ゆざえのDiery'sぶろぐ

想像の森。 表現の駅。 幻想の家。

絶望

グロテスクで虚しいものたち 釣崎清隆へ捧ぐ






『バースト・ジェネレーション』 presents 「NEO鬼畜道場」ver. 第三回
 釣崎清隆 x ケロッピー前田

この動画のコメント欄に、わたしの素直な想いを書いた。
(わたしのyoutubeのアカウント名はoto yoruです。追記を、今朝書きました。)

わたしの複雑な苦しみを、釣崎清隆なら、わかってくれるんじゃないかとわたしは直観として感じたし、今でもその想いがある為、誰に何を想われようとも、わたしは表現したいことを表現し続けてゆくつもりである。




この本のなかの釣崎清隆のインタビューで、彼が自分の若い時分に撮ったAVを二本とも、封印したいと、恥じていることを知った。
だからなのだろうか?わたしは自分の一番の苦しみのトラウマがAVであり、そのトラウマを克服すべく、彼に過去の作品をどうすれば観れるのかと再三にわたって訊ねたが、一度も、答えては貰えなかった。
苦しい質問であることを承知で、わたしは彼に、何かの返事を答えて貰いたかった。
わたしに対して、何かの言葉を彼がずっと言ってくれることを待っていた。
でも完全にスルーされ続けたことで、わたしの精神は不安定になり続け、結局、最後は彼にTwitterをブロックされた。
苦しい為、ほとんど彼のTwitterを観に行かなくなった。
何か一言でも、言葉が欲しかった。
自分の最も苦しいことを貴方に告白したのですから。
わたしは確かに、気付いていた。
作品として、撮られたAVではなく、わたしの一番の苦しみであるものとは、作品でも何でもない、ただの無料で配布されている極短いエロ動画だったのです。
だからわたしが本当に自分を最も苦しめ続けてきたトラウマに向き合うために、見つめる必要があるのは、映像作品としてのAVではなく、ネット上に散乱し続けている無料視聴できる浅ましく薄っぺらい寒々しく、虚しいばかりの、グロテスクでもある性器にボカシの入れられていない”日本”のエロ動画なのです。
それらを見つめ続けることで、わたしの鬱は、さらに酷くなり、アルコールの量も増えて早死する可能性もある。
だから最初に、初歩的なものとして、敬愛する釣崎清隆の撮った作品としてのAVを最初に観たいと望んだのだろう。
わたしは結局、自分と、最愛の父を殺す経緯となったAVを見つめることから、逃げ続けている。

わたしはこの先もずっと、息を吹き返す日は来ないだろう。
そう、わたしは望んでいる。
この絶望を抱えたままでしか、わたしは死にたくはない。


































母禍死

ペキンパーVol.6の、元AV監督であった現在、死体写真家である釣崎清隆のインタビューのなかの、
「性器とは何なのか?性器というからにはそこで遊んじゃったらダメなの。」
という、性器表現の規制についての言葉を読み、色々と考えている。
性器で、遊んでは駄目なのだ。という人間の本能的感覚が、一体どこから来ているのか。
わたしはその感覚が、人間の本質であり、美しく、悲しいものだと感じる。
性器は、おもちゃではない。
性器を遊ばれたら、人間は深く傷つき、悲しむ。何故なのか?
わたしは「性器というからにはそこで遊んじゃったらダメなの。」という言葉を読んで、
自分の過去を想いだした。
性器で遊んでしまった、自分の過去を…。
あれは確か2009年のクリスマス前の日だった。
今から十一年前、わたしは28歳だった。
今住んでいるこの大阪の姉の家の近くのマンションに引っ越してきて、生活保護を受け始め、
少し経った頃だった。
某yahoo婚活出会い系サイトで、知り合った2歳年上の男性と、運命的な出会いをした。
彼は、今まで色んな事を遣ってきた人だった。
芸人とかも遣ってきたが、何一つ評価されず、
いつでも、野望を抱いて、自分は今のこんな仕事を続けているべきじゃないのにという切迫した緊急感を常に感じながら自分の才能と可能性を疑わない人だった。
彼の言葉はいつでも、重く、誠実だった。
ふと彼が、素直な願望をわたしに話した。
海外に、また行きたいと想っていると。
それは、勿論、独りでである。
結婚したい想いがあって、婚活サイトに登録していたんじゃないのか?
嗚呼、彼にとって、わたしの存在とは、何なのだろう。とわたしは絶望した。
まだ、会ってもいない頃に、わたしは早くも彼に本気で恋をして依存し、苦しんだ末に、大量の某トリップ&安眠系市販薬を、致死量の半分くらい、オーヴァードーズ(OD)した。
そのとき、わたしは初めて幻覚というものをはっきりと観た。
今でも貴重な経験だったと想うが、二度と、繰り返したいとは想えない。
寝ゲロしたものが、乾かぬ間に、彼はとうとうわたしを心配してわたしのマンションに突然遣ってきた。
写真の何倍と美しい、悲しい顔をした猿顔の男前であった。
彼は、差し入れを持ってきただけなんだと震える声と身体で言って、すぐにドアの前から去って帰ろうとした。
わたしは彼の手を掴み、引き留め、彼を部屋に入れて、自然と彼に全身を激しく震わせながら、背の高い彼に背伸びして抱き着いたのだった。
彼はわたしを優しく抱き締めながら心配し、「大丈夫…?」と言った。
その後、彼は、わたしを愛らしいと想ったようで、付き合うことになった。
だが、わたしの彼に対する悲しみが、変わらなかった。
「また海外に行きたいんだ。」と言ったその言葉が、ずっとずっと潜在意識に絶望として存在していた。
わたしは、最初に会った日に、彼に自分の寝ゲロを指差して言った。
「これ、生きてる何かにずっと見えててん。幻覚で…。ほんまの話。」
彼は、小さく表情を震わせ、同時に、わたしを憐れんだ。
初めて会った数日後である。
彼が、「一緒に住もうか。」と言ってきても、わたしはずっとずっと不安さが消えなかった。
そして約二週間後、わたしは彼に対する不満と悲しみが限界に来た。
その夜、わたしの部屋で彼と一緒に寝た。
キス以上の何もしていない関係であった。
夜明け前である。
わたしは、未だに何一つ性的な行為を誘ってこない彼に不満を抱き、そんなわたしの苦しみをなんとも気付いていない彼に猛烈に腹が立った。
わたしは眠っている彼の男性器を直に触って弄った。
弄っていると、彼が目を醒まし、何事か?と、わたしを見つめて吃驚した。
わたしは無邪気に微笑み、彼に厭味を言った。
「これはおもちゃ(玩具)だよ。(笑)」
すると彼はものすごい傷ついた悲しい真剣な顔をして諭すように言った。
「それは、良くない考え方だね…。」
わたしは彼の深い悲しみが伝わってきて、心が打ち震えたが、わたしはわたしで傷つき果てた心情の結果の行為であり、意地でも彼の陰茎を握り締めることをやめなかった。
彼は諭しても、行為をやめないわたしに怒(いか)り、わたしの下着を脱がそうとした。
わたしはそれを拒んだ。
すると彼がブチ切れ、真夜中だというのに声を張り上げて言った。
「自分から誘っておきながらパンツ脱がしたら嫌がるのはおかしいよね?それが嫌ならなんで僕のを触って勃たせたりするの?パンツ脱がされたくないなら触らへんかったええやないかっ。」
わたしは恥ずかしくて、笑って「壁が薄いから大声立てんといて。」と言った。
彼はわたしの反応にまたも、怒(いか)った。
わたしの下着を無理に脱がすと自分も脱いで挿入しようとした。
だが、なかなか彼は挿れられなかった。
何故なら、わたしの性器が、濡れていなかったからである。
わたしは彼に、全く興奮していない様子で「濡れてる…?」と訊いた。
彼は返事をしないで、寂しげな顔をしてすぐさま、諦めて挿入をやめた。
その日の午後、わたしと彼は初めて近くの公園にデートに行った。
そして日が暮れて帰ってきて、彼は今日は帰ると言った。
明日も彼は休日だった。
でも彼は、家事などを色々としなくちゃならないから帰ると言った。
わたしは女がいるのかと訊ねた。
彼は呆れた、また寂しい顔で否定した。
わたしは泣いて、布団に突っ伏した。
彼は長い時間、ずっとわたしの側に放心しておった。
しかし立ち上がって、帰る用意をしだした。
わたしは帰ろうとする彼の足を、ひっしと強く掴んだ。
彼は隙をとられ、倒れた。
わたしは立ち上がろうとする彼の腕を思い切り引っ張り、
涙を流しながら彼に言った。
「なんで…なんで…。わたしが間違ってるん…?」
彼は、本当に苦しそうな半泣きのわたしの知る彼の最も美しい顔でわたしを見つめた。
その後、泣き疲れ、わたしはまた布団に横たわり、
彼は無言のまま帰った。
それ以来、彼とはもう、会えなかった。
これほど後悔した恋はなかった。
彼の性器をおもちゃにした罰は、何ヶ月とわたしを苦しめ続け、
セックスをしなかった唯一の恋人である彼への未練は、今も深く残り続けている。

やけに性器とおもちゃの話の前置きが長すぎたのだが、今から、本題である。
性器をおもちゃにしてきた世の男共たちを、殺す勢いで、文章を書こうではないか。
いきなり、核心を突こう。
アートであると評価でき得るもの以外の、すべての性の表現は、性器をおもちゃにして来た。
優れた芸術作品として、人を感動させるものと、娯楽として、人を楽しませるものの違いとは、
それは、神が宿っているものと、神が宿っていないものの違いである。
芸術とは、神が、まさに産み通したものであり、それを確信できる作品に於いて何をも規制など必要ではない。
それがだれひとり、不快にさせないと言っているのではない。
不快でトラウマになるほどのものであるのに、同時に、人に、”真の光”というものを感じさせるもの。
それが、芸術というものである。
例えば、現代美術家であるマシュー・バーニーの黙示録(終末)をテーマにした映画の予告を観たことがある。
最も印象的なシーンとして、女性器がはっきりと映されており、女性器から真っ黒な泥がどくどくと流れてくる、地の母が、死を産み落とすことを暗喩しているのであろうとても印象的なシーンがあった。
あのシーンに、ケシもボカシもモザイクも、まったく必要ではないのは、芸術作品として、真に優れており、神がかっているものであることを人々が認知しているからであり、絶対に、隠してはならない部分であり、重要不可欠なシーンであることを理解しているからである。
でもこれが、浅はかなテーマで撮られている作品のなかのシーンとして、女性器から泥が流れてくるシーンだった場合、ボカシを入れられ、人々は、肝心なところを観せてもらえない為、イライラが積り、悶々となって、もんじゃ焼きみたいな、なんとも捉えようのない顔をして、こう言うのだ。
まったく、遣ってらんねえぜ。これだれがたれが撮ったんや、責任者、やなくて監督の名前はなんだよ。何?ツリサキぃ?ツリサキと言えばあの、美を追求して35年、美意識が誰よりも高い死体写真家、美に殉ずる為に、生まれてきたAVが大好きな、あの、(美しかった…)男か。
死体撮らないで、何を撮っとるのだ、一体。
おまんこ消されてんじゃねえよ。自分の母親のおまんこ撮れや。糞が。
死体を見つめてきた男が、ポルノもAVも撮るな。
本物の芸術以外の、何一つ、昇華できていないくだらない作品を撮るのはやめてくれ。
死体に対する、最悪の冒涜罪であり、
吐きそうなほど、絶望的なものを感じるから。





















ツリの煩悶地獄 四

ツリは、彼の命懸けで撮り続けて来た死体写真集、『THE DEAD』 の刊行に寄せての言葉のなかで、こう述べていた。







「世界は残酷だ。

 それでも世界はやはり美しい。」






僕は、そんなツリに、昨日、Twitterのダイレクトメールで、こう問うた。

ツリの愛する人が、こんな最期を迎えても、「世界は美しい」と、言えるのですか…?と。

















しかし、わたしはツリから、とうとう答えて貰わぬ内に、アンフォローされてしもうた。
理由は、ダイレクトメールによる「私信の濫用」であるようだ。
わたしは昨夜、朝から夜までずっと、酒を飲んでおった。
昨日はわたしの愛兎、みちたの、一回忌であった。
とにかく、ずっと飲んでいた。何も、何も、何もしたくなかった。
何もしたくなかったから、愛する死の同志であるツリに、何度と切実に話し掛けた。
酩酊状態で、何もしたくなかった。
僕のメッセージをスルーし続けるツリに、僕は切実にこう厭味を言った。
『自分のドウデモイイツイートはするのに、わたしの切実なメッセージは読んで戴けないのですね。』
ツリは、いい加減、怒(いか)った。
「一度冷静にご自身の書き込みをかえりみてもらえますか? 
その上で、これ以上分をわきまえないようでしたらブロックするしかありません。
私信を濫用しないでください。
ただそれだけです。
僕はこう見えても忙しいんですよ。」
と優しく言いながらも、心では、想い切り、ムカついていた。
僕はツリと、その後、約一時間ほどかけて少し会話したのち、9人おったフォロワーの、ケロッピー前田氏を含む、8人全員を、アンフォローさせた。
そして、嬉々として、ツリに、言った。
「フォロワーがツリだけになった!」
数秒後、ツリは、僕を無言でアンフォローした。(僕は謝罪の言葉を一言も言っていない。)
僕は、絶望にうちひしがれ、ツリを、罵りたくなった。
寝ても、目が醒めると、ツリに対する悲憤と不満が溢れてきて、とうとう、ツリに電話を掛けた。
留守電やった。
僕は、緊張しながらも、絶望と悲しみとアルコールの残留で朦朧としながらも留守電にこう遺した。
「何故、教えて、戴けなかったのでしょうか...?
 何故、釣崎清隆氏の、撮ったアダルトビデオを、どうしたら、観れるのか?
 という質問に対し、答えて戴けなかったのでしょうか...?
 良ければ、御答えください。ガチャっ。」
そう必死に、蚊の哭くような声で、きれぎれに言って、携帯の受話器を置いた。
ツリから、電話は掛かってこない。
彼は、僕に対して元々、真摯に向き合いたいという気持ちが、あらへんのです。
いいえ、彼は、根源的に、人を、愛せないのです。
だから、「世界は美しい。」と、言って退けるのです。
違いますか?
ほとんどの人は、生きたまま解体された動物の惨殺死体を喰らいながら、笑ってる。
その世界を見ても、「世界は美しい。」と、言えるのは、ツリが人を愛せない人間だからなのです。
愛していないから、別に、人が、誰が、地獄に堕ちようとも、ドン底に突き落とされようとも、
拷問を受けて死のうとも、ええのですと、想っとるのです。
違いますか?
卵を大量生産する為に、雄のひよこは全員、






このように毎日、毎日、大量に生きたままミンチにされている。
それを観ても、ツリは、言うのデス。
「それでいて世界は美しい。」
レンダリングプラントで、瀕死の牛や馬がブルドーザーで運ばれてきて、丸まま巨大撹拌機に投げ込まれ、そのなかで、地獄の底からの悲鳴と絶叫を上げる者がいようとも、









ツリは、言うのデス。
「世界は美しい。」
生きているのに、手脚を切断される人間と動物が、なくならないこの世界を見て、ツリは、それでも言う。
「世界は美しい。」
ははは、そうだよ、ツリ、貴方にとっては、世界は美しいのDEATH 。
人を、動物を、愛せない貴方にとって、世界は本当に、美しいのDEATH 。
耀いているのDEATH 。キラキラ光り続けていて、眩いのDEATH 。
目が眩むほどに。
貴方の愛する娘が、家畜の如くに、レイプされ、生きたまま解体されるか、生きたままミンチにされようとも、世界は光り耀き続け、眩むほど、美しいのDEATH 。
嗚呼、そんな人間が、この世界にどれ程いるだろうか...!
20代で、スプラッターポルノ・SM・レイプ物のAVを監督し、その後、四半世紀も死体写真を撮り続けて来た男が、普通であるはずがないやろう。
普通の感覚で、人間を愛することなんかできないのDEATH 。
狂気も病気も、とうに超えてしまっているんDEATH 。
普通に人間を愛せないのDEATH 。
人間を苦しめることが、人間を地獄に突き落とすことが、ツリの人間に対する愛なんDEATH 。
ははは、僕は、最初の最初から、それに気づいていたんDIE 。
そうでなければ、僕はツリを、愛さなかった。
僕はだから、ツリが、本当に、どうしようもないほどに悲しくて、美しい存在であると、確信した。

僕なんだよ。
俺なんだ。

わたしは、人間を、愛せない。

だれも、愛せない人間DEATH 。

愛する貴方と同じに。








「世界は残酷だ。

 それでも世界はやはり美しい。

私はただひたすら美に殉じたいと願うばかりだ。」

釣崎清隆







IMG-8613


























人間は絶望のなかで死んでゆく

ぼくは目覚め、ヴィーガンになってから、大変に複雑で矛盾した想いに駆られ続けている。
ぼくはこの苦しみを誰かにわかってもらいたいと感じる。
だが、ほとんどの人は多分、これを理解はできないだろう。
ぼくがヴィーガンになったのは、ひとつの長いとても現実的な悪夢を見たことが切っ掛けであった。
その悪夢とは、ぼくの目の前で白い袋を頭から被せられた人々が並ばされ、次々に跪かされて斬首されて殺される夢であった。
この悪夢を、ブログに記した日から、さらなる現実の悪夢がぼくに続いた。
ぼくはネット上で、偶然にもサウジアラビアで公開斬首刑になる寸前の一人の少女の写真を見た。
悪夢とその写真、二つともぼくが彼らの後ろから眺めるアングルであった。
その写真と、ぼくの見た悪夢はぴったりと重なり、何日間も自分の首が切り落とされる感覚と痛みに苦しみ続けた。
ぼくは生まれて初めて、本当の真剣にこの世の救いを求めた。
何故、人類が、このように残酷な拷問の地獄のなかで殺され、死んでゆかねばならない世界なのか。
そしてぼくのこの問いに行き着いたものが、生々しい屠殺場の映像であった。
今から約8年半前、ぼくは初めて屠殺場の映像を見た。
それで、全身の震えが止まらないほどの恐怖と苦痛と、血の気が一気に引く感覚と、悲しみで止まらない涙のなかで、ぼくはやっと気づいたのだった。
嗚呼、ぼくは…ぼくの愛する両親を殺し続けて食べてきた。
ぼくはぼくの家族を、そしてぼく自身を、生きたまま解体して虐殺して、食べ続けてきた。
終るはずなんてないじゃないか…人類の地獄と拷問が…。
人類は、自分の来世(未来)を拷問にかけ、何度と繰り返し殺し続けているんだ。
それをやめるまで、人間は地獄のなかで死んでゆくだろう。
本当の地獄のなかで、人間は救いを求める手を差し出すが、目の前には自分がこれまで無関心に殺し続けて来た家畜たちの悲しい目が自分の目を見つめているだろう。
そしてその家畜の目は、自分の目であることに漸く気づく。
それをやめるまで、人間は絶望のなかで死んでゆくだろう。
その絶望の目は、屠殺されゆく動物たちの目である。
ぼくは人間も動物も救いたくてヴィーガンになったが、ヴィーガンになって、ぼくは人間を地獄に落とさなくてはならないことがわかった。
それは今ぼくがいる、寝ても覚めてもこの堪え難い地獄の世界(現実)である。
























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