ゆざえのDiery'sぶろぐ

想像の森。 表現の駅。 幻想の家。

町田康

師匠の夢

真夜中に目ェ醒めたんですわ。それで、あっ。と想たんです。
せや、京都の爪切ったらな。

で、起きて、京都ー、京都ー、っつって呼んであいつ探したんです。
そしたらそこにおって、「なに?」みたいな顔で俺のこと見上げてたんですよね。
なんや京都、そこにおったんかいな、ほなさっそくちゅて、京都、膝に載せて爪切っとったんですわ。
すると、こんな真夜中に、まさかの、電話が鳴りよった。
びっくぅ、しましてね、え?え?なに?なに?なに?なんでこんな時間に?って不安が極限に達した瞬間に、俺は受話器を取った。
「はい、町田です。」
すると向こうから、なんや吃驚したような声でこう聞こえた。
「あっ、町田さんですか!ぼく、京都の〇〇〇〇っていうライヴハウス、町田さんも来てくださったことのありますそこに努めてるスタッフの者なのですが…いやほんまに申し訳ないです、こんな時間に。実はぁ、あの、あっ、やっぱ、いいですわ、ははは、ほんますんません。ほな…」
ゆうて電話切ろうとしたんですよ、相手、それで慌てて俺は「いやいやいやいや、なんやねん、言いかけて、気色悪いなあんた。言いかけたことはちゃんと最後まで責任持って命懸けてゆうてくださいよ。気色悪いにも程があるからね。」ってゆうたんです。
すると彼奴、電話の向こうでへこへこ頭下げながらってまあ見えてるわけやなかったけろも、そんな感じでこないゆうたんですわ。
「ほんまにすんません。ほんまにすんません町田さん…。実はそのあの、さっき、ついさっき起きたことなんですけれども…」
俺はコードレス電話機を耳に当てて階段を下りながら一階のキッチンで茶ァ沸かしたろ想いながら言った。
「うん、それで?何が起きたん?」
相手はちょっとまァ置いた後に、ごくんと生唾飲み込んで答えた。
「はい、それがぁ…実は、さっきまで、町田さんの歌い声がこのライヴハウス内に響き渡っていたんですよ。それはほんま、その場所から聴こえて来たんです。観客の見つめるそのステージ上からです。それで、ぼくらはもうすぐにわかったんですよ。あっ、この声と歌い方は、町田町蔵やん!!!彼以外に、到底おらんということみんな知ってたんです。みんなすぐにそれに気づいた。それで観客たちと一緒に、”来てるんや!ここに町蔵、今来てるんや!”って叫んで騒いどったんです。みんなで感涙しながらそれを聴いていた。でも、ふと、気づくと、もうなんも聴こえなかったんです。それで、みんなでアンコール!って叫びながら町蔵の声を待って居た。でもいなかった。もう此処に町蔵いないんや。そう思て、泣いてたんです、ぼくら。それで、ほんまに、町蔵だったのならば、町蔵が知らんはずはないと、そう思たんです。それで、震える気持ちで、お電話致したという次第でござるのでございます。」
俺は、薄暗いキッチンに独り立って緑茶を煎じながら、それを聴いていた。
俺は、ぷるぷる、していた。気持ちと身体が、共鳴してぷるぷると小刻みに震えながら、「なんや、それ、なんや、それ、なんかそれって、凄いやんけ。」と我が脳髄の真ん中で叫んでいた。
で、ふと我に返り、俺は素朴な疑問を電話の向こうにいる相手に投げかけた。
「いやなんで観客たちがこんな時間におるのん?」
すると、その瞬間、“ガチャっ”っつって電話が切れた。
おいーおいーおいーなんなんだよ、なんなんだよ、気色悪いことこの上ない感じやなこれ、また掛かってくる?掛かってはこない?どっちやろう。とにかく掛かってくるのを待とう。
そう想て俺は茶ァを吞みながら、また二階へ行って、京都とじゃれ合いながら電話を待った。
しかし、うんともすんとも、雲とも臼とも、電話はその後、云わなかった。
俺は全身がぞわぞわするなかにも、同時に感動しているということに、寒気のなかにときめいていた。
それで気づけばぽそっと俺の口からこう漏れた。
「そんなことって、あるのね。あるのだわ。きっとそうよ。此の世ではそんなことがときにあるのだわ。起こり得るのよね。けつして、可笑しいことやないんやわ。」
それでおもろいのは、実際に京都というこの猫の爪を切っていた間に、それが京都のライヴハウスで起こったということだった。
これは関係があると考えても良いであろう。そう想わんかえ、なあ京都。俺はそう京都に向かって言った。
するとあれ?と俺は想いだした。そういや、俺、“京都”なんていう猫、知らんで、そんな名前の猫を俺は飼ったことがないぞ。一体、これは、どういうことなんだ。どーいうことなのだ。
俺は、京都を見た。見つめようとした。だが、そこに、京都はいなかった。
何がいたか?ただそこには、赤いカーペットが、あるばかりだった。
とどのつまり、京都という猫は、最初からいなかった。なのに俺は、何故か京都という名の猫を飼っていると信じており、その信念のもとに、彼の爪を切っていたのだ。つい先だってのことだ。
しかし、本来、俺はそんな猫は知らんのだ。では何処から京都という猫は遣ってきたのだ?
というか、この世界は、現実なのだろうか?何か知らないが、俺はこないな家に住んでいたことはあっただろうか?っていうか、俺はどんな家に住んでたっけ?
そうだ、想いだしたぞ。此処は、夢の世界なんだ。それは俺ではなく、俺以外のだれかが、何者かが見ている夢の世なんだ。
そしてその夢を今見ているのは、俺の何度か会ったことのある女だ。
そうだ、彼女だ。俺を「たったひとりの生涯の師匠」と崇める、あのいと風変わりな女。
彼女だ、彼女が、まったく可笑しな俺の夢を、今、見ていて、俺はもう目覚めてるというのに、彼女は目覚めようとはしないのだ。
ということは、俺はまだ、彼女の夢のなかに拘束される形で存在しなければならないのか?
いや、そんなことは可笑しいだろう。
というか、それ以前に俺は俺なのだろうか?彼女の夢のなかに今いる俺は本当の俺なのだろうか?
本当の俺とはなんだろうか?本当の俺とはたったひとりだけSONZAIsiteirunodarouka。
ってなんで急にローマ字になったのだろうか?やはり本当の俺やないからなのか?本当の俺やった場合、急にローマ字で語る俺になったりするのたろうか。
それで実のところ、これは彼女が夢と現の間に空想していた物語だったというわけなのだと、俺は今、想っている。
つまり微妙なその中間にある世界であって、何が起きるか、自由なのだ。
それは彼女の操る上での自由だと言えるか?
俺は自由なのだ。
何故そう言えるのかというと、彼女がそれを願っていることを俺はわかっているからなのだ。
此処は確かに彼女の夢(空想)の世界だが、俺は此の世界で真に自由な存在として存在している。
何故そう想えるのかというと、俺がそれを願っていることを彼女は知っているからなのだ。
だからもう、良いではないか。
それはつまり、俺だって彼女を操れるということなのだ。
俺は今、こうして彼女を操り、この物語を書かせているのだから。



















町田町蔵+北澤組 - パワートゥーザピープル


























我が死の同志である釣崎清隆へ

自分は、わたしの表現をいくつも読んで戴けたら理解して戴けるかと願いますが、グロテスクなものが、苦手で堪らないのに、グロテスク表現、過激表現によって、人間が、自分の目覚めの力によってみずからを救いだせることを、信じて自分の表現を遣り続けています。
それはわたし自身が、2012年に見たあまりに現実的な悪夢を切っ掛けに、現実の地獄とその悪夢がリンクし、ようやく自分が此の世に真剣に救いを求めたことによって、ヴィーガンになることができて、例え自分を犠牲にしてでも此の世(全存在)の真の救いを求めて生きられるようになったからです。
そして其処に行き着くまでの自分のこれまでの人生が、如何に虚しいものであり、利己的なものであり、此の世の最大の悪(生命に対する強制的な拷問の地獄の苦痛)に加担し続けてきたかに、気づくことができたからです。
でも、誤解して貰いたくないのは、わたしが本当に遣りたいこととは、飽く迄、フィクションであるということです。
その点に於いても、現実の死体を見つめ続け、その死体を芸術作品として昇華させるべく命懸けで表現し続けながらも、本当に遣りたいことは劇映画を撮ることなのだと言った釣崎清隆氏に、わたしは深く共感を覚えています。
自分は、啓蒙的表現には、真の喜びを感じられてはいないように感じています。
これは、使命であり、抗うこともできなければ、抗う必要もないわたしの死ぬまでの、身命を賭してでも遣り遂げねばならない責務なのです。
いつでも、自分の啓蒙的表現には、不満を感じています。
そんな容易く、この問題を昇華できるはずもありません。
わたしのバイブルである我が生涯の師、町田康の「告白」のように、最も愛する存在を、みずからの手によって殺す。それを、表現し切ること。その苦しみがなくては、とてもカタルシスを生み出すことはでき得ません。
わたしの根源的訴えとは、「何故、自分自身(他者)に拷問の地獄を与え、そして殺すのか。」という問いなのです。
今日の午前3時過ぎに、わたしは初めて、自殺映像なるものを観ました。
人間が、みずからカメラに向かって自殺する、その瞬間の映像をです。
彼は、自分の顔面をショットガンで見事に吹っ飛ばし、虚しく死にました。
自分を、悲惨な方法で殺害することで、彼はすべての人間に、訴えたかったのだと感じました。
何故、自分自身(他者)を、人は殺すのか。と。
胸を撃って自殺するだけで、十分に悲惨であるはずなのに、彼はそれだけでは、きっと許せなかった。
彼は、自分の最も遣るべき、自分に相応しい方法で、自分を殺したかった。
彼がグロテスクなものが好きだったか苦手だったか、知り得ませんが、どちらにしろ、彼は最もグロテスクな死に様の一つである顔面を吹っ飛ばして死ぬという方法を選んで、自分を殺して死にました。
こんなことを、わたしが他の誰よりもあなたに向かって話すのは、あなたは既にわたしの表現のなかで、わたしが、わたしの実名で殺した、実名の、たった一人の存在だからなのかもしれません。
わたしはあなたを殺してしまった。
でも殺したのはあなたの姿を取ったわたし自身であり、わたしが殺したいのは、わたし以外には存在しません。
わたしは、自分を殺す瞬間を、確かに観ました。
今日の午前3時過ぎに。
それは、酷く既視感の在るものでした。
わたしは既に、それを知っていた為、わたしが、そのヴィジョンに、ずっとずっと、執着してきたはずだと、気付いたのです。
わたしはこれまでずっとずっと、”顔”と、”顔”がない、その状態に執着し続け、最早、わたしは自分や家族を含めるどの人の顔も、現実ではその造形を覚えることが困難になりました。
人の”顔”は、肉(肉体)によって、できているのではないのです。
眼には観えない心や、魂や、霊といったものが、眼では観えないその部分に、現れているはずのもの、それが、”顔”というものなのです。
その”顔”という、最も大切な部分が、一瞬で、吹っ飛んで、真っ赤な鮮血を滴らせ続けるばかりのただの醜い肉となったのです。
それが、わたしの顔であり、すべての人の顔であるのです。
わたしは、グロテスク表現と、過激表現を、どれほど孤立し、人を傷つけ、自分も傷つき、絶望的な孤独のなかに生き続けるとしても、死ぬまで遣り続けたいと願っています。
実際、本当に誰一人、何一つ届かないのかも知れませんが、わたしには、他に方法がありません。
わたしと、すべての顔を取り戻す、方法がないのです。

























町田康師匠との想いで第二

汝、我が民に非ず。そう神から言われた日には、どんなにか悲しきことであろう。
まず、神なのに、何故そんな殺生なことを言うの?と想って『あなたはわたしの神だけれど、なんて心の狭いキャパシーの小さい神だろう。』などと反論することは果してできるだろうか。
反論することで、果してその者は神に愛されるのだろうか。
前置きがちょっと長くなりましたが、わたしは昨夜、『汝、我が民に非ズ』というバンドのレコ初ライヴ(レコードを発売して初めてのライヴ)に行って、そのヴォーカリストの、町田康という神に逢いに行って、神にCDにサインをしてもらって、握手もしてもらって震える感動のなか、一人で家に帰って帰りにキャベツと白菜を買うて、家に着いた途端、キャベツと霜降り舞茸をフライパンにて熱し炒めせしめ、これを喰らいつきながら赤ワインを4杯どこかそこら飲んで汝、我が民に非ズ、の全曲を二回再生して眠って起きたら朝が来ていました。

不思議な朝でしたね。妙なシュールな夢を見ていたのですが、全く、昨夜のライヴとは関係の無さそうな夢でした。
悲しいけれども、そんなことでわたしは挫けますまい。
今から、我が神に対するアルバムとライヴへの想いをなるべく、簡潔に、綴りたいと想います。
なんで簡潔かと言うと、あんまり長いと師匠も(あっ、師匠とは我が神の別の呼び名です。)もたれも、たれひとりも、最後まで読んでくれないかもな。と恐れるからでございます。
二日酔いの脳髄で、何を言っておるのかと師匠は想われるかもしれませんが、やはり言っておかないと後で後悔しそうなので、今、午前10時49分ですが、わたしのこれまでについて、まず話始めたいと想います。

まず、わたしが町田康という作家を、我が生涯のたった一人の師匠と呼び始めたのは、今から八年前の、2010年の十一月のことでした。
図書館で偶然に手に取った『告白』という分厚き本を借りて、それを最後、徹夜して読み終った、その日から、わたしの世界観というものが、これ本当に変わってしまった。くらいの衝撃を受け、わたしは打ちのめされ、町田康という作家を、生涯たった一人の師匠と崇め、『わたしもこんな作品が書きたい。』と切実に強く、激しく、願いました。今でも願い続けています。
そして、わたしは漸く、小説を真剣に書いて、そして死ぬる。人生を生きる決意をしました。
そして最初に書き始めたのは、『告白』の二次創作品であり、残念ながら未完結のままであります。
当然であると感じました。
最初に自分の核となる一番のテーマを、完結させられる筈はなかったのです。
最初に完結させてはならなかった未完成の作品です。
それでも書いているとき、わたしは深い喜びに満ちみちていました。
熊太郎が乗り移ったような感覚で、熊太郎の続きを追っているような感覚で、わたしの熊太郎を、マイ熊太郎を、表現して行くこと。
あれほど、一気にその回を書き終えたあとの推敲にわくわくとして掛かることのできた作品は他にありません。
ブログにすぐに、発表して、2011年の3月から2012年の4月まで連載していました。
『告白』を読み終えたあと、わたしは絶望の底で、師匠を心から祝福し、まるで耀かしい光と恐ろしい闇が合わさったかのような世界に放り投げられ、今までにはない絶望と希望が確かにそこに、わたしの内に共に在りました。
こんな小説は他には絶対にないことがわかりました。
わたしはその時、いや、今でも、天からわたしに向かって降り注ぐ無数の尖った剣と、何よりもあたたかい陽の光線を浴び続けているのです。
それは、町田康という一人の人間という存在にわたしが出逢えたからです。
ちょっと今も、感極まって、独りで毛布にくるまって目頭を塵紙で押さえつつ、これを横になりながら携帯で打っております。
えっ?何故、君は神とも拝める存在に対する真剣な想いを、布団のなかで書き綴っているのですかって?
たはは...確かに仰有られる通りでござあすね。
何故、そんなに怠けているのでしょうか?
慢性的な鬱症状が在り、午前中に起きてパソコンに向かうのは辛いし、それに窓はカーテンを開けていて、その眩しき光線の逆光で、パソコンに向かうのは画面が見えづらくて辛いという言い訳をするつもりはあるのか、ないのか。という話なのでしょうか。って誰に訊いてるのでしょう。この言い方も師匠が乗り移っていることを解られるでしょうか?
本当に、師匠にとり憑かれて困っております。
助けてください。
師匠を愛したばっかりに、師匠に憑かれるというのであれば、それじゃあ、神を愛するものはすべて、神に憑かれておるのかねぇ。
どうなの、そこんとこ。
その前に、神とは人格を持っているのですか。持っていないのですか。
ぱはは。こんな話していたら、一向に前へ進めない。
ええっと、何の話をしていましたかな。
師匠に憑かれたばっかりに、話が師匠みたいに横へ後ろへ天へ逸れてくのです。
師匠と、話し方が頭(かぶり)に被っていることは御許し戴けませんでしょうか。
わたしも、これだけ憑かれてしまうと、好きで憑かれているのか、それによって疲れて、それを読んだ師匠が呆れて恥ずかしがられてまだ陽が沈みきらぬうちに就かれてしまうのか、わからないのでござあすね。
できることあらば我が愛してやまぬ師匠を無駄に困らせたり、恥ずかしがらせたりはしたくない(されたくない)のが師弟の心情です。
舎弟のわたくしめの願いであります。
それにしても、師匠が乗り移っておられるお蔭で、話が回りくどいですね。
どうしたら良いのでしょうか。
しかもこの口調はどこか師匠の愛してやまぬスピンクという方のそれとも似ている気がして、師匠は、自分の口調は真似ても良いが、スピンクの口真似だけは赦さぬ。殺す。と言われて、真剣を頭上に振り上げ、わぎゃあ。と叫び、わたしはとにかく逃げるしかありません。
卑怯者めが、あほんだら、待てい!師匠はわたしを追ってきます。
まるで我が身の影のように。
そうです。わてしは、わたしは、師匠に出逢ったあの日から、一日も師匠から逃げられない運命なのであります。
逃げても逃げても、いっやー随分と、遠くまで歩いて来たものだねえ、すっごく景観という感じがするな、こう、なんていうのか、ほんとになんにもないねえ。此処。何処やねん。何処まで来たんだ我々は。なんでこんなずっとずっと、田圃しかないのかね。空は鈍よりと、鈍色で今にもおいおいと泣き出しそうじゃあ御座あせんか。一体誰が、たれが悲しんでおるのかね。今日、一体なぜ我々はこんなところを歩いているのだらう。見渡す限り、枯れた寂しい田圃があるばかり。枯れた色の雑草が生い茂り、もはや田圃とも言えない。それらに挟まれたこの畦道を、我々は歩いている。
そう、今日は2017年の6月27日だ。
その早朝である。
だが此処は、何処だろう?
わたしの左に、誰かが一緒にずっと歩いておるのだが、誰なのだろう?
何か話をしておるようだが、何を話しておるのだろう?
もしかしたら、彼はこんなことを言っているのだろうか?
残念なことに、どうやらわたしは彼の言葉を聴いた尻から忘れ、その言葉は気体となり、辺りに漂っているかのようだ。
彼とわたしは確かに話をして歩いている。
ほわほわと浮くように、わたしたちはこのなにもない道を歩いている。
そうだな、もしかしたら、彼はこんなことをわたしに言っているのかも知れない。
「私はね、実は今日、あちらの世を発つんです。私がだれかと言うとね。ほら君が愛する、いつも師匠と崇める一人の男があちらの世界におるでしょう。ぼくがずっと主人・ポチと呼んできた人のその主です。ずっとずっと、私は彼と生きてきて、本当に楽しくって、あの家に貰われたことをいつも神に感謝していました。喜びが、本物の深い喜びが、毎日溢れすぎていたものだからだろうか、どうやら今日のうちに、私はあちらの彼らと一緒に暮らす世界の方を旅立たねばならないときが遣ってきたようです。それでね、大したことではないんだけれども、君に一つ、お願いしようかなと想って、こちらの世界で今、私は君と並んで歩いているのです。見えるかい?少し遠くの方。ほら、荒野の真ん中に、ぽつんと寂しそうな後ろ姿でどこから持ってきたのか一人の老いて行こうとしている男が椅子に座っているのが。まるでまだ私は彼と同じ世界にいるのに、私が居なくなったあとの腑抜けのようになった彼の姿を観ているようです。何故、彼はあんなところに独りでただ座っているのでしょうか。はかばりが見付からなくて、立ち上がると漏れるからああしていつまでも座っているのでしょうかね。なんだかとても気になってしまう光景です。私は彼を独りにしたくて、立ち去るわけじゃないのに、彼は結果、また独りになるのでしょうか?心配しても仕方無いけれども、あの様子は流石に心配をさせますよ。わたしは誰に心配を掛けようとも悲しみを悲しめるだけ、此処で悲しみ続けますよ。という彼特有の卑屈さが十分にたち現れている様ですよね。ちょっと観ているのが居たたまれなくなってくるレベルに来てる感じがしますよね。あれはちょっと、このまま放っておくのは、まずいのではないでしょうか?そう、だからね、私から君に、ひとつだけお願いがあるのです。なに、大層なことではないのだけれどもね、ちょっとね、彼のことをね、こう、なんていうか、あれほど、落ちきっている人間を励ますのは無理だから、少しだけ、君の彼へのその熱い情熱と愛を、届けてやって欲しいんです。どんなに悲しくても、君は頑張って生きてきたじゃないか。これからも生きられる。何故なら、この世界にはそういう悲しみの底で、生き続けてゆく人がたくさんいるのだからね。そう、君と彼はそのずっとずっと続き続ける深い悲しみによって出逢い、そして繋がっている人間たちなんだ。君の愛が、君のその、彼へのエールが、彼に届かないはずはない。どんなに悲しくても、どんなに苦しくても、人は生きてゆく。どん底に落ちても、独りになっても、神を見喪っても、愛する神から、汝、我が民に非ず。と言い棄てられても、生きてゆく。生きて行きたいと願い、生かされる存在、それが人という生命なんだ。無限に続いてゆく現象なんだ。彼のことが、今、少しだけ、心配だから、君にこんなことを話しているけれども、そうは言ってもぼくは彼をとても信じている。彼のように悲しみの深い人、私はそうそう知らないのだけれども。中原中也や中島らも辺りは良い勝負かも知れないですね。そのとんでもない深い激烈な悲しみのなかを生きてきたことでしか、絶対生み出せない作品を書いて、そして一人で旅立って行くんだ。君もそうだけれど、とかく悲しみを愛する人たちだ。深い愛には深い悲しみが必ずセットでお得に付いてくることを知っている、知り得てしまっている人たちだ。バリューセット、というとちょっと違うのかな、セットでお得に付いて来るからそれを頼むのではなくって、今なら愛を知れば、地獄のような悲しみがもれなく必ず付いてくる。そう唱えられる程に、素晴らしい『大切な何かを得る。』という意味の得なんだ。愛を知るためにお金は必要だろうか?いや、全く、必要ではない。では愛を知るために、何が必要だろうか?何も本当は必要ない。たったひとつを除いて。愛を知るためには、たった一つ、必要なものがある。愛を知るためには、存在が必要だ。では存在はどうしたら、与えられ続けると想う?君はそれを知っている。そして彼も、それを知っている。イエスは言った。求め続けなさい。戸を叩き続けなさい。そうすれば、開かれる。さあ、行って、彼に君のその、大きな願いを伝えてやってほしい。」
ふと、わたしは右の前方を見る。
するとその向こうの方に、荒れ果てた野のなかで、独りぽつんと寂しげに椅子に座る愛する師匠の後ろ姿がある。
わたしは歓喜に打ち震え、想う間もなく宙をふわりと蹴って、ふわんふわんと師匠の元に駈けていく。
そして師匠の目の前に浮かんだままで立ち、師匠をふわりと抱き締める。
師匠は驚いた様子だったけれども、わたしを受け入れようと優しく抱き締め返す。
わたしは心底ホッとして、良かった。良かった。本当に、良かった。と想った。

目が醒めて、すぐにその夢をわたしはブログに記した。(カテゴリーは『うれしい』でした。)
その一年と、四ヶ月ほど後に、わたしは師匠のアルバム『汝、我が民に非ズ』を最後まで聴いたとき、スピンクがこの世を去り、それも、わたしがあの朝に見た師匠の夢を見たその日の夕方に、旅去って行ったことを知る。
この偶然の出来事に関して、わたしは苦しい負い目と、そして不思議な縁による喜びを感じないではいられなかった。
負い目の苦しみとは何故、これまで師匠のスピンク日記シリーズを意識して避けて読んでこなかったのか。さらに師と崇めとるくせに何ゆえ、師匠の人生のなかで重大な出来事であるスピンクとの別れを、今更になって知ってしまったのか。という自責と負い目の苦しみである。
わたしはこれまで何年も、鬱症状を言い訳に師匠のTwitterも日記も、たまにしか覗かず、果ては師匠の作品でさえ、読む気力がないほどの疲弊が続いているためとか、お金が今月もないなどという言い訳をしてすべてを買って読むことができないでいた。
だから、このようなことになったのだと、自分を責めるしかなかった。
スピンクにも、申し訳無いという想いで、スピンク日記シリーズを全巻買い、ライヴの夜までに急いでわたしは読んだ。
不思議なことに、スピンク日記を読むまでは汝、我が民に非ズの最後の「スピンク」を聴く度に号泣していたのが、読み始めてからはさっぱり泣くことができなくなった。
スピンク日記を今、読み始めているということは、それはわたしの中では、スピンクが初めて生まれて、そしてわたしに向かって話し掛けているということだから、勿論、その間はスピンクはわたしのなかで確かに生きている。
生きて、わたしに話し掛けているのに、師匠の音楽を聴くとスピンクは旅立って行って、戻ってきてくれよ。頼む。等と師匠は果てのないような悲しみのなかに叫んでいる。おかしなことだなあと感覚的に感じて、全く涙も零れず、悲しくもならなかった。
その感覚は、とても複雑で、わたしはスピンクがいつまでも生きていてほしい。
いや、師匠がこの世を去ったあとも、人類も生命も絶滅したあともたったひとりで生きていてほしいと言っているのではなくて、とにかく師匠の側でいつまでも一緒にいてほしいと願っている。
わたしがスピンク日記を読み進めている間はスピンクは生きて、勿論、師匠の側でいつもの日常を面白楽しく愉快に過ごしている。
毎日のように、わたしはスピンク日記を読み、夜には酒を飲みながら汝、我が民に非ズを聴く。これがわたしのその間の日常となっていた。
朝と昼にはスピンクは生きて、師匠と共に今も暮らしており、夜には師匠はスピンクとの別れを悲しみ歌っている。
当然、わたしの願いとは、スピンクが師匠の隣で生きている世界。
だが師匠は、スピンクが自分の隣にもういないことを現実として受け止めて歌っている。
願いと現実が、引き裂かれる日々。
スピンクは、まるで師匠の分け御霊のような存在である。
わたしがスピンクを愛せない筈はなかっただろうに、犬とほぼ接してきたことのないわたしは師匠の家族であるスピンクの日記を買って読むことが出来なかった。
わたしは師匠とスピンクとの別れのあとに、スピンクの日記を読み始めた。
読み終えたくない物語を、どうしても読み終えねばならなかった。
わたしはスピンク日記シリーズを昨日の朝に読み終え、悲しみのなか号泣し、『告白』を読み終えたあとの感覚に似た本当に静かでならない世界に置かれていた。
読み終えてまた、師匠にとっての現実がわたしの現実として体験している世界に戻された。
読み終わったあと、汝、我が民に非ズのアルバムは聴かなかった。
そして夕方が来て、わたしは汝、我が民に非ズのライヴを観に行くために電車に乗り、駅から徒歩七分とかの場所がわからず、開場の時間に間に合いそうになかったので已む無くタクシーに乗りなんとか無事に開演の時間に間に合った。
師匠のライヴコンサートを、わたしは初めて観た。
汝、我が民に非ズのアルバムを、一番最初に聴いた時の物凄い感動(あまりに畏れ多くてなかなか聴けなかったのもあり、感動は凄まじかった。)と、地続きな感動がわたしを興奮させて止まらなかった。
「スピンク」は最後の方に歌うかなと想ったが、中間辺りで師匠は歌い、わたしはそれを聴いて、やっと残り続ける負い目を師匠が根刮ぎ浚ってくださったかのように、悲しみの涙ではなく、師匠が既に前を進んでいることが伝わってきて、悲しみと喜びの感動の入り交じった涙がわたしの頬に伝った。
号泣ではなかった。ただ二つか三つばかしの大きな涙の粒がほろと零れた後は、もう悲しみは去っていた。
それよりこれを今朝からずっと打ち込んでいて打ちながら号泣し過ぎて頭が今痛い。
「つらい思いを抱きしめて」の「順番、譲って笑った幼い子。君の両手に抱かれて死んだね。」と歌ったとき、師匠の目が潤んだように見えた。
それを観て、師匠はやっぱり我慢しているのではないかと想った。
気付けばもう午後の13時53分だ。
わたしのこの文章は師匠に読んでもらえるのだろうか?
それはわからない。神のみぞ知るです。
あの時、サインをしてもらったときに、こういった経緯を手紙に認めて渡していたなら、師匠は読んでくれはったやもしれまい。
だが、それは叶わなかった。
色々と、今回も心残りがある。
なんでパッケージやなくて、CDにサインしてもらってしまったのか(わたしの前の人がCDにサインしてもらってたので、阿呆で頭の足りないわたしはサインはパッケージではなくてCDにしてもらわなあきまへんのかと勘違いしたからである爆)、なんでいそいそとして握手してもらわずに師匠を悲しませることをしてしまったのか(あの時の複雑な笑顔の師匠の悲しみと若干の憤慨、悲憤の混じったような感じの表情を今も憶えている)、なんでもう一度握手してくださいと頼んだとき、何か礼以外の一言言えなかったのか。
まあしかし、もうええやんかいさ。
師匠はそう言ってくれるだろうか?
今回も、なんとか師匠は愚かで悲惨なわたしに向かってにこやかな笑顔を自然にしてくれたから、もうそれでええではないか。
いますぐ忘れてしまおう。そんな戯けた悲しいこと。師匠もそう歌ってくれている。
嗚呼、本当に、頭が痛い。眼孔の奥がずきずきする。
泣きすぎてしまった。自分の書いた文章で...

愚かであることの苦しみに苦しみ抜いて人は神をやがては見る。
そして最終的に、神に、『汝、我が民に非ず』と言われることの悲しさよ。
神に、我が民と認められるならば永遠に神の国に生きることを約束され、神に、汝、我が民に非ず。と烙印を押されるならば果してどうなるのか。
何にしても、師匠が自分の望みとは違う苦しみに苦しみ抜いて脱け出せないときも死のときも、わたしは命を賭して師匠を救いに行きたい。
汝、我が民に非ズを聴きながら。




町田康師匠の夢3

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町田康師匠の夢(を想い返して)

だだっ広い荒野に挟まれた道をわたしは歩いている。
そばにスピンクが居たのかもしれない。
師匠が少し遠くに、ぽつんと椅子に座っている後姿を見つける。
わたしは歓喜にうち震え、ものすごい速さで空中を蹴って、師匠の胸に飛び込む。
年を取った師匠を力強く、優しく抱き締める。
師匠は驚いた様子だけれども、それでもわたしを優しく抱き締め返す。
だだっ広い枯れた荒野のなかで。
どんよりとした、曇り空の下で。
戸惑いながらも、師匠はわたしに愛を返す。
良かった。
良かった。
本当に良かった。
わたしは満たされ、心から安心する。


















町田康師匠との想いで

7月16日の日のことを、想いだしている。
師匠のあの日の、あの優しい笑顔について。
僕は考えている。
あのときすごく、僕は怖れていて。
師匠がまた無愛想の不機嫌な様子だったら、どないしょう…と恐怖でその場にくずおれそうだった。
あの場で、僕の番が廻って来ること、それまで此処で待って立って並んでいなくてはならないこと。
苦行のようだった。苦しくて恐くてたまらない時間だった。
もうほとんどが、投げ遣りだった。
そういう諦めの気持ちであそこに並んでいなくては、耐えられなかった。
全身が小刻みに震えていたかもしれない。
心臓が冷たくなって、止まっていたかもしれない。
あのとき僕は、死んでいたやもしれまい。
ほとんど、虚脱状態で、鬱になっていた。
僕はそこに立っていて、その近くに立っていて、時間が止まったような感覚で死んでるみたいに。
無になっていた。無になるべく、魂が抜けていた。
そして。いよいよ僕の番が遣ってきた。
僕の目の前に、真ん前に、師匠が座っていて、師匠の真ん前に、僕は立っていた。
ギケイキ2: 奈落への飛翔を、無言で師匠に差し出した。
物凄い負い目であった。何故なら僕はまだギケイキ一巻を、読み終えてなかったからだ。
まだ読んでもおらないのにこいつ、何ギケイキ2買い腐っとるのかあ、あほお。と師匠にしばかれることはないとわかっていても、その負い目に押し潰されて、その場で土下座して失神したいほどだった。
そういった感覚のなかで、僕は無表情で、無心で、師匠にギケイキ2を手渡し、師匠も無言でそれを受け取って、その見開きの蒼い部分に自分の名のサインをしてくださった。
そして無言で師匠は僕にサインし終わったギケイキ2をまた手渡してくれた。
それでも僕は無言でその場に立ち尽くしていた。
立ち尽くしていることしかできなかった。
身体が固まって、人間ではない何か無機質な素材でできた像のように師匠の前に突っ立っていた。
僕はもう、どうしたら良いのかまったくわからなかった。
え、どうしたらいいの?え、僕は今、どうしたらいいの?何故、愛する師匠が目の前にいて、僕が此処にいて、世界は存在していて、地球は回っていて、宇宙空間が無限に広がっているの?え、全然、ぜーんぜんわからないよー。この瞬間、時間は流れていくはずなのに、止まったままで、この瞬間だけ、宇宙のどこかにぽつんと在り続けているんじゃないか。信じたくない。僕は絶対に信じられない。愛する師匠でさえも、この世界からいつかいなくなる瞬間が来ることを。
そのとき、師匠は僕に、僕の絶望のすべてが、僕の闇のすべてが、僕の死のすべてが壊れてしまうほどの優しくてならないあたたかい笑顔で、僕の顔を見て自然に想いきり微笑んだ。
その瞬間、すっと力が抜けて、載っていた想い積荷がすべてなくなったようなほっとするあたたかい安心に包まれて、僕も自然と師匠に微笑み返して、右手を差し出した。
師匠は微笑んだまま僕の右手を、右手で握り返してくださった。
今回も緊張で僕の手は汗ばんではいたと想うけれど、一度目のような嫌な汗のべたべたな手ではなかったように想う。
僕は落ち着いて師匠に手を握り返して微笑み返しながら声をかけた。
「七年振りに逢いに来ました。ありがとうございます。」
師匠は何度か、優しい笑顔のまま頷いてくださって、そして僕と師匠の手は、離れ、僕は師匠のもとを、歩き去って行った。
ツイッターでもゆうたけれども、僕はそのあとすぐ、感動にうち震える心でその部屋を出て、出た後、ものすごい悲しみに襲われて立っていられなくなるほどだった。
ちょうどあったソファーに座って、涙が零れたかは記憶にない。
師匠が帰って行かれる姿を見えなくなる最後の最後まで見送りたかったけれども、携帯を見て慌ててLEO今井のライヴ会場に向って、僕は急いだ。






師匠とLEOに逢えた日





















「死だけが希望」

今日も夜の七時頃に起きて、山芋と、生玉葱に


をかけて、ふんでアマニオイルかけて、ベジマヨと生醤油と辣油かけて、青紫蘇を散らす。
そしてそれを、喰うてこましたった。
やはり俺と、俺の胃は、生野菜や生果実が一番悦ぶようだ。

そういえば去年の今日の俺は、町田康師匠の夢を見た。
のどかな風景の中に、町田康師匠がひとりぽつんと何故か椅子に座っていて、(後姿であったが彼であるとすぐにわかった)
わたしは感激にうち震えて、つい、ほわんほわんと宙を蹴るように走ってって、
そして町田康師匠を想いきし、抱き締める。
町田康師匠はすこしうろたえるも、わたしを優しく抱き締め返してくれる。
良い夢であった。
そして今年の今日の俺は、亡き最愛の父の夢を見た。
しかし内容は、あまり良い夢ではなく、何故かわたしと父の手の平に、カブトムシが張り付いて、
その甲虫が両腕の前脚を二本、同時にわたしとわたしの父の手の平に深くめりこませ、離れようとせんのだ。
父のほうは幸い、そこまで傷が深くなかったが、一方わたしの手の平は、何か透明で黄色い液が、
血の如くにその傷口からちいさい泉のように湧いてきて、つらかった。
現実的な痛みでなかったにしろ、その夢の世界では強烈な痛みであった。
父も、わたしの手を心配していた。
のどかな風景の中で、たぶんわたしと父、それ以外に人はいなかった。

あの甲虫は、何を意味していたのだろう。
もしかしたら俺の本ブログにブログハラスメント、略してブロハラをしてきたあいつを象徴しているのだろうか。
俺があいつを離そうにも、あいつは頑なに、それを拒んでいるように見えた。
そしてそこに穴を二つ開け、そこから尿のような聖水が湧いてくるのである。
清らかな黄色がかった透き通る水は、血の代りに湧き出て来た水である。
俺の手の平に開けられた二つの穴が、まるで開かれた目であって、そこから尿のような涙を溢れさしていた。
あいつの両の手のその爪先が、俺のその両の目に、喰い込んで、どうしても離れようとしなかった。
無理矢理離そうものなら、あいつの両手は千切れたろうし、俺の手の平の両目も裂かれただろう。
俺は諦め、為す術を持たなかった。
恐怖であり、苦痛であり、自分の因果が、悲しかった。

そんな痛く苦しく悲しい夢であったが、それでも優しいお父さんと例え夢のなかでも会えたことはわたしの心をすこし慰んだ。
幻であっても、嬉しかった。


そういえば今日、町田康師匠の「生の肯定」


生の肯定
町田 康
毎日新聞出版
2017-12-20



という本を読んでて、ものすごく印象的な感動する文章があったので、
それを載せようかなと想う。
と想ってその箇所を探したんだが、どうしても見つからない。
仕方ないので、見つかったら今度載せようと想う。
どうゆうものだったかとゆうと、確か
「存在は、生命とは初めて、死によって統合される、ひとつになることができるのである」みたいな感じのものだった。



だから我々は、ひとつとなることを最も願い、怖れているのではないか。



佐川一政さんは、インタビューに涙目で、「死だけが希望」であると答えた。
例え人肉を喰いたいがために、残虐な殺人を行なってしまった人であっても、
そこに人間の本当の美しさを俺が観たのは、確かである。



人というものは怖れすぎても、願いすぎても、幻覚を観、幻聴を聴くことがある。
今も現に、俺はクロゴキブリちゃんを怖れる余り、廊下のほうから時折り聞えるカサッ、カサカサッっという幻聴を聴いているようだ。
何故、幻聴と想うか。それはこの三日間、彼は姿を現さんかったし、何の音も聞えてくることがなかったのに、
今日、音だけは聴こえてきて、姿が一向に見えないからである。

逆に、或る一人の人間を愛する余りに、すべての人間が、その愛する人間であるという幻覚を見、
すべての人間が愛する人間に見えてしまうというのも、あるだろう。
それ以上、行くと、すべての動物、生物、植物までもが、愛する人間に見えてくる。
そこをも超えると、すべてのモノ、自然物、とにかく存在するありとあらゆるものを愛する人間として、
人はそこに幻を観るようになる。

愛する者を見たいという一心で、愛する者の側におりたいという切実な願い故に。
その人間は、愛する者に囲まれて暮らすことができるだろう。

いや自分自身すら、愛する者と、もうごっちゃになって、ある者は閉鎖病棟に閉じ込められてしまうだろうが、
ある者は覚者として、全員が、すべてが、「わたしの最も愛する者です」と言うであろう。

だから、死を追い求め続ける者、死を恐れ続ける者、彼が存在するすべてを”死”として感じるようになるのも自然なことである。

それがゆえ、生きることが、真に切実なものとなるであらう。



















プロフィール 1981生 ゆざえ

ユザエ

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