさ、最期はなるために、その顔が、その身体が、その肉があったんだよ。
でも誰も食べないでしょ…。
いや、食べるんだよ。
誰が?
遺された人間たち。遺された者たちがさ、食べるんだ。食べやすいためにさ、ほら、よく死体写真にもモザイクがかけられてるんじゃん。屠殺場の映像と同じにさ、見せたくないんでしょ。グロすぎるって言ってさ。同じだよ。神聖で穢されるべきものじゃないからモザイクかけるんじゃないんだ。ひたすらグロくて、不快で、人間が精神病まないで生きてくためにさ、見せるべきじゃないって魂が死んでる人たちがさあ、想うからだよね。
人間の顔だってさ、マグロのたたきや牛や豚や鶏のミンチ(挽肉)と変わりないでしょ。
何の為に存在してるの?マグロのたたきや牛や豚や鶏のミンチ(挽肉)を美味いっつって何とも想わずに食べてきた人間の顔がさ、何の為に存在してるの?
同じものでできてるのにね。死体喰い続けて来た人間がさ、生きてるなんてほざいてさ、生きてるわけないのにね。
生きてないからさ。最初から生きてなんていないのわかってたからさ、ミンチにしてやったんだ。僕が彼女の顔を。
まだ生きてる間にしただろってさ、非難受ける筋合いなんてないよ。
ミンチの顔の人間たちにさ。
手前ら、死ねじゃなくって、生きろよって(笑)生きてから非難しろよ。
で、僕の顔、今日ビデオに撮ってさ、Instagramに投稿したんだけどさ、ミンチ状になってんの(笑)僕の顔がさあ。
それで想いだしたんだ。嗚呼、そうだった。僕、散々ハンバーグとか、餃子とか、つみれとか、メンチカツとか、麻婆豆腐とかさ(笑)喰って来たじゃんって。それ全部、僕が僕の顔をミンチ状にしたやつだった!って想いだして、僕の顔が存在してるわけないってやっとわかったんだ。
そうだよ、時間が無いんだから、この世界は本当は。すべて、僕の食べてきた肉は僕の死体だったし、僕は一生懸命に、自分の食べる死体の為に、僕の顔を切断し、細かく切り刻んで、砕いてたんだ!
毎日、毎日、毎日…!
おぞましい、腐乱死体の姿で。
自分自身の顔をミンチ状にするその行為を延々と、繰り返し続けるんだ。
すべての、死体を食べ続ける人類のように。


























わたしの死胎を撮らないでくれ。






























































































右手

人が、雑誌を読んでいて、ページをめくる。
おや?なんだろう...この写真は。
道端に落ちて踏み潰された生の手羽先かな...?
すると次のページには、その写真をズームアウトした本来の姿が映し出され、人は、あっ、と声に出して驚く。
人間の右手ではないか...。

人はその時、不快な感覚を覚えないでいることはできない。
そして、ふと思い出す。
そういや昨夜、手羽先食べたんだ。
この交通事故で亡くなった女性から千切れた、黄色みがかった脂肪や腱と白い骨の見える切断面の右手にそっくりな手羽先を...。

人は、思うのだった。
嗚呼、夜の道に、生の手羽先開いたものを置いてたら、人は、ドキッとするだろう。
これは人間の肉片ではないよな...と。
恐ろしいが、人は、それがなんであるかを確かめたいので、近づいてよく観ることだろう。
しかしどんなに近付いても、それが人間の死体の一部なのか、動物の死体の一部なのか、わからないだろう。
何故なら、その二つは、切り取られた場合、見分けが全くつかないものだからだ。
人は、気になるため、警察に電話し、こう言うだろう。
あのぉ...実はわたしの目の前に、道端に、人間の肉片らしきものが転がっているのですが...。
警察が遣ってきて、肉片を拾って、人にこう言う。
「"何の"肉か、検視の結果が出ましたら、改めて御連絡致します。」
翌日、電話が掛かってくる。
「検視の結果が出ました。あの肉片は、鶏の"死体"でした。どうやらあの近くで飼われていたクックたんという名の、雌鶏の死体の右の前肢(翼)の部分であるようです。誰かのいたずらでしょう。御協力、ありがとうございました。」
人は、受話器を置いたあと、あてどない悲しみを感じないではいられない。
クックたん...殺されたのか...。なんて酷いことをする人間だろう...。
嗚呼、お腹が空いた…。なんか食べよう。そうだ、チルドに入れたままの手羽先...忘れてた。あれ早く、食べないと...。
人はそれをフライパンで焼き始めたが、胃液が込み上げてくるのだった。
嗚呼、よりによって何故、わたしは手羽先を今から食べなくてはならないのか...。
一体、何の罪で、わたしは今から手羽先を食べなくてはならないのか。
クックたんが虐待され、生きたまま解体されたあと惨殺され、その死体が、スーパーに並べられ、わたしがその死体を買って、わたしが今、クックたんの死体を焼いて食べようとしているのだ。
人間の死体とそっくりで、見分けることさえできなかったクックたんの死体を、わたしは今から何故、食べなくてはならないのか...?
クックたんは、実際、どのように殺害されたかを、わたしは知らないが、クックたんは殺される直前まで、きっと鳴いていたのだろう。
クック、クック、クック、クック、クック、クック、クック、クック、クック、クック、クック、クック、クック、クック、クック、クック、クック、クック、クック、クック、クック、クック、クック、クック、クック、クック、クック、クック、クック、クック、クック、クック、クック、クック、クック、クック、クック、クック、クック、クック、クック、クック、クック、クック、クック、クック、クック、クック、クック、クック、クック、クック、クック、クック、クック、クック、クック、クック、クック、クック、クック、クック、クック、クック、クック、クック、クック、クック、クック、クック、クック、クック、クック、クック、クック、クック、クック、クック、クック、クック、クック、クック、クック、クック、クック、クック、クック、クック、クック、クック、クック、クック、クック、クック、クック、クック、クック、クック、クック、クック、クック、クック、クック、クック、クック、クック、クック、クック、クック、クック、クック、クック、クック、クック、クック、クック、クック、クック、クック、クック、クック、クック、クック、クック、クック、クック、クック、クック、クック、クック、クック、クック、クック、クック、クック、クック、クック、クック、クック、クック、クック、クック、クック、クック、クック、クック、クック、クック、クック、クック、クック、クック、クック、クック、クック、クック、クック、クック、クック、クック、クック、クック、クック、クック、クック...
嗚呼、そして...そして...何が起きたのだ...その次の瞬間...
人は気づけば、外に飛び出していた。
真夜中の道路、涙で、視界がぼやけていた。
人は何を想ったのか、咄嗟に、道路を渡ろうとした。
人は、スピード狂の車に激しく跳ねられ、轢き潰され、千切れた右の手首が30m先に飛んで、道端に落ちた。
その場所は、クックたんの殺害現場であった。
人が、そこを通り掛かった。
その落ちている肉片を観て、人は思った。
これは、鶏か...。
何故なら、それが、ずっと、ずっと、クック、クック、クック...と悲しげに鳴き続けていたからだった。


























ツリの煩悶地獄 六

今日も、遺品整理のバイトを終えて帰宅し、家に就いて、ツリは一服していた。
ビール缶を片手に、豆おかきを食べながら、疲弊を感じながらも、今日一日を無事に過ごせたことを感謝する気持ちで、幸福を噛み締めている時だった。
玄関のチャイムが、突然鳴った。
ツリは、吃驚した。一体、こんな時間に、誰だろうか?ツリは大変に訝った。
すると、ドアの前で、男の声がした。
「ヤマト宅急便です。」
ツリはホッとした。なあんだ、宅配便か。はて、何が届いたのだろう。
ドアの前まで行って、覗き窓から外を覗くと、確かにヤマト運輸の緑色の制服を来た男が、緑色の帽子を被って立っておった。
安心し、ツリはドアを開けた。
その瞬間、物凄い速さで、男に腹と、頭部を鈍器で殴られ、気絶した。
次の瞬間、ツリは、ヌルヌルとした、熱い血の味で目が醒めた。
鈍痛を、頭部の左上部分に感じて、ツリは想った。
俺の頭から血が流れており、その流れてきた俺の血を、俺が舐めている、そういうことか。
そして、あっ、とツリは想いだしたのだった。
そうだ俺、訳がわからないが、ヤマト運輸の男に突然、殴られたんだ…。
ツリは、此処は、はて、何処だろう…?と想った。
薄暗くて、良く観えなかった。
何か、物があるようにも観えるし、何もないようにも観えた。
とにかく狭いようで、広いようにも感じられたが、室内であることはわかった。
何故ならば、室内にいるときの、雨の音が、外から聴こえて来るからだった。
気温も暑くもなく、寒くもなかった。
一つ、明確にわかることは、自分は椅子に座らされており、両手首を、椅子の背凭れの部分に強く縛り付けられており、両足頸は、椅子の足に、それぞれ拘束され、自分は身動きがまったく取れない状態であるということであった。
一体、何が起こっているにだろうか…。
「いるにだろう」って何…?ツリは自分で突っ込んだ。
嗚呼、俺は…。俺は…。とうとう、捕まっちゃったのか。ツリは絶望した。
誰かわからないけれども、俺は、本当に捕まえられちゃったんだ。
色々と、ヤバいこと俺は遣ってきたものなあ…。遣りたいことを。
いつか、こうなっても可笑しくないことを、俺は遣ってきた。
いやさ、ずっと想ってたんだよ俺は。なんで俺以外の人間たちがさ、続々と殺されたり、死んだりしてゆくこの世界で、俺っていう何でも好きなこと遣ってきた人間が、まだ本当にヤバいことにはなってないのかなって。
いつか、こうなるって、何処かで恐れてたのかなぁ。
それが、叶っちゃったんだ。叶えられちゃったんだ。俺の潜在的恐怖が。
…。しかし此処は何処なのだろう?
ツリは、独り言をずっと喋って気を紛らわそうと必死だったが、いよいよ、堪え切れなくなり、不安が暗黒のコクーン(cocoon)のように、ツリを覆ったのだった。
目の前が、薄暗い感じだったのが、真っ暗になった。
嗚呼、俺とうとう、死ぬのか…。
誰かに、殺されるか、このまま、死ぬのかな。
助けてくれる奴、誰もいないのか。
俺みたいな人間、命懸けて助けてくれる奴、いないよなぁ…。
嗚呼、そういやあの娘、俺に”死の同志”だなんつった、はは、こず恵は…どうしているのだろう。
彼女、俺のストーカーになって、本当に俺の家にいつか遣って来るんじゃないかって想ってたんだがなぁ。
一向に、来ないんだよな。つまらんことに…。
死の同志とか、大層なこと言っておきながら、そんなもんなのか。
まったく、根性のない女だよ。俺を殺す勢いでさ、俺を殺すほどにさ、俺を愛してみろっつうんだよね。
死の同志だなんて言うならね…。
俺を、助けてくれないのか…。こず恵も。
ツリは、魂の底で、こず恵を、死の同志であるその彼女を、呼んだ。
その時である。
眩しい光の漏れる、ドアの隙間が開き、ドアが、閉められた。
何処かの角に、蝋燭の火でも灯ったかのように、部屋が、少し明るくなったような気がした。
ふと、気づくと、ツリの目の前、ニメートルほど先に、こず恵が、白いレース生地の花柄のミニワンピースを着て、神妙な顔で、彼を見つめて立っていた。
ツリが、驚いて、黙っていると、彼女は哀れむ顔をして言った。
「ごめんなさい…。」
ツリは、彼女に深く、息を吐いたあと応えた。
「やはり…貴女だったか…。」
彼女は、黙っていた。
その憐れむ顔は、何処か微笑んでいるようにも観えた。
ツリは、優しく、「おいで…。」と彼女に言った。
彼女が、涙を、絶え間なく流し始めたからだった。
ツリは、人相は、悪いが、本当に情に弱い、人情深い男なのだった。
彼女が、哀れで可哀想でならなくなったので、優しくしてあげたいと素直に想ったのだった。
でも彼女は、まるで一度、幼いときに父親に棄てられた娘のように、緊張してツリに近づくのを拒んでいた。
だから、ツリは、もう一度、ツリのなかに存在し得る、慈悲を最大限にした声で、彼女に言った。
「こず恵…。おいで…。」
すると、彼女は、不安げな顔のまま、つたたたたたたん。と、幼女のようにツリのもとへ駆け寄り、ツリの膝の上に、ちょこなんと痩せ細った身体を横にさせて載ったのだった。
ツリは、笑うのを我慢した。
堪えながら、優しく彼女に微笑みかけて、黒く、丸い目をして見つめる彼女を見つめ返した。
すると、初めて、彼女はツリに、恥ずかしげに微笑み返した。
ツリは、彼女が最愛の亡き父と、自分を重ねていることに気付いていた。
彼女の父親が、まるで自分のせいで死んで、父親がすべてであった彼女も一緒に死んだのだと、責められ続けて来たことも気付いていた。
ツリは、彼女に対し、潜在意識で深く罪悪心を懐いていた。
Twitterで、彼女が自分に対し厭味を言い始めた時、いよいよ始まったかと想った。
積年の、愛憎による呪詛の始まりが、とうとう始まったことを知り、ツリは居た堪れなくなり、ツリは、彼女を仕方なくBlockした。
彼女は、自分に対して、理想の父親であって欲しいのである。
何故ならば、彼女は理想の父親と、理想の母親をしか、この世に求めてはいないからだ。
でもそんなことは、到底、無理な話である。
一体、どうやって、他人である男が、彼女を無償の愛で愛し続けることができるというのか。
ツリは彼女の本当の欲求に、何も応える気はなかったし、応えられることは何もないことを知っていた。
此処に存在している虚しさを、彼女も、ツリも感じていた。
彼女は、自分に対して、殺意以上の、恐ろしい感情と念があるのも、ツリはわかっていた。
でも、どうだろう。今、実際にこうして彼女に拘束され、頭蓋骨も多分、陥没させられ、血が、だらだらだらだらと流れ続けて来るなかに、彼女を(心のなかで)抱っこして、ツリは観念しているのか、変な安心を感じているのだった。
嗚呼、きっと俺はもうすぐ死ぬのだろう…。
彼女は、俺の頭蓋骨陥没に、当然、気付いているはずなのだが、一向に、応急処置をしようともしないじゃないか…。
そんな自分の悲しみに彼女はエンパスなので、すぐさま気づき、ツリを睨みつけた。
嗚呼、俺は睨まれている…。蛇に睨まれたる蛙の如きツリは彼女を深い眼差しで見つめて言った。
「だいぶ…朦朧としてきたよ。こず恵…。俺の命も、もうすぐ事切れるのかもしれない。」
彼女は、ツリの陥没した頭の肉の割れ目を観て、ツリに向き直るとホッとした顔で微笑んで言った。
「大丈夫。ツリ。生きてるよ。」
「…。」
話が通じてるのかな…この娘(こ)…。
ツリが、絶望の闇のなかで煩悶していると、彼女が、急にツリの膝の上でもじもじとし始め、何かを自分に要求していることに気付いた。
ツリは流れ落ちて来る血に、目を瞬かせて血の涙を流して訊ねた。
「何かして欲しいことがあるの?言って御覧。後生だからね…。」
すると彼女は、恥ずかしげに身をくねらせながら、頬を赤らめて、幼女のようにツリに向かって囁いた。
「パパ…。キスして…。」
ツリは、生唾をごくりと飲んだ。とうとう、来たか…。これはただのごっこではない…。
もう本当に、死ぬな…。俺、死ぬわ…。ツリは、自分の意識が薄れて行きそうな気がした。
嗚呼、もう本当に俺は死ぬよ。死ぬなら…最期に、彼女の望みを聴いて死んでやろうじゃないか…。
ツリは、彼女にそっと、父親のようにキスしてあげた。
すると、嗚呼、どうしたことだろうか、こんな死の間際に。
ずっとEDだったのに…。ツリは自分の陰茎が激しく勃起して、彼女の太腿に突き立てていることに気づき、興奮した。
ツリは、彼女と激しくキスし始めると、舌を彼女の喉の奥に突っ込み、自分の熱い血を彼女に飲ませた。
そして、もう堪らなくなったので、彼女に懇願した。
「こず恵…。縄をほどいてくれ。」
彼女は、不安で仕方ないという顔をして、ツリを見つめると、首を横に振った。
ツリは、倒れそうな感覚のなか、彼女に言った。
「こず恵を、この手で強く抱き締めたいんだよ…。」
彼女は、目を伏せ、涙を流した。
ツリは彼女の涙を舐め回し、勃起した男性器をぐりぐり彼女の女性器に激しく擦り付けた。
彼女も、激しく欲情し、小さく喘ぎ始めた。
あまりに激しく、ツリの身体に寄り掛かってくる為、椅子が後ろに倒れ、後頭部をしたたか打ち付け、ツリは衝撃で少しの間、気絶した。
そして、気絶から目が醒めると、縄はほどかれており、ベッドの上に、横たわっていた。
彼女が、幸せそうな顔で自分の身体に抱き着いて、寝息を静かに立てて眠っていた。
白いシーツが、殺害現場のように、真っ赤に染まっていた。
俺の血、全然止まる気配がないじゃないか…。
ツリは、何を想ったのか、側にあったデスクの上に、カメラを見つけると、彼女の着ている自分の血で染まった白い花柄のレース生地のミニワンピース姿を、その血のなかで、死んでいるかのような彼女の姿を、死体として、撮影し始めた。
そして、次は脱がして裸にすると、カメラを手に取ったが、ツリは、深い溜め息を吐いてカメラをデスクの上に戻した。
彼女は、静かにまだ、眠っている。
ツリは、死体を犯すように、彼女と交わった。
絶頂に達する瞬間に、彼女は息を吹き返すかのように息を深く吸い込んで目を覚まし、彼を見つめた。
自分の頭から流れ滴る血で、彼女の顔もまた、血だらけであった。
ツリは、もうすぐ、世界は終わることを知っていたが、彼女の目を父親のような眼差しで見つめ、静かに言った。
「こず恵、今から俺とこず恵の、結婚式を挙げよう。」
彼女は、本当に幸せそうに、微笑むと、うんと、頷いた。
そして次の瞬間、自身の背中に手を伸ばすと彼女はツリの額に銃口を突き付け、黒々とした目で言った。
「もうすぐ、生まれる。わたしたちの愛する子が…。」
彼女はトリガーに指を当てた。
ツリは、涙を湛えて絶望した美しい顔で彼女を見つめながら「何故なんだ…。」と言いかけた。
言い終わる前に、彼女はトリガーを引き、ツリは衝撃で後ろに激しく倒れる形で頭部と上半身を跳ね上がらせた。
だが、彼女を覆うように身体を載せている状態だった為、バウンドして彼女の身体の上に激しく倒れ込んだ。

約一月後、ベッドの隣で眠る腐乱死体と化した彼の頭部の腐肉のなかに手を突っ込み、彼女は彼の頭蓋骨を取り出すと、湯船に溜めていた温かいお湯のなかで綺麗に洗い、すべての醜く穢れた肉を洗い落とした。
そして彼の死体の隣で、赤子のように彼の白白とした頭蓋骨を胸に抱いた彼女は横たわると、此の世の何より幸せそうな優しい顔で眠る髑髏を見つめ、彼女は幸福に満たされながら言った。
「これは、わたしの愛する子。わたしの、死の息。」


























oOoOO - Starr


























死と性と女 釣崎清隆に捧ぐ

『バースト・ジェネレーション』 presents NEO鬼畜道場 ver. 第三回(収録配信)で、
死体写真家である釣崎清隆が話していた。
「ヤバいと想いながら、ヤバい女とやっちゃうってことありますからね僕も。今はほとんどないんですけれども。」
と。
わたしはこれを聴いて、「ヤバい女」とは、一体、何なのか?ということを考えた。
自分自身が、或る意味「ヤバい女」として生きる一人である。
人間の「ヤバさ」は、人間の数だけあるはずである。
しかし自分にとって、相手が何故ヤバいのか?と考えると、
それは後々に、自分に降り掛かる”リスク”の、ヤバさであるはずだ。
自分に降り掛かるリスクの高さが、高い可能性がある相手ほど、自分にとって、ヤバい人間であるはずだ。
女ならまず、セックス依存症や、よっぽどの自罰心理がない限り、こいつはヤバいな。と感じる男と、やったりはしないのではないか。
でも男の場合、ヤバいと感じても、やるのは”性欲”というどうしようもない問題があるからだと、想う人は多いかも知れない。
待ってくれよ。とわたしは言いたい。
どういうことなんだ。セックスをするにあたって、”リスク”の重さ、重いリスクを被る可能性の高いのは、
女の方だという考えが、何故スルーされているんだ?
もし、それをスルーしていなかったならば、「ヤバい女」という浅ましい侮蔑の表現で、自分がセックスをした女性に対して、表現することなどないのではないか?
”セックス”とは、どのように避妊しようが、妊娠する可能性を0%にすることはできないことくらい、
釣崎清隆も知っているだろう。
女にとって、100%、妊娠する可能性を防ぐことはできないセックスに於いてのリスクとは、
妊娠、堕胎、出産(出産時や産後鬱などによる死)、養育費、産めば子供を育てることに多くの時間を費やすリスク、
堕胎すれば、我が子を殺したという罪の意識(カルマ)から逃れられないリスク。
これらのリスクの可能性がある上で、女はどの男ともセックスするしかないのである。
わたしは9人の男性とセックスした過去があるが、避妊をしてセックスをしたことはこれまで一度もない。
相手が勝手に膣外射精をした時は、相手を真剣に責めた。
避妊(膣外射精をも含む)は、自分の内に存在する神に背く行為だからである。
セックスをして子供を授かることとは、”自然”という神の存在の最も深い愛の現象だからである。
人生とは皮肉なもので、ずっとずっと子供が欲しいと望んできたわたしは一度も妊娠できずに、
わたしの姉は一度、堕胎の経験があるが、その後、未婚で元気な男の子をもうけた。
ずっとずっと政府は隠し続けてきたが、日本の死因の第三位は実は”人工妊娠中絶”である。
【数字でみる人工妊娠中絶】日本人の死因ランキングTOP3に入る?驚きの人工中絶数と順位
わたしは前世できっと何度と、堕胎された経験も堕胎した経験もあるのだろうと感じるほど、
”堕胎”という人間の行為について、あまりに敏感であり、耐え難い苦しみを感じる。
堕胎を行い、二度と子供を産めなくなる女性や、堕胎が原因で死に至る女性、
そして出産でも、命を落とす女性がいることを当然知った上で、”ヤバい女”とセックスしてきたと、釣崎清隆は表現したのだろうか?
好き好んで、女性を苦しめて快楽を感じる趣旨であるレイプもののAVを監督して撮ってきた釣崎清隆が”ヤバい女”と表現するとき、女性を見下しているように感じてしまう。
釣崎清隆に、わたしの最愛の父を喪った原因であるわたしにとって人生で一番の苦しみのトラウマはアダルトビデオなんだと告白し、
このトラウマを克服してゆく為に、釣崎清隆の撮ったAVを最初に観たいのだという趣旨を話し、
どうしたら観れるのかと三度、質問したが、三度とも、答えてくれなかった。
わたしは、釣崎清隆が、許せない。
死と性と女を冒涜し続けてきた釣崎清隆を、わたしは許すことはできない。
死と性と女、わたしにとってそのすべて、わたしの母であるからである。
わたしが4歳の時に、母は死んで、死体となった。
母の死体を見つめつづけたわたしにとって、死と、すべての死体は、わたしにとって母である。
そしてすべての女性器は、わたしの生まれてきた神聖な場所であり、わたしにとって母である。
すべての女性に対し、わたしが深いコンプレックス(感情の複合体のこと。 衝動や欲求・記憶などの、さまざまな心理的要素が無意識に複雑に絡み合って形成されるもの)を懐き続けて来たのは、すべての女性にわたしの母を映し、母を求めてしまうからである。
釣崎清隆は、わたしの母を、本当に好きなように傷つけ、陵辱し、侮辱し、恥辱と汚辱を味わわせ、果てには、呆れたことに、Tシャツやトランプにまでしてきた。
わたしは、釣崎清隆にTwitterをブロックされてしまったが、今でも変わらず愛している。
本当に愛しているからこそ、あえてこんなことを話さなくてはならない。
貴方に、これまでと同じように、死体と、女性を撮り続けてはほしくないんだ。
貴方には、自分の最も愛する存在として、死体と女性を、表現することは、撮ることは、見つめ続けることは、できないのですか。
自分を産み落とした母(死と性と女)に対して、このまま犯し続け、死んでゆくおつもりですか。
決して、安らかではない死に様で。


























ツリの煩悶地獄 五

ツリとのDM
ツリとのDM2
ツリとのDM3
ツリとのDM4











以下、釣崎清隆氏とわたしの10月7日のDM











ゆざえ「わたしの兄はわたしより6歳上で、今はブラックな運送会社でトラックの運転手をしており、休みは週一で寝る時間が4時間ある日は良い方だと話していました。
兄は廃墟のような荒れ果てたおぞましく不衛生でぼろぼろの実家の猫屋敷で猫9匹と共に暮らしています。

98年だったかもしれません。兄が釣崎清隆氏の撮った死体写真の載ったBURSTを何冊と持っていて、わたしはそれを観て、生まれて初めて、人間の死体写真を観ました。

手首から千切れた女性の写真をわたしも観た頃から、兄は鶏肉を食べるのを嫌がり、鶏肉を食べると下痢をするようになりました。
兄曰く、鶏肉が臭いと言うのです。
でも同じスーパーでずっと買ってきた鶏肉が、そんな急に臭い腐ったものになるのでしょうか…?

わたしはそんな兄の繊細さが、きっとあの死体写真の女性の千切れた手首の切断面の肉の腱や脂肪が、鶏肉にそっくりだったからに違いないと確信したのです。

でも悲しいことに、わたしはそれからも何年と鶏肉を食べても平気でした。
畜肉を一切断ったのは、それから14年後の30歳になってからです。」



ゆざえ「それで、あの女性の手首から切断された写真が、わたしが最初に観た時の記憶では、もっと鶏肉とそっくりなピンク色がかった肉の色と黄色い脂肪や腱の色が印象的だったのですが、BURSTに載せられた写真は、加工されていない状態で写真集に載せられているものなのでしょうか…?」



釣崎清隆「あの右手を加工して表現するのが私の仕事なので、素材のままで公開する気はいまのところないですね。」



ゆざえ「釣崎清隆氏、こんばんは☔

 ということは、わたしが観たBURSTの掲載時で既に加工されていたということなのですね。
    何故、わたしの記憶では本当に鶏肉そのものみたいだったのか、不思議です…。」


ゆざえ「もとの右手の写真は、本当に鶏肉みたいだなと、釣崎清隆氏も、感じられましたか…?」


釣崎清隆「そうですね。手羽先だと思いました」


ゆざえ「手羽先ということは、骨も見えていたのでしょうか…?」


ゆざえ「写真の真ん中の白い部分は骨なのでしょうか…?」


釣崎清隆「そうです」


ゆざえ「骨だと気づきませんでした…。

    元の写真も観てみたいです…」

ゆざえ「釣崎清隆氏は、このまま動物たちが虐待と拷問を受けて殺され続ける世界のままで良いとお感じになられますか…?

その因果でないならば、何故、人類がこれほどの拷問の地獄を味わって死んでゆかねばならない世界なのか、わたしには理解できませんし、納得ができません。」








ツリからの返事は、なかった。
























ツリの煩悶地獄 二

わたしは愛するツリと、本当に、
SEX蛾死体DEATH。」

と、とうとう一線を越えた言葉を、私は危ない気狂い系の熱烈なふぁんの女性から、Twitterのダイレクトメールで告げられてしまつた。
うーん。また、この糞忙しいときに、ファンと見せ掛けたアンチツリによる嫌がらせではあるまいな...?
私は今、急いで脱稿せんければならぬ執筆に気が気でならず、筆が進まぬ気晴らしにTwitterをちょいと触ればこの在り様。
怒濤のように私に対するこの女性からツイートとDMが送られてきよるから、どうしたものかな。
この女性はもしかしてアレなのかな、私を脱稿させたいのではなくて、脱肛させたいのかな?
本気なのであろうか?
私から返信がなくて苦しいのだと言われても私も今、私のあらゆる苦しみに苦しんでいて、もう何をどうしたら、何をどう着たら良いのか分からず、ステテコを頭から被ってみたものの、そんなことをしても、何一つ、筆は進まなかったではないか。阿呆たん。
それで、一体にこの女性は私に何を求めているのかと想っていたら、今日の午後、こんな言葉が彼女から届いたのである。

「僕は愛するツリと、本当に、
 SEX蛾死体DEATH。」

一体、何なのだ。これは。
おちょくっているのか、この私を。
死体写真家として死体で飯にありついてきた私に対する嘲りと愚弄と憫笑と陵辱なのか。
私は、深い深い溜め息を吐き、目を閉じた。
うーん、目が、目が、じんじんするな。
そして疲れて憑かれて私は横になっていた。
す、る、と、闇のなか、彼女が、私に向かって言った。
これは、暗号だよ。大事な暗号なんだと。
私は夢と現実の合間で、闇の内側から囁く彼女と共に、この暗号を解き始めだす。
""の形を見つめてごらん。
これは...。
あっ、これは...。
そうだよ、真っぷたつに、されてるでしょう。
永遠のマーク、無限の印が。
を、縦にして、真っぷたつに切断すると、になるんだ。
あっ、本当。これはすごい発見だ。
次行こう。
早いな、おい。
次はなに?
次は""だよね。
あっ、早くも、わかった。
何?
これも真っぷたつにしてるんだね。
と言う字を。
そうだよ!
日本が真っぷたつにされるという預言だよね。
違うよ。
違うんか。
日は、太陽だ!
太陽が、真っぷたつにされるのか。
そうさ、光のもとが、二つに切断され、分かれるんだ。
これは詩的だ!
では次行こう。
もう行くのか。
次は、""!
見つめてごらん。
ピラミッドの上に逆ピラミッド乗っかってる!?
土台と天井の線がないやろ。
ないね。
わかったぞ!
なんだ?!
傾けた十字架だ!
ツリ!その調子!
イエスが磔にされている十字架が、傾いてるのがなんだ!
素晴らしい!
でも、何故に傾いてるの...?
土壌がワヤやから?
ちゃんと深く地に、突き刺さんかったから?
これは、イエスの心境が表れているんだ。
人は、恍惚の時も、地獄の時も、傾くんだ。
...。
立っていられないんだよ、真っ直ぐに。
もうぐらぐらで、どっかのおっさんに肩ちょっと当てられただけで、倒れそうになるほど、グラグラヤネン。
で、ワレどこ見てさらしとんねん。ゆうておっさん傾いてた十字架を振り返る。
つとそこに、傾いとった十字架あったはずやのに、見たらあらへんねん。
おい、ワシ、幽霊でも見よったンけ、キリストの亡霊見てもうたんけ。縁起ええんかよおないんか、わかりまへんなあ、正味。ゆうて、まあ気ィ取り直して一杯道頓堀で酒飲んで帰ってこましたろ。ちゅて、おっさん、去(い)んで(去って)もうてんね。
...何の話...?ツリ...。
あっ、聴いてた?私、寝てた...。  
おい...大丈夫?ツリ...心配やね。 
あなたがゆうな。 
では、次、行って、こましたろ。
throughか!
次は、""!
これは昆虫の蛾の字やんね。
せやで、よう見ておくんなっしゃ。
うー。うー。うー。
何?
うーぱーるーぱー?
違う!わかっちったぞ!
なんだよ。
虫編に、(われ)と書いて、やないか!
そう。
あれ?そるで、それで終わり?
終わってへんが!
終わってへんがか!そらすまへなんだ。
知らんのか、あんたさん。
何のこと?
あの、戦慄の、実験を。
何?それ、怖そう...。
ぼくさ...。
どうした。
ぼくさ、最近、遣っちゃったんだよな。
何を遣っちゃったんだよね、あなた。
だからさ、アレ、だよ。
ドレ、だね。 
だから...ぼくさ、前にとうもころし買ってきてン。
とうもろこし🌽ね。
とうもころしの先っちょ、切ってンね。
カスカスやったさかい。
ふんだらね、
踏んだのか。
踏んでへんよ、ふんだらね、
ほいだらね、ほたらね、...切断してもうてん。
ともうころしの先を?
ちゃうよ、そんままやないか!
蛾の蛹をだよ...!
マジか...!
知らんかってん。ほんまぼく、知らんかってん。真っぷたつに、蛾の蛹、ちょんぎってもうたんや。
ふんでどうしたんだ。
ふんでね、二つに分かれた上半身と下半身を、くっつけたんや。
くっつけて、くっつくのですか。
死への羽ばたき」というアメリカの昆虫学者カロール・ウィリアムズ博士が
1942年に行った実験について、調べてみようでは、ないか。
(蛹の正面の構造が人間のペニスとヴァギナを合わせたような形であることにも注目しよう!)
うむ…。








horror-pupal-test


①は完全なサナギである。
②は半分に切って、それぞれの断面にプラスティックをかぶせた。
③は切り離したサナギの前後を、プラスチック管で連結したもの。
④は前後を連結してあるが、管のなかには可動の球が入れてあり、両者の間に組織が移行しないようにしてある。





一ヶ月後


horror-pupal-test5


①は普通に変態し、ガとなった。
②は前半の部分だけが変態し、後半部はそのままだった。
③は傷が回復し、ホルモンが流れるように管のなかに組織が橋渡しされて、前半部も後半部も変態を起こした
④は可動の球が組織の発達をさまたげて変態が起こらなかった。

死への羽ばたき


horror-pupal-test6


実験の最高潮である死の飛行

前と後ろの両部分とも変態した③のサナギは

羽化して蛾となり翅を羽ばたかせて、飛び立とうとした。

しかし、プラスティック管内で発達した弱い組織はすぐに切れ、

蛾は地に落ちて死んでしまった…


僕が、アワノメイガの真っ二つにしてしまった上半身と下半身の蛹をくっつけて、固定させ、
何が何でも羽化させようとしたのは、
今でも、本当にDangerousな実験だったと感じている。
でも、もし、無事に成功したならば、彼(彼女)は、夜の大空へと、羽ばたけたはずなんだ。
死への羽ばたきではなく…。
一体…そのアワノメイガの蛹は、どうなったの?
残念ながら、白い黴がほっわほっわ生えてきて、放っといてたらカッスカスになってしまったよ。
……。
つまり、実験は、失敗に終わった…。
彼(彼女)を、羽化させることが、僕にはできなかった。
そのことが、心残りなのかね。
…。違うよ、死と、蛾は、かけ離れていないんだ。
どういうことだね?
つまり…人間もまた、”死への羽ばたき”をする可能性のある実験として、
この地上に生まれてくるんだよ。
……。
僕らは皆、自分自身を、実験しているんだ。試しているんだよ、常に。
なるほど…そういうことか。
どこまでの恐怖に堪えられるのか?どれほどの痛みに、苦しみに、悲しみに、堪える力を身につけられるのか?
どんなに深い愛で、他者を、我を、愛して死んでゆけるのか?
すべてを愛せるのか?
愛することのでき得る者だけをしか、愛せないのか?
すべてを、本当にすべてを経験する為に、僕らは自分のこの不自由と感じる肉体の、この狭苦しく、暗い殻のなかで、ひっそりと息衝きながら、夢を、抱いて眠っているんだ。
ある者は、へと羽ばたき、死んでしまう。死体と化してしまうんだ。
でもある者は、何処かへ羽ばたいて、飛んで行ってしまう。
自分でも何処にいるのか、わかってないんだ。
ずっとずっと地の上を這い続けて、一度も羽ばたかずに、事切れる者もいる。
何がで、何がでないのか。
最早、僕たちはわからない。
そのすべてを表現した言葉が、
SEX蛾死体DEATH。」
この暗号の意味を、僕は決して、忘れないだろう。

























ツリの煩悶地獄 一

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見よ。この、美しき、悲し気な慈悲の眼差しを。
一心に、彼は何かをずっとずっと見つめている。
全人類が、彼の命懸けで撮った写真を、見つめ続ける必要がある。
何故なら、彼は、一体、何を撮っているかというと、一体全体、何を25年も撮り続けて来たかというと。
御覧なさい。
あなたには、見えないか。
彼が、何を見つめているのか。
彼は、一つのものをしか、撮り続けて来なかった。
彼が、命を惜しまずに、また、拷問の地獄に怯えることもなく、
世界各国の犯罪現場、危険地帯で撮り続けて来たものとは、そう。
何も隠す必要はない。
死体である。
人間の死体を、彼はずっとずっと、撮り続けて来た。
世界を渡って、死体だけを撮り続けて来た男。
この世界で唯一無二の存在。
死体写真家、釣崎清隆。愛称、ツリ。
人々は、彼の撮った写真を初めて観たとき、アッと心のなかで声をあげて驚く。
これは、死体ではないか。
何だって?死体を撮り続けて来た男が、この国におるだって?
信じられないよ。本当なの?嘘じゃないの?嘘だと言ってくれないか。なぁんて、ね。別にそんなこと、俺にはどうだって良いよ。
こんな気色の悪いものを、あえて観たいなんて想わない。
吐き気がする。
気味が悪い。早く、その写真、何処かへ遣ってくれないか。
俺は見たくないんだよ。
だってすべての人間が、これに辿り着くんやろう?
キモいっすね。
いや、マジで。俺たち全員、こんなんになるんだね。
マジで、キモいよ。
生きてる意味在るのか?俺たちは。
最後はこんなに、醜いものになるのに。
生まれてくる意味があるのか?
だからさ、例えば交通事故の死体とか、本当に一度、一瞬でも観ただけで、
人間の一生のトラウマになるその死体に、俺たち全員、なる可能性のある世界なんだっつってんだよ。
わかってんの?
子供、産み落とすなよ。もう。
これに、この、この世で最も最悪な代物に最後にするために、人は自分の子を、
自分の子を最も愛して育て、本物の死体から、目を背け続けてるじゃないか。
発狂してる?
洗脳されてんのか、何者かに。
オウム真理教みたいなカルト宗教に、人類のほとんどが、洗脳されとんのか。
違うなら、何故、死体を見つめないんだよ。
可笑しいぢゃないか。
なんで毎日、死体を喜んで大量生産しているんだ。
死体に、するためだろう?
本当の絶望を自分と、人間に与えてくれる死体にするために、自分の愛する子どもを、
グロテスクな死体にするためにだろう?
違うって言うのか?
死体を観て、何を想うんだ?
気持ち悪い?
観たくない?
可哀想?
自分はこんな死体にはなりたくない?
お前だよ。
お前の姿だよ。
お前の死体が、お前が食べるその死体が、お前の姿だよ。
そんなに、キモいか、お前の食べ物と、お前自身が。
お前が殺したんやないか。
お前が食べる為に、お前が味わって食べるために、お前が、生きたまま解体して殺害したんやないか。
どの、人間の死体よりもグロテスクなそのスナッフフィルムをお前自身が喜んで撮り続けてるのも同じやないか。
お前の腹ン中で、お前と、お前の子どもが、生きているうちに解体されて惨殺されているその殺害シーンと死体の映像が無限に、回り続けとんねん。
わかってんの?
お前は自分自身と、自分の子どもを大量に殺戮し続ける為に、
死体を大量生産してきたんだよ。
俺は今、その無間地獄を、ずっとずっと、見つめてるんだよ。
顔を顰め、堪え難い苦痛を感じながら、此処から。
この、俺の足の脛まで、既に完全に浸かってしまっている、脂肪とぐちゃぐちゃに混じり合った、すべての人と動物の死体からずっとずっと流れ続けている血溜まりの上で。


























『JUNK FILMS ジャンクフィルム 釣崎清隆残酷短編集』 僕たち、日本人は、本物のJUNK。最も、死体から遠い国に住んでいる。








なかなか、観るのが怖くて、観れなかったが、やっと観れた。
観終わって、悲しくて涙が流れた。
何より、心が苦しかったのは、最後のデヴィッドのところだった。
何なのだろうか…。日本という国の虚しさを、わたしは見せつけられた。
日本が先進国でありながら、自殺大国であることの理由が、この冷ややかな虚しさのなかにあるのではないか。
それに比べて、他の国は、何故あたたかみがあるのか?
動物的な慈悲のようなものが、他の国にはあるように感じられた。
日本は無機質的で、無感情的で、作り物のよう(人工的)である。
だが、ただ釣崎清隆が無言で撮った最後の青木ヶ原樹海の髑髏は、冷たさや虚しさを感じることはなかった。
髑髏には青々とした苔が生えており、大自然の慈愛に包まれながら、完成されたひとつの現象として、感動的なものであった。短いシーンだけでとても残念である。

最も痛々しさを感じたのが、顔がぐちゃぐちゃの血と肉の塊となった死体の映像よりも遥かに日本の若者たちによる友人デヴィッドの納骨のシーンであった。
釣崎清隆の、あたたかい眼差しのフィルターを通しても、それを覆うことはできないほどに、どうしようもない空虚さに満ちており、胸が今でも苦しい。
これは『デスファイル完全版』を軽く超えるほどの死者に対する尊厳の欠如である。
損壊の最も激しいどの死体よりも遥かに、”残酷”なものである。
わたしはそう感じた。
でも唯一の救いは、この映像を釣崎清隆が撮ったことである。
それ以外に、何処にも救いはない。
そこにある闇は、底がない。
日本という国は、この世界で最も救いが必要な国なのではないか。
何故、ここまで寒々しいのか。
ただ丁寧に、慎重に扱うなら、それが死者に対する尊厳であるのだと、想い違いをしているのではないか?
日本というこの国に存在しているこの恐ろしい虚構が、一体、何処から来ているのか。

わたしはこの世界から拷問的苦痛のすべてを無くする訴えを、みずからのなかで強めたくて、死体をじっくりと、見つめることを決意し、釣崎清隆の存在を最近知った。
今、そのわたしを襲っているのは、”日本”という国が、どれほど”救いがたい”凍りついた国であるかということを知らされた吐き気を催すほどの悲しみである。
でも、あの髑髏が、この「ジャンクフィルム」のジャケットの青木ヶ原樹海で釣崎清隆が撮った此の世の何よりも幸せそうに、優しい寝顔で眠る髑髏が、わたしに言うのである。
「僕も日本人だった。」
そうだね…。君はわたしと同じ日本人だったんだ。
でも今は、今は、そんな縛りに縛られてはいない。
世界で一番冷めたこの国から、君は解放されたんだ。多分…。
きっと、そうだ。それとも、骨と魂は、全く、もはや別々の存在だからなのか。
嗚呼…僕は本当にこれまでずっと、髑髏恐怖症だったんだ、それなのに。
この映像の、綺麗な色んな個性を持つ髑髏たちに、なんて胸がときめいたことだろう!
これは釣崎清隆の真剣に死を見つめる愛の深さが、僕に反映したのだと、信じている。
彼の穢れなき愛と悲しみが、全く届かないほどに、この国の闇は、深いのである。
























僕の裸を撮ってくれへんか。

















まだ生きていない

皿の上に、美味そうな肉が在る。
思わず、唾液が溜まってくる。

前者は、その肉を、味わって食べる。
後者は、手を出さない。それは死体だから。

夜の空き地に、一人の少女の全裸死体が転がっている。
性器からは、血が滴っている。
どうやら殺されたばかりらしい。
思わず、欲情し、下半身が疼いてくる。

前者は、その肉を、貪り喰らうように、交わる。
後者は、手を出さない。それは死体だから。

僕は死体を愛している。だが前者となり、死体と一体となる必要はない。
僕が愛しているのは僕自身であり、僕は既に死体であることを知っている。
死体は死体を欲しない。
僕は既に、死体と一体である。

死んでいる者が欲する者、それは生きている者である。
僕はほとんどの人を欲しない。
ほとんどの人は、生きていない。
そして、まだ生きていないので、死んでもいない。
ほとんどの人は生きても死んでもいないので虚しく、自動人形のように、生きている振りをする。

僕は死体だと言っても、だれも信じない。
人々は、自分は生きているから、死体を食べるんだと思っている。
でも僕はいま死体だからわかるんだ。
死体を食べ続けて来た僕は、生きてもいなかったし、死んでもいなかった。
僕はいま生きている者が欲しい。
この世界の、何処かにいるはずだ。
























それが、光か。

昨日、姉から、兄の飼っているチャッピーという猫が死んだと連絡があった。
痛々しい赤い悪性の大きな腫瘍がチャッピーの顎の下にできており、彼がどれほどの癌の痛みに堪えて生きてきたのか、わたしたちにはわからない。
彼は、わたしとお父さんが寝ていたずっと開かずの間にしていた猫たちが荒らしまくっているおぞましく散乱して訳のわからない虫たちが湧き続けている人間の戦慄する状態にある部屋で死んでいて、古いエアコンの殆ど効かない窓を締め切った部屋で、これではどんどん腐敗してゆくと姉が言った。
兄の鬱症状は重く、チャッピーはそのままの状態でほったらかされていた。
わたしはそんな兄を責める姉を責めた。
これ以上責めたら、兄は本当に死んでしまうと言った。
でも姉には、それが理解できなかった。
ただドライアイスを買ってきて、チャッピーの遺体を腐らないように冷やすことがなんでできないのかと。
わたしはそれすらもできなくなってしまうことが鬱という病気なんだと言った。
今、一番に苦しみ続けているのは兄なんだ。それを理解することが今一番必要なんだ。
でも姉は、それを理解しようともしない。
この世界に存在している一番の問題は、それであるんだ。
人間が他者の堪え難い苦しみを理解しようとしないことが、すべての堪え難い苦しみの根源であるんだ。
人類が地獄で苦しみ続けるのは、当然じゃないか。
何故、自分の飼っている猫の苦しみをどうにかしようと必死になりながら、屠殺場で拷問を受けた後に殺され続ける家畜たちの苦しみには全く関心を向けないのだろうか?
そしてほとんどの人が、生命は死ねば無になって楽になるのだと信じて、虚無のなかに生きて死んでゆく。
その虚無のなかに一体、どこに救いが在るのか。
人類の地獄が、終るはずなんてない。他者の地獄から、目を背け続けているのだから。
人類の拷問の苦痛は終わらない。
”光”とは何か?
自分の食卓の上に、拷問を受けて、生きたまま解体されて殺された動物の刻一刻と腐敗しているその腐乱死体を食べ続けて生きることが、人間にとっての”光”なのか。
そして自分の愛することのできる存在だけを愛して死ぬことが人間にとっての光なのか。
永遠の虚無に向かって生きることが、それが、光か。









プロフィール 1981生 ゆざえ

ユザエ

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